今度こそ止まっている暇はないと、俺はただひたすらに屋敷の中を走り続ける。
頭の中にあるのは和泉の表情ばかり。
泣いた顔、すねた顔、怒った顔、どん引きした顔に無表情。それから、本当に楽しそうに笑う顔。
あれ? 心なしかマイナスなイメージの顔の方が多くない? まあ、とりあえず頭の中に浮かんで来るのは和泉の表情ばかり。
和泉には笑顔がよく似合う。だから、笑っていて欲しいと思った。
でも、それを奪ったのは誰だ? 他でもない、俺だ。俺のせいで和泉は……。そう思うと、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような苦しさ。それに顔をゆがめながらも、駆け続ける。
「……和泉」
彼女を思って。
「……和泉!」
彼女だけを、思って。
「和泉ぃ――――――ッ!!!!!!」
屋敷の一番奥。一際目立つふすまを思いっきり開く。
「遅かったじゃない」
和泉をさらった張本人が、流暢な日本語で、言う。
だだっ広い部屋にはエミリアが椅子に座って優雅に珈琲だかなんだかを飲んでいるだけで、他には何も無かったし、同時に誰もいなかった。
「和泉はどこだ?」
「知りたい?」
海のように透き通った碧色の瞳に、暗い光を込めてエミリアが笑う。不敵に、俺を試すかのように。
「あたりまえだろ。俺は和泉を助けに来たんだよ。遊びに来たわけじゃねえ。それに、さっきお前は奥まで来たら和泉を返すって言ったよな?」
「そうね。確かに言ったわ。パスティーネは約束を守ることを信条としているから、ちゃーんと返してあげる」
「てめえらの信条なんざどうだっていいんだよ! さっさと和泉を返せって言ってんだ!」
「はいはい。まったく、うるさい男は嫌われるわよ? まっいいわ。連れてきなさい」
エミリアが溜息まじりに言うと、黒服の男たちが奥からぞろぞろと現れる。その中で一番屈強そうな一人に、和泉は捕らわれていた。
「と、透流……?」
困惑のこもった目で、和泉が俺を見ている。
「遅くなって悪い。でも、ちゃんと助けに来たから」
「…………えっ?」
和泉の黒い瞳が揺れる。それが、どうして? と言っているように俺には感じられた。
「はぁーっ。よくもまー、あなたみたいな中途半端な主人公がそんな大それたことを言えたわね。呆れてモノも言えないわ」
「るっせえ!! 俺はなぁ、確かにダメダメなヤツだよ。俺のせいで大切な幼馴染みを傷つけた。それだけじゃなく、こうやって危険にまでさらしちまった最低野郎だよ。でもな、やるしかねえんだよ。俺が和泉を助けるしかねえんだよ! だって俺はな、」
ぶつりと、言葉を切る。それは自分の決意をしっかりとエミリアに叩きつけるためであり、自分の決意を自分に言い聞かせるためでもあった。
目の前で不敵に笑うエミリアを、睨み、叫ぶ。
「誰がなんと言おうが、俺がこの世界の主人公なんだよ!!」
はっ! と、エミリアが吐き捨てるように笑った。
「笑わせないで。あなたが主人公? 悪い冗談もいいところよ」
それからゆっくりと立ち上がると。、静かな声で言った。
「勝負をしましょう」
「さっきも言ったが、俺は勝負する気なんざねえんだよ」
「自分の立場が分かってないんじゃない?」
「どう言う……意味だ……?」
「あなたの大切なヒロインは、アタシの手の中ってこと」
それから、エミリアはふっと小さく息をこぼすと、持っていたマグカップを手から離した。ゆっくりと、中に入っていた黒い液体を吐き出しながら落下していくそれに、一瞬目を奪われる。
「馬鹿は嫌いなの。死んで?」
そんな冷えた声と共に、パンッと軽い音がしたかと思うと、頬に何かで切られたかのような痛みが走る。熱い何かがそこから溢れ出し、頬を伝う。それが血だと気が付くのに、時間はいらなかった。
「ちっ、このアタシが外すなんてね」
エミリアが持っている、鈍い光沢を持ったそれ。それを識別するための名前は分からないが、その存在はよく知っている。簡単に命を奪うことができる代物――拳銃。
「無駄に幸運なのね、あなた。でも、次は外さないから」
銃口が再び俺を捉える。やばい、そう思った次の瞬間、再び発砲音が響く。
吐き出されたそれは俺に直接当たることはなく、制服の袖の布を少しと、薄皮一枚をなぞっただけで大きなダメージとなることはなかった。
「……あれ?」
正面を見ると、エミリアが信じられないとでも言いたげに俺を見ている。あれだけ次は当てると豪語してたにも関わらず、外れたようだ。
「エミリアさん! ねえ! 危ないよ!」
後ろで、和泉が叫ぶ。エミリアを止めようにも和泉の身体はがっちりと掴まれているようで、動くことはできないでいる。
「透流も……!」
「あなたは黙ってて! これは主人公同士の、アタシたちの勝負なんだから!」
叫ぶと同時に、再びエミリアが引き金を引く。しかし、それもまた俺を擦るだけで致命傷にはならない。
頭の中で、タレイアが言っていたことを思い出す。これはもしかして、俺に目覚めた主人公の能力ってやつではないだろうか。
一歩、踏み出してみる。パニックになったエミリアが引き金を引くも、当たることはない。なるほど。俺の能力は圧倒的幸運、もしくはそれに準ずる何かということか。そうと分かれば恐いモノはない。
ずんずんとエミリアに向かって進んで行く。その間も銃弾が飛んでくるが、相変わらず俺のすぐ横をすり抜けていくだけだ。
「何で……なんで当たらないのよ! この距離よ!? おかしいわよこんなの!!」
いよいよ彼女の目の前に来たとき、銃口わざと俺の心臓部に当てる。彼女の動揺が、拳銃を通して伝わってくる。
「引けよ。お前の弾は、絶対に俺には当たらねえから」
確信があった。どんなことがあっても、エミリアは俺を殺せないという確信が。エミリアの口角が、ゆっくりと吊り上がる。手の震えが、徐々に収まってくる。
「はっ! マジでばっかじゃないのあんた? パスティーネに楯突いたこと、死んで後悔することね」
「待ってエミリアさん……駄目、それは絶対に駄目だよ!!」
視界の隅に見えた和泉が、悲痛な顔をして叫ぶ。俺は、そんな彼女に笑いかける。絶対に、大丈夫だって。
「チャオ、お馬鹿な主人公さん?」