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55 永遠の誓いをもう一度

 今のは……。まるで白昼夢でも見ていたかのようだ。

 しかし、全く時間が経過していないようで、テオファネスも同じように霊峰を眺めていた。


「どうにも上手く形容できないけど、俺はアルマと霊峰で花となった乙女に守られたって事にしとこうかなって思ったんだ……」

「そうだね、きっと……彼女の加護だよ」


 その天使に今まさに会ったと言うか戸惑った。しかし、それ以上に彼には言いたいことが山ほどある。

 アルマは涙を拭い目を細めると、テオファネスを下から睨み据える。


「……でもテオ、どうして三年も待たせたの! 手紙くらい送ってくれたって良いじゃない、本当にあなたって最低よ!」


 わざと怒って言ってやると、彼は困ったように眉を寄せた。

 それもほんの少し泣きそうな顔で。こんな部分を見ると、本当に彼なんだと感じてしまうが……。


「手紙は何度も送ったんだよ。多分、戦後の混乱で国境警備が厚くなりすぎて届かなかったかも」

「そうは言っても、それでもさぁ……三年も待たせるなんて本当に酷いわね。私が気が長く無かったら、他の男の人と結ばれてたかも知れないじゃない」


 ふて腐って言ってやれば「いや、アルマが力を失う前なら、平気かと思った」と軽い笑いをこぼしつつ言う。


「でも〝テオなんか嫌い! ふざけないでこの馬鹿!〟とでも言ったらどうしたの?」

「いや、そう言われたら、もう一度マイナスからのスタートで意地でも惚れさせる他無いとは思ったけど……俺が諦め切れないし」


 自信なさげに言うものだから、思わず笑いが込み上げてしまう。

 ああ、やはり彼。自分が好きになったテオファネスだ。そんな風に何度も再確認してしまう。堪らない愛おしさが込み上げ、アルマは柔らかな笑みを溢した。


「あと、その……俺が戻るの遅れた理由だけど。無国籍で無一文はまずいだろ?」


 そう切り出した彼は戦後の経緯を軽く語った。


 たった三ヶ月ほどではあるが、彼はもうその頃には、人のような目に戻っていたらしい。

 浸食部位も左手だけ。機甲マキナは、不能になればそのまま地面に埋められる。そんな姿の彼を生き残りの兵士たちは誰も機甲マキナと思わなかったらしい。

 一応、識別に一般兵と違う色の服を着てるらしいが……気の良い同名軍の仲間に〝なんて悪趣味な恰好してるんだ〟と言われた程だそうで。機甲兵が全滅となった時には、壕の中で普通のシュタール軍の服を無理矢理着せられていただとか。


 そして彼は戦場を引き上げ、シュタールの都市部にやってきたそうだ。どうにかして住み込みの仕事を見つけて鉛筆と紙を買い、路上で絵を描いて売っていた。初めこそ一枚も売れやしなかったが……ある日、彼に白羽の矢が立った。


 たまたま通りかかったベルシュタイン人の画家が彼の絵を見て才能に感嘆したのである。


 だがこの画家というのがただ者でなかったそう。

 シュタールの軍需工場を支援していた、ベルシュタイン南西部に領地を持つネーベルタール子爵だった。


 彼は貴族でありながらも、皇族の肖像を描く程に名の知れた画家だった。

 しかし驚くべき事に、何やらこのネーベルタール子爵は皇帝と幼馴染みのような間柄だったそうだ。

 身分が随分と離れているが、今も気心知れた仲らしい。


 そんな、たいそうな画家に生い立ちや経緯をかれ、全て話した所「その才能を潰すのは勿体ない、是非とも支援したい」と彼はテオファネスの後ろ盾になってくれたそうである。


 しかしテオファネスにはベルシュタインの皇帝とは因縁がある。ヴィーゼンの乙女を人質にした件を容認した件や火曜の天使でアルマを徴兵しようとした件を話した所「そんな事はありえない」と子爵は言った。


 そうしてテオファネスがネーベルタール子爵に連れられてベルシュタインに戻ったのは二ヶ月前。


 ネーベルタール子爵はこの件を皇帝に聞き出した。その結果……そのような事実は一切無いと断言したそうである。


 同一民族・同言語の隣国とはいえ、異国人は霊峰信仰を軽視している。よって事の重大さが分からぬようで、あれはシュタール軍が勝手にでちあげたものだったらしい。

 これにはベルシュタインの皇帝も怒り、シュタールとの同盟関係を近々絶つ気でいるそうで……。


「何だか……凄い事になってたのね」


 アルマの中のテオファネスといえば……一割が兵士の装いで九割がはくすんだあの青色の患者衣だ。

 それに比べて、今の装いを見て何事かと思ったので、この話で全て合点がいく。


「うん。まぁはなかなかの変人で。芸術好きの人嫌い。社交界に顔を出さなかったらしい。結果五十過ぎても未婚で……今、後継人に困って〝も~面倒だしも~テオを選ぼうか〟とか言い始めてさ。俺、一応滅んだ母国だと侯爵家の長男だったのもあって。メルクーリ島ってとこだったけど。故郷言えば師匠も陛下も知ってて。皇帝も皇帝で継ぐのは構わん……なんて言ってるらしい」


 後ろ盾になってくれるのは有り難いが、貴族の家を継ぐのはあまりに荷が重い。そんな風に言って、テオファネスはこめかみを揉みつつ、言う。


 もう超絶展開で理解が追いつけない。アルマは目を細めた。

 しかし。もう一つ気になっていた事がある。


「あと、これを聞くのは怖いけど、カサンドラさんは存命なの……?」


 怖々聞けば、彼は頷き「敗戦の混乱に乗じて、無事逃走した。シュタールの田舎の教会に居るらしい」と短く答えた。


「と……まぁ、三年かかったが、アルマと添い遂げるための準備がどうしても必要だった訳だ」


 さらっと言われたが、今永遠と同等を言っただろう。アルマが目をみはるが束の間──彼はようやく抱擁から解き、その場で跪き、アルマを真っ直ぐに見つめた。


「もう一度言うけど、俺は自分の人生にどうしてもアルマが欲しい。その力、務めを全うした後、火曜の天使は迷える機甲マキナと結婚してくれるか?」


 ───俺のお嫁さんになって欲しい。

 あの日、あの星空のもとでいわれたような、穏やかな声で言われて、アルマは一瞬にして首まで顔を赤くした。


 今このタイミングで言われるとは思いもしなかった。だが断る理由なんて微塵も無い。


「はい、私を……テオのお嫁さんにして下さい」


 紅潮し、震えた声でアルマが答えた瞬間、礼拝堂の扉が勢いよく開いたのである。


「ちょっとぉ嘘でしょアルマぁ! 寝坊して朝の礼拝すっぽかしてプロポーズを受けてるってどういう状況よ!」


 憎まれ口を叩く割にアデリナは嬉しそうに笑んでいた。随分と容姿は大人びたものの、かしましい三人娘カトリナ、イリーネ、ユリアはキャーキャーと黄色い声をアデリナの背後で上げている。


 その喧噪をすり抜けて、駆け寄ったエーファは琥珀の瞳に涙で潤してアルマとテオファネスにぎゅっと抱きついた。


「──お姉ちゃん! お兄さん!」


 よかった。よかった。と、エーファは大粒の涙を溢し、声を上げて泣き出した。


「……お姉ちゃん?」


 その呼び方を不思議に思ったのだろう。彼は身を屈めてアルマとエーファを纏めて抱き寄せつつも小首をかしげた。


「アルマはね、私のお姉ちゃんになってくれたの。お父さんとお母さんが養子として迎え入れてくれて、私、妹になったの。お願い、お姉ちゃんが大事なら二度と悲しませないで」


 涙ながらに語るエーファの言葉は嗚咽が絡んでよく聞き取れなかった。それでもテオファネスは言わんとしている事を理解したのだろう。


「あぁ約束するよ」


 そう告げたテオファネスはアルマとエーファを更にきつく抱き寄せた。


「あらあら……何の騒ぎです。アルマは朝の礼拝に来ずに……」


 馬鹿と優しい声色にアルマはビクリと肩を震わせた。

 それはエーファも同様で……。その正体は間違いなく院長だ。こんな声の時は大抵怒っている。


 おずおずと目をやると、院長はのしのしと石の階段を下り、アルマ達へと近付いてきた。


「す、すみません……あの寝坊しました、その……」


 慌ててアルマはテオファネスの抱擁から離れようとするが院長は「そのままで良いです」と彼に目配せをする。


「恋愛は禁忌とされてますが、まぁ……二人で外で倒れていた冬の日からとは思っておりました。ですが、清き愛を許します、そして私たちはあなたたちの未来を心から祝福します」


 そう言って院長は優しくアルマとテオファネスに微笑んだ。


 ---


 その幸福の結実を、霊峰ザルツ・ザフィーアは優しく見守っていた。

 高山の僅かな平地一面に咲くのは白々とした赦しの花──エーデルヴァイスは初夏の光を浴び、まるで祝福と永遠の平穏を祈り唄うように風に揺れていた。

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