「千晶はねー、コーヒーを入れるのが上手なんだよ」
「……あの、これから、どこに」
「ん、家に帰るよ」
「あの、こっち、俺の家じゃないです」
「ああ【子供達】の家に帰るんだよ」
なんだ、それは。そんなことを英昭は思い、景吾は見透かしたように話し出した。流暢に話すので、もしかしたらこんな話をもう何回も繰り返しているのかもしれない。
「君みたいな子を集めてる」
「おれみたいな……」
「そう。超能力とか特殊な能力とか。ちなみに僕もある」
「あ、あなたも?」
「なんだと思う?当てられたら、帰してあげてもいいよー」
車を運転しながら、景吾は明るく言った。
分かるわけがない。今日初めて出会った男なのに、何も知らない。相手は自分のことや祖母のことを調べていたら、知っているかもしれないが、こっちは初対面だ。気持ち悪い、と思いながらも一か八かで言葉を口にするしかない。
「えっと、瞬間移動」
「違うねぇ」
「じゃあ、そうだな、炎を吹く!」
「それは一真」
「い、いるんだ……じゃあ、なんだろ、未来が分かるとか、そんなの……」
「それは名月」
「あ、ああ、じゃあ、あれだ、植物!さっき、植物って話してたから!」
「それは奈雄。残念だったねぇ、僕の能力は当てられなかった」
どうしよう、このまま連れていかれる。英昭は焦っていた。このまま連れていかれて、洗脳されて、実験台にされて、殺されるのだ。いつか死ぬことは分かっていたけれど、水道代をケチったくらいで殺されたくない。
「お、お、おれ、ころされるんですか」
「今のところそんな予定はないけど」
「じゃあ、なんで、つれていくんですか!」
子どもみたいに聞いてしまった、と思う。でも気になってしまって、胃の中が逆流しそうだ。このまま連れていかれて、殺されなくても、閉鎖病棟みたいなところに拘束されて一生を終えるのかもしれない。映画で見た世界が目の前に広がって来て、英昭は冷静になれなかった。
「すいません、水道代、払いますから」
「あー、それは別にいいんじゃない?大した金額じゃなかったし」
「は、払いますから、帰してください!」
「どうしてそんなに、帰りたいの?」
どうして。
その言葉を聞いて、英昭は祖母を思い出した。毎日毎日動物の声に悩まされて、自分より弱い動物を殺すしか逃げ道がなくなってしまい、結局精神を病んだ。病院でも狂っていく祖母、死ぬ寸前まで彼女は動物の声に悩まされ続けている―――そんな世界に自分も帰りたいのか、と問われると謎が浮かぶ。まともな就職もできず、フリーターで水道代を誤魔化して生きる日々。水が嫌いで、恐い。自分の特殊な力が恐くて、それが祖母と重なっていく。
「帰りたい理由がないのなら、帰らなくていいんじゃないの?」
景吾はハンドルを握ったまま、バックミラーで後ろを見た。青い顔をしている英昭は、今にも嘔吐しそうだった。
情報網は色々とあるのだが、稀にそこを抜けて成人してしまう【子供達】がいた。景吾からすると、成人してしまった【子供達】はあまりおすすめできないのが本音だ。彼らは世間に染まってしまっているから、大人になってから連れてきても反発が強い。同時に、能力への抵抗も強いので、コントロールができないこともある。
彼らを早く見つけてやることができなかったのは、景吾の落ち度。しかし、見つけたからには必ず連れて行くと決めていた。そんな中で見つけたのが坂田英昭である。きっかけは、廃病院となったところからの資料を買い取ったこと。精神病院が閉鎖する時に、患者の個人ん情報を売ったのだ。裏の世界ではよくあることだし、ほとんどの患者は死亡しているため、あまり価値はない。だから安価で手に入るものだが、景吾はこういったモノから【子供達】を探すことが多い。
面白かったのは、どこの病院でも【子供達】の形跡は確実にある。中にはどう見ても記録を改ざんしているものもあった。見てはいけないもの、触れてはいけないものがそこにあった証拠である。英昭のことは、祖母のカルテと記録に残されていた。動物の声がずっと聞こえる、話かけてくる動物たち。孫が水で遊んでいることがある。妄想と一言で片づけられていたが、景吾は孫を探した。
そして行き当たったのが、水道代を改ざんしていた坂田英昭だ。水道代を改ざんするなんて、能力の無駄遣い、なんてケチな使い方だと思うかもしれないが、それでも彼にとっては常時能力を自由に使える状態である、ということなのだ。祖母の家を焼き払った一真に比べると、どう考えても英昭の方が能力が高いと考えられる。他者に気づかれるか、気づかれないか。そのちょっとした微妙な境界線を、彼は自ら作ることができたのである。景吾はそれが英昭の繊細さからできている、と思った。繊細な彼の精神、考え方、やり方のすべてが、水を動かす。
「君は繊細だねぇ」
その繊細さが美しく、儚く、【子供達】の中でも輝くものだと景吾は思った。美しい、と彼に思わせる能力はあまりない。
「お、おれは、昔から、ビビりで……」
「ふーん、だから水道代程度をケチってたってこと?」
「まあ、はい、そんな感じで」
「そうだよね。君ならダムにだってなれるし、もしかしたら……天気さえも操れたかも」
景吾が大きなことを言ったので、英昭は本格的に吐きそうだった。彼にとって、社会で目立つようなこと、誰かから望まれてしまうことが嫌なのだろう。
「君は、お祖母さんのことを気づいていたんだよね?」
「え、あ、ばあちゃん、ですか?」
「そう。動物の言葉を理解する女―――最後はそれで精神が狂ったと聞いたけどね」
「あ、いや、俺は、その、ばあちゃんの、ことは……ボケてるって、聞きました」
「うん、まあ最後はそれもあったかもしれないね。でも、彼女は確かに動物の言葉を理解していたはずだ。でも僕が見つけるのが遅くなってしまって、ごめんね。辛かっただろう」
辛かった、と言われて、英昭は分からなくなる。祖母は気が狂って、猫や犬などの首をへし折ったり、ねずみくらいなら奇声を上げて踏みつぶせる人だった。水に沈めたり、鍋で煮たり―――異常者としか思えない行動や言動ばかり。それが本当だったなら―――祖母は正しくて、動物たちの言葉を理解していたなら。う、と英昭は腹の中のものが上がってくるのを感じた。
「ああ、一度車を止めようか」
「す、すみま、せ……」
英昭は、車から転げ落ちるようにして出てきた。そして盛大に嘔吐する。こんなに吐いたのは子どもの時以来じゃないか。そうだ、祖母が猫を風呂場で殺した時。あの時のことを思い出した。今まで、忘れていたこと。
鳴き叫ぶ猫が可哀想で、祖母が恐くて、英昭は浴槽の水を祖母にかけたのだ。水に命令して、猫を助けようとした。あの時、祖母は驚いたような目をして孫を見て、言った。―――お前もなんか。お前も、同じなんか。
結局、猫は死んでしまった。しかしそれ以来、祖母は英昭を異常な目で見てくる。同じではなく、英昭の方が異常だとその目は言っている。狂っていく祖母と、それから逃げ出したい自分。だから、自分を守るために。英昭は、地面に広がった吐しゃ物を見ながら、すべてを思い出す。同時に耳に入ってきたのはどこかで滝が落ちている音だ。自分はきっとまた同じことをする、と英昭は思う。
「村雨、さん、おれ」
「どうしたの?」
「おれ、俺が祖母ちゃんをおかしいってみんなに言ったんです。ボケてるって!気が狂ってるって!そして」
幼い子は、恐怖を取り除くためにできるだけのことをした。あの時の英昭にとって、逃げるためにはそうするしかなかったのだ。だから今も、同じことをする。
「おれ、家に、かえりたい!」
水が来た。景吾の頭上に大量の水がそびえ立つ。まさか、と思ったが、その水は景吾を押し潰す。
だから遅くなるとこんな結果になる、と景吾は思いながら水に圧迫されていった。