初めての感触は、今でも鮮明に覚えている。
突き立てた刃の、肉を抉る不快感。
光を失ってゆく表情と、血の温かさ。
おびただしい数の、人、人、人…だったモノ。
あの人が最期に見ていたのは、僕の目だった。
忘れることは許されず、今も俺を俺たらしめていた。
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私立王鳳学園。
全国から優秀な人材を集め、文武両道を重んじる校風の、伝統ある学校だ。
生徒はそのほとんどが政治家や金持ちの子息令嬢であり、一部を除き、将来を約束されたエリートばかりである。一般入試で入ってくる生徒もいるが、普通のご家庭では学費の工面すら難しいだろう。校舎の広さも半端では無く、カフェやスポーツジムなどあらゆる設備が用意されている。
「ふぁ…むにゃ…。」
俺は今日も屋上で空を眺めていた。
どこまでも広がる青い空。
校舎に隣接するグラウンドからは、体育の授業中だろうか、
生徒たちの声が風に乗って聞こえてくる。
流れる雲がパンの形に似ている。
そろそろ腹も減ったと感じる頃、お昼を知らせるチャイムが鳴った。
購買でも行こうかと立ち上がった瞬間、
ダダダと階段を駆け上がる音と共に、屋上の扉が勢いよくと開く。
「ここにいましたか悠真さん!」
小さな女の子が、息を切らしながら駆け寄ってきた。
「えっと、比良坂さん…どうしてここが?」
「そんなことより!また朝から授業サボりましたね!?教室に行ってもいないんですから!」
「ギクッ。」
「わざとらしくギクって言わないでくださーーーい!」
俺は名前は神籬悠真(ひもろぎゆうま)。
なんやかんやありこの学園に通うことになった。
勉強もスポーツも人並みにはできるが、優等生ばかりの学園内では完全に落ちこぼれである。
僕を怒っている彼女は比良坂燈(ひらさかあかり)さん。
俺の〝バディ〟になった女の子だ。
学年はひとつ下で、先月学園に入学したばかりだった。
この学園にはルールがある。
それは〝生徒は決められた2人1組で行動すること〟というもの。
通称バディ制度だ。
入学時に決められた組み合わせのバディが学園から通知される。
生徒同士の相性を学園が総合的に判断し、誰がバディになるかは通知が来るまでわからない。
同性同士の場合もあるが、俺のような場合もある。
権力者の子息や令嬢は、一般人よりも誘拐などのリスクが確率が高い。
一種の防御策、のようなものなのかもしれない。
「ところで比良坂さん、その両手の大きな箱は…?」
「もう、比良坂さんじゃなくて、燈です!名前で呼んでくださいって言ったじゃないですか。」
「いや、名前呼びはちょっとまだ恥ずかしくて…」
「私は恥ずかしくないですよ。悠真さんのバディになれるの、すっごく楽しみにしてたんですから。」
彼女は俺のどこを気に入ってくれたのだろうか。小動物のような愛くるしい瞳で見つめてくる。
「それより悠真さん、もうお昼ですよ。私お弁当作ってきたんです。景色もいいし、一緒にここで食べましょう。」
「今から購買にいこうかと思っ…」
俺が言いかけた途端、みるみる彼女の顔が暗くなる。
「うっうっ…せっかく悠真さんのために早起きして弁当作ってきたのに…悠真さんは私のお弁当より購買のパンのほうが好きなんですねどうせ私のなんか不味くて食べられないですよねちょうどいいやここから飛び降りたら楽になれそうだし名前も呼んでもらえないし…」
そう言って、フェンスの方向へふらふらと歩き出す彼女を、慌てて静止した。
「あ、燈ちゃんのお弁当が食べたいなぁ!」
「はい、悠真さんの好きな卵焼きですよー。たくさん食べてくださいね。」
目の前には豪華な重箱が並んでいる。こんな豪勢な料理、お正月のテレビでしか見たことがない。彼女は料理が得意だ。
しかし多い。明らかに量がおかしい。食べ盛りの高校生とは言え限度がある。
「あ、ありがとう。ところで俺、卵焼きが好きって言ったっけ…?」
「入学案内読まなかったんですか。バディには相手の情報が学園から提供されるんです。」
「へぇ、そうなんだ。」
「あー!もしかしなくても、私のプロフィール、読んでくれてないですよね!?」
「い、いや…そんなことは。」
じぃっと睨まれる。
「…ごめんなさい。」
「仕方ないですね…。いいですか?バディの情報を確認しておくことは、この学園生活において大事なことなんです。不測の事態に陥ることも考えられますからね。まぁ、学園のセキリュティは万全ですけど。」
「わかった、今日中に確認しておくよ。」
「お願いしますね。あ、飲み物はお茶がいいですか?ルイボスティーもありますよ。」
楽しいランチタイムは過ぎてゆき、午後の授業の時間が近づく。
あの巨大なお弁当は、また落ち込まれても困るので、なんとか胃に収めた。
うん、次はもう少し量を減らしてもらうように言おう。
午後はさすがに出席するかと考えていると、彼女に呼び止められた。
「悠真さん、授業に戻る前にひとつだけいいですか?」
「うん?どうしたの。」
「実はさっき、バディの情報共有の話をしたと思うんですけど、学園から送られてきた悠真さんのデータ、黒塗りの部分が多かったんですよね…だから私、悠真さんのことまだあまりわかってなくて…」
「……。」
「で、でも !私立派なバディになりたいんです。だからこれから悠真さんのこと、色々教えてくださいね。」
「…そうだね。必要なことは、また伝えることにするよ。」
「ありがとうございます!それじゃ私、教室に戻ります。悠真さん、これ以上サボったらいけませんよ。」
「わかってるよ。じゃあまた、放課後にね。」
しっかり釘を刺してくる彼女と別れ、教室へ歩き出す。
…俺の過去は、よく思い出せないことが多い。
ただ、あまり人に言うことでもない。まして、あの天真爛漫な彼女には尚更だ。
俺をここに連れてきて、あの人はどうしたいと言うのだろう。
限界寸前の胃袋をさすりながら、教室へ戻った。