ぶすっとした表情で、風斗は不機嫌オーラを漂わせている。
「何か、デリバリーでもしましょうか」
「良いですね。食べながらだと、香椎くんもラフな感じになるので」
坂井には、緊張していることがバレているらしい。
有凪は、芸能人でありながら人見知りだ。今だって、緊張のあまり表情筋が微笑んだカタチのまま、元に戻らない。
ピザを注文することになり、有凪はメニューを見ながら真剣に悩んだ。
これでもモデルなので、口に入れるものには神経を使う。体重管理も仕事のうちだ。塩分が多いものはなるべく避けている。むくみやすい体質なのだ。
……ピザなんて、何年も食べてないな。
どれもこれも高カロリーで、おまけに塩分過多だ。明日も撮影がある。
……どうしよう。自分は水だけで良いですとか、そういうこと言ったらダメだよな。
周囲に気を使わせてはいけない。何か食べれるものはないか、焦りながらメニューを確認する。
もたもたしている有凪を見かねたのか、坂井が「これは?」と指をさす。
「このサラダ。美味しそうだよ」
「う、うん」
……あ、そっか。サラダも注文できるのか。
有凪は、ホッとした。野菜や豆類がたっぷりと入ったサラダ。ドレッシングも低カロリーなものをチョイスできるらしい。これなら食べられる。
「それから、このチキンなんかも平気なんじゃない? 揚げてないみたいだよ」
塩麹のチキングリル。いかにも美味しそうだ。
「そ、それにする」
有凪がオーダーしていると、向かいに座った風斗が小さくため息を吐いた。
「……過保護」
「え」
「ひとりで注文もできないんだ」
「……あ」
何を言われたのか、すぐには分からなかった。
意味を理解したら、恥ずかしくて頬が熱くなった。文句を言ってやろうと思うのに、何も言えない。くちびるが震えるだけ。
「王子様って聞いてたけど」
低い声だ。意を決して、有凪は顔を上げた。
「お姫様じゃん」
バカにしたように、ふっと鼻で笑う。
有凪が、ぎゅうっと拳を握りしめた瞬間。スパーーン! と小気味よい音が、事務所内に響いた。
「ってぇ……」
目の前の風斗が、後頭部を押さえている。
「か、嘉内さん……!?」
坂井が驚きの声を上げる。
嘉内が風斗を叩いたのだ。凶器は、冊子をくるくると丸めたもの。
「暴力とかマズいんじゃ……」
「社長から許可を得ています」
「そ、そうなんですか?」
「もしろ、社長命令です。風斗を一人前にするために、まずは人間教育が必要です」
「な、なるほどぉ」
坂井と嘉内のやり取りを見ながら、有凪はちょっと合点がいった。彼女が風斗を担当できている理由。それは、鉄拳制裁だ。時代と逆行し過ぎなのだが、風斗にはこれくらいの荒行事のほうが、確かに効き目がありそうだった。
◇
ちまちまとサラダを食べる有凪の目の前で、風斗が豪快にピザを頬張る。足を組みながら食事をしているというのに、どこか品を感じさせる。なぜだ。行儀が悪いのに、なぜ品位を感じるのだ。
納得がいかなくて、有凪は向かいに座る風斗をジロリと見た。
何度もそうしていたら、彼と目が合った。
「……物欲しそうな目で見るなよ」
「な、なん……! そ、そんな目で見てない!」
有凪は、慌てて否定した。
なんとか否定できたが、視線は宙を彷徨っている。鼓動がズンドコ早くなる。『物欲しそうな目で見るなよ』という台詞が、最近読んだBL本で登場したのだ。
攻めの台詞だった。タイトルは「あなたと番です」。受けは「物欲しそうな目」を否定したが、結局は攻めに嬲られてしまった。あんなことやこんなことをされていた。
ちなみに、否定したものの完全に「物欲しそうな目」を受けはしていた。とろん、として、ぽやっとして。うっとりしながら攻めを見つめていた。
……あ、あんな目を、自分もしていたというのか! あんな濡れた目で風斗を見ていたのか!? もしかして、この世はオメガバースなんだろうか?
悶々としている有凪に、風斗がピザを差し出してくる。
「そんなに欲しいなら、食えば?」
「へ?」
ぐいっとピザを押し付けられる。
……もしかして、そっち? 物欲しそうな目というのは、ピザを食べたそうにしてたってこと?
それが分かった瞬間、どっと力が抜けた。
「いらない。ピザなんて食べたら、太るし」
有凪は手で押し返した。
「はぁ?」
風斗が、片方の眉を吊り上げる。
「そんなもん、ジム行って走ればチャラになるだろ」
「は、肌が……」
「あ?」
「肌が荒れるんだよ。油っこいものを食べたら」
顕著に出てしまうのだ。吹き出物になって、有凪を苦しめる。
「年だから?」
「はい?」
……今、コイツは何と言った?
有凪が硬直していると、横から坂井がすかさず「うちの香椎は、まだ二十三歳です」と訂正する。
「なので君とは、ひとつしか年が違わないんだよ」
さすがの坂井も苦笑いしている。
「そうなんすか? 嘉内さんから『香椎くんは風斗よりずっと先輩』って聞いたんすけど」
ダルそうに髪をかきあげながら、風斗が言う。
「それは、事務所に所属してる年数のこと! 年齢は一個ちがいなの!」
嘉内が丸めた冊子で風斗の肩をグリグリしている。
「なんだよ、そんなの誤差じゃん。ていうか、その割にはこのひと老けてるな。そう思わねぇ?」
嘉内に同意を求めながら、風斗が有凪を指さす。
一瞬、有凪はポカンとしてしまった。
そして、じわじわと怒りがわいてくる。
……こ、この美貌の王子様こと、香椎有凪様が老けてるだとーーー! 魔性で! 美青年で! 常にナンパされまくり、街を歩けば物陰に引きずり込まれそうになる、この香椎有凪様が~~~!!
ぐぎぎぎぎ、と内心憤っていると、嘉内がものすごい勢いで頭を下げた。
「も、申し訳ありません! うちの風斗が……! 香椎くんは風斗と違って落ち着いてるので! そう! 落ち着いてるってことを言いたかったんだと思うんですが! なにぶん教育不足でして……!」
ひたすらぺこぺこする嘉内を見ていると、ちょっと憐れに思えてきた。きっとあちこちで苦労しているのだろう。坂井も同じことを思ったのか、嘉内に「頭を上げてください」と言っている。
嘉内は、ちっとも悪くない。
「そうですよ、嘉内さんが謝ることじゃないですから」
悪いのは風斗だ。そして、有凪は決して心優しい人間ではない。
「あの、申し訳ないんですが」
有凪は、嘉内に微笑んだ。
「はい、なんでしょう?」
「その丸めた冊子、俺に貸していただけませんか?」
このクソ生意気なボンボンを懲らしめてやらないと、有凪の気が済まない。叩きたい。叩きのめしてやりたい……!
やはり社長は正しい。コイツには、鉄拳制裁が必要だ。微笑みを浮かべたまま、有凪はこめかみに青筋を立てていた。