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第9話 風斗じゃない相手と、BL営業……?

 それから数日後、有凪は社長から呼び出された。


「それで、決心はついたの?」


 有凪の向かいのソファに、社長の雪村が腰を下ろす。


「……まだ、です」


 うつむきながら答える。持ち前の、ウジウジした性格のせいで思い切れない。決断力に乏しいのが有凪だった。


「仕方ないわね」


 社長が、ふうっとため息を吐く。


「相手役は、風斗じゃなくても良いのよ?」


「え……?」


 予想外の言葉だった。驚いて、思わず顔を上げる。


「私は、有凪と風斗の組み合わせがベストだと思ったけれど。有凪が、どうしても嫌だって言うなら相手を変えるわ」


 社長は立ち上がり、デスクの上にあったファイルを手にする。


「どの子にする? この中から、好きなタレントを選んで良いわよ」


 有凪は、手渡されたファイルを開いた。『オフィス・ユキムラ』に所属するタレントが、ずらりと並んでいる。


「そ、そんな。選ぶなんて……」


 まだ、風斗が嫌だなんて言ってないのに。


「あ、でも。御守壮司みもりそうじだけはNGよ。もうすでに人気があるし、スケジュール的にも難しいはずだから」


 御守壮司は、『オフィス・ユキムラ』の稼ぎ頭だ。


「わ、分かってます……!」


 事務所唯一の売れっ子で、二十六歳のイケメン俳優。いわゆる戦隊モノで知名度を獲得した。今期の連続ドラマに、メインキャストの一人として出演中だ。


 そんな御守を相手役に指名するほど、有凪は無謀ではない。


「早く決めてね」


「えっと、今ですか……?」


「もちろん」


 社長は決断力に優れている。有凪とは正反対だ。


「き、決められないです……」


 パラパラとファイルをめくりながら、有凪は困惑した。皆、同じように見える。


 顔写真を見ると、造作が整っていたり、個性的だったり。それぞれ違うはずなのに、不思議と同じような印象を受ける。御守だけは、さすがにオーラがあるなと感じるけれども。


「そういうのはね、直感よ」


「直感……?」


「私がスカウトするときに大事にしてることよ。その子を見たとき、強烈に『何か』を感じるか。良いか悪いかは別にして、『何か』を感じることが大切なの。他人の感情を動かすことができてこそ、この世界で生き残ることができる」


 ……それは、有凪にとって風斗のことだ。


 むかむかするし、気に入らないし、決して良い感情ではないけれど。そばにいると、目で追ってしまう。考えただけで心が揺れる。  


「決め、ます。でも、一人で少し考えたいので……」


「良いわ。しっかり考えて、すぱっと決断しなさい」


 バシッと両肩を叩かれ、社長に気合を入れられた。


 有凪は社長室を出て、レッスン室へ向かった。一人になれる場所だ。


「どうしよう……」


 肩を叩かれた瞬間は、元気をもらえた気がした。でも、一人になった瞬間に弱気になってしまう。そういう自分が嫌いだ。自分と向き合いたくない。いつか、カメラを通して、そういう自分を見透かされることを怖れていた。


 ……いや、もうバレているのかも。


 つまらない奴だという正体が露見して、仕事が減って。見向きもされなくなって、誰に声をかけられることもなくなって。


 ……怖いな。


 レッスン室の隅で、膝を抱えた。


 小さなアパートが脳裏にちらつく。田んぼが広がる県道沿いに、ぽつんと建っている。有凪の故郷、九州の田舎町の風景だ。


 古いアパート、狭い部屋。中学を卒業するまで、母と二人で暮らした。


 今もまだ、母は一人であの部屋にいる。


 ぐず、と洟をすすりながら、有凪は電話をかけた。友だちがいないので、こういうときに話す相手が母親しかいない。なんとも情けない話だ。


「もしもしーー?」


 明るい声が耳に届いた。


 そうだ。母は、いつだって明るいひとだった。 


「も、もしもし……」


「有凪? どうしたの。あんた、モデルの仕事は順調なの?」


「そ、それが……」


 ぽろぽろと涙を零しながら、有凪は「ダメかもしれない」と弱音を吐く。


「え? ダメなの? それって、ここに帰ってくるってこと? いつ? 有凪の部屋、掃除しないとねぇ。埃がたまってるわよ、きっと。もう何年もきれいにしてないから」


 母は、あっけらかんとしている。その反応に、思わず脱力する。


 そういえば、母は昔からこういうひとだった。体が丈夫ではないのに、楽観的なのだ。


「い、いや。まだ、そうと決まったわけじゃないし。もし帰ることになっても、掃除くらい自分でするから……」


「そうなの? 決まったら早めに言ってよ。私もね、いろいろ忙しいんだから」


 ランチの約束、買物の約束、美容院の予約、云々。


「う、うん……。あの、母さん」


「なによ」


「立派な家は、建てられないかもしれない」


 きれいな一軒家に住むのが夢だった。そうすれば、学校で馬鹿にされたり、母だって田舎で肩身の狭い思いをしなくて済むのだ。


「こんな田舎に家なんて建ててどうするのよ」


 バシッと言い返されて、思わずスマートフォンを落としそうになった。


「え、いや。その……」


「息子に建ててもらった新築の家なんて、息がつまるわよ。おんぼろな借家だからこそ、掃除はそこそこ、片付けも適当で済むんじゃない」


 ……そ、そういうものなのか? というか、今まで夢のために邁進してきた自分は何だったのだ。


 衝撃的すぎて、気づいたら涙が止まっていた。


 ぽつりぽつりと、愚痴というか泣き言というか、そういった類のことを話す。この先、自分がどうなるのか分からない。将来が不安だ。でも、この場所でもう少し頑張りたい。


 母はひたすら相槌をうち、そして最後に「元気出しなさいよね!」と明るく言った。


「うん……。話、聞いてくれてありがとう」 


 通話を終了させる。なんだか、胸の辺りがスッとしている気がする。呼吸が幾分、楽になったような。


 電話して良かった、そう思って顔を上げると。


「あ……」


 風斗がいた。レッスン室の入口で、ダルそうに腕を組んで立っている。


 ……き、聞かれてた?


 いつから、いたのだろう。全部聞かれていたかもしれない。というか、普通に泣いてたし。恥ずかしい。


 風斗には、恥ずかしいところばかり見られている。くそ! むかつく! なんでいるんだ。勝手に入って来るなよ!


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