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第10話 BL営業はじめます!

 悔しさと苛立ちで、思わず風斗を睨む。といっても、泣き腫らした目で真っ赤になっているはずなので、威圧感など皆無だろうと思う。


 持っていたファイルを抱え直し、有凪は立ち上がった。


「それ、なに?」


 風斗に問われた。


「……なにって。所属タレントの名簿だけど」


 社長から、相手役を自由に選んで良いと言われた。そのことを風斗に伝える。


「お前は、御役御免。良かったじゃん! もともとBL営業なんて、したくなかったんだもんな?」


 風斗が、射るような目で有凪を見る。


「……相手は決めたのか?」


 鋭い眼光に捉えられ、有凪は思わず後ずさった。


「も、もちろん。決めたよ」


 ……本当は、決めていない。何度見ても、誰を見ても『何か』は感じない。


 風斗が近づいてくる。あっという間に距離を詰められ、見下ろされる。


 そして、有凪が持っていたファイルを取り上げた。


「な、なにするんだよ……!」


 取り返そうとして、有凪はジタバタと暴れた。無駄だったけれど。


「返せ!」


「いらねぇだろ、こんなもん」


 そう言って、風斗がレッスン室を出て行こうとする。


「おい、どこ行くんだよ!」


 有凪は、慌てて風斗を追いかけた。


 風斗がノックもせずに、社長室の扉を開ける。


 有凪が部屋に入ると、風斗がファイルを社長のデスクに放り投げているところだった。書類の束が、バサバサと音を立てながら崩れていく。


「ちょっと、風斗。なにするのよ!」


 社長が目を丸くしている。


「そんなもん、いらねぇ」


「はぁ?」


「コイツの隣に立ったら、どいつもこいつも影が薄くなるだろ」


「……失礼ね。私がスカウトしてきたタレントばかりなのに」


 社長が、肩をすくめながら風斗を見据える。


「コイツに選ばれた相手役が、惨めになるだけだ」


「自分なら、対等に渡り合えると言いたいの?」


「むしろ、コイツが霞む側だ」


 そう言って、風斗が有凪を振り返る。


「な、なんだって……!?」


 有凪は、わなわなと震えた。


「おい、誰が霞むって? だいたい、さっきから『コイツ』って連呼してるけどさ、俺のほうが先輩なんだよ!」


 ずんずんと風斗に近づき、胸倉を掴む。ぐいっと自分のほうに引っ張り「行儀の悪いボンボンだな」と悪態をつく。


「年齢も俺のほうが上なの。ちゃんと『香椎さん』って言えよな!」


「香椎さん」


 鼻先が触れ合う距離で、名前を呼ばれた。素直すぎる反応に、思わずかたまる。


「名字呼びって、なんか他人行儀じゃないっすか?」


「へ?」


「やるよ。その、びー? なんとかってやつ」


「え? あ、うそ。なんで……」


 突然すぎて、有凪は軽くパニックに陥った。


「よく分かんねぇけど、仲良くすんだろ? 名前で呼んだほうがよくないっすか」


「そ、そう、かな……?」


 ぼんやりしながら、有凪は答えた。


「そんなことないわ!」


 バシッとデスクを叩きながら、社長が立ち上がる。


「年上受けを『さん』付けで呼ぶのはね、年下攻めの醍醐味よ!」


 社長の勢いに気圧される。


「風斗!」


「……な、なんすか」


 さすがの風斗も、社長の圧に引いているようだ。


「有凪のことは『香椎さん』と呼びなさい」


「は? なんでだよ」


 風斗が不満そうな顔をする。


「萌えよ」


 社長が、ぴしゃりと言い放つ。


「ゆくゆくは『有凪さん』になって、『有凪』って呼び捨てになるかもしれないけどね。大事なのは過程なの。呼び方が変わったってことは、まさか……!? って思わせることが大事なの」


「えっと、意味不明なんだけど……」


 風斗が首を捻っている。


 残念ながら、有凪も風斗と同意見だ。まさか、この男と意見が合致することがあるなんて驚きだ。


「それとね、風斗」


「……なんすか」


「有凪には敬語必須。分かったわね」


 社長が、風斗にビシッと指をさす。問答無用だ。


「だ、だからなん」


「萌えよ!」


 一刀両断され、風斗は言いかけた言葉を飲み込んだ。


「それから、有凪」


 ジロリ、と視線が有凪のほうに向けられる。


「は、はい……」


 次は、どうやら有凪が物申されるようだ。社長のただならぬ雰囲気が怖い。


 ビビりなので、風斗の後ろに隠れる。そして、ひょっこりと顔だけ出す。彼の胸倉を掴んでいたことなど忘れたかのように、今は体の良い防波堤として利用している。


「すっごく良いわ!」


 社長が、満面の笑顔を見せる。


「そ、そうですか……?」


 訳が分からず、ただただ困惑する。


「攻めにだけ見せる本音! 普段は大人しいのに、攻めにだけはムキになってしまう! 最高よ!」


「ど、どうも」


 褒められているようなので、とりあえず安堵する。というか、やはり社長の中で有凪は「受け」のようだ。


「有凪には、BLの才能があるわ!」


 なんだ、その才能は。喜んで良いのだろうか。


「それも年上受け!」


「はぁ……」


「一見すると有凪はね、うんと年の離れたイケオジが合いそうなんだけど。そういうのは素人か、BL歴が浅い人間が考えることなのよ。私みたいに年季が入ってくると、分かるのよね。有凪は絶対に年上受け!」


 社長が得意気に語る。


「な、なんの話だよ」


 風斗が、引き攣った顔で問う。


「カップリングの話よ! 生意気なんだけど、ちょっと可愛げがあって憎めない年下男子に振り回されて泣かされて。でも好きだから許しちゃって、ぐずぐずになってドロドロに愛されるの。最高でしょ!」


 ちょいちょい聞き捨てならないワードがある。風斗には可愛げなんてない。振り回されるのも泣かされるのも絶対に嫌だ。好きだから許すってなんだよ。


 それよりも「ぐずぐず」と「ドロドロ」が怖い。詳しく聞いたら、もっと怖ろしい事態になりそうなので、有凪はひたすら苦笑いをした。


 ……というか、そもそも社長自身が「きゃっきゃ」する層だったんだな。


 有凪は密かに納得した。


 風斗と一緒に社長室を出る。ひとりで帰ろうとする風斗を有凪は呼び止めた。


「……おい」


「なに」


「BL営業だから」


「は?」


 振り返った風斗が、眉を寄せる。


「お前、BL営業のこと『びーなんとか』って、言ってただろ」


 Bはボーイズ。Lはラブ。


 その意味を風斗に説明する。


「……でもさ。なんで風斗は、急にやる気になったの」


 知りたい。どういう心境の変化があったのか。 


「むかついたから」


「は?」


「あんたに『甘えてる』って言われて、むかついた」


 ……図星だったんじゃん。


 苛立ったのは、核心をつかれたからだ。


「甘えてないって、証拠を見せる」


 そう言って、風斗は歩き出した。有凪は「香椎さんって呼べよ」と言いながら、その背中を追う。


「社長命令だからな」


「……うるせぇ」


「そういうのもダメ。ちゃんと敬語を使わないとな」


 そう言って、風斗の顔を覗き込む。心底、嫌そうな顔をしていた。その顔がおかしくて、笑みが零れた。


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ可愛い気がしないでもない。これが、社長の言っていた「憎めない年下男子」なんだろか。


 有凪は、スマートフォンを取り出した。


 坂井が撮影した写真を探す。BL営業のために、あの日、撮影したもの。


 有凪が、背伸びをして風斗の肩に腕を回している。


 緊張した顔。戸惑っている表情。肘を置かれて、頬を膨らませている。そして胸倉を掴んで……。キスをせがんでいるようにも見える写真。


 恥ずかしくて、自分では直視できない。


「……イチャイチャしてるな」


 風斗が、有凪の手元を見ながら言う。


「み、見るなよ……!」


 反射的に、風斗からスマートフォンを隠す。


「恥ずかしがるなよ。これから、不特定多数の人間にソレを見せるんだろ?」


「そ、そうだけど……」


 確かに、そうなんだけれども。


 有凪は、ゆっくりと深呼吸をした。 


 覚悟を決める。そうして、写真の数々をSNSにアップしたのだった。


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