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Ep.2 女性の服装について


 ――ゲームセンターでのデートから、遡ること一週間――


 11月の初頭、秋の天高く晴れ渡る空が爽快な日曜日の午前中。 


 新宿駅から中央線に沿って数駅だけ西へと離れたところ、ある駅前にあるロータリー近くの歩道に沿って、白いファミリータイプのミニバンがゆっくりと停車した。


 ミニバンの後部座席の窓には、内部から黒いプライバシーカーテンがかけられており、その中の様子を知ることはできなかった。


 今、後部座席のスライドドアがゆっくりと開き、そのミニバン乗用車の中から白と黒の色を基調としたロングスカートゴスロリ服を着た、長い艶やかな黒髪に白いヘッドドレスを着けた大きな瞳の美少女がポシェット紐を肩にかけつつ降りてくる。そして、ドアが閉まらないうちに後ろに振り返りおどおどした顔で、運転席に座っている齢を感じさせない綺麗な女性に悲痛な声で願いを訴えかける。


「ねえ、お母さん? やっぱり、いつもみたいにぼくと一緒に来てよ? ぼく一人でお姉ちゃんの大学まで行くの不安だよ」


 そう、震え気味の高い声で訴える小さな美少女の様相を見せた我が子に対して、運転席に座っている長身でスタイルの良い美人な母親は笑顔のまま気兼ねなく返す。


「だーめ。これはね、あまねちゃんが新しい自分として一皮剝けるための試練なのよ。お母さん、応援してるから頑張ってきなさい」


「う、うう……わかりました」


「それから、その格好してる時の一人称は『ぼく』じゃなくて『わたし』。そういう細かいところからあまねちゃんの本当の性別がバレちゃったりするんだからね」


「は……はい。それじゃあ……ぼ……わたし、お姉ちゃんのところまで行ってきます……」


「いってらっしゃい、利愛りあちゃんによろしくね」


 運転席に座っているあまねの母親はそんなことを言って手を振り、美少女の格好をした一人息子を見送る。


 伊原いはらあまね、彼は体が貧弱なまでに瘦せていて背も低く気の弱い、まだ今年度の誕生日の来ていない13歳の中学二年生で、冴えない学園生活を送っている引っ込み思案な少年であった。


 中学校では普段は乱視矯正の入った度が強い眼鏡をかけており、常日頃同学年の誰かと遊ぶこともなく、休み時間の教室では自分の席にていつも一人でスマートフォンゲームをしているような日常を送っている。


 しかし、若いころにお台場での年2回の祭典にてカリスマコスプレイヤーとしての評判を博していた彼の母親は、この一見冴えない一人息子が、類稀たぐいまれなる素質を持っていることを見抜いていた。そう、女装の素質である。


 ここしばらくの間、齢を感じさせない美魔女な母親はあまねのために様々な試みを行ってきた。


 あまねに眼科医を受診させて眼鏡をかけなくていいようコンタクトレンズを用意し、長い黒髪の高級なウィッグを購入し、コスプレイヤー直伝の化粧の仕方を覚えさせ、少女趣味的な可愛い衣装を注文するなどして、可愛い一人息子をもっと可愛らしい美少女に仮装させることに心血を注いでいた。


 そして、あまねは元からの母親譲りの素材の良さも相まって、その眼鏡を外した大きな瞳はウィッグを被ったロングの黒髪と相まって、痩せている貧弱な体や四肢は少女としては強みになり、細身の体に見合った少女らしい身のこなしも母親に教え込まれ、どこからどうみても美少女にしか見えない姿に変貌を遂げた。


 あまねも最初は抵抗があったものの、慣れてきたらその普段とは違う存在に化けて母親と一緒に街へ繰り出す、という非日常的なイベントはそれなりに楽しかった。


 女装して母親と一緒に隣町のショッピングモールへと車で訪れ、喫茶店にて仲のいい母と娘のように一緒に女性向けのパフェを注文してその甘さを味わっていたときには、あまねは「女の子になるのも悪くないかも」と感じたものであった。


 しかしあまねにとっては、母親と一緒ではなく、自分一人で女装したままどこかに行くというのは前人未踏の領域であった。


 ロータリーのすぐ近くにある、一般車道沿いの歩道に降り立った遍は、そのモノトーン色調のゴスロリ服を微かに揺らして、パッドで可憐な少女らしく小さく膨らませた胸の奥で大きく深呼吸する。


 そして、もう一呼吸おいてから意を決して前に進むことを決意し、顔を上げる。


 ――でもここまできたら、行くしかないよね。どうせ知り合いになんか会わないだろし!


 そう思いつつ前へと進むことにして顔を上げたあまねの決意は、いきなりくじけることになった。


 駅構内に入るためには必ず前を通らなければいけない入り口近くにて、中学校の同級生ら、サッカー部に所属する体のでかい男子が数人たむろしているのが視界に入ったのである。


 ――お母さん! やっぱり今日は中止! 帰らせて!


 泣きたいような気持になりつつあまねが振り返ると、残念なことに母親が運転していた白いミニバン車は既に走り去った後であった。


 もう家に母親の運転する車に乗って引き返すことはできない、という事実にあまねの顔は青ざめ、心臓が拍動を強める。


 ドクン ドクン


 そんな心臓の音が聞こえてきそうな緊張感の中で、駅の反対側に歩いていったらもうバス停にも戻れなくなり、更に不自然になることを悟ったあまねは、顔をほんの少しだけ下げつつ駅構内に向かって心の中に恐れを抱きながら歩き始める。


 カツ カツ カツ


 母親に教えられた、可憐な少女らしい歩き方を必死に思い出しながらその素振りを演じつつ、あまねが黒いタイツと一緒に履いた少しだけ厚底なローファー靴の音が、駅前近くに敷き詰められたストリートブロックから鳴り響く。


 少女趣味的なゴスロリ服を着たあまねはその、クラスで影響力の強い男子たちがいる地点の脇を歩き抜けるとき、気が気ではなかった。


 あまねがクラスの男子たちが集まっている場所を通り過ぎるとき、その場所で駄弁だべっていた彼らがおもむろに会話をやめてあまねの方を無言で見ている、という状況を全身で感じていたからである。


 その際にあまねがちらり、と男子の方に視線だけを向けると、その男子は思いっきりあまねの方を凝視しながら何か驚いたような表情を見せた。


 そして、男子らのいる場所を通り過ぎて駅の入り口に到達し、あまねは先ほど歩いてきた方角から見て物陰に隠れるように壁を背にする。


 ゴスロリ少女の姿をしたあまねは壁を背にしながら、悲痛な表情になって心の中に悲惨な想像が渦巻く。


 ――駄目だー! あれ、クラスの男子たちに確実にぼくだってバレてたよ!


 ――休み明けから、もう学校いけない! クラスですぐに噂広められてぼくのあだ名、絶対『オカマ野郎』とかになるよ卒業するまで!


 そんな惨憺さんたんたる未来予想図を心の中で描いていたあまねに、背にした壁の後ろの方角からクラスメイトの男子同士の会話が聞こえてきた。


「なー、さっきのゴスロリ服着たの見た?」

「見た見た!」


 ――ああー! 馬鹿にされてるー!


 そうあまねが思った次の瞬間、後ろの方角から予想もしなかった言葉が次々と発せられ、あまねの耳に入ってくる。


「あの、すっげー可愛いかったなー!」

「モデルとか芸能人とかじゃね!? クラスの女子とレベルがダンチ!」

「俺、追いかけてナンパしてこよっかなー!?」

「おめーじゃムリムリ! 身の程弁えろっての!」


 ――え? バレてない!?


 自分の正体が一切バレなかったことに、ひとまず安堵したあまねは、とりあえずクラスメイトの男子から離れようと改札口に向かって歩き始める。


 駅構内を歩いていると、あるところで一面がガラスで装飾された壁の中にいる女の子の存在に、あまねは気づいた。


 その人影とは、黒と白を基調としたゴスロリ服を身にまとった、瞳の大きな黒髪ロングの美少女であった。


 その女性の服装を身に着けた容姿の整った美少女の姿をしばらくの間見つめていたあまねは、それが鏡に映っていた自分自身の今の姿だと気づき、こんなことを思う。


 ――本当にいまのぼく、見た目は美少女なんだ。


 母親から女装姿を可愛い可愛いとこれまで繰り返し言われてはいたものの、母親が我が子のことを可愛い、と表現するのは当たり前といえば当たり前のことなので、あまねにはイマイチ実感が掴めなかったのである。


 だが、いま駅構内の大きな鏡に映ったあまねの姿は、親の欲目なしにどこからどう見ても掛け値なしに、芸能界で活動をしているアイドルや中学生モデルのように容貌の優れた美少女の姿であった。


 少し自信ができたあまねは、改めてもう一度前を向いて歩き始めた。


 あまねは今度は、クラスの誰かに偶然出会ってすれ違うことになったとしても堂々と顔を上げて歩ける、そんな気がしていた。


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