「ちょ…舞楽ちゃん、何言って…」
「今さら慌てても遅いっす、沙希さん」
ふぅ…と大きく息を吐き出し、頬杖をついた。
…行儀が悪いかもしれないけど、そんなのこの際、どうでもいい。
「酔いましたか。それじゃあ帰りの車を呼びましょう」
まだデザートが残ってるのに、裕也専務は軽く口元をナプキンで拭いて立ち上がろうとした。
「私は…!」
その場で立ち上がった。
その気迫に、裕也専務も立ち止まる。
「…1人で帰ります皆さんはどうぞ続けてくださいごきげんよう」
頭を下げて向き直ると、そのまま出口へと向かった。
「舞楽…!」
無視したいのに、裕也専務に呼ばれると、私の体は弾かれたように立ち止まってしまう…
「…聖のところへ行きます。私の今の気持ちがおかしいのか、裕也専務かおかしいのか、ジャッジしてもらいます」
「聖のところへ行くのは禁じたはずだ。…それでも行くというなら…」
ブチンっ…と、心のどこかがキレる音がした気がする。
ふりかえって裕也専務を凝視した。
「私が聖のところへ行くのが面白くないなら、過去の女性たちと思う存分遊んで、憂さを晴らしたらいいですっ!」
「…?!」
強い視線を裕也専務に向けた気がする。
何も言い返さず、私を見返すだけ…
私はそのまま向き直って店を出た。
裕也専務にはそう言ったけど…こんな時、相談するのは聖が美波だけだ。
柳くんもいるけど、また彼氏を邪険にさせるのは気が引ける。
まず美波に電話をしてみた。
長く続くコール音。
看護師の美波、今日は夜勤かもしれない。
…聖が勤めるバーに向かいながら、私の心が狭いのか、考えた。
裕也専務は、過去の話だから問題ないと思って、悪気なく話していたんだと思う。
わかっていたけど、私はそんな話題に、自分でも驚くほど傷ついた。
もう…いたたまれない感じ。
私とキスするみたいに、他の人にもキスをしていた裕也専務の過去を思うと、胸が掻きむしられるような感覚…
すべては、過去のことだとわかってるけど、生々しい会話はどれほど私の胸をえぐるか…理解して欲しい。
…私を、好きだと言うのなら。
店の外に停まっていたタクシーに飛び乗ったので、聖のバーまですぐだった。
私…どんな顔してるんだろ。
扉の前まで来て、考えてしまった。
でも、今の私を今さらごまかすわけにはいかない。
そんなに器用でもない。
少しだけため息を吐き出して、私は木製の重そうなドアを押し開けた。
「裕也さんが悪い」
「だよね?…私は、悪くないでしょ?」
むしろ褒めて…とテーブルに突っ伏した。
…バーに入ってどれくらいたったのか。
いつの間にかお客さんは私だけになり、カウンターのオレンジ色の明かりだけが灯り、暗く静かな店内。
「可哀想に…裕也さんは変人だから、舞楽みたいな普通の女の子の気持ちがわからないんだな?」
おー…ヨシヨシ、と言いながら、突っ伏した私の背中を撫でてくれる。
覚えてないけど、私は聖に、裕也専務のことをかなり罵倒しながら愚痴ったみたい。
…やけにスッキリした気持ちで、まぶたが重くなるのを感じていた。
…ちょっとスパイシーな柑橘系の香りが鼻腔をくすぐり、意識を取り戻した。
香りは、突っ伏した背中にかけられた何かから香ってるとわかる。
意識がハッキリするにつれ、背中を撫でる手にも気づく。
…ヤバ、私また聖に迷惑かけた…
「…聖、ごめん。私寝ちゃって…」
起こしてくれて良かったのに、と隣にいる人に目を向けると。
険しい表情の裕也専務がいた。
なんで、この人がいるの…
「…今、なんでこの人がいるの、って思いましたね?」
悪びれなく言う人を見て、早速高級レストランを思い出す。
私だけのけ者で、私だけマナーがわからなくて、私だけ惨めだった昨日のディナー。
…やっぱり、私なんて裕也専務に似合わない。
好きって言ってくれたけど、私だって大好きだけど…
あんなすごいレストランなんて、私には無理。
「…私には何もかも無理です…」
過去の女性と軽いトークをする裕也専務を笑い飛ばすとか叱り飛ばすとかする前に私が飛んじゃう。
「雲の上の人すぎます」
…まだ背中を撫でてる。
もう起きたんだから、そんなことしなくていいのに…
「…何も理解できませんし、顔を洗って出直すくらいのことしか、今は思いつきません」
「…なんの話をしているんですか…?」
ふふ…っと余裕の笑みを浮かべられて悔しくて、私は肩にかけられている裕也専務の上着を突き返しながら答えた。
「…私と裕也専務のことです。うまくいくとは思えません。あんな…上流階級の人の会話についていけません。…過去の話だからって、平気で私の前で…」
泣いて、理解してもらえるんだろうか。
でも、出かかった言葉を飲み込めず、吐き出した。
「過去に関係のあった女の人と際どい話ができる裕也専務は、私の理解を超えています…」
だから、ごめんなさいと。
尻尾を巻いて逃げたかったのかもしれない。
「…ごめん」
たくましい腕に抱き寄せられた広い胸。頭の上に顎が、頬が擦り寄せられるのがわかる。
「ごめん」
もう一度言って、強く…強く抱きしめられた。
髪にキスが落とされ…それはこめかみに、おでこにと移る。
「星野さんに説教されました…」
「星野さんに…?」
「好きな女性の前でする話ではないと」
腕を緩めた裕也専務の表情が見えた。
いつものクールな表情だけど、その目が…叱られた大型犬みたいになってる。
「すべて過去だから問題ないと思ってました」
…ふと、ここがどこなのか思い出した。…聖のバーだ。
…だとするなら、聖はバックルームにでも引っ込んでくれてる?
もしくは近くのカフェに行ったか。
…裕也専務はあの事件以来、聖と個人的にやり取りしているのはわかっている。
だとするなら、ここに来たのも結局は裕也専務の手の内、ということか…
「舞楽、俺は…」
甘いキスを落としながら、裕也専務が語りだした。