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第79話

「だって1人で寂しそうだったんだもの」


首を傾げ、裕也専務に訴える沙希さん。

…あざとく見られがちな仕草だけど、沙希さんにそんな思惑はないと思う。


空気が読めないところはあるけど、無邪気で正直で素直な人だってことは、長居されただけにわかる。



「それに雪菜、離婚したんだって!」


結婚したんだって!…と同じテンションで言う沙希さんに、もちろん悪気はない。



「うん…まぁ。だから、裕也に会いたくて…」


雪菜さんは沙希さんの言葉を受け、そっとうなずく。

そしてサイドのおくれ毛を指に巻きつけながら、上目遣いで目の前の人を見上げた。


これは沙希さんとは違って、明らかに計算された「男子がドキっとする目線」をしてみせたとわかる…



「昔、髪をアップにしたら、可愛いって言ってくれたでしょ?それを思い出して…今日もまとめてみたの。どうかな…?」


見ると、裕也専務はじっと雪菜さんを見てる…

その表情は冷たく、視線に熱がないのはわかるけど、似合う…なんて、言わないで欲しい。



「…いやいや雪菜、急に来てなに?もう少し…」


「可愛い…」


星野さんがうまくはぐらかそうとしてくれたのに、一番言ってほしくないことを平然と言った裕也専務。


…信じられない。




そこへ、料理が運ばれてきた。


大げさなほど大きなお皿にひとくちサイズの料理が盛られてる。


大好きなサーモンを使った料理だけど…今のひとことで食欲を無くした。



「美味しそう!…さすが日本のJualnan.robinson.は繊細な料理を出すわね!」


沙希さんは目を輝かせてフォークとナイフを手にして、慣れた手つきで切り分けて口に入れ、顔をほころばせた。


それを見ていた星野さんも料理に手を付け、裕也専務もナイフとフォークを手にしながら…


「…とでも言うと思ったのか?」


「…え?」



裕也専務の話は続いていたらしい。

さっき、てっきり褒められたと思った雪菜さん、バラ色の頬は一瞬にして蒼白になる。



「一般的には中の上という容姿だろうが、俺にはまったく響かない」


切って捨てるようにそう言って、裕也専務は美しい所作で料理を口に入れた。


…食べてないのは、私と雪菜さん。


この後も料理は続くはずだ。

同じタイミングで食べないと、早く食べ終わった人を待たせてしまう…


チラっと星野さんを見ると、使うべきナイフとフォークをさりげなく教えてくれた。


…ありがたい…!



「うふふ…裕也らしい言い方、変わってないわね」


復活した雪菜さん。

ワインをグイッと飲み、料理に手を付けた。



「…俄然やる気が出ちゃう!」


1人意味深に笑いながら、明らかに早いペースで白ワインを飲む。



「…あ!言い忘れたけど、裕也ならもうダメよ?心に決め…」


「俺をまた落としたいとでも?」


沙希さんの言葉を遮ってやや不穏なことを口走る裕也専務。


落とすって…?


落とし穴に?

…って、そんなわけあるかい。


皆ワインを飲むので、私も口をつけた。



「…あっ?!」


「なに、どうした?」


思わず声を出してしまった。

反応したのは星野さんだけでホッとする。



「すごく…美味しいです!」


星野さんにだけ聞こえるように小さな声で言ったのに、視線の先の裕也専務に睨まれた…


また料理が運ばれてきた。

今度は四角い細長いお皿に、ちっちゃな料理がいくつか盛ってあるやつ。


写真を撮りたくなったけど、裕也専務と雪菜さんが不穏な雰囲気なのでやめておく。



「なに?今は簡単じゃないって言うの?」


「…雪菜、昔の話はそれくらいにしてさ…」


星野さんがそれとなく止めたけど、雪菜さんのお口は止まらない。



「遊びでいいって言ったら、簡単に抱いてくれたくせに」


そのフレーズに、さすがの私も固まる。


星野さんは観念したように椅子に寄りかかり、裕也専務は顔色ひとつ変えない。



「確かに抱いたが、だからどうした?…過去のことだ」


「可愛いとか色っぽいとか言って…散々私に無理させたくせに」


「あまり覚えていないが、俺の要求に応じたのは自分の判断だろう?」


なんの話をしているのかは私にだってわかる。


散々無理させたんだ…あの人にも、なんて思っちゃう自分が不愉快。



「舞楽ちゃん、違うのよ…これはね、これは…」


沙希さん、この段階になって、厄介な人を連れてきてしまったと気付いたみたいに慌ててる。



「そういえば今日は、秘書を連れてきてるのね」


雪菜さんが今初めて私の方に顔を向けた。


やっと気付いたというか認識したというか…沙希さんもそうだったけど、上流階級の方にとって私は、透明人間のようなものらしい。


「…はじめまして。裕也専務の専属秘書の…」


「婚約者の片瀬舞楽だ」


私の言葉を遮った裕也専務に笑顔を向け、雪菜さんは「なんの冗談?」と…声を出して笑った。


笑われて初めて、今日の自分の服装をそっと見下ろす。


裕也専務に買ってもらったものだから質はいいけど…華やかさの「は」の字もない、黒のスーツ。

しかもブラウスじゃなくてカッターシャツなのが、より女性らしさを無くしてる…


こんな100%ビジネススーツを着てるんだから、婚約者なんて言っても冗談としか受け取れないの…わかるっ!


でも…ちょっと悲しいなぁ…

私も沙希さんや雪菜さんみたいなドレスを着て、こんな素敵なレストランに来てみたかった…


シュン…として下を向く私にいち早く気付いた星野さんが、そっと背中を撫でてくれた。


泣きそうな涙がせき止められて助かる。




ちょうどいいタイミングで料理が運ばれ、複雑な思いを抱えながらも、食べすすめた。


ワインは、肉料理の前に赤ワインに代わり…これまた美味しくて飲み過ぎ注意だと思う。



「じゃあ裕也、今日セックスは我慢するからぁ…キスだけちょうだい!あの…甘くてエッチなやつ…」


雪菜さんは誰よりもワインを堪能して、裕也専務にこれでもかと絡んでいた。


私は…聞き捨てならない言葉の連続に、地蔵になるしかなくて…


「だから…もう飲み過ぎだって!」


星野さんがグラスを取り上げようとしてるのに、裕也専務は雪菜さんに応戦するかのように答え続ける。


「今はもうやらない」


…でも前はやってたのね。

際どいトークに眉ひとつ動かさず、婚約者だと紹介した私が聞いているのも意に介さない様子。


ワインの酔いは、私の脳内にもうまいこと広がってくれた。



「…ヤッちゃえばいいじゃないっすか…昔のよしみで何回も」



突然喋り出した私に、皆の注目が集まった…


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