「えー…仕事ってなによ?」
「…SAIリゾート株式会社の専務取締役だがそれがどうした」
翌日…朝からやってきた沙希さん。
昨日やっと帰ったと思ったのに、お戻りが早いようで…。
「私…休暇中なんだけど」
「だからそれがどうした」
「…遊んでよ」
「専務取締役に遊べというバカちんは沙希くらいだ」
「じゃあ舞楽ちゃん貸して」
「…」
…おっと、ここで黙るんだ。
朝食の後片付けをしながら2人のやり取りを聞いていた。
さすがに仕事を休ませるわけにはいかないよね。…上司として。
「…だめ」
小さく言いながら、コーヒーを飲む裕也専務。
「なんでよ?」
「…」
食い下がる沙希さん。
裕也専務がマグカップを置いた瞬間、沙希さんはそれに手を伸ばして、なんでもないように飲む…
あぁ………
裕也専務が飲んだマグカップ…
そんなことしたら、間接キス…って思いませんか?
それとも、お嬢さまや御曹司は思わないのでしょうか…
「…俺が寂しいから」
…は?
私がいないと寂しいって…何をそんなクールな顔で平然とおっしゃるのでしょうか…
やや衝撃的な出来事と焦る言葉は、同時に放出しないでもらいたい。
まるではじめから自分のマグカップだとでも言いたそうに、沙希さんはそれを両手で持ちながら…
「ふぅん」
と、何でもないことのように返事をした。
心臓が度肝を抜かれたように驚いているのは、どうやら私だけらしい。
つい…沙希さんがやっと手放したマグカップの行方を追ってしまう。
裕也専務も気にせず同じマグカップでコーヒーを飲んでしまうのか…
…否か。
結果、マグカップは裕也専務によって、流しに運ばれてきた。
…沙希さん、すべて飲み干したみたい。
「仕事が終わったら、食事に連れて行ってやる。陸斗も連れて、4人で行こう」
「ほんと?!それじゃあ、Jualnan.robinson.Tokyo《ジュアルナン.ロビンソン.トーキョー》予約して!」
…Jualnan.robinson.Tokyoって…
もしかして、すごくすごく有名なフランス料理のお店…?
そんなすごいところに行くの…?
「あぁ。シェフに連絡しておく」
…店に予約じゃなくて、ネット予約でもなくて、シェフに連絡…
呆然とする私の背中に触れ、部屋を出る裕也専務。
「じゃあ、19時ね!」
裕也専務の専用車とは別の黒塗りの車に乗り込み、沙希さんは帰っていった。
「おぉ…!Jualnan.robinsonか!久しぶりだなぁ…」
夜の予定を開けておくよう裕也専務に言われ、星野さんは驚きもせず顔を綻ばせる。
そうか…星野さんは裕也専務の従兄弟。当然、それなりの家の息子というわけで、そんな高級店には行きなれているってことか。
…ということは、有名フランス料理店にドキドキしてるのは私だけ?
今日のスーツは裕也専務に買ってもらった黒のスーツだから大丈夫だけど、マナーとか…自信ないな。
お好み焼きとか焼き肉とか、その辺の居酒屋で一杯飲むくらいがいいなぁ…皆さんはそんな庶民的なところには行かないんだろうけど、思いっきり場違いになりそうで気が重い。
‥‥〜‥‥〜‥‥〜‥
…そんな予想は見事に当たってしまうもので。
外観からして、とんでもなく高級なレストランだと、強めに主張する…
Jualnan.robinson.Tokyo
キラキラ輝くシャンデリア…ふかふかの絨毯…
椅子を引かれて座ったことがないから、どのタイミングで座るのか迷う…
見てると、裕也専務も星野さんも慣れた雰囲気。さすが。
高級感あふれる店内に馴染み過ぎて見失いそう…
テーブルは大きくて、ズラリと並んだナイフとフォークと大小のスプーンに目を見張る。
水の入った謎のグラス。
確かこれは、フィンガーボールとかいうやつで、飲んでは…いけない。
「お待たせ…皆揃ってるかしら?」
淡いオレンジ色の華やかなワンピースを着た沙希さんが、お店の人にエスコートされてやってきた。
ひらひら揺れる裾とか袖が、とても華やかで美しい。
格調高いお店に合わせてか、声のトーンも抑えめで、ちゃんとTPOをわきまえててさすが。
「…実はね、もう1人連れてきちゃった!」
沙希さんが呼ぶと、胸元が大胆にカットされた、シックなデザインのワンピースを着た女性が、優雅な身のこなしで歩いてきた。
茶色い髪を緩やかにまとめた色の白い女性。…男性なら誰でも思わず目を奪われるような、艶めく色っぽさを漂わせる人…
「お久しぶりね?…陸斗、それから…裕也も」
「雪菜か…なんでまた、今日…来てくれたのかな?」
星野さん、少しテンパりながら席を立つので、私もそうするべきかと立ち上がった。
「…舞楽」
裕也専務が私を呼んだけど、かぶせるように雪菜さんが裕也専務に話しかけ、そばの席に立った。
すると気を利かせた店のスタッフが椅子を引いたので、裕也専務の前に座る雪菜さん。
それに習って、裕也専務の隣に沙希さんが座り、雪菜さんの隣の席を私に譲ろうとした星野さんだったけど…雪菜さんに呼ばれたタイミングで隣の席に座らされてしまった。
6人がけのテーブル。
結局私は、前に誰もいない席に着き、まさに陸の孤島状態…
「沙希、1人増えるなんて聞いてないぞ」
雪菜さんのおしゃべりを無視して、隣の沙希さんに文句を言う裕也専務。
立ち上がり、私の前の席に移動しようとした。
そこへワインが運ばれてきたので、一旦着席する。
テイスティングしながら、裕也専務が私を見たので…
軽く首を横に振った。
…このままの席順でいい、と。
星野さんも横から私に「ごめん…」と謝るので…私は慌てて顔の前で右手をヒラヒラ振ってみせた。
私のことは、気にしなくていいですよ…と。