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第78話

「えー…仕事ってなによ?」


「…SAIリゾート株式会社の専務取締役だがそれがどうした」


翌日…朝からやってきた沙希さん。

昨日やっと帰ったと思ったのに、お戻りが早いようで…。



「私…休暇中なんだけど」


「だからそれがどうした」


「…遊んでよ」


「専務取締役に遊べというバカちんは沙希くらいだ」


「じゃあ舞楽ちゃん貸して」


「…」


…おっと、ここで黙るんだ。


朝食の後片付けをしながら2人のやり取りを聞いていた。


さすがに仕事を休ませるわけにはいかないよね。…上司として。


「…だめ」


小さく言いながら、コーヒーを飲む裕也専務。


「なんでよ?」


「…」


食い下がる沙希さん。


裕也専務がマグカップを置いた瞬間、沙希さんはそれに手を伸ばして、なんでもないように飲む…


あぁ………


裕也専務が飲んだマグカップ…

そんなことしたら、間接キス…って思いませんか?


それとも、お嬢さまや御曹司は思わないのでしょうか…



「…俺が寂しいから」


…は?

私がいないと寂しいって…何をそんなクールな顔で平然とおっしゃるのでしょうか…


やや衝撃的な出来事と焦る言葉は、同時に放出しないでもらいたい。



まるではじめから自分のマグカップだとでも言いたそうに、沙希さんはそれを両手で持ちながら…


「ふぅん」


と、何でもないことのように返事をした。


心臓が度肝を抜かれたように驚いているのは、どうやら私だけらしい。


つい…沙希さんがやっと手放したマグカップの行方を追ってしまう。


裕也専務も気にせず同じマグカップでコーヒーを飲んでしまうのか…

…否か。


結果、マグカップは裕也専務によって、流しに運ばれてきた。


…沙希さん、すべて飲み干したみたい。



「仕事が終わったら、食事に連れて行ってやる。陸斗も連れて、4人で行こう」


「ほんと?!それじゃあ、Jualnan.robinson.Tokyo《ジュアルナン.ロビンソン.トーキョー》予約して!」


…Jualnan.robinson.Tokyoって…

もしかして、すごくすごく有名なフランス料理のお店…?


そんなすごいところに行くの…?



「あぁ。シェフに連絡しておく」


…店に予約じゃなくて、ネット予約でもなくて、シェフに連絡…


呆然とする私の背中に触れ、部屋を出る裕也専務。



「じゃあ、19時ね!」


裕也専務の専用車とは別の黒塗りの車に乗り込み、沙希さんは帰っていった。




「おぉ…!Jualnan.robinsonか!久しぶりだなぁ…」


夜の予定を開けておくよう裕也専務に言われ、星野さんは驚きもせず顔を綻ばせる。


そうか…星野さんは裕也専務の従兄弟。当然、それなりの家の息子というわけで、そんな高級店には行きなれているってことか。


…ということは、有名フランス料理店にドキドキしてるのは私だけ?


今日のスーツは裕也専務に買ってもらった黒のスーツだから大丈夫だけど、マナーとか…自信ないな。


お好み焼きとか焼き肉とか、その辺の居酒屋で一杯飲むくらいがいいなぁ…皆さんはそんな庶民的なところには行かないんだろうけど、思いっきり場違いになりそうで気が重い。




‥‥〜‥‥〜‥‥〜‥


…そんな予想は見事に当たってしまうもので。




外観からして、とんでもなく高級なレストランだと、強めに主張する…

Jualnan.robinson.Tokyo


キラキラ輝くシャンデリア…ふかふかの絨毯…


椅子を引かれて座ったことがないから、どのタイミングで座るのか迷う…


見てると、裕也専務も星野さんも慣れた雰囲気。さすが。

高級感あふれる店内に馴染み過ぎて見失いそう…


テーブルは大きくて、ズラリと並んだナイフとフォークと大小のスプーンに目を見張る。


水の入った謎のグラス。

確かこれは、フィンガーボールとかいうやつで、飲んでは…いけない。



「お待たせ…皆揃ってるかしら?」


淡いオレンジ色の華やかなワンピースを着た沙希さんが、お店の人にエスコートされてやってきた。


ひらひら揺れる裾とか袖が、とても華やかで美しい。


格調高いお店に合わせてか、声のトーンも抑えめで、ちゃんとTPOをわきまえててさすが。




「…実はね、もう1人連れてきちゃった!」


沙希さんが呼ぶと、胸元が大胆にカットされた、シックなデザインのワンピースを着た女性が、優雅な身のこなしで歩いてきた。


茶色い髪を緩やかにまとめた色の白い女性。…男性なら誰でも思わず目を奪われるような、艶めく色っぽさを漂わせる人…



「お久しぶりね?…陸斗、それから…裕也も」


「雪菜か…なんでまた、今日…来てくれたのかな?」


星野さん、少しテンパりながら席を立つので、私もそうするべきかと立ち上がった。


「…舞楽」


裕也専務が私を呼んだけど、かぶせるように雪菜さんが裕也専務に話しかけ、そばの席に立った。


すると気を利かせた店のスタッフが椅子を引いたので、裕也専務の前に座る雪菜さん。


それに習って、裕也専務の隣に沙希さんが座り、雪菜さんの隣の席を私に譲ろうとした星野さんだったけど…雪菜さんに呼ばれたタイミングで隣の席に座らされてしまった。


6人がけのテーブル。

結局私は、前に誰もいない席に着き、まさに陸の孤島状態…


「沙希、1人増えるなんて聞いてないぞ」


雪菜さんのおしゃべりを無視して、隣の沙希さんに文句を言う裕也専務。


立ち上がり、私の前の席に移動しようとした。


そこへワインが運ばれてきたので、一旦着席する。


テイスティングしながら、裕也専務が私を見たので…


軽く首を横に振った。

…このままの席順でいい、と。


星野さんも横から私に「ごめん…」と謝るので…私は慌てて顔の前で右手をヒラヒラ振ってみせた。


私のことは、気にしなくていいですよ…と。


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