「…だからごめんって!」
朝食を用意しようかどうしようか…裕也専務と沙希さんのバトルの行方を見守りながら、私は2人の間をウロウロしてしまう。
「…舞楽は婚約者だと言ったはずだ。それなのに俺たちの寝室に勝手に入ってきやがって…でっかいペナルティを課すに値する」
「…そんなぁ、」
沙希さん、うなだれながらも「どんな?」と聞くのを忘れない。
「この部屋の出禁」
「えー…せっかく舞楽ちゃんと仲良くなれたのにぃ?」
言いながら、私に助け舟を出して欲しいと言っているのはわかる。
「ま、まぁ…別に何もなかったわけだし…出禁とまで言わなくても。たまになら来ていいくらいのお咎めにしておいたらいいんじゃないですか?」
見上げる私と目を合わせ、つーん…っとそっぽを向いてしまう裕也専務。
「俺は『別に何もなかった』わけじゃないからな?」
「…どういう意味ですか?」
「アダルトな話だから、夜…話す」
何を言ってるんだこの人はっ!
沙希さんが目の前で聞いてるというのに、アダルトを匂わすとは、許すまじっ!
赤くなった顔を隠したくて、キッチンに逃げた。
「さぁさぁ…朝食を用意しますから、この話はもうおしまいにしましょう」
沙希さんは、さっきまで怒られていたとは思えないほど元気に指を鳴らし、朝食を誰よりもたくさん食べた。
「じゃあ、帰国したからには1回家に帰るけど、また来るね!」
「…しばらく来なくていい」
裕也専務はハッキリそう言ったけど、沙希さんは完全に無視して…迎えの車に乗って風のように帰っていった。
「…」
「…」
2人になると、苦しいほどの静寂に包まれる室内。
巨大ハリケーンみたいな沙希さんが長居してて忘れてたけど、私は裕也専務に、とんでもなく大事なことを確認したばかりだった。
『…私はいつまで、偽装婚約者として…そばにいられるんですか?それとも近く契約破棄ですか?違約金、いくらですか?』
『…永遠に俺のそばに。違約金はゼロ』
…かっこいい返事だったけど、もう少し具体的に言って欲しかった。
あの返事じゃ、私は正式な婚約者になったのか、本当の恋人になったってことなのか…わからない。
永遠に俺のそばに…ってことは、婚約者?…
…婚約者なら、本当に結婚するってこと?
ちょっと待って…
…私が、裕也専務の妻になる…?
SAIリゾート株式会社のトップに立つ人の、私が妻?!
嬉しいより何より、不安が先に立ってしまう。
私なんて…しがない大学しか出てないし、両親もいない。
紹介できる親族もいなくて、当然、お金も家柄も何もない。
何も…持ってない。
それなのに、永遠に裕也専務のそばにいられるの…?
本当に…?
無理だと思った。
恋人ならいいかもしれないけど、あんな巨大企業を背負う人の妻になるなんて、とても私ができるはずない。
「…沙希は洗濯物でも置いていきましたか?」
考え事をして、洗濯物を干す時間が長かったらしい。
いつまでもベランダにいる私を心配して出てきた裕也専務。
「…いえ、洗濯物は何も!」
…何も置いていかなかったけど、沙希さんは私に、漠然とした不安を置いていった。
裕也専務にふさわしいのは、多分沙希さんみたいな女性なんだろうな。
臆さず、遠慮せず。
裕也専務に何を言われても3倍返しができる強さ。
屈託なく明るくて、豪快。
意地悪でクールでサディストなんて三重苦も吹き飛ばしそう。
そして何より、釣り合いの取れた家柄のお嬢さま。
美術や音楽、政治や経済にも見聞が広くて、困った時は裕也専務を助けることができる。
「…何を、考えてます?」
洗濯カゴの中の洗濯物を、ランドリーハンガーに吊るし始めた裕也専務。
「沙希は…ただの幼なじみ、友人です。君が気に病む必要はありません」
私の考えに感づいていたかのような言葉にハッとした。
「いえ、そういうわけではないです…」
一応否定して、裕也専務を見ると、洗濯ネットのチャックを開けようとしている。
「…ちょっ!これは、いいです…」
干そうと思っていたものを突然奪われてムッとしたのか、片方の眉を上げて睨まれた。
その表情に、ちょっと笑ってしまう。
「…なんですか?」
「…だって…」
眉間にシワを寄せて怖い顔をする裕也専務。
「そんな怖い顔されるの、久しぶりだなぁ…って思って!」
「…あん?」
笑われたのが気に入らないのか、それともまさか、テレたのか…「貸しなさい!」と言って洗濯ネットを奪い返した裕也専務。
「あ…だからちょっとそれはっ」
中から出てきたのは…私の下着なんですっ!
「…これからはこういうものも、俺が触れてもいいんじゃないですか?」
ブラを自分の胸元に当てて笑うとか…!
「…下はどうしてこんなに小さいんですかね?」
楽しそうに干そうとするのを全力で阻止したのは言うまでもない!
「ダメに決まってます!もうっ!部屋に戻ってくださいっ!裕也専務は、エッチのスケベですっ」
「君にだけなんだから、何の問題もないはずです」
慌てる私にゆったり笑顔を見せて、裕也専務はスッと私の腰を抱く。
そんな余裕がなんだかしゃくだった。なのに裕也専務は見上げた私の唇に、素早くキスを落としてから…言われた通り部屋に戻るなんて。
鮮やか過ぎて、今回は完全に私の負けです…