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第36話

 お兄ちゃんが頑なに手を出さなかった理由を、先輩達はずっと黙って聞いてくれた。

 私が話を終えると、すすり泣く声が聞こえてきた。


「うぅ~2人とも大変な思いをしたんだねぇ~」

「ほら田口、ティッシュ。鼻から涙出てるぞ」

「ズズ……水樹くんありがとう」

「にしても、親父さんとの約束か。友也にそんな過去があったんだな」


 水樹先輩をはじめ、話を聞いた全員が黙り耽っている中、お兄ちゃんが静かに口を開いた。


「俺は、柚希を守るためとはいえ相手を傷つけた。ずっと後悔してた」

「友也……」

「みんなごめん。ずっと黙ってて」

「いいって。こうして話してくれたじゃないか」


 そう微笑み、水樹先輩はお兄ちゃんの肩を軽く叩いた。

 お兄ちゃんがいい友達に恵まれて、ホント良かった。


「真弓さん。今日は助けてくれてありがとうございました」 

「あぁ……ところで友也」

「はい」

「約束を守ったことには、後悔はしてないんだな?」

「それは……」


 お兄ちゃんは満身創痍の中居先輩達を一瞥すると、歯切れが悪そうに答えた。


「後悔は……してます。俺が約束に拘ったせいで皆を巻き込んで――」

「違うな」

「え?」

「あの時お前が手をあげずに張り合ったからこうして全員無事だった。私はそう思う」


 お兄ちゃんの言葉を遮り真弓さんはそう断言した。


「そうそう! 店長さんの言う通りっしょ!」

「だな。いくらこちらが被害者でも、相手に怪我を負わせたらもっと大事になってたかもしれない」

「いいか佐藤。俺らが体を張ったのは、お前がたった一つの約束を愚直に守り通す男だったからだ」

「みんな……」


 お兄ちゃん達は熱い視線を交わしていた。

 そんな光景を見た真弓さんはウンウンと頷く。


 たまには男の友情も悪くない、かな。


「過去も今も、友也はずっと友也のままだ。そんなお前だから友達も妹さんも力を貸した」


 真弓さんが「そうだろ?」と促すと先輩達はまた強く頷いた。

 そして真弓さんはお兄ちゃんの肩を掴み、真っすぐ目を見据える。


「お前は間違いなく親父さんとの約束も大事な仲間も、そして妹も守った。誇りはすれど後悔する必要なんてない」

「真弓さん……」


 お兄ちゃんの声は微かに震えていた。

 真弓さんは項垂れたお兄ちゃんの頭に手を置いた。


「よく頑張ったな、友也」


 その声はとても優しく、そして穏やかだった。



 ファミレスを出た後、今日は藤宮で解散ということになった。

 真弓さんのご厚意で私とお兄ちゃん、新島先輩と水瀬先輩は車で送ってもらう事になった。

 そして今はファミレスの前で、車を取りに行った真弓さんを待っている。


「柚希ちゃん、話してくれてありがとう」

「私からもありがとね! 2人の事、もっとよく知れたから嬉しかったよ!」

「こんな話、普通ならヒトに言えねぇよ。俺なら死んでも話さねぇわ」

「はは、中居らしいな。友也、柚希ちゃん。俺からも礼を言わせてくれ」


 先輩達が続けてお礼をしてくれた。


「私の方こそ……ありがとうございます」


 過去の話を知ってもらったことで、皆ともっと近づけた気がする。

 自分でも驚くほどに晴れやかな気分だった。


「中居先輩と及川先輩は迎えが来るんですよね?」

「うん。私のママが来てくれるって」

「へぇ~ご両親も公認か。もう殆ど結婚したようなもんだな」

「え~! ちょっと、もうやだ~水樹ってば~! どうする和樹?」

「どうもしねぇよ。とりあえずくっつくな」

「いい加減照れるなって、中居」

「ほっとけ」


 及川先輩達の夫婦漫才に水樹先輩が加わってトリオ漫才になってる。

 そんな3人を見て皆が笑う。

 今日は色々あったけど、私の知ってる日常が戻ってきてよかった。 


 ひと笑いしたところで水瀬先輩が口を開いた。


「あ、ところで水樹と田口はどうすんの?」

「電車で帰るよ。な、田口」

「俺、一応ケガ人なんだけど~」

「一番デカいナリして何言ってんだよ。ほら、行くぞ」

「へ~い。それじゃみんな、またね~!」


 そう言って踵を返すと、2人の先輩は元気そうに駅へ向かっていった。



 暫くして及川先輩のお母さんが到着すると、真弓さんが事の経緯を説明していた。

 その後、2人に見送った私達は真弓さんの車に乗り込んだ。



「真弓さん、ありがとうございます」

「気にするな。状況が状況だ」


 咲崎方面に向かう国道を走りながら、真弓さんは手をヒラヒラさせてそう答えた。


「そうだぞ柚希。折角だからありがたく甘えよう」

「もう、お兄ちゃん! そんな言い方ないじゃん。真弓さんは会議があったんだよ?」

「あ~それなら心配ない。本部にそれとなく事情は伝えた」


 そう言って真弓さんは背中越しにビシッと親指を立てる。

 するとお兄ちゃんが耳元で呟いてきた。


「どうせ会議サボるのに丁度良かったんだろ。さっき『帰りたい~』ってぼやいてたし」


 またそんな不用意な発言を。

 そう思った瞬間、前方から冷たい殺気を感じた。


「聞~こ~え~て~る~ぞ~友也ぁ~~」


 流石にこの距離じゃ聞こえても仕方ない。

 真弓さんが後ろを振り向き襲い掛かってきた!


「ケガ増やすか給料減らすか選べ! このガキ~!」

「うぉ、ちょま、イタタタタ!」

「うわ……トモ痛そ」

「真弓さん! 前見て、前~!!」


 お兄ちゃんの不用意な発言で車内はてんやわんや状態だったけど、何とか無事に咲崎に帰る事ができた。



 家に着くなりお兄ちゃんと私は隠れるように部屋に戻っていった。

 部屋に戻り着替えを済ませる。


 お父さん達にはあまり心配させたくない。

 けど、ずっと黙っているわけにもいかないし……。


 夕食の手伝いをしている間も、そんな事をずっと考えていた。



 夕食の時間になりお兄ちゃんの部屋をノックすると、長袖で傷を隠したお兄ちゃんが出てきた。


「お兄ちゃん、包帯は?」

「そんなの付けてたら余計心配するだろ?」


 お兄ちゃんはそう言って堂々と下へ降りていった。

 私も心配してるんだけどなぁ。



 案の定、お兄ちゃんはぎこちない様子で箸を進めていた。

 チラチラとめくれる袖口からは、絆創膏が見え隠れしている。


「どうしたの友也? その傷」

「あ~これは……自転車でこけた」

「今日は電車で出かけたんじゃないの?」

「…………」


 お兄ちゃんのおバカ。

 やっぱりこうなっちゃったじゃん。


「おい」

「……何だよ」

「ちょっと腕見せてみろ」


 唐突にお父さんが身を乗り出しできた。

 そして半ば強引にお兄ちゃんの腕を取り袖を捲った瞬間


「いてっ!」


 腕に出来たいくつものアザが露わになった。

 こうなったら正直に言うしかないか。


「これはどういうことだ? 喧嘩か?」

「お父さん違うの、これは――――」

「柚希は黙ってなさい!」

「ッ!!」


 お父さんに怒鳴られた。

 こんな事、初めてだ。


「友也。あの時の約束を忘れたのか?」

「忘れるわけないだろ……手は出してない」

「はぁ……相手は誰だ?」

「知らない人」


 お兄ちゃんも決心したのか、淡々と正直に答える。

 このままじゃまたお父さんと喧嘩しちゃう。


「学校には連絡したのか?」

「してない。でももう大丈夫だから」


 私からもちゃんと説明しないと。

 だけど、また怒鳴られるかもしれない。


 それが怖くて、ただ黙って傍観していた。


「ふざけるな! 何も知らないやってないで、何を根拠に大丈夫なんて言える!!」

「父さんだって……今まで何も知ろうとしなかったじゃないか!」

「なんだとっ!?」


 興奮したお父さんは席を立ち、お兄ちゃんの胸倉を掴んだ。


「あの時みたいに殴れよ。逃げないからさ」

「くっ……」

「俺はあの時とは違う。約束は守る」

「この、父親に向かって――――ッ!!」


 釈然とした態度を貫くお兄ちゃんの態度に、お父さんの手は怒りに震えていた。

 このままだとまた昔みたいにバラバラになっちゃう。


 そっちの方が怖い。

 そんなの、嫌だ!



「もうやめて! どうして喧嘩になっちゃうの!? 私達家族じゃん!」


 声を上げ、震える膝頭を抑え、私は勢いよく立ち上がった。


「誰にも迷惑かけたくないからって……ずっとお父さんとの約束を引き摺って……お兄ちゃんはいつも私達の事を気にかけてたんだよ!? 今日だってこんなにボロボロになるまで私を守ってくれたの!」


 私は必死になって2人を引き剥がしありったけの思いを吐き出した。

 涙で滲んだ視界は役に立たず、伸ばした腕に目いっぱいの力を込めることしかできなかった。


「柚希、落ち着いて」

「うぅ……グス……」


 ボロボロ泣いてしまった私をお母さんが抱きしめ慰めてくれた。


「あなた。気持ちはわかるけど、とりあえず子供達の話をちゃんと聞きましょ?」

「……そうだな。すまない」


 お母さんのひと声でその場は一旦落ち着いた。



 冷静さを取り戻した私とお兄ちゃんは、全てを話した。


「その店長さんや友達は、本当に信用できるんだな?」

「あぁ。みんな俺の大事な人達だ。信頼してる」

「…………」

「だから父さんは俺を信じてくれ」

「私からもお願い。お兄ちゃんを信じてあげて」

「あなた。子供達がこう言ってるんですから信じてあげましょう」

「……勝手にしろ」


 お父さんは、まだ腑に落ちないといった表情をしている。

 そして席を立ち


「無理だけはするなよ」


 と、お兄ちゃんに言い残しリビングを出ていった。


「今の今まで無理させといてよく言うよ。いてて」

「あれでも友也の事が心配なのよ」

「……わかってるよ、そんなの」



 お兄ちゃんも私も、お父さんがどれだけ気にかけているかなんてわかってる。

 なのに、どうして喧嘩しちゃうんだろう。

 どうしてこんなに壊れやすいんだろう。 


 良くなってきたと思っても小さな行き違いですぐにまた悪くなる。

 その繰り返しで中々うまくいかない。


 お風呂の中でも、ベッドの中でもずっとそんな事が頭を巡っていた。


 何だか寝つけないなぁ。

 とりあえずお水でも飲もうかな。


 そう思い部屋を出た私がキッチンに行くと、独りソファーに座るお父さんが目に入った。


「お父さん」

「柚希か。寝つけないのか?」

「うん」


 適当なコップに水を注ぎ、私はお父さんの隣に腰かける。

 2人で何を話すわけでもなく、静かな時間が流れる。


 ただ黙って水を何口か運んていると、お父さんは伏し目がちに口を開いた。


「さっきは怒鳴ってすまなかったな」


 こんな陰鬱な雰囲気のお父さんは初めて見た。

 お父さんなりに、色々と悩んでたんだ。


「ずっと心配してくれてたんだよね?」

「子供を気にかけない親なんていないさ」

「そっか……ねぇ、お父さん」

「うん?」

「私も、心配かけてごめんなさい」


 そう言って頭を下げた私を、お父さんは優しく撫でてくれた。


「俺はお前達に何もしてやれなかった……いや、自分から何もしようとしなかった。ただ怒って手をあげ騒ぎ立てただけで、全部母さんとお前に任せきりだった」

「お父さん……」


 頭に乗った手を取り、私は力強く握り返した。


「落ち込まないでよ。私、心配してくれて嬉しかったよ!」

「柚希……」

「ちょっと怖かったけど」

「はは、俺も娘に慰められる歳になったか」


 お父さんはようやく、少しだけ笑顔を見せてくれた。


「なぁ、柚希。お前が友也を変えてくれたんだろう?」

「え?」

「実はな、知ってたんだ。お前達が隠れて部屋で話をしてたのを。母さんには『柚希に任せなさい』って珍しく怒られてしまったけどな」

「そうだったんだ……黙っててごめんね」

「気にするな」


 お母さん、知らない所で庇ってくれてたんだ。

 何だかコソコソしてたのがバカみたいだ。


「でも、お兄ちゃんが変わった切っ掛けは私じゃないと思うな」

「そうなのか?」

「小さい頃のお兄ちゃんってさ、明るくて友達も多かったよね。覚えてる?」

「あぁ。お前は友也の後ろにずっとくっついてたな」

「今のお兄ちゃんはあの頃と同じ、素敵な友達がいっぱいいるんだよ」


 私が先輩達の話をすると、お父さんは驚いているような嬉しそうな複雑な顔をしていた。


「お兄ちゃんのクラスの人達も仲良くしてくれるんだよ。たまに一緒に遊びに行ったり、お兄ちゃんも結構頼られてるみたい」

「そっか……あの友也が」

「お兄ちゃんは、ずっと変わってなんていなかったんだよ。小さい時からずっと」

「……そうかもしれないな」


 そう呟いたお父さんの表情はとても穏やかだった。

 強くて逞しくて優しい、ずっと昔から大好きな私のお父さんだ。


「おいおい、どうした? ニヤニヤして」

「ううん。何でもない」


 お兄ちゃんだけじゃなく、あの頃の家族わたしたちがすぐそこまで戻ってきている。

 そう思えるだけで嬉しかった。


「そろそろ寝るか。あ、今話したことは友也には言うなよ?」

「どうして?」

「何というかまぁ、父親としてだなぁ……」


 さっきまでの勢いはウソみたいにお父さんは困った顔をしていた。

 これが男のプライドってやつなのかな。


「ふふ、大丈夫。言わないよ」

「約束だぞ?」

「うん、約束。じゃあ部屋戻るね」


 親子の固い約束をし、リビングを後にしようとドアノブに手をかける。


「柚希」

「何? お父さん」

「これからも友也を頼んだぞ」

「うん。任せて」


 そう言って私はゆっくりとドアを閉めた。


 お父さんとお兄ちゃんが昔みたいに顔を合わせるのは少し時間かかるかもしれない

 でも今はこれで充分だと思った。


「……約束は守らないとね」


 私はそう独り言ち、自分の部屋に戻った。

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