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第27話 ぼろきれ牡丹

 それは、幸せな夢だった。


 朝方。小鳥の鳴き声。すん、と鼻を鳴らすと、食事のかぐわしい匂いが鼻腔をくすぐる。


 目を開けると、鼻歌交じりにタクが料理をしている。ぼたんがのそり起き上がると、タクがこちらに気付いて言うのだ。


『起きてきたな~、ぼたん。そろそろ朝飯できるから待っててな』


 そんなことを言われて、ぼたんはなんだか嬉しくて、『うん……』とはにかみ混じりに答えるのだ。


 それから身だしなみを簡単に整えていると、タクがちゃぶ台に朝食を用意してくれる。


 今日は、可愛くておしゃれな、ガレットの朝食だった。鹿肉の燻製と、目玉焼きの乗った奴。


 ぼたんは、隔離地域でこんなに洒脱な朝食は初めてで『わぁ』と目を輝かせる。するとタクは、得意げに言うのだ。


『ぼたんが喜ぶかなと思って、ちょっと作ってみたんだ。どうよ、気に入った?』


『うんっ。ありがとう、タク』


『はは、良かった良かった』


 二人揃っていただきますをする。朝の陽光に包まれながら、穏やかな朝食をとる。


 それから、今日は用事がないから、二人引きこもってぐーたらする。


 タクはどこからか調達してきた漫画を読み、ぼたんは死にゲーの続きをする。


『んっ……く、あー……。ダメ、勝てない』


 生まれてこの方味わったことのないような敗北感に、ぼたんは脱力する。それに気付いて、タクが『どうかした?』と近寄ってくる。


『このボスが倒せなくて……。おじいちゃん強すぎるよ』


『うわもうラスボスじゃん。でも分かるわ。この剣聖じいちゃん強すぎだよなぁ』


『タク、倒して』


『えー!? ここまで来といて!? おいぼたん、もうちっと頑張れよ。コツ教えてやるからさ』


 そんな風に言われて、アドバイスをもらいながら再挑戦をする。


 ゲームのことを教えてくれる時のタクは、ゲームに夢中になっているから、距離感が近くて、少しドキドキしながら、ボスに挑む。


『よっ、たぁっ! や、く……』


『ぼたん、いいぞ! リズムだ! 防御のリズムを覚えて、全部捌けば……!』


『うんっ! やっ、たぁ! ほっ、やっ、……とりゃあっ!』


『よし! よしよしよし! ここから一気に攻めだ!』


 タクに言われる通りに頑張る。一心同体という感覚が気持ちよくて、勝っても負けても楽しかった。


 何でもいいのだ。ゲームも楽しいけれど、それ以上にタクと一緒に何かするのが楽しい。楽しくて、嬉しい。


 ぼたんは、タクが好きだ。直接気持ちを伝えることは、度胸がなくて、まだできていないけれど。


 それでも、勢いに乗って、プロポーズまがいのことを言ってしまう程度には、ぼたんはタクが好きだった。


 幸せだなぁ、と思う。タクとこうして傍にいられる日々が。血と戦闘のない場所で、安穏と彼と過ごせる日常が。




 だから。




「ん……」


 鉄臭い血の匂いを嗅ぎながらの目覚めは、本当に最悪の気分だった。


「……」


 夢の光景が鮮烈で、現実がどちらかを見失う。


 だがしばらくすると段々ハッキリしてきて、ぼたんは一筋、涙を流した。


「タク……」


 涙を、拭う。


 ぼたんが寝ていたのは、アスファルトの地面だった。タクに出会う前までは、寝慣れた寝床。


 柔らかいベッドはここにない。……違う。ベッドそのものに、大した価値はないのだ。


 ぼたんはどんな寝床だろうと、体を休めることができる。吸血鬼スキルを宿す、この強靭な体が故に。


「……」


 嘘だ。ぼたんが自分に、そう言い聞かせているだけ。


 ぼたんは、ただ怖いのだ。あの家に戻って、一人で寝るのが。


 タクが死んでしまって、どこかで冷たく躯を晒していると、確信してしまうのが怖い。


「っ……!」


 想像してしまう。最悪の事態を。


 モンスターの胃の中からこぼれ出るタクを。バラバラにアタッシュケースにつめられたタクを。廃人同然になって目の前に立ちふさがるタクを。


 ぼたんは、かぶりを振る。


 ―――山王との激突から数日。


 あの巨体と痛み分けをしたぼたんは、ボロボロの姿のまま、近辺をうろついていた。


 昨日もずっと、タクを探し回っていた。そしてその末に、倒れるようにここに眠ったのだ。


 そんなことを思い出しながら、ぼたんは立ち上がる。


 視界一面にあるのは、ぼたんが殺し尽くした、無数のモンスターたちの死骸だ。


 この辺りを根城にしていた、無数の高レベルモンスターたち。ぼたんはそれをうまく呼び寄せ、皆殺しにした。


 目的は、タクを食べたモンスターを見つけることだった。タクが食べられていれば、この数日間の内ならば、胃の中に何か見つかるはず。


 だが、おびただしい死体の山を築いたはいいものの、そのような痕跡は見つからなかった。


 それにぼたんは、タクはモンスターに食べられなかったのだ、と安堵して、眠りについたのだった。


「……髪も服も、血でベトベト」


 うざったい、と思う。だが、別にいいか、とも。


 おしゃれをするのは、タクに可愛いところを見てもらいたいからだ。タクが居ないのならば、その意味はない。


 それに、どうせ、この程度で戦闘の支障になることはないのだし。


「タク……どこ……」


 半分寝惚けた足取りで、ぼたんはモンスターの死骸を乗り越え、その場から離れる。


 思うのは、タクの血の匂いを覚えておけばよかった、ということ。


 そうすれば、吸血鬼スキルですぐに見つけられたはずなのに。


「もう、誰かに亡骸を回収されちゃったのかな……」


 涙がにじむ。血まみれのボロボロの服で、それを拭う。


 ぼたんの涙に価値がないことは、ぼたんは誰よりも理解していた。


「……誰かに、回収されたのなら」


 ぼたんは、顔を上げる。


「人がいる、都市部の方を、探そう。隠しているのなら、暴けばいい」


 マスタースキル保持者の亡骸だ。莫大な価値がある。つまりは、どう転んでも隠し通せないものとなる。


 ならば、暴けるはずだ。ぼたんに、正面から相対できる敵など、ほとんどいないのだから。


 そう考えていた折、曲がり角から、モンスターが現れた。


 巨大な、イノシシだ。全身に梵字。


 神従獣ムリガンタラの同胞、神従獣ヴァラーハンタラ。


 ムリガンタラの一つ上、AA級モンスターだ。


 狩り残し、とぼたんは思う。あるいは、強烈な血の匂いに引き寄せられてきたのか。


「ヴモォォオオオ……」


 イノシシは、ぼたんを見つけるなり地面を掻いた。いつでも突進のできる、臨戦態勢だ。


 ぼたんは軽くため息をついてから、手近な武器を探す。


 そして、近くの道路標識を掴み抜いた。


「この辺りは、厄介なモンスターが多くて、本当に面倒。―――あなたは、タクを食べてないよね?」


「ヴモォォオオオオオオオ!」


 イノシシは、猛烈な勢いで突進してくる。その速度は、ともすれば音速に迫るようなそれ。


 だが、たった一匹では、ぼたんの敵ではなかった。


「……食べてないみたい。良かった」


 道路標識の看板部分で、突進してくるヴァラーハンタラを、ぼたんは縦に二つに切り裂いた。


 きれいに二分割された胃が、倒れたイノシシの中からこぼれ出る。中身は空。人間を長らく食っていないモンスターの特徴だ。


 それを、背後をチラと確認するのみで判断し、ぼたんは呟く。


「この辺りのモンスターは、あらかた始末した、はず。それでも見つからないってことは、やっぱり人間に回収された説が濃厚みたい」


 道路標識を捨てて、ぼたんは言う。


「……待ってて、タク。すぐに見つけ出してあげるから」


 そうしてぼたんは、再び駆けだした。人間には認識できないような高速で―――吸血鬼スキルの力を、十全に発揮して。


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