改めての作戦を皆に共有して、準備した後。
リックを仕留めきれなかったことに、更に警戒しているのだろう。大猿は空を入念に睨みつけていた。
夜空には、月が煌々と照っている。
雲一つない、月夜だ。その影も相まって、大猿が神秘的に見えてくるから不思議なもの。
俺は、声を上げる。
「おい、空ばっかり警戒しちゃってよ。俺のことは忘れちゃったのか? 寂しいぜ」
「グルォ……」
俺の挑発に、大猿はゆっくりと振り返った。
しかし、それでも空に意識を残している。軽い挑発程度では、完全に気を引き付けるのは難しいか。
だが、隣にぼたんの姿を認めて、大猿の警戒が、よりこっちに移りだす。
「そうだよね。あなたは、私を無視できない」
ぼたんは、俺に重ねて、挑発する。
「一週間くらい前だったっけ? 私にいじめられて、あなたがここに逃げ帰ったのは」
「グルルルァァアアアア……!」
ぼたんの挑発に、大猿は明らかに怒りを示した。
「『逃げ帰ったマ?』『大規模な戦いが起こったことしか知らない』『怪物ちゃんホント怪物だな……』」
大猿が、改めて俺たちに向かう。正面から、敵意を飛ばしている。空への警戒はわずかに残しているが、俺たちを目前の敵として認めている。
俺は、バールを担いだ。
「おい、まだるっこしいのはよそうぜ。元はと言えば、お前が俺たちに売ったケンカだ」
俺は、大猿を睨む。
「かかって来いよ、腰抜け猿。それともまた投げられるのが怖いのか?」
「グルルルルル、ルルルルルルォォォオオオオアアアアアアアアアア!」
大猿が、雄たけびを上げる。爆音。そのあまりに大きな音が、威嚇が、廃墟のガラスをさらに細かく砕いていく。
「ぼたん、手筈通りだ」
「うん。分かってるよ、タク」
俺の呼びかけに、ぼたんは頷く。
「俺は防御」
「私が攻撃」
俺は表情を引き締め、ぼたんが冷徹に大猿を見る。
「あの夜とついさっきには、イイのをくれやがったよな。雪辱戦だ。来いよ、デカ猿」
「グルルルルァアアアアアアア!」
大猿の拳が降ってくる。拳一つで家ほどの巨大な拳。見え見えのテレフォンパンチ。
もはや、恐れるものではない。
【開傘】
俺は傘で防御する。だが、いつものように吹っ飛びつつ無傷、というやり方ではない。
拳を受ける直前、俺は【閉傘】で跳躍していた。空中に浮きあがり、拳を受ける角度を計算して、衝撃を受ける。
果たして、俺は大猿の拳を受けて、真上に猛スピードで弾かれていた。
そしてその隙に合わせて、ぼたんはすでに動いている。
「次は、うまくやる」
ぼたんは俺が拳を受けたわずかな時間で跳躍し、大猿の腕に飛び乗っていた。
その手には道路標識が握られている。しかし重さを感じさせない足取りで、むしろ常人では到底出せない速度で、ぼたんは腕を駆け上がる。
―――作戦の大きな流れは、先ほどと変わらない。
ぼたんが目を潰し、俺が口を開かせる。何せすでに、大猿の目は回復しているから、最初から行わないといけないわけだ。
あっという間にぼたんは、大猿の肩まで駆け上がる。大猿が反対の手でぼたんを掴もうとする。
前回のミス。ぼたんはタフだが、防御性能、回避性能は高くない。ここにフォローが必要なのだ。
だから俺は、もちろん準備をしている。
『あっれれ~!? またそんなちっちゃな人間に慌ててるの~??? おっさるさんって、バッッッカみたぁ~~~い♡♡♡』
「グルルルルァァアアアアアアア!!?」
大猿が激しく激昂して、声の下に振り返る。
エンジェの挑発。だが、エンジェ本人が言えばそれは大きなリスクとなる。
つまり、本人でなければいいのだ。
「見てるザコブタのみんなには悪いが、ドローンなら替えが効く」
大猿が振り返った先。そこには配信ドローンが浮かび、エンジェの遠隔挑発を再生している。
「グルルルルァァアアアアアアア!」
大猿の腕がドローンに迫る。チャンネルが切り替わって、ザコブタたちが「『ぎゃあああああ!』『怖すぎ! むり!』『映像だけど死ぬぅぅうううう!』」と叫ぶ。
そこで。
ぼたんが、事を為した。
「エンジェに、恩を返されちゃった」
大猿を登り切ったぼたんが、道路標識を、大猿の目に向けて一閃する。
まずは、片目を潰した。残るはもう片方の目だ。
「グギャオォッ!」
「ナイスだ、ぼたん」
大猿の拳がドローンから外れる。「『生きてる!』『神回避!』」とコメ欄の声が上がる。
だが、まだ油断はできない。大猿の目に冷静さが戻り、ぼたんを残る目で追っている。
先ほどの通りなら、ぼたんは回避しきれず叩き落とされる。もう一度挑発を打っても、大猿の慣れの感じから、効かない可能性がある。
「だから」
俺は傘でふわりと大猿の頭頂部に着地する。大猿は俺の繊細な着地に気付かない。
「俺が来たわけだ」
トンッ、と軽い調子で、俺は大猿の頭から飛び降りる。
傘を広げ、大猿の無事な目玉の目の前。俺は笑みと共に、挨拶を一つ。
「おいおい、寂しいぜ。散々投げてやったのに、俺のことも警戒してくれよ」
【合わせ】
振るったバールが大猿の目に刺さる。俺と至近距離で目が合い、「ギッ……?」と大猿が息を飲む。
俺は言った。
「だから、俺から目を離せないように、この目は貰っていくな?」
【釘抜き】
ずぬりゅぶちんッ、と嫌な音を立てて、俺は大猿から、片方の目玉を抜き取った。
「ギャァァァァオオオオオオオオオァァアアアアアア!?」
大猿が悲鳴を上げる。悲鳴だ。雄たけびでなく、恐怖に、苦痛に、大猿が悲鳴を上げている。
「『やっぱバールニキが一番怖い』『一人だけ対等に渡り合ってるんだよな』『スタミナがあったら一人で勝てた説ない?』」
上がってきたドローンからザコブタたちの声が上がる。俺は「あんま煽てんなよ。調子乗るだろ?」と軽口を言って、大猿に向き直る。
―――順調だ。狙い通り、両目を奪った。あとは、混乱に乗じて口を上向きにさせるだけ。
しかし、しかしだ。
大猿はいつでも、全てを破綻させるだけのパワーがある。
「グルギャオグルゥアルルルギャァアアアアアォォオオオオオアアアアア!」
発狂。大猿は両目を奪われたことで、無軌道にめちゃくちゃに、腕を、全身を振り回して暴れだした。
「っ!」
「うぉおっ」
俺は傘で防いで吹っ飛ばされつつ、やはり空中を緩慢に落下する。
一方でぼたんは、必死に大猿の体にしがみついている。
「ぼたんっ! 大丈夫か!」
「うっ、うん! 狙いが定められてないから、ギリギリ、避けられる。けど……ッ!」
ぼたんが言わんとすることは分かる。
つまり、口を開けさせて上を向かせる、と言うのが困難になったということだ。
「厄介だな……」
一瞬、偶々そういう体制になる確率は上がったかもしれない。しかし俺たちがそれを予想して、リックに伝えられないんじゃ意味がない。
俺は大猿の腕の届かないところを、ゆっくり落下しながら考える。
暴れまわる大猿。奴の行動を物理的に止めるのは無理だ。
物量的にもそうだし、ある程度意識誘導ができないと、バールで投げるわけにもいかない。
なら、他の方法で、大猿の惹けないか。視覚的には当然無理、ならば―――
俺は笑う。
「エンジェは、戦えないのに本当にありがたい存在だよ」
俺は無線のボタンを押す。
「エンジェ、ドローンで挑発を頼む」
『了解! いっくわよ~!』
無線が切れる。同時、ドローンから大音量が響いた。
「『あっれれ~~~♡♡♡ おサルさ~~~ん、お目目潰されて暴れまわってるの~~~!? 赤ちゃんみたいな動きで~~~、かっわいい~~~♡♡♡』」
「グルルルルァァアアアアアアア!」
挑発により、大猿の発狂が強制解除される。大猿は怒りに任せ、声の方向に拳を突き出す。
すなわちそれは、俺の予想通りに大猿が行動したという事。
「行くぜ、仕上げだ」
【閉傘】
俺は傘を閉じて素早く空中を移動し、大猿の額に着地する。大猿はそれで我に返り、ドローンに向けた拳を、翻して俺に向ける。
「はははははっ! こっちだこっちぃ!」
俺は高らかに笑い声をあげて、大猿を誘導する。バールで頭頂部をよじ登り、拳が迫るのを待って―――
バールを、振るう。
【合わせ】
バールが大猿の腕に刺さる。動きは読めている。俺はそれを、大猿の意識に沿って誘導するだけ。
俺は大猿の腕を引きずって、奴の背後から飛び降りる。
「グルルルォォオオッ!?」
大猿は自分が伸ばした腕に引っ張られて、後ろにつんのめった。
咆哮に口が開く。だが、少しだけ真上には足りない――――
「タク、手伝うよ」
大猿のアゴを、ぼたんの道路標識が打ち上げる。
「グルルルァアアアアア!」
大猿が真上を向く。痛みに咆哮を上げる。ここしかない、と俺は無線を飛ばす。
「今だ、リック!」
『ハッハッハー! ブラザー、それにみんな。お前ら全員、最高だ!』
空から轟音が近づいてくる。大猿が慌てだすが、もう遅い。
『もう一度カウントダウンだ。さぁ急げ急げ!』
俺は急いで大猿の腕を駆け上がる。傘の【閉傘】を繰り返して高速で大猿の頭頂部を目指す。
『3!』
死に物狂いで上昇する。ギリギリ。ギリギリだ。俺は歯を食いしばってよじ登る。
『2!』
もう少し。だが、それが遠い。息が切れる。スタミナが切れる。だが、ここで止まる訳には行かない!
『1!』
くじけかけた俺を、ぼたんが抱えて、更に駆け上がる。俺は大猿の顔面に辿り着く。空を見る。視認できる空に、小さな迫る影を捉える。
『0だ。ブラザー、お前に託すぜ』
高速で通過するリックの機体。俺は【閉傘】で空中に飛び上がり、
俺を、膨大な熱と衝撃が打ち上げる。
「うぐっ、くぅぉおおおおおおおおおおお!」
猛烈な爆発が、大猿の上半身を引きちぎる。肩から上が吹っ飛んで地に落ち、遅れて爆風と血肉、衝撃波と煙が、俺をドンドンと上空に追いやった。
俺が衝撃を傘で受け止め切れたのは、最初だけだった。ギリギリで即死させられる熱線や爆風衝撃破片その他もろもろを受け止め、そこからは全身、ぐるんぐるん回転しながら打ち上げられた。
「うわぁぁああああああ! めぇまわるぅぅううう! たっけぇぇえええええええええ!」
俺は雲が浮いていそうな高さにまで上昇し、そこからやっと下降を始めた。どんな爆弾落としてんだよ、と、成功した今になってリックが恨めしくなる。
だが。
ここからが、俺の仕事だ。
俺は地面に傘を向ける。ばねの付け根、下ろくろを掴む。
「怖い」
俺は呟く。
「けど」
俺は強張った顔で、笑みを作る。
「ここで度胸出さなきゃ、どこで出す!」
【閉傘】
落下速度に『閉傘』の速度が乗って、俺は爆速で下降した。
視界を遮る煙を吹き飛ばしながら、俺はみるみる内に下へ下へと落ちていく。
煙の熱さに包まれたそばから、上空の風の冷たさが入り込み、夏と冬が交互に襲ってくる。
「うぉおおおおおおおおおおお!」
視界にビル群が迫る。地面で待機しているぼたん、エンジェ、配信ドローンの姿を捉える。そして俺の真下に、上半身が吹っ飛んだ大猿の下半身を見付ける。
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
目の前の煙が晴れていく。俺の眼前に、露出した、一抱えほどもある―――一抱えほどしかない魔石が姿を現す。
そこに俺は、自分ごと傘をぶっ刺した。
ガギィィイイイイイイイン! と強烈な音が響く。傘がわずかに魔石を穿つ。
俺は勢いで落下死するところだったが、傘の取っ手を握り、すごく体を縮めて一回転。くるんと空中に飛び上がって、無事着地した。
「うぉおお! ギリ! ギリだった今! あっぶな!」
勢いに任せて自爆特攻するところだった、とちょっと焦る。
だが、自分の今の攻撃がどの程度だったのかを目の当たりにし、更に焦った。
「おいおい、こんな固いのかよ、魔石ってのは」
そこにあったのは、魔石の表面にできた、手の半分ほどのサイズの傷。
相当な威力があったはずだが、傘は魔石を破壊するに至らなかったようだった。
マジかよ。と思う。爆破の衝撃も煙も晴れ、周囲の肉がうぞうぞと動く気配がある。
「『マジかよ』『今のでダメなん!?』『おいおいおい……』」
俺の数十メートルほど下の辺り。いくらか飛び上がって俺を撮影するドローンから、困惑と絶望の声が上がる。
それに俺は、軽く笑った。
「まぁ早まるなよ。ここまでお膳立てされたんだ。やれることは全部やるさ」
俺はやっと出番が回ってきた包丁を、僅かに空いた魔石の穴に刺し、踏みつける。
次にその上で、傘を持った。もちろん向きは、包丁も傘も下向きだ。
そこで、活性化した大猿の肉が、一気に動き出した。俺を飲み込んでしまうほどの勢いで迫りくる。
だが俺は、悠々と、高らかに、バールを掲げた。
「さぁ、最後の悪あがきだぜ。全員、目をかっ開いて御覧じろ」
傘を手放す。その柄を狙って、俺はバールを振り下ろす。
「日用品マスターの、スキル三段重ねの、最大威力だ」
バールが傘をまっすぐ下に打ち付ける。傘の先端が、包丁の柄を叩く。
「ザコスキルとは言え、まぁまぁ効くんじゃね?」
【釘打ち】【開傘】【包丁致命】
バールが強烈に傘を打つ。傘が開き、二重の衝撃が包丁を押し込む。そして弱点に突き刺さるとき、包丁は防御を無視して弱点をえぐる――――!
そして、再生に押し寄せる肉が、俺に迫り、飲み込んだ。
「ぐぷっ……」
俺は一気に、大猿の肉に包まれる。息が苦しい。動けない。
ダメだったか……? と自嘲する。
だがまぁ、ここまでやったんだ。悔いはない。俺はやり切ったんだから。
そう思っていたその時、周囲の様子がおかしいことに気付く。再生に結びつこうとしていた肉が絡まり合わず、崩れ出し、俺の周りから離れて行く。
「ぐぷっ、げほっ、おっ、おぉっ、おぉぉおおっ?」
視界が晴れる。俺は肉の間から抜け出す。
大猿の体は、再生しようとしながら肉を隆起させつつ、しかしその体を破綻させていく。
腹部は立ち上がろうとして倒れ、腕に紡がれた繊維は骨から崩れ落ちる。
そしてとうとう、大猿の足が折れた。
大猿が、崩壊する
「うぉおおおあああああああっ!?」
俺はそれに巻き込まれそうになりながら、ギリギリで傘を掴んで、宙に投げ出された。
空中でぐるぐる回転してから、【開傘】でパンッと傘を開いて、着地する。
目の前には、ぼたん、エンジェ、そして俺を正面から撮影する配信ドローン。
俺はキョトンとしつつ、ドローンを見、エンジェを見て、とっさに言った。
「とっ、というわけで、大猿退治は、見事成功しました! みんな協力ありがとう! 面白かったと思ったら、ぜひ高評価、チャンネル登録をお願いしま――――」
「それは何か違うでしょぉぉおおおおおおお!?」
「『バールニキwwwww』『すっかり配信者になっちまって……!w』『俺バールニキの成長に、な、涙が出ますよ……w』」
「あ、アレ?」
叫ぶエンジェ。笑うザコブタたち。俺は、テンパりすぎて変なこと言った? と首を傾げる。
「ふふっ」
だが、その奥で。
「タクってば、緊張感ないんだから」
何だか、とても嬉しそうに微笑むぼたんがいたから。
俺は全部どうでもよくなって、やり遂げてよかったな、なんてことを思うのだった。