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第49話 自信

 作戦はこうだ。


 俺たちはリックが上手く爆撃するために、準備をする必要がある。


 一つは、大猿のヘイトをこちらで稼ぐこと。


 最初俺がやっていた通り、引きつける仕事だ。これが十分でないと、リックが大猿に撃退されかねない。


 もう一つは、大猿をうまく誘導して、口を上に向けさせること。


 口を上向きにさせることができれば、あとはリックがそこに爆弾を投下してくれる。


『ま、一つ目の奴は、二つ目の奴のついでみたいなもんだ。多少警戒が残ってても、デモンの攻撃を避けるだけならうまくやるさ』


 というのがリックの談だ。


 だから俺とぼたんの二人で頑張らなければならないのは、大猿を、どうにか大口を開けさせ、なるべく上を向かせる、ということになる。


 では、その方法は?


 ぼたんは、こう提案した。


『私が山王の両目を傷つけて、視界を潰す。それで山王の動きは、ある程度制限できる。ただ』


 ぼたんは目を伏せて、こう続けた。


『口を開けさせるのは、私の力だけじゃ難しいかもしれないけど』


『なら、それは俺がやるよ。さっき大猿をぶん投げたやり方の応用で行けるはずだ』


『「全長200メートルの猿を柔道技で投げる男」「あれ手品だろもう」「怪物ちゃん噂と全く違くね?」』


 コメント欄が茶々を入れる。だが、作戦内容そのものにはツッコミは入らなかった。


『ひとまず、これで行こう。それでいいな?』


『うん。いいよ、タク』


『了解だ。投下タイミングをすぐに狙えるように、近くをグルグル飛んでおくぜ』






 ―――そういう手筈で、俺とぼたんは、今、大猿の背後に立っていた。


 今大猿は、空を警戒している。これは好都合だ。不意を突けるのならば、突いた方がいい。


 俺の横で、ぼたんは軽くジャンプしている。手には道路標識。あまりに軽々と待つから、そういうコスプレに見えてくる。


 すう、とぼたんが深く息を吸い込んだ。そして、言う。


「まず、目を狩る」


 ぼたんが、跳んだ。


 パンッ、と弾けるような速度で、ぼたんは上昇した。見れば、ぼたんの足元の地面が割れている。


 それに思わず、俺は一言。


「前お姫様抱っこされたときに想ったけど、身体能力えげつないな……」


 ぼたんは大猿の体に掴み、駆け上がるようによじ登った。ぐんぐんと、落下映像の逆回しみたいに上昇していく。


「グルォッ?」


 それに、大猿は反応した。体のサイズ比から考えれば非常に僅かな感触だっただろうに、良く気付くものだ。


 大猿は振り返る。そこには俺が居る。俺は肩を竦めて「どうかしたか?」と挑発する。


「グルルルルァァアアアアアアア!」


 大猿は激昂し、俺に巨大な拳を放った。


 俺は呟く。


「それはもう怖くない」


【開傘】


 ギィィイイイイン! と強烈な音を響かせて、俺は大猿の拳に吹っ飛ぶ。


 だが、疲弊はない。『合わせ』に比べて、スタミナの消費がほとんどないのが、傘の防御の良いところだ。


 俺が吹っ飛ばされ、着地した頃には、ぼたんはすでに大猿の肩まで登っていた。


 素早くぼたんは動き、大猿の胸元を駆け抜ける。


 同時、道路標識を一閃。


 大猿の目が、素早く片方潰される。


「グギャォオッ!?」


 血を吹き出しながら、大猿は片目をつむる。ぼたんは素早く動き、「もう片方」と動く。


「はは、ぼたん、ホント動けるよなぁ。中二病患っても仕方ないか? これは」


 言いながら、俺も大猿の頭頂部に上るために、傘のバネの根元―――下ろくろを掴んだ。


【閉傘】


 俺は傘の閉じた風圧で、素早く空中を飛ぶ。


「っとぉ!」


 大猿の腕に着地。からの傘を広げ、【閉傘】。これを素早く繰り返し、俺は素早く移動する。


 走ったら思ったよりあるからな、大猿の腕。走ってなんかいられない。


 そうしながら、俺は無線のボタンを押す。


「リック! そろそろ準備してくれ! 今、ぼたんが大猿の目を両方―――」


 その瞬間だった。


「え」


 状況を確認するために見上げた先では、動きを読まれたぼたんが、大猿に叩き落とされていた。


 俺は頭が真っ白になる。動きが止まる。言葉も、上手く紡げない。


『分かったぜブラザー。そっちに向かう』


 無線から聞こえたリックの返答に、俺は息を飲む。


「まっ、待ってくれ。やっぱり今は―――」


 恐怖。強烈な怖気が走り、その方向を見れば、大猿の払う手が迫っている。


「―――――ッ」


【開傘】


 傘で防御する。だが、いつも通りとはいかなかった。


 大きく弾き飛ばされる。宙に投げ出される。そこに、追い打つように大猿の追撃がかかる。


 俺は必死に防御を合わせ、攻撃の直撃は避けた。


 それが、精いっぱいだった。


 叩き落とされ、急速に地面が迫る。パニックになりかけるも、ギリギリで体が動いた。


【閉傘】


 地上スレスレで大きく横に飛び、俺は何とか落下死を避けた。だが無事着地とまでは行かず、地面を激しく転がる。


「がぁっ、ぎ、ぁああっ」


 全身を地面にこすりつけて、吹っ飛ぶように転がり、俺はやっと地面の上で停止した。


 痛い。全身が痛い。息が上手くできない。


 頭が混乱している。瞬間的な気絶とそれに伴う意識の混濁が合わさって、今どういう状況か分からなくなっている。


 それで、必死に顔を上げて、息を飲んだ。


 轟音と共に迫るリックの機体。そこに向けて瓦礫を握りこみ、振るおうとする大猿の姿。


「あ」


 大猿が、リックに向けて、瓦礫の弾幕を張る。無数の瓦礫が、リックに向けて放たれる。


 その、回避の不可能な弾幕に、リックは突っ込み―――


 無線から、声がした。


『ブラザー、お前の所為じゃねぇ』


 機体が、弾幕の中で、煙を上げ、錐揉み回転して落下する。


「――――――っ」


 俺は、歯を食いしばり、それを眺めることしかできなかった。


 そして、大猿がこちらに振り返ろうとする。俺は、それに、動くこともできなくて―――


「タクッ」


 横から、白い影が飛び出してくる。俺が反応するよりも早く、ぼたんが俺を回収する。


 まばたきほどの時間で、俺はぼたんに抱えられ、いつの間にか廃墟の壁に寄りかかっていた。


「大丈夫? ごめん。私のミスだった。私から、全部崩れた」


 ぼたんは唇を噛んで悔いながら、俺の手を取る。ぼたんがまず血まみれだというのに、ぼたんは俺の心配をしている。


「酷いケガ……」


 俺はぼたんに言われるがまま、その視線の先を見た。


 そこでは、俺の腕が、ぱっくりと大きく割れ、血肉を晒していた。


「ぁ……」


 俺は、小さく声を漏らす。


 頭の中で、色んな事がぐちゃぐちゃになる。


 ―――死ぬところだった。


 鹿以来、死ぬと思いながら戦ってこなかった。あの時感じていた、体がガチガチになって動かなくなるような恐怖が、全身を蝕んだ。


 死なせるところだった。ぼたんのフォローに回るよう動けばよかった。そう作戦を練ればよかった。さっきエンジェを死なせるところだったのに、俺は何も学んでいなかった。


 死なせてしまった。リックの機体が落とされた。今日会ったばかりの、気のいい友人を死なせた。俺がパニックにならず、ちゃんと連絡できれば、そうならなかった。


「はーっ、はーっ、ごほっ、ひゅーっ、ぜひゅーっ、ぜひゅーっ」


 呼吸が荒い。息がどれだけ吸っても足りない。息をすればするほど苦しくなる。俺は胸を押さえ、苦しみに耐える。


「タク、タクっ? 大丈夫。ゆっくり、ゆっくり呼吸して。大丈夫だから」


「ぜひゅーっ、ひゅーっ、はーっ、はーっ……」


「そう、落ち着いて。タク。ゆっくり、ゆっくりと呼吸するの」


「すー……、はー……、すー……、はー……」


「そう。そうだよ。落ち着いて、落ち着いて……」


 呼吸が落ち着いてくる。ぼたんの優しさに、混乱が解けていく。


 代わりに、後悔が、俺を包みだす。


「……ぼたん、ごめん。俺は、ダメな奴のままだった」


「え……?」


 涙が、俯いた俺の鼻先を伝う。情けない、と思いながら、俺はぐちゃぐちゃの頭のままで、言う。


「親に言われた通りだった。普通のモンスターを、普通に倒すこともできない。みんなの力を借りても、俺はみんなの足を引っ張るままだった」


「っ。そんなこと、第一、最初にやられたのは私で」


「違わない……っ。俺は、思い上がってたんだ。最近、良いことが続いて、俺も人並みに、普通になれたかなって、思い上がってた。でも、そんなことなかったんだ」


 普通以下。特別でも何でもない、落ちこぼれ。


「だって、だってさ……」


 俺は、自分の手を見る。


 俺の手は、全身は、震えていた。恐怖で。自分の失敗への、恐怖で。


「死ぬところだった。死なせるところだった。何より、死なせてしまった」


「死なせた……? 誰を……?」


「リックだよ! 戦闘機に乗って、爆弾を落とす予定だった!」


 俺が訴えると、「え、彼は」とぼたんが何か言おうとする。


 だが、俺はそんなお為ごかしは聞きたくなくて、かぶりを振った。


「全部、全部俺の所為だ! 俺が言い出したんだ! あの大猿を狩ろうって! そのツケがこれだ! 俺の思い上がりで、みんなを危険に……!」


 俺は、頭を抱える。


「俺が悪いんだ。俺が、みんなを巻き込んだんだ。大猿なんか放っておけば良かったのに、こんなことを言いだして……」


「……」


 ぼたんは、じっと俺を見つめている。時折口をまごつかせて、何かを言おうとして、躊躇っている。


 そして、いくばくかの時間を経て、口を開いた。


「あの夜。山王に襲われて、タクと離れ離れにされた日から、タクの言ってたこと、考えてた」


「え……?」


 俺は、ぼたんが何を言おうとしているのかと、顔を上げる。


「タクは、特別が、普通の先にあるものだって言ってた。ご両親が、そういう風に言ってたよね。だから、普通ができなきゃ、特別じゃない、って」


「……」


 俺は、無言で頷く。それにぼたんは、首を横に振った。


「私ね、何度も何度も考えて、思ったの。それは、違う」


「ぼたん……?」


「特別はね、優れてるって意味じゃないよ。優れているのでも、劣っているのでもない。―――優れこと、劣りことを言うんだと思う」


 ぼたんの話に、俺は口を閉ざす。


「タク。あなたはね、特別だよ。普通にはなれない。生きることそのものに愛され過ぎたあなたは、それ以外の余計なことから嫌われたあなたは、その場以外に居場所はない」


 俺は、口をつぐんだまま、じっとぼたんを見つめた。


 ぼたんは、続ける。


「誰よりも特別なタクは、普通の道は歩めない。タクはタクの、特別な人生しか歩めないの。それは、タクにとって怖いことかもしれない。普通以外が怖いタクには、嫌かもしれない」


 けど。


「私が、何があっても、そばにいるよ」


「……ぼたん」


 呆然と名を呼ぶ俺の手を、ぼたんは掴む。


「あの時私は、私の道にあなたを連れていこうとした。でも、それは間違いだった」


 私はね、とぼたんは言う。


「私はね、あなたの道に寄り添いたい。あなたの生きる道には、私の道―――血の轍にはなかった、温かさがある。幸せがある」


 ぎゅう、と、俺の手を握るぼたんの手に、力がこもる。


「あなたと一緒の道を、私は行きたい。特別で、普通じゃなくて、でも温かくて幸せな、あなたの道を。そこに恐怖があっても、困難があっても」


 ぼたんの目に、真剣な色が宿った。


「――――私が、そのすべてから、あなたを守るから」


 ……それを聞いて、俺は、口を引き結んだ。


 腕で、涙を拭う。怪我があるところだと忘れていて、「痛っ!?」と間抜けな声を上げる。


「あっ、た、タク。待って。私、治せるから」


 ぼたんは俺の怪我に口を付けた。何だと思っていると、口を離した先で、すでに怪我が癒えている。


「すげ。え、どうやって」


「吸血鬼の治癒能力のおすそ分け。しばらく体も丈夫になるよ。ちょっと太陽が痛くなるけど、今は夜だから」


 俺は感心する。他の細々とした怪我はあるが、大きな怪我がなくなったのは大きい。


「……ぼたん、ありがとな。励ましてくれて、嬉しかった」


 俺が言うと、ぼたんは「ううん。どう転んでも、言うつもりだったことだから」と。


 俺はそんなぼたんに、告げる。


「けど、一つだけ間違ってる」


「え……? な、何が」


 少し怯えるぼたんの頭をなでて、俺は微笑みかけた。


「大人がさ、怖いからって守られてばっかりじゃ、格好付かないだろ?」


 ぼたんは、俺を守りたいと言ってくれる。それは嬉しい。


 嬉しい、が。


「―――こんな情けない俺だけど、年くらいしかぼたんよりも上の物なんかないけど」


 よっ、と勢いを付けて、俺は立ち上がる。


「それでも、なけなしの意地を、張りたいんだ」


「タク……!」


 俺は、吹っ飛ばされても手放さなかった、自分の武器に目を落とす。


 バールも、傘も、包丁も、全部残っている。


 戦える。今十分に休む時間も確保した。先ほどの消耗は、もうない。


 ……けど。


「でも、この場は逃げるしかないか。せめて、リックの死体だけでも回収して―――」


『おいおいブラザー。黙って聞いてりゃオレのことを勝手に殺してくれちゃってよ。オレの超絶テクを見てなかったのか?』


「リック!?」


 俺は無線から聞こえてきた声に、驚きと喜びに声が裏返ってしまう。


『ハッハー! ブラザー。よっぽどオレが生きてて嬉しかったみたいだなぁ? この戦いが終わったら、愛しい兄弟に熱烈なハグをしてやる』


「いやハグは要らないけど、お、おまっ、墜落させられてなかったか!? 何で生きてんの!?」


『おいおい、見くびり過ぎだぜ。確かにデモンの瓦礫弾幕には驚いたが、錐揉み飛行でダメージは最小限だ。ちょいと煙を吹いちゃいたが、あの程度ならスキルで自然と直る』


「あの錐揉み回転わざとかよ! 墜落の一歩手前の奴じゃなかったのかよ!」


 紛らわしすぎる。つーかスキルで自然と直るのもすごいな。俺の日用品もわざと以外じゃ全然壊れないけど。


 そこで、近くからどたどたと走りくる音が聞こえた。


「いっ、今! 今どういう状況!? 気づいたら廃墟で寝てて、ザコブタたちに寝顔見られたんだけど!」


「『あ! バールニキ!』『やっと見つかった!』『座古宮の寝顔とか何も嬉しくないが』『山王の体毛に吹っ飛ばされてから、配信ドローンふらふらしてて不安だったゾ~これ』」


「エンジェ! それにザコブタのみんな!」


 俺は現れた二人(?)に声を上げる。ぼたんが「あ、そういえば寝かせた廃墟もここだった」と呟く。


「わーっ!? たっ、タク! ボロボロじゃない! だっ、大丈夫なの!? あなた今までずっと無傷だったのに……」


「あー、ちょっとな。でも、立て直したから大丈夫だ。リックも何とか無事らしいし」


『おう、ヤンキーガールも起きてきたな。ってことは、やっとこさ勢ぞろいってわけだ』


 リックに言われて、俺は頷く。


「そうだな。一度どころか二度もミスしたんだ。次は、全員で挑まないとダメだ」


「えっ、あ、あたしが寝てる間に二回も大変なことになってたの……!? お、起こしてよ! 流石に寝てたら全滅とかいやよあたし!」


 騒ぐエンジェに、ぽつりとぼたんが、一言。


「……外見に似合わず、ものすごくいい人……?」


「そうだぞぼたん。エンジェはあのナリで、真面目だし頑張り屋のすげーいい奴だから、優しくしてやってな」


「なっ、め、メスガキ系でやってるんだから、営業妨害止めて!」


「『座古宮のいい人いじりは擦っていけ』『ムカつくけど行動一つ一つを取ったら聖人ではある』『山王に挑発したときは肝が冷えたゾ』『二度と命を捨てるような真似をするな』」


 エンジェは何だかんだ愛されてるよな、と思いつつ、俺は口を開く。


「よし。みんな、聞いてくれ。俺たちは、二回ミスをした」


 俺は指を二つ立てる。


「一度目のミスは、大猿の実力が分かってなかったこと。もう一つのミスは、俺たち自身が自分の実力が分かってなかったことから来たミスだ」


 最初俺たちは、爆撃機に対する経験値が、大猿に溜まっていることすら知らなかった。


 二回目の攻撃時のミスは、ぼたんがやられた動揺。ぼたんのタフさを知らなかったこと、俺自身の消耗が原因だった。


「だが、もうこの二つが分かった。つまり、己を知り、敵を知ったわけだ」


 だから


「次は失敗しない。三度目の正直にしよう。今度こそ、あの大猿に下してやろう!」


「うん!」「分かったわ!」『うっし! やるぞぉ!』「『来ちゃあ!』『アガってきたぁ!』」


 俺は考える。敵味方の、強み、弱点を。


 戦略ならばエンジェが強いが、戦術は俺の領分だ。


 俺は、笑みさえ湛えて、宣言する。


「さぁ。みんなで、あのクソ猿を殺しに行こう」

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