その日の夜、ベッドに寝そべる壮太はスマホで守ると通話していた。
「本当にごめん。まさか、要さんが迎えに来るとは思わなくて……」
「いいよ。あの人があそこまで過保護だとは思わなかったけど……」
「本当、この前お前んちに泊まりに行ったときなんて、お前によろしくってLINEでメッセージが来てただけなんだけどな……」
「なにそれウケる。俺いつから、敵認定されるようになったの!」
守の爆笑がスマホから聞こえてくる。その爆笑に壮太は苦笑していた。
「いや、敵認定って……。要さんにそんなつもりはないと思うけど……」
「いや、あの人。αのこと自体、あんまりよく思ってないんじゃないかな? なんか俺、そんな気がする」
守の真面目な声がする。
そんな守の言葉に、壮太は怪訝そうな表情を浮かべていた。
「要さんがαのことを良く思ってないって、どういうこと?」
「いや、お前は要さんのことあんまりはなしてくれないけどさ、あの人って教員免許持ってるのに塾講師やってるのはなんで?」
守の鋭い言葉に、壮太はぎくりと目を見開いていた。
たしかに、要は教師になりたいがβであったために、それを叶えられなかった過去がある。それを守に話したことはないのに、言い当ててしまう勘の鋭さに壮太は驚いていた。
「お前、そういう勘の良さは相変わらずいいな」
「やっぱり、図星か。あの人、お前の話を聞く限りでは、βとは思えないほど優秀だからな。そんな人が大学卒業してバイトの塾講師してたって、理由はそれくらいしか思いつかないし」
「やっぱり、αは頭いいのな……」
「お前が言った通り、勘がいいだけだよ。俺は、そんなに自分が頭いいって思ったことないし。自頭だったら、お前の方がいいんじゃないか?」
「え、俺が守るよりも頭いいのはありえないと思う。Ωだし……」
「そうかなぁ。たしかに、αはβやΩよりも平均的なIQが高いって調査結果はあるけど、それってあくまでも平均じゃん。例外は普通にいるよな」
「例外かぁ……」
「ほら、おばさんが元気だったころのお前は、塾行ってないのに成績良かったし。そういうことじゃないの?」
守の言葉に壮太は複雑な気持ちになっていた。
もし自分の頭がよく医大に合格したとしても、その先にはΩという偏見が待っているからだ。βである要が、教員試験に合格しても教師になれなかった現実が壮太にそのことを突き付けていた。
国内の医者は30万人ほどいるらしい。そして、その大半をαが担っている。それに対して、Ωの医者はせいぜい数百人程度だという。
いくら壮太が医大に合格して医師免許を取得しても、医者として活躍できる場所がなければ意味がない。その活躍の場が、少なくともこの国ではとても少ないことも事実だろう。
「お前が言うとおり、要さんがαが嫌いっていうのもわかる気がする。あの人、いい人だから絶対に差別的なことは言わないけど……」
「口にしなくても、なに考えてるか分からないのが人間だからな。その点、お前はなに考えてるか分かりやすいから凄く付き合いやすいけど……」
「なんかそれ、俺のこと遠回しにバカにしてない?」
「いや、俺はお前のそういうところが素直でいいと思ってるよ」
「そうか……」
守のあっけらかんとした返答に、壮太は顔を引き攣らせる。守の言葉に偽りないだろうが、それでもどこか引っかかったものを感じてしまう。
「まあ、αの俺と生活してるより、βの要さんといた方がお前も安全だろうからな。俺としちゃ、いまだにβに負けた気がして悔しいけど……」
「安全ってどういうことだ?」
守の差別的な言葉も気になったが、壮太は『安全』と言われたことに引っかかりを感じていた。すると、呆れた様子で守がため息をつく。
「なんだよ。俺が、なんか変なことでも言ったか?」
「いや違う。お前、そろそろアレの時期だろ? この前、薬効かないって言ってたから少し心配でさ」
「あ……」
守の言葉に壮太は大切なことに気がついていた。
「そっか、もうアレの時期か……。ここ1ヵ月は引越しやらなんやらで忙しくて、すっかり忘れてたよ……」
自分の間抜けさに苦笑してしまう。
そう、Ωである自分には、αにもβにもない社会的なハンデがある。それが、発情時期があるということだ。壮太も国からの援助を受けて、格安で抑制剤を手に入れているが薬の効き目が悪くこの時期は学校も休みがちになってしまう。
「俺はなれてるからいいけどさ、要さんは大丈夫なの。発情状態になったお前って、見境なくなることあるから……」
「それは……」
守の言葉に、壮太は困惑していた。
たしかに、壮太は発情時期になると欲望を抑えきれず、誰かに抱かれたい欲求が強くなる。その必死で耐えても、微熱で体がだるくなり外出すらままならないぐらい。
下手をしたら、その姿を要に見られることになるのだ。
「まあ、本当にヤバかったらウチに来いよ。俺も、お前には近づかないから安心して過ごせるよ思う」
「うん……。ありがとう」
壮太は喉の奥が掠れるような感覚を覚えていた。守にお礼を言ったはいいものの、なんだか言葉がきちんと出てこない。
発情が来た壮太は、見境なくそばにいる男性に助けを求めてしまうこともある。そんな姿を要にだけは見られたくないと強く思ったのだ。
その日から、壮太は夜遅く帰って来る要を待つことなく寝ることが多くなった。
「今日も、お迎えはなしか?」
マンションを見上げる要は、明かりが灯っていない自分の部屋を眺めながらぽつりと呟く。
「壮太くんも受験勉強の追い上げで色々と大変だもんね。疲れて寝ちゃうか……」
最近、壮太は夕食を作り置きしてくれるものの、帰りを待つことなく寝ることが多くなった。話しかけてもどこか上の空で、自分と長時間いることを避けているような気がする。
「壮太くん。具合でも悪いのかな?」
それとも、自分が彼になにか嫌なことをしてしまったのだろうか。そう思いつつ、要はマンションの入り口をくぐって部屋のある3階に上がるためにエレベーターに乗る。
微かな軌道音がしてエレベーターが動く。
要はその軋むような音を聞いて、胸騒ぎを覚えていた。