向かった先はラグジュアリーホテルだった。
どうして、ホテル?
まさかここに泊まるとか?
行きたい場所に付き合うとは言ったが、ホテルに泊まるのは違う。
予想外の場所に着いて、舞美は固まった。動こうとしない舞美を葵人は不思議そうに窺う。
「舞美さん? どうかした?」
「ごめんなさい、私……今日は家で寝たいです」
「え?」
葵人はキョトンとしたが、すぐに「ああ!」と声をあげる。
「誤解させたようだね。今夜、ここのレストランを予約しているんだ。それまでラウンジで映画の感想とか語り合えたらいいなと思って」
「えっ、あ、ああ、そうですか。ごめんなさい、おかしな勘違いをしちゃって」
舞美の顔は、恥ずかしさで熱くなった。
泊まろうと言われたのではないのに、泊まれないと断るなんて……。
変に意識して、恥ずかしい……。
「ううん、大丈夫だよ。行こう」
舞美が恥ずかしさでアタフタしている間に、車から降りた葵人は助手席の外に回っていた。
葵人の開けてくれたドアから舞美はおずおずと降りる。
舞美は初めて入るホテルの高級さに圧倒された。天井が高すぎる、床がピカピカしている、高貴な香りがする……。
ロビーのスタッフに「いらっしゃいませ」と微笑まれて、恐縮した舞美はペコペコと頭をさげた。スーツの男性スタッフが葵人に近寄る。
「高見澤さん、こんにちは」
「ああ、こんにちは。今日はこちらのレストランを予約させていただいています」
「そうですか! ご予約、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそいつも弊社を利用していただき、感謝しています」
舞美は二人のやり取りを聞き、このホテルは高見澤グリーンのお得意先なのだと察した。
「ごゆっくりお過ごしくださいませ」
「ありがとうございます」
二人の話が終わり、舞美はスタッフに会釈する。柔和な笑みを浮かべるスタッフに見送られて、葵人と舞美はラウンジに足を向けた。
ラウンジからは庭園を臨めた。雨はやんだが、木や花は濡れていた。
濡れていても風情があり、美しい庭だった。
舞美は紅茶とガトーショコラ、葵人はコーヒーとチーズケーキをオーダーする。ほどなくして、それらが白いテーブルに運ばれてきた。
舞美は紅茶に角砂糖を入れて、外に顔を向ける。
「こちらのお庭、高見澤グリーンさんで造られたのですか?」
「手がけたのは別の会社で、うちは手入れをさせてもらっているよ」
「そうですか。雨に濡れていてもきれいですし、素敵なお庭ですね」
「俺はチェックしかしていないけど、舞美さんに褒めてもらえて嬉しいな。ありがとう」
葵人は微笑んで、コーヒーに口をつける。
舞美は角砂糖が溶けたカップを手にして、ラウンジの入り口に視線を動かした。
大きな花器に白を基調とした花が飾られている。
「ホテルに飾られているお花は、全部高見澤グリーンさんが?」
「うん。ありがたいことに契約してもらっているよ」
「すごーい。大変なこともあるでしょうけど、素敵なお仕事ですね」
舞美は至る所に飾られている花を見て、紅茶を口に含んだ。
「子どもの頃に祖父や父に連れられてたくさんの得意先を見せてもらったときは、単純に花を飾るのは楽しそうだと思ったけど、実際は楽しいよりも難しいことが多かったんだよね」
葵人は神妙な面持ちで、チーズケーキを口に入れて話を続けた。
「お客さまに納得してもらうまで何度もやり直したこともあるし、お客さまが喜んでくれても自分ではいまいち納得できなかったこともあったな。ほんのちょっとずれるだけで、バランスが悪くなって……あ、ごめん。こんな話、つまらないよね? 愚痴みたいになって」
舞美は「ううん!」と大きく首を振った。
「実咲や京太さんに、葵人さんはかなり努力されてきたと聞きました。努力は報われるとよく聞きますけど、簡単に報われないと思います。弱音を吐きたくなったこともあると思います。葵人さん、今まで我慢することが多かったのでは? 私でよければ、愚痴でもなんでも聞きますよ。ほんと聞くだけで、たいしたアドレスはできませんけど」
「いえ、つまらないことを聞いてもらえるだけでありがたいよ。やっぱり舞美さんは、俺の女神だな」
舞美は久しぶりに聞いた女神というワードにギクッとした。
また、なにを言っているのか……。
「大げさな言い方をしないでください」
「大げさじゃないよ。舞美さんは本当に素敵だから、ますます好きになります。俺の気持ちに偽りはないですよ」
丁寧な口調で話す葵人に見つめられて、舞美は困った。
返す言葉に詰まっていると、いきなり葵人が立ち上がった。
なに、なにごと?
目をパチクリさせる舞美を葵人は見下ろす。
「舞美さん、少し席を外します」
「はい、どうぞ……」
葵人はチーズケーキを食べ終え、コーヒーも飲み終えていた。
舞美は静かでありながらも、早歩きの葵人を目で追ってから庭を眺める。
大人に連れられて庭園を歩く幼い葵人の姿がなぜか浮かんできた。その顔は子どもらしい笑顔ではなく、キリッとした顔だった……。
高見澤グリーンの後継者として、周囲に期待されて、その期待に応えようといろんなことをがんばってきたのだろう。
舞美も勉強や仕事をがんばってきたが、きっと葵人の苦労とは比べものにならない。
私は、のほほんと生きてきた……。
そんな人間があんな素敵な人に好きだと言われるなんて、いまだに信じられない。
葵人の気持ちが偽りだとは思わないけれど、どうして自分なのだろうと考えてしまう。
舞美はため息をついて、ぬるくなった紅茶を飲み干した。
それにしても、どこへ行ったのだろう?