――大陸歴801年
リオルト王国とベリタス公国の国境の地・ランブイオ。
大粒の雨が横殴りに降りしきる中、鈍色の甲冑を身に纏った兵士たちが整列していた。
間もなく夜明けの時間だが、この悪天候なので日が昇ったところで視界は薄暗いままだろう。
拡声器を通して、力強い男の声が響き渡る。吹きすさぶ風や、甲に当たる雨粒の音にも負けず陣形の隅々まで。
「国のため、王のため。そんなことは考えなくていい! これは諸君の愛する者を守るための戦いだ! ここを突破されたら、君たちの親が、妻が、子が、友人が戦火に晒されることになる! 逆にここで勝利すれば、この戦いに終止符を打つことができる!!」
声の主はレオナルド・ヴァレリー。
無骨な鎧兜によって、その美貌は隠れてしまっているが、黄金のように輝く髪と空色の瞳を持つ青年だ。
年若いうえに伯爵家の庶子なのでろくな教育を受けてこなかった男だが、一軍の将に相応しい貫禄と指導力を兼ね備えている。
貧しい育ちのはずだが恵まれた体格をしており、従軍したばかりのころは剣術と呼ぶのも憚られる腕前だったがあっという間に大剣を使いこなすようになった。
「命を捨てるな! 死して大切な者を守るのではなく、生きて帰って再び共に暮らすことを考えろ!! 決して諦めるな!!」
貴族の子息であれば後方支援に配置されるものだが、レオナルドは違った。
最初は功績など立てようがない閑職に。そこで成果を出したら次は捨て駒同然の危険な任務に。各地を転々として、最終的にここ――最前線での陣頭指揮に至る。
「死ぬと思ったら俺の言葉を思い出せ! 近い将来、家に帰った自分の姿を思い浮かべろ!」
隊長の命令に、兵士たちは無言。だがその言葉に応じるように幾人かが足を踏みならした。
その動きは波のように広がり、ぬかるんだ足下にも関わらず大きな振動をうんだ。
「俺はお前たちが命を落とすことを望まない! これは命令だ! 皆で生きて帰るぞ!!」
どこへ行っても命を落とすどころか功績を打ち立ててきた彼だからこそ、その言葉には説得力があった。
この男と一緒であれば、本当に誰ひとり欠けることなく故郷に帰れるのではないかと。
足踏みは止まらない。死地に赴かんとする兵士たちに、未来への渇望が宿る。
死への覚悟や、諦念が滲んでいた顔つきが変わる。
「俺の死に場所はここではない!! お前たちもそうだろう!?」
ダンッ ダンッ ダンッ!!!!
声の代わりに、足を踏みならす。
これから始まる戦いへの恐怖ではなく、早く突撃させろと言わんばかりの熱気が充満した。
普通なら怖じ気づく兵士を追い立てるものだが、レオナルドの演説により今にも飛び出しそうな彼らを抑えなければいけないほどだ。
この数時間後。リオルト軍は防衛に成功するどころか破竹の勢いで攻め入り、敵の前線を大きく後退させた。
その様子はさながら洪水で決壊した堤防のようだったという。
勢いに乗ったリオルト軍は、そのまま次々に砦を落とした。
相手が攻撃の手を緩めないものだから、ベリタス軍は反撃に打って出るどころか、態勢を立て直すのにも苦労し、最終的に交易都市ラシャを背にした状態で戦わなくてはいけなくなった。
かつてはリオルトとの交易が盛んに行われていたラシャだが、戦いの火蓋が切って落とされてからも中央と辺境の交易を行う都市という側面があった。
そのため住民は今まで通りの生活を送っていた。
農村地帯とは違い、避難させようにも住民の数が多すぎる。
またラシャが機能停止したら、国の西側の物流に大きな影響が出る。
追い詰められたベリタスは、あえなく停戦を申し出るに至った。実質上の降伏宣言である。
*
終戦から三ヶ月後。
戦勝の立役者であるレオナルドの異母妹。エレオノーラ・ヴァレリーは、誰が見ても一目瞭然なほど浮かれていた。
(久しぶりにノアに会える!)
待ち合わせの相手は、ノア・ルキウス。
エレオノーラの愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい婚約者だ!(大事なことなので五回言った)
お互いに五歳の時に婚約した。
ルキウス公爵家とヴァレリー伯爵家は家族ぐるみの付き合いだったので、ノアとの付き合い=年齢である。
ならば兄であるレオナルドもそうかと言えば違う。
レオナルドは先代伯爵夫妻の没後に現れた庶子である。
彼女の両親はベリタスとの開戦直後に、戦争とは無関係な事故で命を落とした。
一人娘だったエレオノーラが女伯爵として爵位を継いだ後に、レオナルドの存在が発覚したのだった。
レオナルドとエレオノーラはよく似ている。
髪色、瞳の色、肌の色はもちろん顔立ちも同系統。きつめというか、怜悧な印象を与える美形だ。
女性にしてはすらりとしていて長身なエレオノーラ。
上背があり屈強でありながら引き締まった体つきをしているので、雄々しさよりも華やかな印象を与えるレオナルド。
両者ともにヴァレリー伯爵家に受け継がれる固有魔法の使い手であり、血縁関係にあることは明白だったが、現代はそれだけで家族と認められるほど簡単な世の中ではない。
父親が認知する前に他界しているので、レオナルドに伯爵家の継承権はない。
彼は法的にはヴァレリー家の人間として認められていないので、『おそらく先代伯爵の子』という扱いになる。
エレオノーラが許可しているので伯爵家の屋敷で生活し、ヴァレリー家の人間として扱われているが、それでも社交などは控えていた。
複雑な家庭の事情はおいておき、エレオノーラは婚約者とのデートに思いをはせていた。
昨夜は興奮して夜中まで寝付けず、朝も日の出と共に起床。実質三時間くらいしか寝ていない割に頭は冴えているし、体の調子も良い。今なら八キロの背嚢を背負って山越えできそうだ。
このアドレナリンが大量放出されている感覚は、戦時中に何度も経験したことがある。
(靴よし! ドレスよし! 髪の毛よし!)
靴が汚れていないか、ドレスに皺がよったり埃がついていないか、髪型が崩れていないか。
待ち合わせ場所に到着するまでの間、ショーウィンドウに姿が映る度に確認する。
特に前髪は要注意だ。歩く度に風で髪が靡くものだから、おかしな癖がついてしまわないように顔の角度に気をつけて歩かなければいけない。
それにドレスに身を包むのも久しぶりなので、歩き方に気をつけなければいけない。最近は大股で闊歩する癖がついてしまったので、油断しないようにしなければ。