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第二話 梅にムクドリ(5)

バスケ部の朝練は自由参加で、平木が来ないため雰囲気がゆるい。


キャプテンの磯山さんは朝が弱いので、放課後の練習や試合の時のようなぱしっとしたカリスマ性はあえて発揮しない。朝はゆるく、放課後は真面目に。いつのまにかそれがバスケ部のモットーになりつつある。



 シュート練習をしていると石田が体育館の入り口に現れた杉下を見つけ、手招きする。杉下はにこにこというよりむしろ、ニヤニヤしながらバスケ部に乱入してくる。


耳たぶにくっついたドクロの形のピアスがいかにも気取っていて、いい感じはしない。杉下と親しい石田がボールを手の上で回しながら言う。



「杉下ってさぁ、なんでバスケ部入んなかったの? あんな上手かったのに、勿体ねぇ」



 杉下も中学時代、バスケ部だった。僕も市内の大会で何度か中学時代の杉下と当たったことがあるけれど、ひょろひょろした中学生の中で頭ひとつ分でかくて、足だって素晴らしく速い杉下は、まるで自分の身体の一部のようにボールを操った。


超高速のドリブルで僕らの度肝を抜き、芸術的といってもいいぐらい美しいシュートを決める。弱小チームだったうちの中学は手も足も出なかった。



「いやぁ、だって高校は遊びたいじゃん? それに親が高校では部活なんかやってないで勉強しろってうるさくて、一年から予備校行かされてんだよ俺。今からもう受験だ受験だって、参るよなぁ」



 チャラチャラした言い方が耳障りだった。才能に恵まれてるくせにそんな簡単にバスケを捨ててしまうって、どうなんだろう。僕みたいに才能なんかこれっぽちもない奴だっているのに。


でも杉下にいい感情を持ってないのは僕だけらしく、石田はふんふんとただ頷いている。



「なぁ杉下、久しぶりに見せてくれよお前のシュート。俺が相手するから」



 北野が面白いいたずらを思いついた子どものような目で言う。杉下がきらんと目を光らせ、ボールを手に取った。途端に体育館じゅうの注目が杉下と北野に集まった。


 一年が基礎練をやっている隣で杉下と北野の勝負が始まる。ルールは単純な1on1、つまり一対一で競って、先にシュートを入れたほうが勝ち。わくわく顔で見守る石田が抑えた声で聞いてきた。



「なぁ、どっちが勝つと思う?」

「北野」


「なんで? 中学時代の杉下すごかったの、小谷だって知ってるだろ?」

「あれは中学時代の話。一年以上もブランクがあるのに、その間も成長してきた北野に敵うわけないだろ」



 ふん、とあまり納得していなさそうに石田が鼻を鳴らした。みんなが見守る中、勝負が始まる。二人が一斉に動き出す。


 僕の予想、というか期待は呆気なく裏切られ、三十秒ほどで勝負が決まった。ゴールを決められた北野は負けたのに苦笑いしながら肩をすくめ、杉下はやってやったというように僕と石田を振り返る。


北野だって手を抜いたわけじゃない。しかし北野の実力はあくまで努力によってそれ相応に培われたもので、対して杉下には生まれながらの才能ってやつがたっぷり備わっている。認めたくないが、認めるしかない。



「すごいな杉下。次は俺と対決してくれないか?」



 隣のゴールでスリーポイントを練習していた磯山さんが少し強張った笑顔でこっちにやってきた。体育館の入り口に人だかりを作ってる女の子のギャラリーが、基礎練習を強いられていた一年たちが、一斉にどよめく。


杉下はいかにも調子に乗っていますという顔でにっと笑って、「いいっスよ」と言った。



 今度は二分ほどかかった。うちの部でナンバーワンの実力を誇る磯山さんと天性の才能を備えた杉下、力ではほぼ互角。思わず見ているほうが息をするのも忘れてしまいそうな睨み合いの後、ボールを持っていた杉下がフェイントをかけた。


一九〇センチの磯山さんだけど敏捷さではとても杉下にかなわない。見事騙された磯山さんの脇から飛び出し、杉下がシュートを放つ。ネットを抜ける気持ちのいい音がして、息を詰まらせて見ていた女の子たちが嬌声を上げる。いつのまにか杉下のファンが集まってきたらしい。



「お前、今からでもバスケ部に入らないか」



 磯山さんは口元は笑っているが目が真剣だった。杉下がかぶりを振る。



「いや、遠慮しときますよ。たぶん親が許さないし」



 カクカクと肩を鳴らしながらこっちを振り返り、意地悪そうな三角の目が迷わず僕に焦点を合わせる。杉下と目が合うのはたぶん初めてで、僕はつい動揺して後ずさりそうになる。杉下がニヤニヤ笑いを浮かべたまま、僕を指差す。



「次は小谷だ」



 石田がえっと声を上げた。勝負の行方を見守っていた一年生たちがざわめいた。ギャラリーの女の子たちも不満と不審をいっぺんに顔に浮かべる。


一番わけがわからないのは僕だ。北野も磯山さんも勝てなかったんだ、僕なんてとても杉下の相手にならないのに。磯山さんの声が飛んでくる。



「いいぞ、やれ小谷。リベンジだ」

「ちょ、何言ってるんスか磯山さん、僕じゃとても」

「小谷頑張れ。俺らの分までさ」



 北野までそんなことを言い出し、石田や一年たちが奇妙なムードに乗っかるようにして騒ぎ出した。にわかに沸き立つこーたーに、こーたーに、のコール。


あぁそうか、みんな面白がってるんだ。真剣勝負はここまで、今からは単なるお遊び。みんなが望んでるのは僕が杉下に勝ってみせることじゃなくて、また自殺点のひとつでも決めてみせることなんだ。僕は決して実力の上では期待されない、ただのベンチ要員なんだから。



「いいぞ、杉下」



 ボール片手に杉下に向かい合うと、赤い唇がにっと歯を見せた。石田たちがいけー小谷!と笑いを含んだ声で叫ぶ。


 かつて西嶋さんと付き合っていた、そして今僕に対決を挑んでいる杉下。僕はほとんど話したこともなかった、何をやっても女の子にきゃあきゃあ言われる、よく目立って格好いい杉下。


 こいつにしてみれば元カノの西嶋さんが僕なんかと付き合うなんて、面白くないに違いない。顔のいい男というのは大体プライドが高いが、そのプライドが西嶋さんの隣にいる僕のお陰で、いかに傷ついたか。


だから今みんなの目の前で僕を叩きのめして、安心したい。つまらないことで削られた自尊心を回復したい。きっとそんなところだ。



 杉下が動き出す。僕も動く。僕の脇をすり抜けてボールを進めようとする杉下をブロックする。僕の手にボールが移った途端、誰かがあっと小さく叫ぶ。杉下の舌打ちが聞こえる。僕の目はゴールだけを見ている。



 誰かが「小谷のやつ、試合ではいっつも足引っ張るくせにこんな時だけ頑張りやがって」なんて言ってるのが聞こえる。反論は出来ない。


僕はみんなのために全力を発揮できるような、出来た人間じゃない。結局、自分のためにしか本気で頑張れない。でもそれが、今の僕だ。



 あっという間に三分以上が経過していた。湿気のこもった体育館の中で、二人とも汗まみれになっている。杉下がシャツを汗で透かしながら、血走った目で僕を見据える。いつのまにかギャラリーの数が増えている。


その端っこに腕組みした平木の姿も見える。いくつもの目が、僕と杉下に集中している。


 右手で初めのほうに比べていささかキレの悪くなったドリブルを打ちながら、杉下が唇を動かす。



志乃しのとヤったのか」



 志乃、というのが何を差しているのか理解するのに数秒かかった。僕がまだ一度も呼んだことのない、西嶋さんの下の名前だった。



「まだヤってないのか?」



 杉下は笑っていた。汗が流れ込み、疲れで濁っても、その目はまだ飽きることなく僕を嘲弄ちょうろうしていた。結局、杉下は自分が負けることなんか想像していないのだった。女の子に人気のよく整った顔はヒエラルキーの頂点から僕を見下し続ける。今までもこれからも。



 何かが身体の奥ではじけ飛んで、右足に力が入った。僕が動く。同時に杉下も動く。血走っていた目は動揺を隠せない僕の前で余裕を取り戻し、チビのベンチ要員をあざ笑っている。



 ボールに手を伸ばそうと身体を捻った途端、力のバランスが崩れた。右足首に猛烈な違和感が走った。痛い、というより違和感。無理をした筋肉が悲鳴を上げる。


 床に転がった僕の後ろで杉下のシュートが決まった。



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