昔は無邪気に笑って馬鹿に出来たものが、大人になると出来なくなる時がある。
たとえば悪役とかがそうだ。
ラスボスならまだ良い。見せ場があるから。
でも噛ませ犬と呼ばれる悪役は違う。
彼らは主人公の踏み台になる為だけに生み出された存在だ。
大抵口も態度も悪く傲慢で、主人公に突っかかっていって地面を舐める羽目になる。
でもそれって主人公の強さや特別さ、正しさをアピールする為に存在する生贄みたいなものじゃないだろうか。
そして主人公は本当に正義側の存在なのだろうか。
たとえば彼が悪役から大切なものを奪った結果、刃を向けられて返り討ちにするのは正義なのか。
正当防衛という意味なら正しい。でも、人間としてはどうなのだろうか。
そんなことを考えながら死んだからかもしれない。
凍てつく冬の深夜、アパートの階段から俺は転げ落ちた。
人も通らず助けを求めることも出来ず、何故か昔のことが走馬灯のように過った。
その中で昔やったゲームの噛ませ犬を思い出したのだ。
婚約者を主人公に奪われ、決闘を申し込んで無様に負けて泣き喚いていた噛ませ犬。
「……馬鹿にして、悪かったよ」
似たような立場になって、死ぬ間際になって、初めてそう思った。
そして俺は気付いたら恋愛ゲームの世界に転生していた。
なんでだよ。
□□□
「……まーた、あの夢かよ」
チュンチュンと可愛らしい小鳥の声が窓の外から聞こえる。窓を開けなくてもわかる。清々しい朝だ。
でも俺の気分は晴れない。鬱陶しい悪夢を見たからだ。
そう、自分が死んだ時の夢。
そして昔やった恋愛ゲームに出てくる噛ませ犬の夢を。
美しい少女に恋し金と権力で無理やり婚約した馬鹿男。
こいつは結婚式当時に主人公によって花嫁を奪われる。
そして追いかける途中で長い階段から落ちて死ぬのだ。
やたら思い出すようになったのは自分も階段から落ちて死んだからだろうか。
同じように婚約者に捨てられて。
「転生して十八年も経ってるんだから、そろそろ忘れたいんだけど……」
欠伸をしながらベッドから起き上がる。
しつこく夢に出てくる癖に、その噛ませ犬貴族どころかヒロインの名前すら思い出せない。
きっとヒロインの事がそこまでタイプじゃなかったんだと思う。
顔は可愛かった気がするけど、恋愛ゲームなのだから当たり前だ。
何より婚約者を捨てて男に走るのがまだガキだった当時から微妙に感じたのだろう。。
それを当時同じゲームをやっていた同級生に言うと婚約者がクズだから仕方ないと言われたけれど。
「確かにどうしようもない奴だった気がするが……何よりデブだったし」
俺は呟く。寧ろヒロインよりも余程印象に残るビジュアルだった。
そいつは貴族らしく全身飾り立て、金髪碧眼で真っ白な歯がやたらキラキラしていた。
「でも豚なんだよな……」
悪役貴族というか、白豚貴族って感じだ。目鼻立ちは美形だとわかる分余計滑稽だった。
だからヒロインにも嫌われて金で買うような感じで婚約したし、贈り物のセンスも悪かった。
でもだからって振られた挙句に死ぬことは無かったと思う。
だから俺は婚約者がいたそのヒロインは一回だけしか攻略していない。
以降の周回プレイではずっと冷たくしてフラグを折っていた。
相手が噛ませ犬とはいえ人が死ぬ展開が嫌だったのも理由の一つかもしれない。
「……今考えると、駆け落ちしたって絶対幸せになんてなれないよな」
パジャマからシャツとズボンの普段着に着替えながら呟く。
式当日にやっぱ無理です逃げますとか婚約破棄どころか結婚詐欺だ。
しかも相手は貴族のボンボンでヒロインは貧乏な少女だった。主人公は外国から来た傭兵。
更に悪役令息は親から溺愛されていた。だから貧乏な少女と身分違いの婚約ができたのだ。
ヒロインと主人公の二人に息子を殺された形の親が駆け落ちした二人にどういう仕打ちをするのか想像したくもない。
少なくともヒロインの家族は処刑かそれよりは多少軽いぐらいの目に遭うだろう。
「この国は特に貴族の権力が強いし」
噂では筆頭貴族は王家の取り決めにも口を挟めるらしい。あくまで噂だ。俺はただの平民でしか無いし。
「よっし、終わり」
着替え終わった後は簡単にベッドを整え窓を開ける。パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
毎日嗅いでいるが何時でも嗅ぎたいぐらい好きな匂いだ。憂鬱な気分が少しだけ軽くなる。
そしてもう少ししたらケーキが焼ける甘い匂いの代わるのだろう。
だって俺の家はバルトデ王国内でも人気のパンとケーキの店なのだから。
そう、ここは日本じゃない。
先程まで思い出していた恋愛ファンタジーゲーム「恋と騎士と冒険と」の世界だ。
ゲームではバルトデ王国にやってきた黒髪の傭兵が仕事をしつつ国内の美女や美少女と知り合い恋人になる。
戦いの功績や相手次第で国王になったり騎士団長になったり国を出たり追放されたりする。
恋愛部分よりもミニゲームや戦略シミュレーションパートが面白くて当時中学生の俺はそっちばっかりやりこんでた気がする。
「でもまさか、自分がゲームの中で生きることになるとはな……」
俺がそれに気づいたのは三年前、十五歳の冬の日だった。
聖冬祭という、簡単に言えばゲーム内のクリスマスの日俺は自分が異世界転生したことに気付いたのだ。
前世の俺もケーキ店で働いていた。
クリスマスという年に一度の書入れ時、数日間睡眠と食事も削ってひたすらケーキを作り続けていた。
そしてやっと解放されたクリスマスの翌日、アパートの階段から足を滑らせて死んだのだ。ある意味過労死みたいなものだろう。
思い出してから暫く己の死因にショックを受け総白髪になりケーキに怯えるなどしていたが、今は配達や店番程度は出来るようになっている。
そして商品宅配で街を歩き回るうちに何となく気づいたのだ。
ここが高校時代プレイしていた恋愛ゲームの国に良く似ていることを。
決定的なのは二歳年上の姉、パル・ブルーム。
ポニーテールがトレードマークなケーキ店の看板娘だ。
彼女は「恋と騎士と冒険と」のヒロインの一人、簡単に言えば攻略対象だった。
幸か不幸か俺は前世で彼女を攻略したことはない。しかしヒロインの一人であることは知っていた。
結婚したい、行き遅れは嫌だと店に行く度にアピールしてくるので逆に避けたのだ。
そして彼女の弟である俺は、ゲーム内ではただのモブ。
少なくとも前世の俺は名前すら知らない。
パルがケーキ店は弟が継ぐから自分はいつでも嫁げると会話で言っていたくらいだ。
更に男なので当然恋愛的な攻略対象では無いだろう。
「そもそもこの世界にも主人公って存在するのかな。ゲームとそっくりだけど、でも現実だし」
前世の記憶を取り戻してから暇な時に探し回っていたが一度も見かけたことはない。
この国で黒髪の人間なんて珍しいから居ればすぐ見つかるだろうに。噂でも聞かない。
俺は主人公の姿を思い出す。黒い髪に赤い目、美形だとは思うが頬には目立つ刀傷がある冒険者兼傭兵。
でも今の俺にとっては貴族から花嫁を略奪する命知らずな外国人になってる。
あくまでそれはルートの一つなのだが、悪夢のせいですっかりその印象で固定されてしまった。
「……寧ろ会えない方が良いだろうな、絶対巻き込まれたくないし」
俺は呟いて扉をあける。朝食作りと開店準備の手伝いをしなければいけない。
日中ずっと配達ばかりしてるから朝は遅くまで寝ていて良いとは言われている。
でも今は早急に体を動かして気分を切り替えたかった。
今のところヒロインの一人である姉に黒髪の男が接触した話は聞かない。
不思議だが俺の姉であるパル・ブルームはそこまで結婚願望が強くないようだった。
ゲーム内では話しかける度結婚してといって結婚妖怪扱いされていたのに。
だから同じようにイレギュラーが起こって主人公自体がバルトデ王国を訪れない可能性がある。
その方がきっといい。
貴族と無理やり結婚させられるヒロインは不幸かもしれないが、駆け落ちして結果貴族を死なせて捕まって処刑されるよりはきっとマシだ。
そして花嫁に捨てられ、待ってくれと悲痛に叫んで死ぬ貴族も現れない。
そう彼は、ヒロインを責めたり恨むようなことだけは一言も言わなかったのだ。
待ってくれ、置いて行かないでくれとだけ。
あの哀れで愚かな悪役令息の名前は何だっただろうか。金髪碧眼の丸々と太った青年の名は。
思い出そうとしたけれど出来ず再び憂鬱な気持ちになっただけだった。
「……アイツって痩せたら主人公よりも格好良くなりそうなのにな」
そう呟いて家族の元に行く。
今日の朝食はベーコン入りオムレツとチーズサラダが良いなと思いながら。