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第20話

「はあ……死ぬ程疲れた」


 高級住宅街から抜けた瞬間俺は思い切り息を吐いた。

 すっかり軽くなったカートがカラカラと小さな音を立てる。


 台詞通り急激な疲れを感じ、俺は邪魔にならないよう道端に移動し街路樹の一本にもたれかかった。

 少し歩いたところに公園があってベンチがあるのも知っていたが、我慢できなかったのだ。

 肉体的な疲労もだが、それ以上に神経が擦り減っていたらしい。


 少し前まで俺はゴールディング公爵邸に居た。

 そこでイオンにダイエットしろと唆していた所、執事がやって来て家庭教師の来訪を告げたのだ。


 どうやら貴族は家庭教師を呼んで勉強するらしい。

 もしかしたら学校にも行っているのかもしれないが、彼の制服姿は想像出来なかった。特注なのは確かだろうが。


 イオンの授業を延期させてまで居座る気は無いので、そのタイミングで退室を申し出た。

 伝えたいことは伝えたというのもある。ディエに好かれたいなら痩せろとは言った。


 それで痩せるかどうかは冷たいがイオンの勝手だ。

 そのまま太り続けてディエを別の男に奪われるか、痩せてディエに見直されるかは彼次第だろう。


 痩せたからといって絶対ディエがイオンに惚れるかはわからないが、少なくとも今よりは評価を高くする可能性はそこそこあると俺は踏んでいた。

 もしゲームと同じように結婚式当日にディエが男と駆け落ちしても、痩せた体なら足を滑らして転落死しないかもしれない。


「ディエ、か……」


 好印象を抱くことは不可能になったヒロインの名を小声で呟く。

 正直文句を言ってやりたかった。父の作ったケーキを台無しにしたのはイオンだがそう仕向けたのは彼女みたいなものだ。


 俺がディエをナンパしたなんて悪質過ぎる嘘を嫉妬深いイオンに言いつけるなんて何考えているのだろう。

 下手したら貴族の婚約者に手を出そうとした罪で鞭打ちぐらいされたかもしれない。そんな法律があるかもわからないが。


 顔は確かに美少女だし、不幸な境遇でもある。でもそれとこれとは別だ。

 自分が助かる為に他人に罪をなすりつけるような人間はろくなものではない。


 イオンが目を覚ましディエと婚約解消するのが一番良い気さえしてくる。そうイオンに注進する程お節介では無いが。

 でも彼はディエの性悪さごと愛しているわけではなさそうだから、無事結婚までこぎつけても幸福な夫婦生活は難しそうだ。


 恋愛ゲームなら告白して両想いになって恋人になって二人の未来はこれからだでエンディングになる。

 でもこの世界は現実だからその先が続いていく。


 ディエが主人公と駆け落ちして追いかけたイオンが転落死したなら、きっと大騒ぎになるだろう。

 新聞は取り上げるだろうし、ディエたちには追手がかけられる。他国に逃亡したから国際問題になるかもしれない。


 きっとイオンは大して同情されないだろう。

 権力で無理やり美少女と結婚しようとして、他の男と駆け落ちされた間抜けな貴族だと馬鹿にされ笑われるかもしれない。


 俺は何となく、それは嫌だなと思った。

 イオンだって別に善人じゃないのはわかっているけれど。ケーキ台無しにして謝りもしないし。


 ただ二度と会わないだろうし、だったら物騒な話題で思い出すよりはそのまま忘れさせて欲しいと思った。

 ディエについては、やっぱり文句は言いたいけれど会ったら会ったで面倒なことになりそうだ。

 嘘の件は不問にする代わりに二度と俺の前に現れないと良いなと願った。


 でも、もし痩せたイオンが美青年になってデイエの好みにストライクだったらそれはそれで何となく腹立たしい気もする。

 それが一番良いのは確かだけれど。なんか釈然としないのだ。



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