ベッドから起きて鏡を見る。予想通りに酷い顔色だった。
この顔を父や姉に見せたら又心配をかけてしまう。俺は溜息を吐いた。
「これさえ無ければな……」
ある日突然、前世の記憶を思い出してしまう。そういった人たちは俺以外にも稀にいるらしい。
前世病と名前をつけられたそれは人によって症状が違う。
「俺は他の人たちに比べれば軽い方らしいけど」
白髪になった時はびっくりしたが、精神的なダメージはそれが最大だった。
前世病患者は現状、前の人生で不幸な死に方をした者しかいない。
だから誰もが記憶を取り戻すとショックを受ける。
でもそこからどう生きるからは人によってかなり違うのだ。
神官や医師によるとこの世界に転生しても不幸な人生を送った者もいるらしい。
「まあ、全然違う暮らしになるし」
俺は家電製品が一切無い朴訥な部屋を見回し苦笑いした。
ファンタジーゲームのようなこの世界には現代的な娯楽など一切無い。
少なくともコンピューターゲームやインターネットの類は無い。
それらに強く依存していた人間が耐えられないという気持ちはわかる。
俺は前の人生で過労死レベルで働いていたせいで趣味という趣味も持てなかった。
だから幸か不幸かそこまで依存する趣味が無かった。
そして前世病患者の苦難はそれだけではない。
過去の記憶を思い出した上で、今の自分も自分だと受け止められるかという問題もある。
前世の名前と立場に拘り、現世の家族や友人たちを他人扱いし孤立した者。
それどころかこの世界そのものを受け入れられなかった者。
性格が別人のようになった人間を周囲が受け入れられなかったパターンもある。
時間をかけて症状が緩和した者も居れば、失踪したり死ぬまで適応できなかった患者もいる。
だから、俺は恵まれている方なのだ。
前世の記憶を取り戻しても俺は自分をアリオ・ブルームというパルトデ王国民だと思っている。
この世界の父親の事も姉の事もそのまま家族だと認識している。
「いや、違うな……俺はこの世界で初めて本当の家族が出来たんだ」
鏡の向こうで情けなく笑う男に話しかける。
転生する前の俺の家族は、誰も俺のことなど大切にしたりしなかった。
あの世界の俺には年の離れた才能と美貌に恵まれた姉が一人いた。
両親はそんな彼女を溺愛し、平凡な容姿と才能の俺には必要最低限しか構わなかった。
姉には習い事を幾つもさせた上で有名私立に通わせ送り迎えもしていたが、俺には高卒で就職し家に給料を入れろと言ってきた。
高卒で就職した俺は実家から離れ一人暮らしを始めた。唯一の反抗だった。
それからは一人で生きていくのに精いっぱいで、両親も姉の事も考える暇など無かった。
結果血の繋がった家族は職場の同僚より遠く薄い存在になった。恨みや憎しみに縛られて生きるよりはマシだったと今は思う。
家族だけじゃない、俺はあの世界に大切な者がいなかった。
「……唯一大切だと思った恋人には貯金を持ち逃げされて捨てられたしな」
なんというかパッとしない人生だったなと思う。そしてだからこそ俺は今の幸福を実感できる。
仲の良い家族と友人が居て、追い詰められる程働かなくても済む暮らし。
大切だし守りたい。
「あとは、あの悪夢さえ見なくなればいいのに」
呟いた声は思ったよりも暗かった。
ディエに捨てられたイオンが階段から転落死する悪夢。
自分の前世の死に方と似ているせいで俺のトラウマも刺激され最悪だ。
けれどイオンがダイエットに成功したことで見なくなると思っていた。
「……イオンが痩せるだけじゃ駄目だってことか?」
それだけでは彼が婚約者に逃げられ死ぬ運命は変わらないということだろうか。
しかしただの平民の俺にどうにか出来る部分など残されてない。
「どうしろって言うんだよ」
何で俺はイオンのバッドエンドを繰り返し見なければいけないのだろう。
どうすればあの悪夢から解放される?
鏡の中の自分が答えることは無かった。