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第46話

 憂鬱な気分を家族に悟られたくなくて俺は朝食を手短に済ませると配達の時間まで散歩に出ることにした。

 商店街は早朝から賑やかだ。屋台で朝食を食べている人々もいる。

 花屋は開店前らしくポプラの姿は居なかった。客層が早朝向きでは無いのだろう。


 既に営業しているのは食品系の店舗が多い。港ではもっと早い時間から魚の競りもやっているらしい。

 うちの菓子店は決まった業者から材料を購入し定期的に配達して貰っている。量が多いからだ。

 自宅で飲み食いする食料は当然だが商店街に買いに行く。試作用に使う果物とかもだ。


 だから商店の人々とも顔見知りで軽い挨拶を交わしながら俺は街の賑わいを肌で感じた。

 前世とは人々の服装も人種も全然違う。でもそれが嫌じゃない。


 俺はアリオ・ブルームとしてちゃんと生きていける。

 まだケーキを作ったりは手が震えて出来ないけれど、それも時間が解決してくれるだろう。

 過去の惨めな死の記憶を今の生活が完全に消してくれたなら。


 けれどその為にはイオンが転落死する悪夢を見なくなる必要がある。 

 思考が振り出しに戻り俺は溜息を吐いた。


「……散歩で嫌な夢も忘れられると思ったのに」


 小声で呟きながら商店街を通り過ぎる。

 日差しの強さを感じ俺は見慣れた街路樹の下に入った。

 木と土の匂いに気分が落ち着く。そういえばこの樹の葉は軽い鎮静効果があるらしい。


 路上での喧嘩や騒ぎの減少を願って植樹されたと前聞いたことがある。

 たまに住民が若葉を摘み取って茶にして飲んでたりもする。

 俺も医師に勧められて何度か同じことをした。


 ここからもう少し歩いた所にかかりつけの医院がある。

 俺が前世病を発症してから定期的に検診を受けている場所だ。

 その医師からは「前世病は基本完治することは無い」と宣言されている。


 当たり前だ、前世の記憶があるという事実は消えない。

 過去に振り回され支配されないよう生きるだけだ。無理やり過去の記憶を消そうとしてはいけない。


 昔、貴族の子供が前世病を発症し別人のようになったことがあったらしい。

 親は錬金術師を雇い禁忌の術と薬で前世の記憶を無理やり消そうとした。

 しかしそれは失敗し子供は廃人のようになり錬金術師は縛り首になったという話だ。


 この話を俺は二人の人間から聞いた。

 一人はかかりつけの医師、そしてもう一人は知り合いの錬金術師。

 どちらも絶対そんなことはしないようにという警告付きだった。


 父も姉も医師から同じ説明を受けて絶対しないと宣言した。

 どうやらその貴族以外にも無理やり前世の記憶を消そうとする家族は定期的にいるらしい。

 患者の意思を確認せず食事や飲み物に薬を混入させて。想像すると鳥肌が立った。


「やば……」


 半袖だから肌の異常が目立ってしまう。掌で自分の腕を何度かさすった。

 それで消えるものではないけれど。


「お寒いのですか?」

「あ、いや……」


 案の定心配するような声が投げられる。

 商店街の人だろうか。それにしては言葉遣いが上品な気がする。


 俺は声の方向に顔を向けた。


「あ……」


 品の良い老紳士がこちらを見ている。

 イオンの執事だった。


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