正直よく気づけたなと思う。
老執事は依然見たような執事服では無かったからだ。
モノクル以外には涼し気な素材のクルーネックシャツとズボンというシンプルな恰好。それでも平民とはオーラが違う。
シャツの白の色合いがまず違う。ここまで真っ白な布は金持ちかその使用人位しか身に着けられない。
俺も一応白いシャツを今着ているが、執事の服と見比べれば全然別物だとわかる。
ただ俺が彼の正体をすぐ察したのは、悪夢の結果イオンについてあれこれ考えていたせいもあるだろう。
久しぶりですと笑顔を浮かべることは当然無い。だからと言って敵意をむき出しに騒ぐことも出来ない。
「大丈夫です、お気遣いなく」
表情と声が強張っている自覚はある。不快を表明する必要はあると内心で言い訳をした。
向こうが俺のことを完全に忘れていたら態度の悪い若造だと思われるかもしれない。でも別に構わない。
「しかし、今日は汗ばむくらいなのに鳥肌を立てているのは……」
「大丈夫です、これから自宅に帰るので」
「では私も御一緒させて頂いても宜しいでしょうか」
「はあ?!」
思わず大声を出してしまい慌てる。しかし相手の言葉はそれぐらい予想外で、更に不快だった。
自宅まで来るってなんだ。悪質なナンパかセールスマンか。
前世の感覚でそんなことを思う。
俺の感情に気付いたのか、老紳士は、不躾に申し訳ないと謝罪してきた。
「しかしその顔色ですと、あの菓子店に辿り着く前に倒れてしまわれそうです」
自分はそこまで酷い顔色なのかという驚愕と矢張り相手の俺が誰か知っているのだという感情が入り交じり沈黙する。
家はすぐそこですと適当に近くの民家を指さす訳にもいかない。
かといってイオンの関係者を自宅に上げさせたくも無かった。俺は打開策を必死に考え口を開いた。
「気になさらなくて結構です。そこの喫茶店で少し休むことにしますから」
早朝から開いている喫茶店を指さし俺は言った。
今の時間はモーニングがメインだが飲み物だけで過ごすことも出来る筈だ。
しかし相手はそれで納得しなかった。
「では私に御馳走させて頂けないでしょうか」
「嫌です」
何もかも金繰り捨てて直球で断る。曖昧とかやんわりした表現では通じないと判断したからだ。
だが相手は俺の隠さない敵意に怯むことすらしない。
「イオン坊ちゃまのされたことについて謝罪と説明をさせて頂きたいのです」
「嫌です」
謝罪されても許す気はない。罰する気も無いから関わらないで欲しい。
そもそも何に対しての謝罪だろうか。心当たりが多すぎる。
その中でどうしても許せないのは父が作ったケーキを台無しにしたことだ。
すると俺の心を読んだかのようにイオンの執事が口を開く。
「では一つだけ、お伝えしたいことが御座います」
「はあ……どうぞ」
さっさと言ってさっさとイオン邸に帰ってくれ。そんな気持ちで雑な相槌を返す。
頭が痛い。木陰にいるのに体が変に火照っている気がする。
熱射病を疑ったがそこまでの日差しの強さでも暑さでも無い筈だ。
ややぼんやりする視界とは裏腹に老齢の執事の声は明瞭に聞こえた。
「坊ちゃまは、あの日御自身で落とされたケーキを全て自らで召し上がりました」
「えっ」
貴族が、しかも公爵家の跡継ぎが床に落としたケーキを食べる?
有り得ない言葉に俺は目を見開いた。