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第10話:子どもと大人の誓い



 「はよ、」

「おはよう……」


昨日返すことができなかった良樹のメール。

きっとなにか言いたいはずなのに、彼はなにも言わずにただあたしの頭をぽんと叩いた。


「大丈夫か?」


泣きはらした目はヒドイもので、あたしは手鏡を見て深くため息をついた。


「本当にごめんね」


こんなの良樹にも失礼だ。


「俺の方は心配すんな」


良樹はそれだけ伝えて自分の席に戻った。


「また泣いたのね?」

「麻美……」


こんな目をみたらバレない方がおかしいよね。

麻美の言葉にゆっくりとうなずく。


「なにがあったの?」


麻美の言葉にあたしは昨日の出来事を話すことにした。


「前に踏み出せたって思ったのに、恭ちゃんにあって全部気持ちが戻ってきた気持ちになったの」


「そっか……ずっと好きだった人を忘れるのは簡単なことじゃないわよね……」


いっそのこと、無視してくれたらまだ良かった。


あんなに優しい笑顔見せて良かったななんて、あたしのこと全く眼中になかったんだって思ってすごく悲しくなった。


「あのさ、彩乃。これは提案なんだけど……一度恭ちゃんとしっかり話してみたら?」

「話す?」


「うん。だって恭ちゃんとは頬にキスされて飛び出して来て、そこで終わってるでしょ?中途半端じゃ諦めることも好きでいるって決めることも出来ないかなって思ったの……」


あたしはうつむく。

もう一度、しっかりとフラれに行くってことだよね。


話にいけば、しっかりと終われるかもしれない。

だけど怖かった。


それに……。

あたしは良樹の方を見る。


「もちろん、彼氏が嫌だって言ったらそれは尊重しなきゃだけどね」


そうだ。

あんなに大事にしてくれる彼氏を裏切るような真似はしたくない。


でも……。

今は裏切っているようなものだ。


すると麻美は真剣な顔であたしに言った。


「あのね、あたし思うの……彩乃は今、ものすごく大事な選択をしてる。恭ちゃんは初めて好きになった人で、ずっとずっと好きだった人でしょ?辛いことがあってもこんなに好きになれるってなかなかないと思うんだ。だからこそ、しっかり話して来ないといつまでも気持ち引きずっちゃうよ?良樹と向き合うためにもしっかり話して欲しいと思うの」



大事な恋。

いつだって恭ちゃんを好きだって気持ちを大切にして来た。


“恋愛対象外”

お前は無理だって言われても、妹にしか見えないって言われても諦めないでまっすぐに気持ちを伝えた。


それだけ大切な恋だった。


もう無理だと思って、あたしは良樹を選んでしまったけれど、その宙に浮いた気持ちをそのままにして良樹と付き合っていていいの?


もう好きじゃなくなったと口で言っていても、恭ちゃんに会うたびに好きだと実感してしまうんじゃないの?


中途半端な気持ちが全部よくない方に行っている。


でも話すのはこわい……。


話したいという気持ちと、傷つきたくないという気持ちが交互に頭をめぐり、行動を戸惑わせる。


今のままだと絶対に引きずってしまうって分かってはいるのに……。


「人と向き合うって簡単なことじゃないんだよね。彩乃は優しいから、あの時良樹の告白を断れなくて、自分にこの人と一緒になる方がいいじゃないかって言い聞かせただけかもしれない。自分の本当の気持ちを確認するためにも話すことって大事なんだよ」


「麻美……」


たしかにそうかもしれない。

ぐっと手をにぎる。


「あたし、良樹に聞いてみる」


すると、麻美はあたしの手を取ってうなずいた。

麻美にはいつも感謝することばかりだ。


誰かに背中を押してもらえないと、前に進むことも出来ないなんてあたしは情けないな……。


色々悩んでいたら、気づけば放課後になっていた。

重たい身体を机に伏せて、もう一度ため息をつくと誰かがあたしの肩を叩いた。


「ちょっといいか?」


それは良樹だった。


「良樹?」


昨日の今日で少し気まずい。

でもここで伝えないといけない。


「人いねぇとこ、移動すんぞ」

「あ、うん……」


良樹もなにか大事な話をするんだって分かった。

あたしは立ち上がって良樹についていくと、彼は少し離れた空き教室に入って行く。


良樹がすぐそこの机に寄りかかって天井を見つめる。


言うタイミングをうかがっているんだろうか。


沈黙が流れる。

あたしはどうしたらいいのか分からなくて視線を泳がせた。


「昨日……」


良樹から昨日という言葉が出てきて身体をびくりと揺らした。

きっと泣いたことを言われるんだと思っていたら、良樹から出た言葉は違うものだった。


「楽しかったな」

「うん……」


やんわりとした笑顔を見せてから、すうっと息を吸い込む良樹。

すると彼はいつになく真剣な顔をして言った。


「なあ、彩乃。昨日は悪かった」

「えっ……」


良樹からの突然の謝罪に驚いて口を開けたまま良樹を見る。


「それから俺と別れてほしい」

「な……」


言葉が出なくてただ目を見開くことしか出来ない。


「どう、して……」


どうして急にそんなこと言うの……?


「俺さ、昨日お前が泣いてるのを見た時、なんて声をかけてやればいいのか分からなかったんだ。まだ好きなんだろうなって実感したし、彩乃は俺がどんなに頑張ってもアイツのこと……これからも考え続けると思う」


「良樹……」


「それでいいって最初は思ってた。でも今は正直……俺が支えるからって言ってやる自信がねぇ。俺はやっぱり彩乃が他の男の方を見ているのは嫌だと思っちまった」


良樹は真面目な顔をしてじっとこっちを見つめる。


その表情は苦しそうな表情だった。


最近は良樹のこんな表情ばっかり見ている。


あたしがそうさせていたのかもしれない。


「……やっぱり俺はどう頑張ってもアイツには適わないのかもしんねーな……利用してもいいって結構捨て身だったんだけど、それでも彩乃の気持ちが他にあるのはやっぱり苦しいと思っちまった。悪いな、最初と言ってることが違って……」


良樹はきっと苦しくなったんだろう。

あたしがいつまでも中途半端だったから。


いつか自分を見てくれることがあるんだろうか。


そう思って不安になったんだろう。


あたしが良樹のことを傷つけたんだ。


「良樹……ごめん。傷つけてごめんなさい」


あたしは深く頭を下げた。


「いや、お前のせいじゃねぇよ……。俺も変なこと言ったしな。でもわりぃ、今お前と友達に戻るのは無理かもしんねぇ」


そうやってつぶやく良樹を、あたしはただ見てることしかできなかった。


「ひとりにしてもらってもいいか……?」

「うん……。」


あたしは良樹の前をそっと離れ、教室から出る。

正直、少し甘えていたかもしれない。


こういうことになってももう一度、友達に戻れると思っていた。


なに事もなかった様に戻れるわけないのに。


けっきょく傷つけてしまった。


あたしを大事にしてくれた人を……。


あたしはぼーっとした気持ちのまま、学校を出ることにした。

あたしの気持ち。


こんなにも色んな人を巻き込んで結果がこれだ。


空を見上げるとどんよりとした雲が今のあたしの気持ちを表しているようだった。


「雨……」


ポツリ、ポツリと空から降ってくる。

傘を持ってきたはずなのに、学校に置いてきてしまったあたし。


「もういいや」


取りに戻る気にもなれずに、あたしはそのまま家までの道を歩いた。

雨は次第に強くなる。


その中でただただ、歩いているとむなしくなって涙がこぼれた。


だけど激しい雨はそれを隠してくれるからすごく楽だった。


「ふ……っえ」


もう嫌だ。

こんな自分は嫌だ。


冷たい雨にだんだんと頭がクラクラして来て、道の隅っこにしゃがみこむ。


ざーざーっと音を立てて降る激しい雨はあたしにあたっては身体に溶け込んでいった。


しばらくしゃがみ込んでいた時、イキナリ雨が当たらなくなって上から誰かの声がした。


「おいっ……!」


聞きなれた声。

寒くて意識がぼーっとする中、顔を上げてみるとスーツ姿の人が傘を持ってそこに立っている。


「お前傘は……!」


慌てた表情でそんなことを言う顔がすごく印象に残る。


「おい彩乃!」


恭ちゃんだ……。

こんな時に来るのも恭ちゃんなんだね。


今一番あたしの前に姿を現して欲しくなかった人。


こんな時に残酷だ。

あたしは、そこで意識を失った。


――――。


次に目が覚めた時、あたしは見慣れた部屋にいた。

温かい部屋、テレビ、ソファー、あたしが今横たわっているベット。


全て見たことのあるものだった。


「恭ちゃん……」

「お、目覚めたか?」


あたしの声を聞きつけて、こっちに来る恭ちゃん。


「とりあえずこれ飲め。寒いだろ?」


恭ちゃんは温かいココアの入ったマグカップをあたしに差し出した。


「ありがとう。えっと……」


どうしてここにいるのか、とたずねる前に恭ちゃんは言う。


「倒れたんだよ、あんな雨の中うずくまってたりすっから」


そっか……恭ちゃんが運んでくれたんだ。

温かいココアをごく、ごくっと飲むと身体がじわっと温かくなってほっとする。


「彩乃を家に連れて行こうと思ってたけど、留守だったからこっち連れてきた。少し休んだら早めに家に帰れよ」


恭ちゃんは優しく言った。

しかし恭ちゃんの次の言葉にあたしは暗い気持ちになった。


「あんなところに突っ立って、彼氏とケンカでもしたのか?」


昨日も今日も、あたしがどんな気持ちでいるかも知らないでそんなことを言う。


恭ちゃんはきっとなにも感じていないんだろうな。

あたしがどんな気持ちを抱えていたのか、どれだけ恭ちゃんが大好きだったか。


「彼氏なんかじゃない……」


こうやって言ってもきっと気づいてはくれないんだろう。


「隠さなくていいって知ってるから」


嫌いになれたら本当に楽なのに。

あたりを見渡せば、服にタオルがかけられていたり、濡れているあたしを平気でベッドに寝かせたり、半袖でいる恭ちゃんがいつもより暖かく暖房を設定してくれていることを証明している。


優しい。

なにがあっても、やっぱり恭ちゃんはあたしを見捨ててくれはしない。


それは兄としてかもしれないし、知り合いとしてかもしれない。

いっそのこと……。


「おいてってくれれば良かったのに……。」


ポツリと出た言葉に恭ちゃんは眉をしかめながら言った。


「そうはいかねえだろ。お前、俺がどれだけ心配したと思ってんだよ」


たぶんそういう所だ。

意地悪言ったり、突き放したりするくせに本当に困った時にいつも手を差し伸べてくれる。


そういう所を好きになってしまったのかもしれない。

あふれる気持ちをそのまま口にする。


「恭ちゃんが好き」


もう言わないなんて言ったのに、やっぱりこの気持ちは口から出てしまう。

すると、恭ちゃんは落ち着いてしっかりあたしを見て言った。


「あのな、お前彼氏いるんだろう?そんなこと言ったらダメだろ」

「……答えてよ」


「なに?」

「ちゃんと答えてよ!いっつもそうやってなかったことにして……ちゃんと返事くれたことないじゃん」


あたしは恭ちゃんの顔を真剣に見つめて言った。

すると恭ちゃんの表情が変わる。


彼は真面目な顔で言った。


「返事が欲しいって言うなら、ちゃんと告げてやる」


唇をかみしめる。


「お前の好きつーのは、本当の好きじゃないんだよ。年上っていうのは、周りの同い年のやつよりも自然とカッコよく映るもんだ。なおかつ、お前らの年代は今恋に憧れる時期だろ?だから近くにいる俺がカッコよく見えて、それが恋だって勘違いしてるんだよ」


確かに恋に、憧れる時期かもしれない。

年上と付き合っているって言ったら、羨ましがられるかもしれない。


だけど、そうかもしれないけど。


ーードサ!


「あたしの気持ち、勝手に決めないで!」


あたしは思いっきり恭ちゃんを引き寄せてベットに押し倒した。

あたしの気持ちはあたしが一番よく分かってる。


「本気なの。本気で恭ちゃんのことが好きなの」


否定しないで、あたしの大切にしてきた気持ち。


「恭ちゃんのためなら、なんだってできるんだから!!」


分かってほしいの。

気付いてほしいの。


この気持ちが本気だってこと。

目に溜まった涙がこぼれる。


あたしが必死で気持ちを伝えると、恭ちゃんはベッドから起き上がって言った。


「じゃあ脱げよ」


え……?


「なにだって出来るんだろ?俺と恋愛するってことはそういうことだ。覚悟があるんだったら今ここで脱いでみろよ」


恭ちゃんの目は前みた時みたいに鋭くて、怖い顔だった。


「なに言ってるの?」


その言葉に戸惑ったあたしは目を泳がせてなにも言えなくなってしまう。

すると恭ちゃんは鼻で笑いながら言った。


「ほらな、出来ねーだろ。そんな覚悟もないクセに大人の事あおるなよ」


またそんな顔をしてあたしのことを遠ざけようとする。

また恭ちゃんとの距離が離れてしまう。


覚悟……なんてそんな事いうけれど。


そんなの初めから、好きになった時からずっと、あたしは持っている。


そんな生半可な気持ちで恭ちゃんを好きになったりしない。


あたしの大切な、大切な恋だから。

忘れようとしても忘れられないと気づいたから。


「なんてな、冗談だよ。俺もこないだからひどいこと言った。ごめんな。もう普通にお兄ちゃんに戻るから、温まったら帰れよ?」


恭ちゃん、お兄ちゃんなんて望んでないよ。

そんな簡単な気持ちで忘れられるものじゃないの。


もう遅いんだ。

あたしはもう引き返すことができない。


ずっと恭ちゃんが好きだ。


優しくなくてもいい。

守ってくれなくてもいい。


お兄ちゃんでいてくれなくていいから、あたしの気持ちだけは無視しないで。

ぎゅっと手を握ると、あたしは覚悟を決めて服のボタンを順番に外していく。

恭ちゃんが焦って止めるのもお構いなしに。


「おい……!バ、お前なにしてんだよ!冗談だって」


「あたしは冗談じゃない。言ったでしょ。本気なんだって!好きだって言ったでしょ。もういい加減やめて。あたしの気持ちを勝手に決めないで」


ワイシャツを脱ぐとあたしはキャミソールだけになった。

恥ずかしいとか、寒いとか全く考えてる余裕はなくて、それだけ勢い行動してるんだって分かった。


恭ちゃんの服を掴んで言う。


「好きなんだよ……恭ちゃんが大好きなの……」


お願いだから、あたしの気持ちをウソにするのはやめて。

受け止めなくていいから、誤魔化したりしないで。


まっすぐと目を見て言えば、恭ちゃんは力なくうつむいて小さな声で言った。


「頼むから……まじでもう言うな。好きとか言われても俺は答えらんねーから。困るだけなんだよ……」


あたしが脱ぎ捨てたシャツを着せて、ワイシャツのボタンをひとつずつ留めていく。


「恭ちゃ……」


「本当に頼むから……なにも言うな。俺はお前のこと……本当に大切に思ってる。だからこそ気持ちに答えないって選択をしてるんだ。俺はお前と今のままでいたい」


あたしにワイシャツを着せ終わると、恭ちゃんは一番温かい上着をあたしにかぶせた。


「風邪引くから」


そう言ってあたしをぎゅっと抱きしめる。


「彩乃、俺はもう今日でお前の兄をやめる」

「えっ」


「しばらく距離を置こう。俺のこと好きじゃなくなるまでもうここには来るな。俺も今日は家に入れちまったけど、今日みたいなことがあったらすぐに家に送り届ければよかった。家の前でお前の母親が帰ってくるのを待ってればよかった。俺は間違ってたんだ」


「恭ちゃ……」


恭ちゃんは、とても辛そうな顔をしていた。


どうして、恭ちゃんはこんな顔しているんだろう。

またあたしが、周りを不幸にしてしまったのかな。


「俺は彩乃が大事だよ。でもだからこそ守らなくちゃいけないラインがある。今まで返事曖昧にしてたのは、本当に悪かった。だからハッキリ言う。俺は彩乃乃になに度好きだと伝えられようがお前のこと、恋愛対象には見られない。彩乃乃は俺にとって妹的存在だから」


「それは……年齢のせい?」


あたしがたずねると、恭ちゃんは答える。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


そっか……。


恭ちゃんは悪かったと頭を下げると、悲しそうな表情でそんなことを言う。

残酷な言葉。


だけれど、しっかりと答えてくれた。

これでもう終わったんだ。あたしの恋は本当に。


そう思うと悲しくて泣きそうになったけど、目から涙は出なかった。


恭ちゃん、恭ちゃんの気持ちよく分かったよ。

好きじゃなくなるまで。


それがいつになるかは分からないけれど、お別れだ。

あたしは恭ちゃんが被せてくれた上着を脱ぐと笑顔で言った。


「これは……返しに行かなきゃって思っちゃうから大丈夫」


そして立ち上がる。


「バイバイ、恭ちゃん」


あたしは恭ちゃんにお別れをすると、そのまま彼の部屋を出て行った。

さよなら恭ちゃん。


最後にあたしの気持ち、答えてくれてありがとう。


これでもう、バイバイだ。


恭ちゃん離れができるまで、あたしはもう恭ちゃんの前に現れない。


次に会う時はちゃんと……恭ちゃんのこと、お兄ちゃんとして見られるかな?






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