良樹とデートをした翌日。
学校で、あたしは麻美と話をしていた。
良樹と付き合うことになったということは、この人には絶対に話さなくちゃいけない。
でもどう切り出すべきか……。
悩んでいると、麻美が言った。
「それで……?いつまでも話してこないけど、良樹とのデートはどうだったのよ」
これはチャンス……。
言うしかない。
あたしは小さく息を吸い、視線を落としながら口を開いた。
「実は……良樹と、付き合うことになりまして……」
その瞬間、麻美の眉がピクリと動いた。
驚いているというより、どこか「なるほどね」といった表情だった。
「そっか。良かったじゃん」
さらりと言われて、拍子抜けする。もっと驚かれるかと思ったのに。
「……それだけ?驚くとかないの?」
「そりゃぁ……あんたと良樹の行動見てればなにかあったのは分かりますけど」
「え“そんな変だった?あたしたち……」
「そりゃそうでしょ。普段目が合えばケンカしてるアンタたちが目合っても言い合いしないし?なんか恥ずかしそうに目を逸らしちゃって……なにかありましたーってクラス中にアピールしてるのかってくらい分かりやすかったわ」
そ、そんなにバレてたなんて……恥ずかしすぎる!
だったらもっと早く聞いてくれても良かったのでは……?
「でも彩乃が良樹のことを受け入れるとは思ってなかった。恭ちゃん一直線って感じだったからさ」
「うん……恭ちゃんのことは忘れたいって思ったんだ」
「そっか……それなら、おめでとう」
麻美にそう言われると、なんだか恥ずかしくなってしまう。
でも、麻美はすぐに真剣な顔になった。
「で、本当にちゃんと良樹と向き合う覚悟が出来てるの?」
ドキリとした。
さすが麻美。
こういうことは、適当に流すことは絶対にしない。
あたしは手を握りしめたまま、正直に答えた。
「……恭ちゃんのことはまだ、完全に吹っ切れたわけじゃないの。でも、良樹はそれでもいいって言ってくれたんだ。あたしも、恭ちゃんのことは忘れて良樹と向き合っていきたいと思ってる」
口に出すと、思った以上に苦しかった。
でも、言葉にすることで、自分の決意が少しだけ形になった気がする。
麻美はしばらくあたしを見つめていたが、やがてふっと笑った。
「まあ、あんたが決めたなら、それでいいんじゃない?あたしもふたりはお似合いだと思ってたしね!でも……」
そこで指を指差される。
「良樹を選んだなら、本当に恭平くんとは合わない覚悟をしなさい!」
「分かってるよ」
恭ちゃんにはもう会わない。
そして忘れるための努力をするんだ。
そう決めたから。
チャイムが鳴り、今日の授業が終わった。
クラスの人たちがぞろぞろと教室を出ていく中、良樹があたしの前にやってきた。
「一緒に帰ろうぜ」
「うん」
いつもよりちょっと照れくさそうな良樹の姿に、なんとなくあたしも緊張してしまう。
改めてこの人があたしの彼氏なんだなと思ったら、なんだかくすぐったい気持ちになった。
まっすぐに気持ちを伝えてくれた良樹を大事にしたい。
これからあたしは良樹と向き合っていくんだ!
あたしと良樹は並んで昇降口に向かっていた。
すると、良樹がなに気なく言った。
「今日さ、このまま帰るのもつまんねーし、用事ないならゲーセン行かね?」
「ゲーセン?」
「うん。前に彩乃が好きって言ってたうさぎのキャラの景品、今クレーンゲームに入ってるらしい」
「え、本当に?」
思わず目を輝かせると、良樹は「ほら、やっぱ気になるだろ?」とニヤリと笑う。
「行きたい!」
うさぎのキャラクターとは、あたしが大好きなアイドルとコラボしているものであった。
あたしが前になに気なく言っただけのキャラクターを覚えててくれたんだ。
あたしは少し嬉しくなりながらも「行こー!」と声をあげた。
恭ちゃんを好きだった時は、気持ちが一方通行でツラいと思うことがたくさんあった。
でも今は、思ってくれる相手がいると実感して嬉しくなるんだ。
ゲームセンターに入ると、電子音とにぎやかな声があちこちから響いていた。
放課後、制服をきた人たちがたくさんいる。
クレーンゲームのエリアをのぞくと、確かにあたしの好きなキャラクターのキーホルダーが並んでいた。
「これだろ?」
「そうそう。でもあたしクレーンゲームって苦手で……」
「俺に任せろ」
良樹がそう言って、クレーンゲームの前に立つ。
良樹は真剣な表情で景品をながめながら百円玉を投入した。
取れるかな?
正直、こういうゲームってあんまり取れるイメージないんだよね。
彼はクレーンの位置を慎重に見極め、迷いなくボタンを押す。
すると、アームがするりと景品を挟み、それはそのまま落とさずに持ち上げてすとんと出口に入った。
「えっ、すごい!!」
一発で取れることってあるの!?
「こういうのは得意な方だからよ」
良樹は誇らしげに鼻を鳴らした。
落ちてきたキーホルダーを拾い上げ、良樹はあたしの手のひらにそっと置く。
「どーぞ?」
「ありがとう!」
こういうの、本当に苦手だから嬉しいな。
「これ、スマホに付けていい?」
「ああ、好きにすれば?」
良樹はぶっきらぼうに言いながらも嬉しそうであった。
それからもう少しだけ遊んでゲームセンターを出ると、すっかり空はオレンジ色に染まっていた。
西日が長い影を作り、街のあちこちから部活帰りの学生や仕事帰りの人たちの声が聞こえる。
「けっこう遊んだな」
良樹が笑いながら伸びをする。
「うん、楽しかった」
あたしは手の中にあるキーホルダーを見つめた。
良樹が取ってくれた、小さなうさぎキャラクターを指でそっと撫でる。
かわいい……。
駅へ向かう途中、人通りが少なくなり、住宅街の裏道に入った。街灯はまだ点いておらず、辺りにはあたしたちの足音だけが響いている。
ふと、隣を歩く良樹の手があたしの手とぶつかる。
「あ、ワリ……」
良樹が恥ずかしそうに目を逸らした。
良樹って本当、照れ屋だよね……。
そんなことを考えていたら、不意に良樹が小さく息を吐いた。
「……なあ」
そう言うと、彼は少しぎこちない動きであたしの手を取った。
指先が触れた瞬間、心臓が跳ねる。
彼の手は温かくて、だけど、あたしより少しだけ強く握っているのがわかった。
「……嫌だったら、言えよ」
低い声でそう言われ、あたしはゆっくりと首を振る。
あたし、今……良樹と手繋いでる。
今まで友達の距離感だったのに、なんだか変な感じだ……。
でも良樹の手……暖かいや。
しばらく無言のまま、手を繋いで歩く。
こういうのも、どんどん慣れてくるのかな?
徐々に恋人の距離になっていくのかな?
今は違和感があるけど、どんどん馴染んでいくのかな?
そんなことを考えていた時、街角の小さな公園の前で、良樹が足を止めた。
そこには人はおらずブランコが静かに揺れ、夕暮れの残り火が影を落としている。
「彩乃」
名前を呼ばれ、顔を上げると、すぐ目の前には良樹の顔がある。
あっ、近い。
良樹の瞳がまっすぐにあたしを捉えていて、あたしは息を呑んだ。
──キス、される。
彼の顔がゆっくりと近づく。
その瞬間。
「嫌……!」
あたしはドンっと良樹を突き飛ばした。
良樹がよたよたと後ろに下がって私を見つめる。
「ワリ……」
気まずそうにあたしから離れる良樹。
「あ、えっと……あたしもごめん。なんか急でビックリして……」
「そうだよな、唐突だった」
付き合ってるから、そういうことをするのも当然だ。
それも含めてあたしは良樹のことを受け入れたはずだった。
でも、とっさに今は嫌だって思ってしまった。
きっと恭ちゃんのことがしっかり整理出来てないからだ。
「あの、ごめんね良樹……今はちょっとまだ心も整理されてないから驚いただけで時間があれば……」
そこまで言った瞬間──。
後ろからある声が響いた。
「おいおい、お熱いのはいいけど外でやるなよ?」
聞きなれたその声。
たどるのが怖くても確認せずにはいられなかった。
「恭、ちゃん……」
振り返ればそこにいたのは、確かに恭ちゃんで私服姿で買い物袋を提げている。
どうしてここに……?
なにも言えぬまま彼を見つめる。
良樹とあたしを順番に見た後、恭ちゃんは言った。
「若いよな、こんなところでイチャイチャするなんて」
頭がついていかなくなってただ呆然とするあたしに恭ちゃんは優しい声で言う。
「良かったじゃん?彼氏出来てさ。お幸せにな」
良樹がなにか言おうとするのも無視して背中を向ける恭ちゃん。
お幸せに、だって。
はは……。
悲しくて、切なくてなんだかもう笑えた。
あんなに恭平ちゃんに気持ちを伝えていたのにね。
なにも届いてない。
なにも伝わっていなかった。
恭ちゃんはあたしと良樹が一緒にいるのを見ても、表情ひとつ変えないんだもん。
むなしい……。
それでいて、なにも変わってないあたしにもムカついた。
必死で考えないようにしていた恭ちゃんへの気持ちは、糸が切れたかのようにこぼれ出した。
ボロボロと涙をこぼす。
もう嫌だよ……。
たった少し会っただけで、やっぱりこんなに好きなんだと実感してしまうのは。
好きじゃない、好きじゃない。
そうやってなに度心でとなえても、会ったら一瞬で好きだと思ってしまう。
恭ちゃんのこと、思えば思うほど悲しくなるって知ってるのに。
好きだって思えば、惨めになるって分かってるのに。
それなのに、恭ちゃんのことを考えてしまうの。
心ごと、誰かと取り替えることが出来たらいいのに。
ううん、いっそのこと恭ちゃんなんて好きにならなきゃ良かったのに。
「彩乃……」
「ごめん良樹。今日はありがとう、帰るね」
叶わない恋を終わりにして、一歩進んだと勘違いしてた。
そんな相手からお幸せになんて声かけられて悲しい気持ちになって、本当にバカみたいだ。
「あっ、おい……!彩乃」
忘れることはできないのかな。
新しい恋は無理なのかな。
「う……、っ……」
あたし、一歩も進めてない。
まだ恭ちゃんが好きなんだと気づいてしまった。
あたしは逃げるように家に入るとその場で泣き崩れたーー。