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第13話:大人と子どもの焦り



 【三谷恭平side】


『彩乃。しばらく距離を置こう。俺のこと好きじゃなくなるまでもうここには来るな』


あの言葉を言ってから2週間が経った。


彩乃乃とは約束通り1度も会っていない。

もともと彩乃には会わないつもりでいた。


それは、次に家に入れてしまったら、もう気持ちを誤魔化すことが出来ないだろうと思ったからだ。


でも、入れるしかなかった。

彩乃が体調悪そうに倒れていたからだ。


彩乃に冷たいこと言って突き放すのは、期待させないため。


でも、それでも優しくしてしまうのは、心のどこかで彩乃乃のことを気にする気持ちがあるからだ。


その気持ちが俺の態度を優柔不断にさせていた。

そのことは十分分かっていた。


だから、これで……いいんだよな。

これで良かった。


お互いにもう会うのはやめようとハッキリと言えた。


なに度無理だと言ったって、ちっとも諦めてくれない彼女。


なに回泣かせたか分かんねーくらいなのに、それでも好きだって伝えて来た。

俺も好きだよ、お前のことが。


でもその気持ちは心の奥底にしまったまま、もう出さないと決めたんだーー。


後悔はしていない。

こう判断したことを今も正しいと思ってる。


それでも気持ちはそう簡単についていくものじゃなかった。


「なるほどな……」


俺の話を聞いた千葉はあごに手をあてながらも返事をした。


「なぁ、お前がかたくなに彩乃ちゃんを拒むのってなんで?」


すると千葉はそんなことを聞いて来た。


かたくなに拒む理由……。

それはやっぱり彩乃乃が高校生でまだまだ未熟な子どもであるということ。


自分の意思で俺を好きだと言っているのは分かるが、その時の環境が影響してしまうからだ。


「怖いんだ。彩乃は今、進路を考えるのにも大切な時で、それを俺が変えてしまうかもしれないのが怖い」


「どういうことだ?」


千葉の質問に俺は過去を思い出しながらゆっくりと話し始めたーー。


「昔さ、彩乃の他にもうひとり家庭教師として見ている高校生の女の子がいたんだ」


それは大学2年の頃の話。

俺が家庭教師をしているということ知ったダチが俺の妹も見てくれと言ったことから始まった。


最初は冗談かと思っていたけど、そいつは両親に俺のことを話したらしく、本気で家庭教師をお願い出来ないかと頼んで来た。


俺も金には困っていたし、バイトを増やすよりかは友達のところでやれるなら少し楽かな~なんて気持ちで引き受けることにした。


後日、ダチの家に行きご両親と妹さんと挨拶をしてなんの教科を教えるかや、どんなことをするのかなどの時間を決めたりした。


友達の妹は美優ちゃんといい、高校2年生。

成績を見るなりかなり優秀な子で、行きたい大学も決まっていた。


母親の方が看護師をしていて、同じ道に歩みたいらしい。

多くの人を救える人になりたいという立派な理由があった。


『では来週からよろしくお願いします』


家庭教師はその次の週から始められ、毎週火曜日の17時半から18時半までとなっていた。


『X=3になるから、ここを代入して……それから』

『なるほど!だからずっとつまずいてたんだ!先生教えるの上手い!ありがとう!』


彩乃乃に教えるような感じほど気は抜けなかったが、教えている美優ちゃんも素直で癖のあるような子では無かったので、授業はスムーズに進んでいった。

しかし、それは最初のうちだけだった。


家庭教師を初めて3カ月が経った頃、だんだんと彼女が俺に好意を寄せてくるようになった。


『あたし、先生のこと本気で好きかも』

『はいはい』


最初はからかってそう言ってるのかと思って流していたけど、だんだんその気持ちは強く伝えられるようになった。


『ねぇ、先生。次のテストで80点以上取ったらあたしと付き合って!あたし、頑張るから』


『えーそんなことしたら達也に怒られるからダメだよ』


ダチの達也の名前を出して、なんとか受け流す。

彩乃乃も同じようなことをよく言って来たけど、同じように恋愛対象外だとか言って雑に対処出来ないから厄介だった。


彩乃乃だったら、デコピンしてとりあえず100点取ってから言って来いって言えるんだけどな。


そんなこんなで少しやりずらさを感じながらも、彼女のその好意はエスカレートしていった。


『ねぇ、先生……この洋服かわいいと思わない?先生のために新しいのを買ったんだよ』


『今度、先生の大学行くから大学案内して!』


俺に会えない日は俺の通う大学にやって来たり、連絡先も聞き出そうとしていたとか小耳に挟んだり、友達の妹だからむげにも出来なくて、俺は見てみぬふりをしてやり過ごすことにした。


『先生、見て80点取れたよ。ねぇ、約束したよね?せめてデートだけ!いいでしょ?』


『あたしも先生と同じ年だったらなぁ~同じ学校に通えたのに』


言葉だけならなんとか流せるけど、彼女はけっこう強引なタイプで、逃げ道を作らない誘いをしてきた。


約束したよね?と言われると断ることが出来ず、1度はご褒美として仕方なく出かけたりもした。


それで彼女の気が収まってくれればいいかと思ったが、それだけで収まることはなかった。


それから時期はながれ、美優ちゃんも高校3年生に。

学校でも進路の話がメインになる時期だ。


勉強の方も成績はどんどん上がっていって、目標の大学も安全圏に入って来た頃、美優ちゃんは切り出した。


『先生、大事な話があるの!あたしね、先生と同じ大学に行くことに決めた。お兄ちゃんも行ってるから雰囲気も分かるし、そしたら先生とも会えるし……』


その時、たらりと冷や汗が流れたのが分かった。

美優ちゃんの目指している大学は俺よりも上の大学でしかも医学を学ぶところではない。


『それお父さんとお母さんにちゃんと伝えた。そんな理由で学校にきたらお父さんとお母さん、悲しむんじゃないかな』


柔らかくいいながら、なんとか説得するも、美優ちゃんの気持ちは揺るがなかった。


『あたし、先生と一緒の大学に行きたいんだもん!』


『でも美羽ちゃんには、色んな人を救える看護師になりたいっていう夢があるだろう?』


『お母さんがやってて知ってたからやりたいって思っただけだよ!先生のいる大学に行ければまた違うやりたいことを探せるかもしれないし、今日お母さんとお父さんに話してみる』


美優ちゃんはそう言って聞かなかった。


「それ、けっこうやべぇな」


俺の話に千葉が小さな声でつぶやく。


「そうだろう?好意持たれてたのは知ってたけど、本当にそこまで行くとは思わなかったんだよな」


「それで?」


「その後は もちろんクビ。責められたりはしなかったけど、電話で本当に申し訳ないけど今日付けで終わりにして欲しいって気まずそうに言われたよ」


「やっぱりそうか……」


自分が美優ちゃんの人生を変えてしまった。


俺が美優ちゃんの家庭教師をしなければ、彼女が進路を変えることはなかったのに。


懐かしい過去の話。

もしかしたら一般的にこういうことはよくあることかもしれない。


だけどその出来事は確実に俺の心を変えた。


「それから美優ちゃんがどうなったかは知らない。ダチともさ、お互いに気まずくなって、それ以来はほとんど話してねーし……」


「そっか……」


「なんかさぁ、簡単に人の進む方向を変えられてしまうんだって思ったらすっげー怖くなったんだよな」


本来そこに、自分の意志があったはずなのに、俺と関わって進むはずだった進路をまるで違うものに変えてしまう。


他人の人生に俺が不本意に介入してしまうことが怖かった。


「不本意に変えてしまっても、俺が責任とれるわけじゃない。将来一緒にいたとしたって、その道を進むのは自分だから。高校生ってそれくらい大事な時だと思うんだ」


「ふーん、それで彩乃ちゃんを遠ざけているわけね……」


「もちろんそれだけじゃないけどな」


千葉の言葉に俺は静かにとつぶやいた。


それだけじゃない。

仮に彩乃乃の気持ちに答えられたとしても、それ以上に上手くいかないことはボロボロと出てくる。


同じ高校生のようにデートが出来ないとか、周りから受け入れられないとか、自分が彩乃乃の気持ちを動かしてしまうのではないか、とか。


年の差が壁になることも、彩乃がまだ学生であることも苦しむ要因になるだろう。


そうなればきっと彩乃乃を苦しめることになると思う。


どちらにせよ、上手くいくはずがないんだ。


「俺は傷ついてもいい、けど……彩乃には、なにかあった時、傷ついてトラウマを抱えて欲しくない」


俺がそこまで言うと、千葉はうーんと考える素振りを見せてから言った。


「お前の言いたいことは分かった。でも、上手くいかないとか、絶対に反対されるとかって付き合ってみなきゃ分かんねーことじゃねぇの?」


「だから傷つけてからじゃ遅……」


「付き合うってさ」


千葉が俺の言葉をさえぎって言う。


彼は足を組み直すと真剣な表情で言った。


「みんな同じなんじゃねぇの?年齢とか関係ないよ。本気で恋愛していれば、傷つくことだってあるかもしれない。高校生同士だから必ず平和に進むことができるとは限らねぇじゃん」


「それはそうだけど……」


「みんなそういうの、苦労してたりするんじゃねーの?どんなに幸せそうに見えるカップルだって、なにかに悩んで苦しんで、でもそれでも一緒にいたいからってやっていってるんだろ?」


「…………」


「高校生だからとか、社会人だからとか、そんなん関係ねーよ。それはただお前が理由をつけて逃げてるだけだ」


明確に言い放たれて、俺はなにも言えなくなってしまった。


俺が逃げてるだけ……?


そんなつもりはない。

彩乃を傷つけないために逃げることは悪いことなのか?


大事なものを守るためには、側にいることだけじゃないと思うんだ。


「俺はよっぽど彩乃ちゃんの方が覚悟出来てるように見えるね」


千葉の言葉がぐっ、と俺の心に入り込んでくる。


でも、そうか……。

逃げてる、か……。


逃げてるはそうなのかもしれないな。


彩乃のためだと言っておきながら、俺がただ、彩乃を受け入れるのが怖いだけかもしれねぇ。


肩をおとし、うつむく俺に対して、千葉が肩をポンっと叩く。


「全くさ、お前って器用に見えて実は不器用だよな」


好きであるのに自分を隠して距離を置いた俺を千葉は不器用だと言う。


不器用……か。

器用だったらもっといいやり方があったんだろうか。俺にはあれしか出来なかった。


なにも答えられず黙っていると、彼は座っていたベンチから立ち上がって言った。


「男って、というより大人は好きでもない人にキス出来るんですか?」

「え?」


「麻美ちゃんからの伝言」


麻美って確か……彩乃の友達の。

あの鋭い目を持った女の子だったか。


「会ったのか?」

「ああ、偶然な。会った瞬間、すごい形相でちょっといいですか!ってさ、もう俺ドキドキしちまったよ」


ドキドキって……ただ睨まれてるだけだろう。

相変わらず麻美ちゃんのことになると、おどけて話す千葉。


それで?と聞き返せば、千葉は話し始めた。


なんでも強い口調でそんなことを言ってくる麻美ちゃんをカフェに連れていったらしい。


そこで聞かれたのが俺のことだった。


『あの!単刀直入に聞きますけど。男って、というより大人は好きでもない人にキス出来るんですか?』


だ、そうだ。

突然の質問にビックリしながらもすぐに俺関連であることを悟ったらしい。

そんな彼女に千葉は言った。


『まぁいるだろうね。そういう人も。でも恭ちゃんは無理だよ、友達かばうわけじゃないけど三谷はそんなに器用な男じゃない』


『き、気づいてたんですか!?』


なにが聞きたいのか、気づいた千葉に麻美ちゃんは驚いていたらしい。


『ふふ。優しいんだな、麻美ちゃんは』


『別に、友達が落ち込んでいたら気になるのが普通です。千葉さんはそういうこと言っていつも女の子オトしてるんですか?』


『はは……っ、手強いな?本当に思ったから言っただけだよ。そういう麻美ちゃんはどうなの?彼氏はいる?』


そこからは千葉がグイグイ麻美ちゃんに質問していったらしい。

きっと俺と彩乃の問題はこれ以上踏み込んで話しても仕方ないと思ったからだろう。     


千葉はなにも考えていないように見えて、すごく人のことを考えている。


『いないですけど……って、あたしのことじゃなくて』

『じゃあ俺と付き合う?』


『なんでそうなるんですか!チャラすぎる!』

『優しいよ俺、大切にする』


『そうじゃなくて!あたしは彩乃の……』


『俺だって、二人をくっ付けてぇよ?でもこればっかりは本人たちの問題だからどうにも出来ないんだよ』


千葉の言葉に麻美ちゃんは悔しそうな顔をして、うつむいたらしい。


周りにもこうやって迷惑かけてたんだな……。


彩乃乃は今、元気にしてるんだろうか。

麻美ちゃんが言っていた、落ち込んでいたから、という言葉。俺のせいなんだろうか。


はは……俺に心配する資格なんてないか。


「まっ、それで麻美ちゃんの連絡先ゲットして解散したってワケ」

「は?教えてくれたのかよ」


「彩乃ちゃん関連の時だけ、連絡くださいって念押しされたけどなー。俺的には役得だわ」


「それは……良かったな」


「こーんなに応援されてる恋なのにな。本人が一番否定してるってもったいねーの」


千葉が頭の上で腕を組んだところで昼休みは終わった。


午後の仕事中、俺は千葉の最後に放った言葉を思い出してはため息をついたのだった。


応援されているからって簡単に付き合えるほど、俺は千葉みたいに単純なやつじゃない。


それから3日後ーー。

彩乃と会わない生活は続いていた。


帰宅しても彼女が待っていることはなく、窓から顔を見れることもない。


それは全て自分で決めたことだ。

それなのに、心は寂しさで包まれていた。


ずっと一緒にいたからかもな。

もう会わないと決めてから俺は、彩乃乃のことばかり考えている。


「暗い、な……」


この日の空はどんよりと暗い雲が立ち込めていて、やたら胸騒ぎがした。

居心地の悪い気持ちで、空を見上げていた時。


――ピリリリ。


隣にいる千葉の携帯が鳴った。

仕事帰りのこの時間に携帯が鳴るのはめずらしい。


そう思って見ていると、千葉から出て来た言葉は俺の知っている人物だった。


「もしもし麻美ちゃん?」


麻美?彩乃の友達か。

千葉はもうそんなに彼女と仲良くなったのか?


そんなことを思っていると、千葉は携帯から耳を放し慌てた様子で言った。


「三谷、大変だ。今麻美ちゃんから連絡あって……彩乃ちゃんが事故に巻き込まれて病院に運ばれたらしい」


「はっ……」


一瞬、思考が止まった。

体温がみるみるうちに下がっていくのに、なぜか俺は額に汗をかいている。


事故に巻き込まれたってなんだよ……。


聞き出さなきゃいけない情報はたくさんあるはずなのに、頭はちっとも働いてくれない。


「どこ、の病院……」


ようやく出せた声はひどくかすれていた。


「この近くの、若宮病院って言ってる……」


千葉から病院名を聞き出すと、俺は自分の身体をふるい立たせて走り出した。


はやく、はやく、行かなくては。


彩乃は無事なのか?

無事じゃなかったら?


あの笑顔が消えていたら、俺はどうしたらいい?


無理だ……。

そんなの絶対無理だ。


千葉が後ろでなにか言っているのも聞かず、俺は無我夢中で走った。


彩乃……頼む。頼むから無事でいてくれ。

彩乃がいなくなってしまったら、と考えるだけで身体はぞくりとして、冷えていく。


絶対に無理だ。そんなこと。


もう身も切れる思いだった。


願うように手を握りしめる。

俺はようやく病院についた。


中に入り、すぐに受付に向かって場所を聞いた。


「宮原彩乃はどこにいますか?」


冷静さなんて保てるわけがなかった。


伝えられた場所に俺は急いで向かう。

そして、宮原と書かれた病室を勢いよく開けると、そこには彩乃と彩乃の両親がいた。


「あれ、三谷くん?」


彩乃乃の両親が揃ってこっちを見る。

俺は気が動転していて、挨拶もせず大きな声でふたりにたずねた。


「彩乃は……!」

「彩乃ならここに……」


「恭ちゃん……?」


両親の間からひょっこり顔を出す彩乃。

ベッドから起き上がっていて、手には包帯をしていていた。


「お前怪我は……!」

「手、だけ。軽いケガだよ。大丈夫」


ニコッと笑って見せる彩乃。

彩乃のその言葉を聞いた瞬間、俺は身体から力が抜けていった。


なん、だ……。

良かった。重症じゃなくて……。


崩れ落ちるように床に膝をつくと、彩乃の両親が心配して俺の方にかけよった。


「恭平くん、大丈夫か。心配させてしまったみたいだね……。車と接触はしたけど、この通りすり傷程度で済んだんだよ」


「良かった……」


「全く、彩乃がまた恭平くんに連絡なんてしたんだろう?恭平くんは仕事中だって言うのに……」


「ち、違うよパパ。あたしは恭ちゃんにメッセージなんか送ってないし……」


彩乃のお母さんとお父さんの視線が俺に集まる。


「すみません……俺が知り合いから聞いて早とちったみたいで……」

「あらぁ、心配してくれたのね」


心の底から出て来た言葉に彩乃の両親は微笑みながら言う。


「彩乃は心配してくれる人がたくさんいて幸せね」

「すみません……俺の方が焦ってて……」


それから気を利かせてくれたのか、彩乃のお父さんとお母さんは俺と彩乃をふたりきりにしてくれた。


ベッドの上で体育座りをしている彩乃の元に行く。


仕事、勝手に抜け出して来ちまったな……。


そんなことを考えていると彩乃は少し恥ずかしそうに俺を見上げた。


「恭ちゃん、あたしが事故に遭ったって誰から聞いたの?」

「えっと、それは……千葉から……麻美ちゃんと最近繋がったらしくて」


「あーそういうことか」


思い返すようにそんなことを言うから千葉と連絡先を交換していることは聞いていたんだろう。


「それで、麻美ちゃんは?」


「さっきまでいたけどもう帰ったよ」


「そっか……」


じゃあまんまと罠にハマったってわけか……。


たわいのない話をする中で、俺は徐々に心がほっとしていくのが分かった。

ドクドクと嫌な音を立てていた心臓も今は落ち着いている。


「頭打ったところも検査して問題なければ明日退院するの。打ちどころは悪くないから平気だって言われてるんだけど念のためね?今日はとりあえず様子見ってことでここにいるんだ」


「良かったな、大したことなくて」


普段通りの声色で言ったはずだったのに、彩乃は俺の変化に気づいたのか、ばっと俺の手を取ると言った。


「恭ちゃん、手……」


言われるがままそこに視線を向ければその手は小さく震えていた。


「こんなに心配してくれたんだね。ごめんね、心配かけて」

「…………。」


不安からの安心感の差が大きかったからだろう。

じわじわとやってくる得体の知れないものは、俺の気持ちを大きくさせていく。


「なんだろうな」


隠していた気持ちも抑えていた気持ちも全部。

込み上げて来て止まらない。


遠ざけて、遠ざけて、そして彼女が消えてしまったら……。


自分の見えないところで、なにかが起きてしまったら。


守ることもできず、そんな立場にもない。


それってむなしいことなんだって今、気が付いた。


「俺さ……お前がいなくなっちまうかもしれないって考えが頭をよぎった時、ものすごく怖くなった」


今まで自分が彩乃を遠ざけていたのに、いざ遠ざかってしまうとなるとこんなにも不安で、こんなにも悲しくなるんだと知った。


好きなのに、遠ざける。

悲しい気持ちを我慢して。


それになんの意味があるのだろうと思った。


後悔してから好きだと伝えたって遅い。


今ある気持ちを大切にしなきゃ、きっとこの先もずっと心に未練が残ったままの自分になっちまう。


「恭ちゃんだけだよ、こんなに焦って来たの。麻美、そんなにオーバーに伝えたのかな」


最初は千葉がオーバーに伝えて、俺を焦らせたんだと思ってた。


でも違う。

きっと俺はあれを千葉から聞いた瞬間、いてもたってもいられなくなってしまったんだ。


その時、俺の携帯がポケットの中で鳴った。


ポケットから取り出して見てみれば千葉から数件着信が入っていて、メールも1通入っていた。


【最後まで聞けよ!事故にあったけど、軽傷だったって。念のため報告しておきたいって麻美ちゃんが教えてくれただけだよ!お前、仕事どうすんだよ!?】


あーあ、やっぱり。

たったあのひとことで焦って取り乱したのは俺の方だ。


本当笑えるな。

大事な人の前ではこんなにも余裕が無くなるなんて。


余裕ぶって大人です、みたいな顔をしていたのが恥ずかしいくらいだ。


「ダメなのかもな……」


いつまでも自分の気持ちから逃げたって、心は彩乃が好きなのだから隠しきれるわけなんてない。


「なぁ、彩乃」

「ん?」


俺は彩乃の手をぎゅっと握りながら言う。


「俺にとって、お前は恋愛対象外なんだよ……」


小さくつぶやいた言葉は聞き慣れた言葉だったのか、彩乃の手がピクリと動いたのが分かった。


「知ってるよ。だってもうなに回も言われたもん」


ーー恋愛対象外。

俺にとって彩乃は好きになる対象にすら入らない。


そうやって必死に言い聞かせて自分を納得させて来た。


それなのに、お前は俺に好きになってもらおうと、俺のタイプに近付いてみたり、真っ直ぐに気持ちをぶつけて来たり、突き返したって諦めなかった。


本当にタチ悪りぃなって思ったよ。

好きな奴にそんな事されたら、突き放せって方が無理だから。


好きじゃないフリをする。

恋愛対象外のフリをするのはもう無理だ。


「彩乃、今から言う大事な話を聞いて欲しい。こんなところで言うことじゃないんだけど、お前に伝えておきたいことがあるから」


まっすぐに彩乃を見つめた。


彼女は戸惑っているようだった。


「どうしたの?恭ちゃん、今日なんか変だよ」


ああ、本当に変なのかもしれない。

あんなに伝えてはダメだとストッパーを付けていたのに、それが今回で簡単に外れてしまったんだ。


おかしいって俺も思うよ。

でもこれが全部、俺の本音なんだ。


「好きだ、彩乃……俺も前から彩乃のことが好きだった」


初めて俺から言ったその言葉。

絶対に目を離さないようにしっかりと目を見て伝えた。


「ウソ……」


彩乃は小さくつぶやく。

信じられないとでも言いたげな表情だった。


今までずっと誤魔化して、目をそらし続けてきたんだから信じられなくて当然だよな。


「悪かった。ずっと恋愛対象外なんて言ってお前の気持ちを無視するような真似して……」


「きょ、……えっ!?」


目をまん丸にしてこっちを見ている彩乃。

俺の気持ちが伝わっていないのかフリーズしている。


まあずっと隠して来たんだもんな。


イキナリ言われたら驚くか。


「待って、ま……これ夢?それともあたしが頭打って幻覚見てるとか!?」

「夢でもねぇし、幻覚でもねぇよ」


「だ、だって意味分からないもん。この間もう会わないって決めたばっかりだし……あたし、恭ちゃんにフラれたって思ってて……」


パニックになっている彩乃は、自分でなんとか混乱した頭の中を解決させようとしていた。


「あ、そっか……恭ちゃんはあたしを妹として好きって言ってくれてるだけで、す、好きってあたしの思ってるものとは違……っ」


どうやっても俺と彩乃が同じ気持ちだとは思っていないらしい。

そりゃ散々、恋愛対象外だって言い続けてきたんだもんな……。


「同じだよ。俺は彩乃のことが好きだ。それは妹とか人としてとかそういうんじゃなく、ちゃんと恋愛的に……」


「なっ、あ」


俺が素直に気持ちを伝えれば、彩乃はぱくぱく口を動かして驚いていた。


「え、ウソでしょ……?ドッキリとかだよね?」

「そんな甘っちょろい好きだったら、口に出したりしねぇよ」


俺の言った言葉が信じられないのか彩乃は、必死で頭で考えようとしているが、パニックになっている。


俺は深くため息をつきながら言った。


「じゃあ彩乃ちゃん信じられないみたいだし、ウソにするか?」


ニヤリと笑って伝えると、彩乃はいつもの彩乃に戻った。


「え、いや……えっと……嫌です!ウソじゃない方がいいです!」


彩乃の言葉に俺はふっと笑った。


「悪いけど、俺ももう無理。ウソはつけねえから」


散々ついてきたんだ。

もうこの気持ちをウソにしたくない。


「そ、それじゃあ恭ちゃんあたしと付き合ってくれるってことなの……?」


彩乃に言われて、俺は改めて考える。

正直そこまで考えていなかったが、気持ちを伝えた以上、それで終わりってわけにはいかないだろう。


「どうする彩乃?」


正直、この先付き合ったとして彩乃が幸せになれるかどうかは分からない。

もちろん全力で幸せにするつもりではあるが、周りからどうやって見られるかとか、親御さんから祝福されない付き合いとか、色々考えなくちゃいけないことはあるだろう。


それを無視して付き合うことは出来ないし、彩乃に今不安があるのであれば付き合うべきではないと思う。


色々考えていた時、彩乃は勢いよく立ち上がって言った。


「付き合いたい!あたし、恭ちゃんの彼女になる!」


「ちょ……っ!お前、デカい声出すな!それから立ち上がんな!仮にもけが人なんだから暴れるなよ」


「だって……うれしいんだもんっ!」


彩乃はベッドの上だというのに、ぴょんぴょんと身体を揺らした。


「いい加減落ち着いてくれるか?」

「落ち着けるわけないよ!でも……」


そう言ってちらりと俺を見る。

彩乃はさっきとは不安そうな顔をしてうつむいた。


「……恭ちゃん、あたしのこと恋愛対象外だって……恋愛対象外なのに好きってことは、やっぱり一緒にいた時間が長いから家族みたいな意味で好きってことなんじゃないのかな?恭ちゃんが今日かけつけてくれたのもあったし、勘違い、してる可能性もあるかも……」


そんなこと聞きたくなかっただろうに、不安そうに問いかける。


恋愛対象外のことは出来れば恥ずかしいから言いたくなかったが、言わないで切り抜けられそうにもない。


「だから……に、見ようとしてんだよ」

「えっ!?」


「だーかーら!恋愛対象外、に見ようとしてた。あの言葉は彩乃に言っていたようで自分自身に言い聞かせるストッパーの言葉でしかなかったってことだよ」


うつむいていた彩乃が勢いよく顔を上げた。


「あたしのこと……じゃあ本当に好きなの?」


ちゃんと言ってやらなくちゃ。

俺がどんなに彩乃を好きだったのか。


恥ずかしいなんて言ってらんねーな。


「ああ、そうだよ。恋愛対象外だって言えば、諦められると思った。年が離れていることを言い訳にして彩乃のこと、突き放そうって思ったけど、やっぱり無理だった。お前のことが好きだよ……彩乃」


そこまで言うと、彩乃は目をうるうるさせながら、安心した表情を浮かべて俺に抱きついてきた。


「悪かったな。ずっと傷つけてたよな……」


「恭ちゃん……嬉しい。好き、大好き!初めてだよ、気持ちが通じたの」


そんな風に言いながら、俺の温もりを確かめるようにぎゅっと力を入れてくる。


だから、俺もそれに答えるようにぎゅっと抱きしめた。


「好きだよ、彩乃」


耳元でそう伝えると、抱きしめている手が更に強くなる。

まっすぐで、純粋なこの気持ちを、俺は大切にしてやらなくちゃいけない。

傷つけた分、それよりももっと。


「恭ちゃん……あたし、嬉しすぎてなんか、涙とまんないかも……」


俺の胸から上げた彩乃の顔は涙で濡れていた。


「ふっ、お前、泣きすぎだから」

「だれのせいでこうなったと思ってんのよぅ……」


涙声でそんなことを言ってくる彩乃。

可愛いやつ。


誰のせいって、俺しかいねぇもんな。

色々、ヒドイことをして泣かせたこともあった。


中途半端なことをして辛い思いもさせた。

だからこそその分――。


「彩乃、顔上げてみ?」

「なに……っんん。」


今日からは、めいいっぱい甘やかしてやろうと俺は誓った。


上を向いた彩乃の唇を奪ってキスをすれば、そこには真っ赤に顔を染めた彩乃がいる。


「ズルイよ恭ちゃん……っ、急にそんなこと……今までは冷たいことばっかりしてたクセに」


「だから彼氏になったら甘々にすんだろーが」


目を潤めて、恥ずかしそうな顔。

これでよく我慢してきたよな……。


「恭ちゃん、もう1回……したい」


こうやって純粋に誘惑してくる彩乃に、果たして俺は大人な対応が出来るのか、悩みどころだが今日のところは大目に見て欲しい。


「仕方ねぇな」

「んっ……」


甘やかして。


「も、もう1回……!」

「もうダメ」


時には止めて。

俺の理性をしっかり保てるくらいには大人でいる。


それが彼氏としての俺の役目だ。


ちぇっ、とつまらなそうに口を尖らせる彩乃に、俺はひとことだけ放った。


「彩乃ちゃん、今日から大人を煽るってどういうこよなのか身を持って知ることになるから、覚悟しとけよ?」


ニヤリと笑うと、真っ赤な顔する彩乃。

まぁ、まだまだ教えてやんねぇけど。


なんて思っていたら。


「た、楽しみにしてます……」


彩乃の表情は期待に染まっていた。


あーうん。

これはダメなヤツだわ。


まずは説教からはじめないとだな。


「バーカ。まだまだお子ちゃまには早えーよ」


「ええ、ダメなの!?」


「言っとくけど、秩序は守るからな?二十歳になるまでお前には手を出さない」


「えっ、そんな……あたしは別にいいのに!」

「いいわけねぇだろ!」


「こんな魅力的なあたしがいて、恭ちゃんは我慢できるの!?」


彩乃の言葉に俺はぺしっとおでこを叩いた。


「子どもの誘惑なんか、こっちには全然利かねぇし」



なんて言いながらも、俺はもしかしたらこれからも“恋愛対象外”という言葉を自分に言い聞かせていくのかもしれない――。



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