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第38話 金魚の幽霊を助けて


 役所の裏は千隼の予想通りに人気は殆どなかった。職員の車が止まっているぐらいで人はおらず、静かだ。


 ここなら大丈夫だろうと金魚の入ったビニール袋を持ち上げる。金魚が千隼の顔を見つめるように振り向いた瞬間、煙のようなものが袋からふよりと昇った。



「助けてくださりありがとうございます、ありがとうございます……」



 少しばかり長い黒髪を一つに結った若く見える女性が、泣きそうな顔をしながら何度も頭を下げてお礼を言ってくる。


 誰かに捕まってしまうかもしれない恐怖があったからなのか、安堵して泣きそうになっているようだ。


 千隼が「もう大丈夫ですよ」と安心させるように伝えれば、やっと頭を上げてくれた。彼女は風吹の言う通り、金魚の幽霊の類らしく、「わたしは金魚に憑いております」と教えてくれた。



「金魚が養殖されていた店にいたのですが、金魚を見ているうちに憑いてしまったのです。わたしは長い間、その場にいましたから……」


「妖怪化してもおかしくはない月日が経っていたのか。それならば金魚に憑いて妖怪になってしまうのも納得ができるね」


「気ままに生きてきたのですが、まさか出店に出されるとは思わず……」



 祭りの出店の金魚が長生きできるかどうか、彼女はそれを知っていたようで怖かったと目元を拭う。


 いくら一度は死んだとはいえ、妖怪となったのだから第二の人生というのは満喫したい。死にたくはないと思うのは普通だ。千隼はそうだよねと彼女の気持ちに納得する。



「助けてくださりありがとうございます……。しかし、わたしを育てるのは難しいのではないでしょうか……」


「確かにアクアリウムとまではいかなくとも、水槽で飼育できる環境がないと難しいね」



 アクアリウムといった手の込んだものでなくとも、水槽で飼育できる環境がなくては金魚は生きてはいけない。千隼と風吹は寮生活なために、常に世話をできるわけではなかった。


 金魚を育てられる環境がある人に引き渡すしかない。そんな相手がいたかなと千隼は考えてみるも、自宅ではもう水槽などもっていないので母に任せることもできなかった。


 どうやら、風吹も実家にそういった環境があるわけではないようだ。これは困ったなと二人が頭を悩ませていれば、「あ!」と声がした。


 見られたと思って慌てて千隼は振り返れば、見知った少女がぱたぱたと走ってくる。



「お兄ちゃんのお友達いたーっ!」


「彩夏ちゃん?」



 裕二の妹である彩夏が浴衣姿でやってきた。どうしてと千隼が首を傾げれば、「二人を見かけたから追いかけてきた!」と元気よく話す。


 裕二と二人で祭りに来ていたところ、千隼たちを見かけて挨拶をしようと追いかけてきたらしい。首から下げていたポシェットには木枯が引っ付いていた。


 誰かにふいに見られても誤魔化せるようにマスコットキーホルダーの真似をしていた木枯は、周囲に誰もいないのを確認してからうーんと伸びをする。



「風吹様も来てたんだなーって、同族がいるぞ!」


「あ! 金魚からなんか出てる!」



 金魚の幽霊が彩夏には視えるようで驚いたように目を開かせた。けれど、瞳は恐怖ではなく、好奇心の色を見せている。


 これは説明しなくてはいけないのでは。千隼がちらりと風吹を見遣れば、彼は「斎藤君も話に加えよう」と、遠くへ目線を向ける。そこには駆け寄ってくる裕二の姿があった。



「こら、彩夏。勝手に走って……」


「あ、先輩も見えます?」



 裕二の視線の先が金魚の幽霊に向いているのを見て千隼が聞いてみれば、「何があったんだ?」と彼が聞く姿勢に入った。


 話が早いと風吹は経緯を二人に話す。金魚の幽霊を助けたはいいものの、この後をどうするのか考えていたと。



「なるほど。こんなこともあるんだな……」


「身近にいるものだよ、妖怪や幽霊といった類のものは」


「金魚さんの住む場所を探しているの?」



 話を聞いていた彩夏の問いに千隼がそうだよと答えれば、彼女は目を輝かせた。それに気づいた裕二がおいと声をかけるも遅く。



「あたしのお家に来るといいよ! あのね、うちはメダカを飼ってるの!」


「そう言うと思った……」



 はぁと裕二が額を押さえる。どうやら、彩夏の家ではメダカを飼っているらしく、つい最近までは金魚も水槽で泳いでいたらしい。


 自分の家ならちゃんと飼えるよと彩夏は胸を張った。それはもう自信満々に。



「おれの父が好きなんだ。だから、今日も金魚やメダカすくいがあったら何匹か取ってきてくれと言われていた」


「お父さんの趣味ってアクアリウムだったり?」


「いや、そうではないな。金魚やメダカが好きなんだ」



 だから、持って帰れば父は喜ぶと思うと裕二は話す。普通ではないのが心配ではあるがと、金魚の幽霊を見ながら。


 金魚の幽霊は「何もしません、何も!」と自分は悪さをしないと主張した。自分の力では生きていけない状況で悪さなんてできるわけがないと。



「まだ、死にたくないですから、大人しく飼われますぅ」


「あー、泣かないで!」


「お兄ちゃん酷いよ!」


「いや、心配はするだろ、普通」



 およよと泣き出す金魚の幽霊を千隼が慰めつつ、彩夏が裕二を叱る。それをフォローするように風吹が「悪さできないようにおまじないはかけておくよ」と言った。


 裕二はまだ心配そうにしているが風吹が術をかけてくれるというので納得する。彩夏がもう大丈夫と声をかければ金魚の幽霊は安堵の息を吐き出した。



「お姉さんはお名前ってあるの?」


「もう名前を憶えていないのです……」



 金魚の幽霊となってから日が経っているせいか、生前の名前をもう覚えていなかった。


 そんなことがあるのかと千隼が驚いていれば、風吹が「妖怪となればそうなってしまうね」と教えてくれた。


 怨霊にまで上りつめたものや、妖怪となってしまった存在というのは生前の記憶が薄れて消えてしまうのだと。


 それは恨みに支配されてしまったり、妖怪として新たに生まれ変わったからといった理由からなるものらしい。



「人間も前世の記憶を忘れて生まれ変わってくるだろう。それと同じなんだ」


「なるほど」


「じゃあ、彩夏が名前をつけてもいいの?」


「わたしは構いませんが……」



 名前がないと話しかけにくいですものねと、金魚の幽霊は彩夏が命名しようとするのに理解を示した。


 裕二は「いや、ただ名前を付けたいだけだと思う」とぼそりと呟いていたが、彼女には聞こえていない。


 彩夏はうーんと頬に指をあてて考える素振りを見せてから、ぱっと思いついた表情をして見せた。



「ユリさんにしよう!」


「ユリ?」


「うん、百合の花ってきれいでしょ?」



 お姉さんのイメージにぴったりだと思うの。それはもう明るい笑みを浮かべて言うものだから、金魚の幽霊は「ありがとうございます」と受け入れてしまう。


 これで良かったのかと千隼は思いつつも、金魚の入ったビニール袋を彩夏に渡した。それからそっと風吹がタロットカードをかざして術を施す。



「これで大丈夫。斎藤君には迷惑をかけてしまってすまない」


「いや、気にしなくていい。彩夏の話し相手ができたと思えばいいよ」



 兄がいないので家の中で一人遊びをするのも寂しく感じることもあるはずだ。それが少しでも紛れるならばいいと裕二は返す。


 彩夏は嬉しそうに金魚の幽霊あらため、ユリに話しかけていた。


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