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月明かりの貧民街

 わずかな月明かりに照らされた貧民街。


 そこに暮らす住人たちはとっくに寝静まっている時分にも関わらず、何人もの男たちが路地を駆け回っていた。


「どうだ?」

 路地の暗がりの中で、巨体の男が暗闇に向かって問うた。


「こっちの目論み通り、壁の方へと追い込んでいます」

 暗闇に居た背を丸めた小柄な男が問いに応えた。


「よし、焦ることはねぇ、じっくりと網を絞れ。絶対に逃がすんじゃねえぞ」

 巨体の男は卑しく口角を上げながら、ドスの効いた声で言った。

 背を丸めた男もそれにならうように口角を上げて返事をした後、路地の奥へ煙のように消えていった。


 残った巨体の男は、月に照らされたエディンオルの城壁を見やった。そして、いっそう口元を醜く曲げながらひとりごちる。


「こんな時に夜遊びとは、馬鹿な姫様だ」


*******************


 時を同じくして、貧民街の路地に二つの人影があった。

 その二人は揃いのローブを着込み、フードで顔をすっぽりと覆っていて、辺りをきょろきょろと警戒しながら、駆け足で路地を走り抜けていた。


 もう長い間走っているのだろうか、二人の息は荒く口元を苦しそうに歪めていた。

 前を走る一人が路地の十字路で足を止めて、それぞれの道の先の気配を探った。


 そして、無言のまま後ろに目配せしてまた走り始めた。

 二人が選んだ道の先には、月明かりで幻想的に輝くエディンオルの城壁があった。


 ローブを着込んだ二人組は路地を抜けて、少し開けた空き地に到着した。

 眼前にはエディンオルの城壁が屹然として立ち塞がっている。


 後ろを走っていた一人は、膝に手を付いて肩で息をしている。

 見るからにもう走れないといった様相だった。


 空き地に通じる路地の一つから足音がした。

 足音は他の路地からも聞こえてきて、その全てが二人の居る空き地へ向かってきていた。


 やがて路地の暗がりから、巨体の男がその身体を月明かりの元に晒した。

 大きな傷跡の残る口元を醜悪に歪めて、ゆっくりと二人へ近付いてきた。


「先程から私達を追い回していたのは貴様等か。何用だ」

 気高さを纏った女の声で、ローブの一人が問いかけた。


 男は何も応えない。


 その間に、わらわらと大勢の男たちが空き地に姿を現した。

 その誰もが武器を手にして、醜悪な笑みを浮かべていた。


「何用だと? いちいちと暢気なことを聞くもんだな。親衛隊長さんよ」

 男のドスの効いた声が響いた。


 ローブの女はすらりとフードの被りを解いた。


「わたしを誰だか知ってのことか」


「もちろんだ。アンジェリカ皇女直属の親衛隊。その隊長のパトリシア様だ。そうだろ?」


 男はフードから現れた顔を見ても驚きもせずに、トリシアの名を口にする。


「それで、そっちのもう一人は、他ならぬアンジェリカ皇女だ。そうだろ?」


 男は顔をいっそう醜く歪ませて、右手を上げた。


 それに呼応するように取り囲む男たちが武器を構えた。


「あんた達が悪いんだ。命が狙われているってのに、こんな所にのこのこと出てくるんだからな。あの世で後悔しな」


 男の上げた手が振り下ろされようとした時。


「総員! 戦陣を敷けぇ!」

 咆哮と共にトリシアはローブを脱ぎ捨てた。

 現れたのは、親衛隊の証と言うべき白銀の甲冑。次いでトリシアの隣でもローブが脱げ落ちた。現れたのはシェリーではなく、白銀の甲冑に身を包んだ親衛隊の女剣士だった。


 男たちがその姿に気を取られた瞬間。


 空き地を取り囲む家屋の窓や扉がけたたましく破られ、甲冑姿の剣士が大勢現れた。そろいの甲冑に身を包んだ女剣士たちは、男たちをさらに大きな輪で取り囲むような陣形を組んだ。


 圧倒的優勢な状況から一転、完全に取り囲まれた男たちは動揺を隠せない。


 リーダー格の巨体の男がトリシアを睨みつけながら叫ぶ。


「てめえぇ! 俺たちを――」

「黙れ」


 トリシアの口から、地の底から響くような声が吐き出された。


 彼女はゆっくりと剣を抜いた。月のように鈍く光る刀身がその姿を現す。


「話は後で聞かせてもらう。特に貴様等の黒幕には興味がある。だが――」


 月明かりに仄かに照らされたトリシアの瞳が妖しく光る。


「――生きて、この国を出られると思うなよ」


 男たちが叫び声を上げた。月影に照らされた白刃が激しく舞い始めた。

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