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第34話 尚の心の中に 1

「尚? またここにいるの」


「あぁ。癒しの空気が、今の私には必要だ」


 それはそうだろうけど。もう目が覚めてから一ヶ月近く経つよ。

 その間、毎日その岩の上で座ったまま。

 櫂は? そろそろ気にならない?


 大岩の上で目を閉じて座り込んでる尚は、何か考えごとをしてる様に見えて、なんとなく声がかけづらい。

 尚の側で仙力を扱う練習をしながら、時間が経つだけの毎日。

 何も、やらなくて良いのかな。

 仙帝のことは?

 櫂のことは?

 どう切り出して良いのかわからないままにしてあるけど、このままで良いわけないよね。


 それともう一つ。これこそどうだっていいことかもしれない。それでも、私にとっては一番気になることで。

 ねぇ、きょうかさんって誰?

 名前は、きっと女の人だよね。


「其方は、仙力を扱うのが上手くなったな」


 私が手のひらに水玉を作り出したのを見ながら、尚が突然呟いた。

 途端に手の中で弾ける水玉。


「あは、あはは。あんまり、上手くなってないよ」


 びしょ濡れになった手を見ながら、苦笑いを返すしかない。


「十分早くなったと思うが。水しか作らぬのか?」


「水しか作れなくて……」


「今もか?」


 櫂さんに教えてもらい始めた当初、何も作れなかった私が唯一作り出せた水玉。それが作り出せる様になってからは、他のものに挑戦しようとも思わなかった。


「試したことないよ」


「今のままでも十分なのだがな。櫂は剣を生み出す。それ故に剣技を仕上げてきた。私や其方のような攻撃には上乗せする技術はない。だからこそ、速さや種類、威力を鍛えるしかない」


「強くなった方が、いいのかな?」


「すぐに必要だとは思わないが、強さが其方を困らせることは少ないだろう」


 尚の視線が、スッと私の顔から逸れて。言葉にすることのできない、私が強さを得なきゃいけない理由があるんだね。


「仙人として暮らすなら、強くなった方が良いに決まってるよね」


 尚が口にしないなら、私も気付かないフリをしよう。また仙帝が仕掛けてくるなんて、考えたくもない。


「其方が望むなら、私が教えよう」


「尚が、教えてくれるの?」


「私が適任だと思うが」


 それはそうだと、私でも思うよ。真似したと思われても仕方ないぐらいにそっくりな水玉を作り出してるわけだし。

 でも、これまで尚の力が影響するかもしれないからって、匂いが残るからって、櫂に任せた理由はそれじゃなかった?

 今更、何で? 何が起きたの?

 って、教えてくれないだろうな。

 尚よりも櫂よりも、ずっと小さくて弱い私は、守るべき相手で、決して協力者にはなれっこない。


「教えてもらえるなら、ありがたいです。よろしくお願いします」


 私の言葉に、尚の切れ長の目が更に細められた。



「水は冷やせば硬くなるし、温めれば相手を火傷させることも可能だ。力を込めるときに、それを冷やすように考えるだけでよい。全く別のものを生み出すわけではない。剣を作り出すより容易であろう」


 練習のために尚に連れてこられたのは、尚の家のある洞窟の前。自分の家のある岩壁に向かって、手に作り出した玉を躊躇なく放った。

 私のものの何倍もの速さで飛んでいった玉の中身は水ではなかったようで、速度によって威力の増した氷玉が岩盤を削る。


「家、壊れちゃう!」


「あんなもの壊してしまって構わぬ。また別の場所に作れば良いだけだ」


 そう言うと次から次へと撃ち放ち、氷のつぶてが岩盤を抉り取っていった。

 本気で壊しにかかってる。失敗作を見たくもないからって壊してしまう陶芸家みたい。

 消してしまいたいのは、連れ去られた事実?

 それとも、別の何かがあったのかな。


 尚の家の中のことを思い出しても、これといったものもない、殺風景な場所だった。

 私にはあんな家を用意してくれたくせに、自分のことはおざなりにしているような。そんな場所に、何か特別な物があったとは思えない。

 形のあるものじゃなくて……思い出?


「ここが、一番良いんだって、櫂さんから聞いたよ」


「あぁ。都合が良いと思って、長い間暮らしていたんだがな。そうでもなかった。だから、はるも手伝ってくれぬか?」


「壊すの?」


「的はあんなに大きい。良い練習であろう?」


 尚が言ったように、手のひらに集まる力を思い描き、それが冷えるように神経を集中させる。

 いつもより時間がかかって作り上げた玉は、間違いなく氷の粒。


「やった!」


 出来上がった氷を見て、心が弾んで、思わず集中力を欠いた。その瞬間に、手の上にできた玉はこぼれ落ちていって、地面をころころと転がっていく。


「力を抜いては、的に当たらない」


「だ、だって……嬉しくて思わず……」


 嬉しさを隠せないままに、何とか反省してるような顔を作り出す。


「なんという顔をしている」


 感情と理性がチグハグなままの私の顔は、何とも酷い顔だったようで、笑いを堪えられなかった尚の顔が歪む。

 少しは楽しいって、思ってくれたかな?


「変な顔になっちゃった」


 今度は嬉しさを隠そうなんてしない。だって、尚が笑ってくれた。少しでも、楽しんでくれた。


「変ではない。其方は、そういう隠さないところがよい」


 尚に向けた笑顔は、尚の顔を見て固まった。

 さっきまで歪むだけだった尚の顔。目を細めるだけだった笑顔。それが、ちゃんと笑ってくれてる。

 口元から見え隠れする白い歯が、更に尚の笑顔を引き立てていて。

 いつでも無愛想な、無表情な尚の貴重な笑顔。

 楽しみなんて一つもないと言いたげだった暮らしの中で、少しは心を弾ませてくれたかな。


「今度はちゃんと当てるね」


 さっきよりも早く、手に力を集中させる。

 壊してしまうのなら、少しでも大きくて強いものを作り出さなきゃ。

 今度こそ最後まで集中力を切らさなかった氷の玉は、見事に岩肌を直撃する。尚のものよりも威力もサイズも小さいけど、ほんの少しだけ岩肌を砕くことができた。


「上手く当てたな」


 尚、そんな顔私に見せたらダメだよ。

 変な期待しちゃうから。

 櫂にも、きょうかさんにも申し訳ないよ。

 これまでみたいにあしらってくれて良いの。



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