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渾身の一作と卒業の時 ②

 ――今年の学年末テストもバレンタインデーも終わり、卒業式が間近に迫った三月初旬。さやかが思いがけないことを愛美に言った。


「卒業式前の連休、あたしも一緒に長野の千藤農園に行きたいな。愛美、執筆の息抜きに行きたいって言ってたじゃん」


「えっ、わたしは別に構わないけど……。さやかちゃん、急にどうしたの?」


 部屋の勉強スペースで執筆をしていた愛美は、キーボードを叩いていた手を止めて小首を傾げた。彼女が「千藤農園へ行きたい」なんて言ったことは今まで一度もなかったから。


「いやぁ、愛美がいいところだって言ってたし、あたしも前から一度は行ってみたいと思ってたんだよね。純也さんのお母さん代わりだったっていう人にも会ってみたかったしさ。っていうかぶっちゃけ、最近食堂がうるさくてストレスなんだわ」


「あー……、確かに。会話もままならない感じだもんね」


 さやかも言ったとおり、最近〈双葉寮〉の食堂では特に夕食の時間、みんなが一斉におしゃべりをする声が大きくこだましてやかましいくらいである。隣り同士や向かい合って座っていても、話す時には手でメガホンを作って「おーい!」とやらなければ聞こえないのだ。そりゃあストレスにもなるだろう。


「分かった、わたしから連絡取ってみるよ。この時期だと……、農園では夏野菜の苗を植え始めたりとかでちょっとずつ忙しくなるだろうから、一緒にお手伝いしようね。あと、純也さんと二人で行った場所とかも案内してあげる」


「やった、ありがと! 野菜育てるお手伝いなら、ウチもおばあちゃんが家庭菜園やってるからあたしもよくやってたよ。じゃあ、連絡よろしくね」


「うん」


 愛美のスマホには、千藤農園の電話番号はもちろん多恵さんの携帯電話の番号も登録してある。愛美から連絡したら、多恵さんはびっくりしながらも喜んでくれるだろう。ましてや、今回は一人ではなく友だちも一人連れていくんだと言ったら、大喜びで歓迎してくれるだろう。


「じゃあ、原稿がキリのいいところまで書けたら、さっそく多恵さんに電話してみよう」


 という言葉どおり、愛美は執筆がひと段落ついたところで多恵さんの携帯に電話した。



   * * * *



 というわけで、卒業式前の連休――というか厳密に言えば自由登校期間だけれど――の初日、二泊三日分の荷物を携えた愛美とさやかはJR長野駅の前に立っていた。


「――愛美、あたしの分まで交通費全額出してもらっちゃって悪いね。でもよかったの?」


「いいのいいの! わたし今、口座に大金入ってるから。ひとりじゃ使いきれないし、使い道も分かんないし」


 冬休みに突然舞い込んできた二百万円というお金は、まだギリギリ高校生でしかも施設育ちの愛美にとってはとんでもない大金だった。作家として原稿料も振り込まれてくるけれど、さすがに百万円単位はケタが違う。印税でも入ってこない限り、そんな金額は目にすることがないと思っていた。


「そっか、ありがとね」


 多分、さやかもそんな大金はあまり見ないんじゃないだろうか。

 そして、愛美に自分の分まで交通費を負担してもらったことを申し訳なく感じているだろうから、後で「立て替えてもらった分、返すよ」と言ってくるに違いない。その分を受け取るべきかどうか、愛美は迷っていた。

 さやかの顔を立てるなら、素直に受け取るべきだろうけれど。愛美としては貸しにしているつもりはないので、返してもらうのも何か違う気がしているのだ。

 それはきっと、もっと大きな金額を愛美に投資してくれている〝あしながおじさん〟=純也さんも同じなんだろうと愛美は思うのだけれど……。


「――農園主の善三さんの車、もうすぐこっちに来るって。奥さんの多恵さんからメッセージ来てるよ」


「そっか」


 スマホに届いたメッセージを見せた愛美にさやかが頷いていると、二人の目の前に千藤農園の白いミニバンが停まった。助手席から多恵さんが降りてくる。


「愛美ちゃん、お待たせしちゃってごめんなさいねぇ。――あら、そちらが電話で言ってたお友だちね?」


「はい。牧村さやかちゃんです」


「初めまして。愛美の大親友の牧村さやかです。今日から三日間、お世話になります」


 さやかが礼儀正しく挨拶をすると、多恵さんはニコニコ笑いながら「こちらこそよろしく」と挨拶を返してくれた。


「静かな場所で過ごしたくて、ここに来たいって言ったそうだけど、ウチもまあまあ賑やかよ。だからあまり落ち着かないかもしれないわねぇ」


「いえいえ! 寮の食堂に比べたら全然静かだと思います。ね、愛美?」


「うん、そうだね。多恵さん、ウチの寮、二百人も住んでるんですよ。ゴハンの時間になったらそれだけの人数が一ヶ所に集まって、一斉にワーッっておしゃべりするんですもん。もう賑やかどころじゃないです」


「あら、それはなかなかにストレス溜まっちゃうわねぇ。この三日間は畑のお手伝いもしてもらうけど、伸び伸び過ごしてもらって構わないからね」


「「はい! ありがとうございます!」」


「じゃあ、二人とも後ろの席へどうぞ」


 多恵さんが後部座席のスライドドアを開けてくれて、愛美とさやかが車に乗り込むと、運転席から善三さんが「いらっしゃい、よく来てくれたねぇ」と目を細めて声をかけてくれた。


「去年の夏は愛美ちゃんが来なかったから淋しかったんだよ。純也坊っちゃんも来れなくなったっておっしゃってたしねぇ。でも、この時期に愛美ちゃんが友だちも連れてくるって言ってくれて嬉しかったよ。女の子が二人も来てくれて、この三日間は楽しくなりそうだなぁ」


 善三さんは嬉しそうにそう言って二人を歓迎してくれたので、愛美は「さやかちゃんも連れてきてよかった」と思ったのだった。



   * * * *



 千藤家に到着して部屋で荷解きを終えると、愛美とさやかはさっそく多恵さんに農園へ連れてこられた。


「――じゃあ、二人にはハウスで夏野菜の苗を植えるのを手伝ってもらうわね。ここはトマトのハウスで、あっちがキュウリ、その隣りはナスね」


「はい。あたしのウチ、祖母が家庭菜園をやってて、高校の寮に入るまではあたしもよく手伝ってましたから」


「そうなの? じゃあ、強力な助っ人が来てくれたわけね。助かるわぁ」


「多恵さん、さやかちゃんをこき使う気満々ですよね」


「あら、バレちゃった? なんてね、ウソよぉ。そんなに大きなハウスじゃないし、三人で協力してやれば早く終わるわ。その後は一緒にパンを作りましょ」


「「は~い!」」


 三人は力を合わせて苗の植付けを頑張った。さやかはさすが実家で祖母の菜園を手伝っているだけあって、慣れた手つきで苗を植えている。


「珠莉ちゃんもここの作業を手伝ってたら、トマト嫌いも克服できるようになるかな。これだけ大変な工程を踏んで、美味しいトマトが実るんだって分かったら」


「そうだね。珠莉はともかく、子どもたちの食育にはなるんじゃないかな。あー、あたしやっぱり教職課程選べばよかった!」


「さやかちゃん、結局福祉学部に進むって決めたんだもんね。でも、児童福祉に関われるんだから」


「……だね。後悔はしてないよ。けど、そっちの道もあったなぁって思ってるだけ」


 さやかは進路を決める十一月ギリギリまで迷って、最終的に教育学部ではなく福祉学部を選んだのだ。そして将来的には児童福祉に関わる資格を取って、児童相談所などに就職するのだという。


「わたしは応援するよ。進む学部は違うけど、大学に入ってからも、その後だってずっと親友だと思ってるからね。もちろん珠莉ちゃんも」


「愛美……! うん、ありがとね」


 三人は大学の寮でも同室になろうと決めているのだ。将来誰かが結婚して母親になっても、この友情は永遠に続いていってほしいと愛美は思っている。

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