午後の陽ざしがまだ残る中、ひんやりとした風が制服のスカートを揺らした。
私は、伍代先輩の前に立っていた。彼の驚いた目が、まっすぐに私を映している。
「わ、別れる!?」
先輩の声が、校舎裏に響く。
その声には、驚きと焦り、そして私の予想以上の動揺がにじんでいた。
「……はい。ごめんなさい、先輩」
私は丁寧に頭を下げた。
この言葉を口にすることに迷いはなかった。
私は、自分が間違っていたことを理解している。
だからこそ、ここでちゃんと終わらせなければならない。
「待ってくれよ! 俺たち、さっきまでうまくいってたじゃん! だから、あいつより俺を選んだんだろ!? それに、この前の公園の件だって、さっき誤解だって言ったよな!?」
伍代先輩が、一歩近づく。
──「あいつ」
彼の言う「あいつ」とは、きっと啓のことだろう。
私はゆっくりと首を横に振る。
最初から、伍代先輩を選んだわけじゃない。
私はただ、啓を傷つけるために、伍代先輩を利用しただけだった。
そんな自分が、ひどく情けない。
「別に、伍代先輩を選んだわけじゃないんです。ただ……」
「たっただ?」
伍代先輩が問い返す。その声には焦りがにじんでいた。
私は、胸を押さえながら言葉をつむぐ。
「私は……自分の気持ちに嘘をついていました」
心の奥底にある感情は、もうはっきりしている。
「先輩にひどいことをしました。本当にごめんなさい」
「……俺のこと、好きだったんじゃないのか?」
伍代先輩の声が、低く落ちる。
私は、ゆっくりと首を振った。
「先輩は……私の夢をかなえてくれた。素敵な人です。でも、それは恋じゃないんです……」
「なんだよ、それ」
伍代先輩の顔から、笑みが消えた。
その瞬間、彼の空気が変わる。
それまで見せていた余裕ややさしい笑顔が、一気に消えたのが分かった。
その変化に、私は無意識に肩を震わせる。
「本当に、ごめんなさい……先輩!」
私は、彼の前から走り出した。
伍代先輩の「待て!」という声が背後から追いかけてくる。
でも、振り返ることはできなかった。
走りながら、涙がにじんできた。
──私は、最低だ。
伍代先輩を利用して、啓を傷つけた。
結局、自分の感情をぶつけているだけだった。
そのとき、頭の中に浮かんだのは、響子さんの言葉だった。
「他人まかせで自分の見たいものしか見ない……だからそうやって真実を見失う……」
響子さんは、私のことを見抜いていた。
私は、自分が信じたいものだけを信じて、都合よく解釈して、傷つくことを避けていただけだった。
私は、啓と向き合うことを怖がっていた。
だから、伍代先輩を利用して、啓の目をそらそうとした。
そんな自分が、ひどく情けなかった。
「……もう、こんなこと、やめなきゃ」
私は、制服の袖で涙をぬぐう。
泣いている時間なんて、ない。
私は、このままでは終われない。
今度こそ、まっすぐ啓と向き合わなきゃいけない。
私は足を止めた。
目の前には、夕焼けにそまる校舎の壁が続いている。
オレンジ色の光が影を作り、私の姿を長く伸ばしていた。
そう、私は今までずっと影を追いかけていた。
過去にしばられ、誤解にとらわれ、自分の本当の気持ちから逃げていた。
でも、もう違う。
もう一度、啓に向き合う。
本当に聞きたかったことを、ちゃんと聞くために。
誤解を解くために。
……そして、
自分の本当の気持ちを確かめるために。
「……今度こそ」
私は、前を向いた。
今までとは違う一歩をふみ出す。
迷うことはもうない。
答えを出すのは、私自身だ。
ただ、大切なのは、
もう二度と、自分に嘘をつかないこと。
風が吹いた。
涙のあとが、乾いていくのを感じた。
私は、もう一度、歩き出した。