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バスケットボール on the 惑星
バスケットボール on the 惑星
川之江マノン
現実世界スポーツ
2025年02月18日
公開日
5.7万字
完結済
バスケットボールはあきらめていたのに、宇宙人に出会ってしまった

バスケットボール on the 惑星

 二〇六六年の九月四日、神奈川のとある高校の二年三組の教室で、いつものように教師のイタミが授業をしている。今日のボディはいつものステンレスそのままの銀色では無く、赤い塗装がなされていた。

 生徒がなぜ赤なのか尋ねると「昨日ヘルシンキの生徒に聞いたのですが、フィンランドでは赤が縁起の良い色らしいので」とのことらしい。そういうブームなようだ。

 イタミは指が十本ある手で器用にチョークを掴み、授業を開始する。

「今日は近代史をやります、第一次地球交渉と第二次地球交渉の後、地球が二級文化遺産に指定されてメナ星の保護惑星に指定されてからの歴史です。」

 イタミはそう言うと、日付と同じ出席番号だった川崎学を指名した。「まずは前回の復習から。地球交渉について簡単に説明をしてもらえますか?」学は起立し、視線を左上にやりながら思い出すように答える。

「二〇四七年にメナ成人から地球に保護の提案を開始。第一次世界交渉が行われました。約一八〇の国と地域が提案を受け入れる一方で、アメリカやドイツ、ロシア、中国と言った主要国は拒否。第二次地球交渉では、それらの国と積極的な交渉を行い、各国の理解ある対応により地球は第二種文化惑星に指定されました。」

 学は淀み無くスラスラと答える。

「素晴らしいですね。ありがとうございます。惑星によっては武力行使をしてくる事もありますから、対話で交渉に臨んだ地球は素晴らしいです。」

 イタミのボディの顔に当たる部分は液晶がついており、絵文字のような絵で表情を表す。学の回答を聞くとにっこりとした笑顔が液晶に移された。

 学は着席したが、内心苦笑いをしていた。図書館の本で、教科書には載っていない交渉の詳細を把握していたからだ。実際のところ、地球としてはメナ星人に対して攻撃を仕掛けている。第二次地球交渉が始める前、提案に反対した各国が協力してメナ星人の宇宙船に対して爆撃を試みた。しかし、宇宙船の船体に打ち込んだはずの兵器達は、目標に到達すること無く、姿を消したそうだ。

 大混乱に陥りながら次の手を考えていると、二時間後、使用した兵器達がそっくりそのまま、むしろより綺麗に整備された状態で、戦略本部の前に並べて返却されたらしい。添えられたメッセージには「歓迎の花火感謝します。しかし、我々は音と光で興奮する感性が無いため、もったいないので爆発する前に回収させていただきました」とあったそうだ。当時の各国の首脳達の気持ちに思うと、学はいたたまれない思いがした。

 イタミが黒板への板書を開始し、本格的に今日の授業を開始したので、学は授業に意識を戻した。

 イタミが全世界の教育を担うようになってから、塾やその他の教育機関は無くった。思念体であるイタミは、複数のロボットに意識を移すことで、世界中のすべての子供達の教育を担っている。学校という文化を残すために集団授業も残っているが、個別授業で手厚いフォローがあり、イタミの指導が最も効率の良い学習方法となっている。国立の大学への進学を目指す川崎学にとっては、少しも無駄にできない時間だ。のっぺりとしたイタミの合成音声を聞きながら、学は授業の内容をノートにまとめた。


「よくあの質問に答えられたなあ、俺全然わかってなかったよ」 

 授業が終わりに話しかけてきたのは、学の友人の高見だ。

「歴史は好きで個別授業でもけっこうやってるからな」

 学は個別授業の進みが早く、かなり先の内容も頭に入っている。まだ二年生ではあるが高校の範囲を一通り終わらせて受験対策に移れるところまで進んでいた。

「学は大学進学っていう目標があるもんな、俺も進路考えないといけないんだけど」

 そう言いながら、高見は悩む仕草をする。この一ヶ月で五回は聞いたセリフだが、二年生になって部活のキャプテンを任された高見は、そんな事を考える余裕も無いのないのだろうと学は思う。

「お前はまずバスケに集中した方が良いよ、全国に行きたいんだろ」

「そうだな、三年生は行けなかったから。代わりに俺らの行くって決めたからな」

 低く自分に言い聞かせるように話す高見からは、強い決意が覗えた。高見は目標に対して退路を立ちながら追い込んでいくところがある。

 こうして周囲に宣言するのも彼なりの追い込みなのだろう。学は高見らしさと同時に追い込みすぎを心配するが、高見の表情からは良い精神状態を保てているように感じた。

「高見なら大丈夫だよ、勉強はできないけど運動は昔から良くできたじゃ無いか」

「勉強はできないけどって言う必要あったか?」

 いつもの軽口の言い合いに二人は目を合わせて笑った。中学校の時は毎日のように一緒に行動をしていたが、今は授業以外で会う機会は減ってしまったので、学はこのやり取りを懐かしく思う。その後も、たわいのない話を続けるが、ふと高見が真面目な表情になる。

「一緒にバスケやってたときが懐かしいな」

 高見の言葉に学は思わず高見から目を逸らす。高見はそれ以上は言わなかったが、もう一度学にバスケをして欲しいと思っていることは薄々感じていた。しかし、直接言わないのは、学の事情を知る高見の優しさだろう。結局その後は、高見の部活の時間になったので二人は別れた。学は自分の気持を整理できないまま自宅への帰路に着いた。

 帰宅途中で学校と自宅のちょうど真ん中にある公園の前で学は足を止める。リングがおいてあるだけの簡素なバスケットコートがあり、ボロボロではあるが、ボールもコートの端にカゴに入って用意されている。

 学はいつものようにボールを拾いドリブルをしながらリングとの距離を測る。地面の感触を確かめ、ドリブルと自分のリズムがあったところで学はシュートを放つ。弧を描いて飛んでいったボールはきれいな軌道でリングに向かって飛んでいった。

 ゴールネットが取れてしまったリングの真ん中を、ボールは音も立てずに通る。学は自分の感覚が鈍っていない事に安心する。そのまま三〇分ほどシューティングをして学は公園を後にした。放課後のシューティング練習。部活を辞めても、これだけは辞められないでいた。


「兄ちゃんおかえりー」

 学が家に着くと、弟の光が絵を描いていた。半年ほど前から絵を書き始めた光は、最初は白黒だったが今は色鉛筆を使い、小学生にしては随分としっかりとした絵を書くようになっていると思う。学は感心しながらも、もう少し活発な遊びをした方が良いのではと不安に思っていた。

「また絵書いてたのか、たまには外で遊べよな」

 学は光にそう言うが、光は反応をせず黙々と絵を描いている。こういう小言を聞き流せるのは、ほどよく力を抜いて育てられがちな弟の特権かもしれないと学は思った。

「夕飯作るから、ぼちぼち片付けろよ」

「うん!」

 都合の良いときには全力で返事をする弟に呆れて笑いながら、学は台所に立って夕飯の準備を始めた。パックに入ったカット野菜をレンジで蒸し。その間に朝出かける前に冷蔵庫に移して解凍した下味着きの鶏肉をフライパンで焼く。

 米もまとめて冷凍してあるので、野菜ができたら米もレンジで温めて準備は完了する。学が光の夕飯を作るようになってから、最初は多少凝った物を作ったりもしていたが、だんだんとシンプルな物に落ち着いた。

「あ、この鶏のやつ美味しいよね」

 大して代わり映えのしないメニューだが、おいしいと言いながら食べてくれる光は愛される才能があると学は思う。光は好き嫌いが無いわけではないが、学の作った食事に文句を言ったことは無い。光なりに気を使っているのだろうかと学は思う。

 夕飯を終えて、学と光は一緒に学校の課題を始める。光の課題は国語や算数だけでは無く、絵のスケッチもあった。おそらく光の興味に合わせた課題を出しているのだろう。学はイタミのカリキュラムの立て方に感心した。楽しめる課題がないと、光はなかなか勉強が続かない。

「ただいまー」

 学も自分の課題を進めていると、玄関の鍵が空いて声が聞こえる。母親の祥子が帰ってきたのだ。声を聞いた光は、先程の絵をもって玄関に向かった。

「お母さん。今日はこれ書いたよ」

「あら、上手に描けてるじゃない」

 祥子はそう言うと、光の頭をなでた。光はうなずくと、満足をしたのかまた課題に戻る。

「ご飯できてるよ」学が言う。

「ああ、助かるー、ありがとうね。最近任せっきりでごめんね」

「次の本が発売されるのってそろそろだっけ」

「そうね、難病の子供を持つお母さんが書いた絵本でね、読むと勇気づけられる人が一杯いるんじゃないかな」

 父親が亡くなって、学が夕食を作るようになってもう一年ほどになる。学の父親の正彦はフリーランスのエンジニアだった。忙しいながらも時間に融通が利く人だったので、もっぱら夕飯は父が作り、光と学と父で食卓を囲むことが多かった。祥子は小さな出版社で働いており、夜は遅くなりがちだったが、活き活きと本を作る祥子を家族は誇りに思っていた。

 父が亡くなったとき、祥子は家族との時間を取るために転職しようとしたが、学が家事を引き受けると宣言したのだ。

「あんたは部活もあるでしょ、家のことは心配しなくても良いの」

 祥子はそう言ったが、学の心は決まっていた。祥子がどれだけ本気で仕事をしているか知っていたからだ。それに、学としても自分と小学生の光の生活を考えると、母親がしっかりと働いていた方が安心だった。

「光、あなたそろそろお風呂に入らないと、それか久しぶりにママと一緒に入る?」

 光の方を見て祥子が言う。「えー、イヤだ」光はそう言ってさっさと風呂場に行ってしまう。

「前は一緒に入ってくれたのに、反抗期かしら」

 祥子は思ったよりダメージを食らったようだ。

「光ももう小四だから普通だろ」

 学が呆れたように言う。祥子は光が書いた絵を手に取り、改めて眺める。

「光も成長してるんだねえ、絵もすごい上手になってるし」

「絵も良いけど、俺はもうちょっと外で遊んだりした方が良いと思うんだよな」

「昭和のおじさんみたいなこと言うわね」祥子が笑う。「いいじゃない、光は得意な物を伸ばしていけば良いと思うわ」

 祥子の言葉に学は、同意できず思わず反論する。

「光が絵を描き始めたのって父さんがいなくなってからじゃないか。父さんの趣味が絵だったから、寂しくて真似してるんじゃないかと思って」

「最初はそうだったかもしれないけど、今は本当に楽しんでやってるわよ。それにあの子は強い子よ、くよくよしてるわけじゃない」

 祥子の確信しているような言葉に、学は納得せざるを得なかった。

「それより、学は最近どう?」祥子が声の調子を変えて明るく言う。

「俺はいつも通りかな、個別授業が結構進んでるから、イタミ先生に褒められるよ。岡大なら今の調子でまず大丈夫だろうってさ」

 学は地元の国立大学に進学することを決めていた。もともとは関東の大学に進学して、バスケ部に入りたいと思っていたが、父が亡くなって、光の事も思うと自分の学費は抑えないとと思うようになっていた。話を聞いた祥子は少し難しい顔をして言う。

「学、無理に家から通える大学に行かなくても良いのよ。学ならもっと街の大学も目指せるでしょ」

 学は祥子の言葉に思わず苛立ってしまう。学を思っての発言かもしれないが、今更自分で決めたことに口を出して欲しくはなかった。

「俺が家を出たら光はどうするんだよ。あんまり適当なこと言うなよ」

「適当じゃないの、さっきも言ったけど光はあんたが思ったよりしっかりしてるし、なんとかお母さんと二人でもやっていける。学にはやりたいことをやって欲しいの。それに本当は大学でバスケをまたやりたいんでしょ」

 祥子の言葉は更に学の感情をざわつかせる。今度は図星だったからだ。それでも何とか学は反論をしようとするが言葉が出てこない。耐えきれず学自分の部屋に戻ろうとした時に光が風呂から出てきた。

「そういや、明日運動会の練習だから体操服いるんだった」

 光は無邪気にとんでもないことを言い出す。普段は体育の授業は火曜日なので、洗濯をしてなかった。

「1回くらい洗わないの着るよ」光はのんきに言うが、体操服はリレーの練習で転けたとかで泥だらけである。さすがにこの体操服をもう一度着せるわけには行かない。しかし、あいにく今日は夜中から雨が降るらしく、今から洗っても明日の朝までに乾いている保証はない。

「どうしよう」学は思わず祥子の方をみる。

「今から洗って、コインランドリーで乾燥かな」

 祥子が言う。それを聞いて学は感心する。洗濯は家でする物だと思っていた学にはコインランドリーを使うという発想はなかった。

「学、ママが行ってくるから、明日の光の準備任せて良い?」学は頷く。焦る様子もなく服を洗濯する祥子をみて、頼もしく思う。準備ができて、祥子が玄関から出るときに、祥子は学に声をかけた。

「さっきの話、よく考えてね」そう言うと学の返事を待たずに玄関を出てしまった。


 いつものように学校でイタミの個別授業を受けていると、珍しくイタミが授業以外の話題を口にした。

「川崎君、明日の放課後の予定は開いていますか?」

「放課後ですか?」

 学は思わず聞き返した。教育とスポーツ以外でメナ星人が一般人に干渉してくることはほとんど無い。今回のような質問をされること自体かなり珍しいことだった。

「予定というわけではないんですが、弟の夕飯を作らないといけなくて」学は少し警戒しながら返事をする。

「ああ、光くんですね。」高校までの全学生はイタミの教え子だ、兄弟の状況などは太陽の位置よりも把握しているだろう。

「よろしければ、明日は私が光くんの面倒を見ましょう。食事も用意しますよ」

 痛みは驚いてイタミを見る。これまで、イタミが授業外で関わってくるという話は一度も聞いたことが無かった。

「ああ、安心してください。日本だとあまり無いんですが、アフリカなんかだと、教育の一環で私が食事を用意することもあります。そうでもしないと授業に支障が出るのでね。ちゃんと栄養バランスを整えた物を作りますよ」

 学の怪訝な表情が伝わったのかイタミは言葉を続けた。別に食事内容の心配では無かったが、どうやら本気でイタミが光の食事を用意するつもりのようだ。しかし、なぜイタミがそこまでするのかがわからない。

「それはありがたいんですが、先生がそんなことまでしてくれるなんて、その、珍しいですよね」

 学が言うと、イタミの表情を表す液晶が笑顔になった。

「そうですね、実は学君にやって欲しいことがあるのです」

「やってほしいこと?」

「ああ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。もちろんイヤなら断ってもらっても大丈夫です。地球人を含め保護惑星の生命は人格権が認められています。嫌がることをする必要はありません」

 保護惑星という言い方が、メナ星人と地球人の圧倒的な立場の差を示しているようで、学は苦笑いをする。

「明日、あるメナ星人に会って欲しいのです。詳しいことは、そのメナ星人がまた話してくれるでしょう」

 学は訳がわからなかったが、メナ星人のお願いを断れるはずがない。「わかりました」学はそう答えるしかなかった。イタミは大きく頷く。

「さて、それでは私は光君の食事のメニューを考えないといけないですね」

 イタミはそう言うと、液晶に悩んでいるようなアイコンが表示された。

「アフリカ以外の地域では食材の調達もほとんどしたことが無いんですが、タロイモは近くのスーパーで買えますか?」

 イタミの言葉に学はかなり不安になった。


 次の日の放課後、学はイタミに指定された学校の近くの公園にいた。偶然にも学がシュート練習をしている場所だった。イタミからはここで待っていれば別のメナ星人が来ると言われたが、学はイタミ以外のメナ星人の存在は聞いたこともない。本当に来るのかと思いながらベンチで待つしかなかった。

 改めて公園を見渡すと季節は秋になっており、心地いい気温だった。昨日は緊張でよく眠れなかった学は、椅子に座ると急激な睡魔に襲われる。

 一瞬眠って目を覚ました学は慌てて時計を確認する。幸い約束の時間の五分前だったので学は安心した。冷静になり、周りを見渡して学は声を上げそうになる。ベンチの隣に人が座っているのだ。人が座っているベンチを選んでわざわざ座る人はそうはいないのだろうと思い、学は混乱する。

「声を掛けようと思ったのですが、気持ちよさそうに寝ていたし、まだ約束の時間になってないから、隣に座らせてもらいました」

「え、あ、はい」

 急に声をかけられた学は、反射的に相槌をうつ。数瞬して女性の言葉を理解し、驚愕する。

「約束の時間?」

「あなたと会う約束をしていたはずです。イタミに聞いていませんか?」

 女性はそう言って学の方を向いた。

「私はメナ星人のニエモ、よろしくお願いします」

 あまりの衝撃に学は頭が真っ白になる。眼の前にいる人はどう見ても人間にしか見えなかった。それでも、その女性の醸し出す浮世離れした雰囲気から、本当にメナ星人である可能性を否定もできず、失礼な態度を取らないよう学は必死で頭を回転させる。

「……こんなに可愛らしい方が来るとは思わなかったです」

 やっとのことで学は返事をする。気取った言い方になってしまったが、ロボットのボディが来ると思っていた学にとっては本心だった。

「あら、可愛らしいなんて、お上手ですね」二エモはニヤリと笑っていった。

「驚くでしょうが見た目のことは余り気にせず、この方が何かと都合がいいのです。それよりも、本題を話しましょう。お忙しいところ来てもらっているわけですからね」

 気になるところはいくらでもあったが、学は二エモの言葉に頷くしかなかった。

「イタミからお願いがあるということは聞いていますね」

「ええ、内容は知らされていないですが」

「なるほど、では単刀直入に言いましょう。学君、もう一度バスケットボールをして、政治代理スポーツ大会でメナ星の未来を決めて欲しいのです。」


 メナ星では長らくの間、自分たちでは政治的な判断を行わず、他の惑星の生物を競わせて、その結果で政治に関わる決定を行っていた。なぜなら、どんな判断になったとしてもメナ星人それを遂行する能力を持ち、失敗をすることがないからだ。自分たちの生存活動においてまったくリスクがないメナ星人は、その状況につまらなさを覚え、自分たちの力が及ばない他の生物で不確実性を上げることでリスクを接種し、生物としての実感をかろうじて得ていた。

「次のメナ星の千年の方向性を決めるための生態競争観戦として、白羽の矢が立ったのが、地球のスポーツです。」

 ニエモは学に対して一通りの説明をした後にそう言った。

「地球のスポーツは素晴らしいです。お互いの命を脅かさない範囲で優劣をつけるという文化は他の星だとなかなかありません。そのおかげで長期的なスパンで競技に参加でき、複雑なルールの採用と、競技に対して高いレベルで肉体と技能の最適化を実現しています」

 その口ぶりから、ニエモは心底感心している様子が伝わる。

「なぜ僕なんですか」

 わからないことが多い学は、さしあたってなぜ自分がここに呼ばれたのかを確かめることにした。

「今回の大会では、メナ星がアジアの各地域に分かれ、ジュニア世代の選手を集めて3X3(三人制バスケ)のチームを作って競い合うことになりました。今はバスケが一番人気でしてね。しかもジュニア世代なら我々の介入効果が高いですからね」

「そうだとしても、僕が選ばれる理由がわかりません。バスケットは中学校で辞めましたし、最近はこれと言ったトレーニングもしていません。開催まで三ヶ月しか無い大会で役に立てるとは思えません」

「不安に思うのは仕方ありません。ヒトは自分の可能性に対する解像度が低い生物ですからね。しかし大丈夫です。あなたには素質があります。」

「素質ですか」

「ええ、あなたには他の人にはない素質があります、それに学君ももう一度バスケットをしたいと思っているんじゃないですか」

 ニエモの言葉に学ぶは背筋が冷える思いがする。すべてを見透かされているような感覚だった。当初は警戒していた学だが、段々と目の前の女性が人間であるよりはメナ星人である方が自然に思えてきた。とんでもない話だが、学の人生にとっては、これ以上ないくらいの大きなイベントになるだろう。あっさりと断って明日から今までと同じ日常を過ごすのは惜しい。しかし、とはいえ簡単に首を縦に振ることもできない。まだわからないことが多い上に、もし大会に出るとなれば家のことはできなくなる。光の面倒を見る人がいなくなってしまう。

 学は遠慮がちにニエモの顔を見る。

「声をかけていただいたことはうれしいですが、参加は難しいです。家の事をやらなくてはいけないし、受験勉強もしなくては行けません」

 学の言い分を聞いたニエモはむしろそう言われるのを待っていたかのように深く頷く。

「城北大学への推薦と学費免除、そして奨学金五百万を用意しましょう。」

 ニエモが言った台詞に学は耳を疑った。城北大学は、学が密かに憧れていた大学だった。バスケの強豪として有名で、学は中学時代に実際に試合を見て、学生らしからぬ高いレベルのプレイに魅せられた。高校卒業後は城北大学への進学を目標にしたかったが、そのすぐ後に父が亡くなったことで、その思いは誰にも伝えること無く、学の胸に秘められたままになっていた。

「あなたのことは、あなた以上にわかっていると行ったでしょう」

 ニエモがいたずらっ子のような表情で学を見る。しかし、すぐに真剣な表情に戻すと話を続けた。

「もちろん、条件はあります。政治代理スポーツ大会で優勝が条件です。しかし、だめだった場合も大会後はイタミによる受験のサポートを受けられるようにしましょう。それに、練習中は光君のサポートもメナ星が行いましょう」

 学は提案の内容を改めて吟味する。家から国立大学に通う以外の選択肢は金銭的に無理だと思っていた。しかし、奨学金が用意されるのであれば、状況は大きく変わる。五百万あれば、光が大学に行くのに備えていくらか残してやれるかもしれない。普段の学なら疑ってしまうくらい出来た話だが、イタミの家庭への干渉や、誰にも言っていない城北大学への推薦と、既にありえないことがたくさん起きている。

「やります」

 慎重な性格の学としては珍しくはっきりとした声で言った。条件を考えるとやらない手は無かった。そして、学は自覚していないことだが、バスケをもう一度やれることに大きく心が動かされていた。返事を聞いたニエモは満足そうに頷く。

「ありがとうございます、これでメナ星の将来を決める第一歩ができました。」

 大きな決断をして緊張が解けた学に、ふとした疑問が浮かんでくる。

「でも、何で決めてもいいなら、サイコロを振っても同じなんじゃないですか」

「それは良い質問ですね」二エモは頷く。「実際にそう言う意見もあって、一時期は決定をサイコロで決めていたことがあります。ただあんまり長続きしませんでした」

 そう言ってニエモは当時を思い出すように遠くを見る。

「なんでも良いとはいえ、サイコロに将来を決められると納得感がないんです。たとえ意味が無いとしても誰かが汗か血を流さないと」


 学が政治代理スポーツ大会に参加をすると決めた後、家に戻って一悶着があった。練習のために長期で家を空ける可能性もあるらしく、ニエモが学の家族に事情を説明すると言ったのだ。学にとってはありがたいことだったが、問題は思春期の息子が家に若い女性を連れて帰ったときに母親がどのような反応をするかを予想できていなかった事だ。

 便宜上、祥子には知り合いの女性を連れて行くと連絡し、ニエモと家に帰ると玄関で光と祥子が迎えてくれた。祥子は明らかに朝仕事に行ったときよりもバッチリとしたメイクをし、家は他人の家かと思うほど片付いていた。

「あら、こんな綺麗なお嬢さんが。あ、いえごめんなさいね。どうぞ上がって、お茶をいれるから」

 祥子は動揺しているのか、若干早口で、しかし上機嫌そうに言った。

 学は一瞬立ち尽くしてしまったが、気を取り直してニエモを中に案内する。幸いニエモが話を始めると、そのただならぬ雰囲気から、状況を祥子と光も理解し始めた。

 話をきいた祥子は、しばらく無言になる。何かを考えているようだ。改めてニエモの方に向いたときは、真剣な表情をしていた。

「それって危険なことはないんですか?メナ星が人を指導するのは初めてなんですよね」

 強い口調だった。これまで子供達のやりたいことについては、祥子は基本的に応援をしてきた。そのため、このような反応をしたことに学は驚く。祥子の質問にニエモは丁寧に答えるが、祥子の心配は止まらなかった。結局、ニエモが複数の書類を見せながら説明をしてやっと祥子は納得したようだ。今度は祥子は学の方を向く。

「学はこの大会に参加したいんだよね?」

「やってみたい」

 学ははっきりと答える。祥子は拳を額に当て目を閉じて悩む仕草をする、やがて姿勢を正すとニエモの方を向いた。

「ニエモさん、どうか学をお願いします」

 祥子はそう言って、頭を下げた。こんなにも真剣に自分の事を考える祥子を見て、学は一人で自分を背負った気でいたことが恥ずかしくなった。

 その数日後、本格的に大会に向けての話をするために、学はニエモが所属しているという大学に来ていた。大学の入口近くにある建物の前でニエモと落ち合う。

「最初にやることは、学君の体力を伸ばすことです。」

 ニエモが言った。学も懸念をしていたことだ。バスケを辞めてから一年以上経っており、各国のトップ選手が集まる大会で通用するレベルではない自覚があった。

「最初の一ヶ月は家を離れて合宿という形でトレーニングをしてもらいます。」

 祥子とニエモが練習の詳細を話していたときに、この話題も出ていたので学は驚かなかった。聞けば、最初は他のチームメートとも会わずに、学だけが基礎トレーニングをするらしい。

「他のチームメートは現役のバスケ選手なので、学君とは状況が違います。まずは、チームメイトに追いつくところからです。」ニエモの言葉に、学は覚悟を決めた。

「合宿に行く前に今日はやって欲しいことがあります。この大学にはトレーニング施設があるので、まずはそこで身体測定をしましょう」

 ニエモに連れられた先はトレーニングルームの様な場所だった。広々とした空間に様々なマシンや、ベンチ、バーベルが置いてあり、壮大な光景だった。学が見惚れていると後ろから声をかけられた。

「お、その子が噂の子かな」それを聞いたニエモが返事をする「そうですね、稲盛先生。今日はよろしくお願いします。」

 学が後ろを見ると、そこには筋骨隆々の壮年の男性が立っていた。稲盛と呼ばれた男性は学に対して自己紹介をする。

「始めまして、ここで教授兼トレーナーをしている稲盛です。大会までの練習のサポートもすることになっているから、よろしくね。」

 学も丁寧に自己紹介を返すが、同時に緊張する。ニエモと親しそうな様子から、稲盛が人間なのかと疑ったからだ。

「ああ、もしかして僕がメナ星人かもしれないと思ってる?」学の怪訝そうな顔に気づいた稲盛が笑って言う。学はその言葉で動揺が顔に出てしまう。

「彼はヒトですよ、メナ星人はそんなに地球に来ていません。私とイタミ以外のメナ星人と会う機会は、まあしばらく無いでしょう」ニエモが補足をしてくれた。

「いやでも、気持ちはわかるよ。僕もニエモがメナ星人だと聞いたときは驚いた。」

 稲盛はそう言って笑った。聞けば、政治代理スポーツ大会に協力してもらうために、ニエモが事情を明かしてたらしい。

「自分のゼミの生徒が、メナ星人だって言われて最初は冗談かと思ったんだけどね」

 その後は稲盛のサポートの元で、身長体重だけで無く、ウイングスパン(両腕の長さ)、ベンチプレス、ハーフコート走とバスケの基本項目を測定をした。結果をみた稲盛はすこし難しい顔をしている。

「部活を辞めてから一年くらいだっけ。トレーニングしていない高校生としては悪くないけど、アジアのトップ層と戦うなら結構頑張らないといけないね。あと三ヶ月でどれだけ伸ばせるか…」

 稲盛が悩む様に言う。学は覚悟はしていたが、現実を突きつけられた気分になる

「稲盛さん、深視力も測りましょう」

 二人の沈黙を破るようにニエモが言った。稲盛は意外そうな顔をする。物体との距離を測る能力である深視力は、バスケットにおいて重要な要素だが、あえて計測をする事は少ないからだ。しかし、稲盛は文句を言うこともなく学を不思議な機械がある場所に連れて行った。

「これは、大型の免許の取得の際に使われるモノをヒントに開発したモノなんだけど、深視力を測る装置だ。画面を除くと三本の柱が見える。真ん中の柱が前後に移動するから、二つの柱と同じ位置に来たらボタンを押すんだ」

 学は言われたとおり、稲盛の指示に従ってボタンを押すことを繰り返す。学は視力検査の様にすぐに終わると思っていたが、何度も距離を変えて測定を繰り返したのでそれなりに時間がかかった。

 測定が終わると、結果を見て稲盛とニエモが難しい顔をしながら話し始めてしまった。学はこれも悪い結果だったのかと不安になってしまい二人の話を聞くことができず、少し離れて待つことにする。一段落したのか、稲盛とニエモがこちらに向かってきた時に、学は緊張して背筋が伸びる。今からでもやっぱり学じゃ無かったという事もあり得るかもしれない。

 「学君、今の君の能力では大会はかなり厳しいと感じた」

 稲盛は真剣な顔で言う。学は何も言い返せなかった、それが事実であることは学でも理解できる。一年以上もまともなトレーニングもしていないからだ。「深視力のテスト結果を見るまではね」稲盛がニヤリと笑う。

「どういうことですか」

「テスト結果が素晴らしいと言うことだよ。近距離も、遠距離も、学君の深視力はNBAのトップ選手並だ。いや、何の訓練もしていなくてこの数字なんだとしたらそれ以上かもしれない。」稲盛は興奮した様子で言った。

「中学校の頃、スリーポイントの確率も高かったんじゃない?」

 稲盛は興奮したように学に質問をするが、中学時代はチーム内では身長が高くセンターポジションだったので、外からシュートを打つ機会はあまり無かった。

「言ったでしょう、学君には才能があると」

 ニエモが言った。二人の反応で、学は体が軽くなるのを感じた。ニエモと会って以来ずっと自分で大丈夫なのかという不安があった。しかし、自分の才能をわずかにでも感じられたことで少し希望を持つことができた。

「しかし、もちろん深視力をシュートに活かすためにも基礎体力は必要です。簡単ではありませんが、しっかりとやっていきましょう。」

 学は頷く、これまでに無いレベルで練習をしないとやっていけない事は理解していた。

「合宿は三日後、私が学君を迎えに行きます。かなり遠い場所に行くので、気軽には帰ってこれなくなります。覚悟をしておいてください」

 ニエモはそう言った。学はどこへでも言ってやるという気持ちでいたが、その言いぶりに少しだけ不安になる。

「怖い言い方になりましたね、そんなに心配しなくて大丈夫です。ヒトがもあまり行かないところなのでのびのびと練習できますよ。確か今まで十三人くらいしかヒトは行って居ないはずです。」

 そんな場所があるのかと学は尋ねる。

「ええ、学君もよく知っている場所ですよ」

 ニエモはニヤリと笑いながら学の方をみる。

「月ですよ、学君」


 月へ行くまでの道のりを学はほとんど把握していない。合宿開始日にニエモが運転する小さな軽自動車に乗り込み、とある立体駐車場に入った。車を駐めると、ニエモに降りるように言われたので、ここからは別の移動手段になるのかと学は思った。ニエモに続いて立体駐車場の中を歩いていると、意外に中が広いらしく、なかなか外にたどり着かない。道もわからないので、ただニエモについて行っていると、学は違和感に気づいた。まだ夜では無いはずだが、窓の外がやけに暗いのだ。不思議に思って窓の外をのぞいてみると、そこから見えたのは青い星、この角度からは見たことは無いが、よく知っているはずのその星は、地球だった。

窓の外を見て固まってしまっている学に気づいて、ニエモは足を止めた

「ああ、すみません。先ほど言うべきでしたね。これで君が十四人めの月へ上陸したヒトです。歴史的な瞬間ですね」ニエモは本心でそう言っているようだ。

「帰ったら弟に月に行くまでの道のりがどれだけ大変だったか教えてやろうと思います」

 学はなんとか言葉を絞り出した。

 施設内の食堂のようなスペースに着くと、ニエモと向かい合う形で座る。

「これから一ヶ月、学君にはここで過ごしてもらいます」

 一通りの施設内の説明をニエモから受ける。どうやら居住スペースとトレーニングスペースからなっているようだった。施設は学が見たこともない機器が数多く置かれており、食事や生活に必要なモノは自動で出てくるという事だった。

 施設の説明の後は練習メニューの説明に移る。意外なことに練習メニューは決して目新しいモノでは無かったが、よく検討されていることがわかる構成だった。身体能力向上のための筋トレ、ステップワーク、ボールハンドリング、シューティングとそれぞれの練習が段階ごとにレベルアップするように設定されており、タイムスケジュールは朝から夜までみっちりと決められていた。「やれますか」とニエモに問われ、学はゆっくりと頷いだ。

 それから学の練習の日々が始まった。トレーニングは、地球から遠隔で稲盛が指導をしてくれる。初日は久しぶりに練習ができる事が嬉しく、稲盛の指導も遠隔であるにもかかわらず適切で、疲れ以上に興奮で学は楽しさを感じることができた。しかし、翌日の朝に学は衝撃を受ける。尋常ではない筋肉痛により目を覚ましたのだ。全身が隅から隅まで動くたびに痛みが走る、余りの苦痛に学は笑ってしまいそうになった。しかし、もう既に引き返せる段階ではなく、学は歯を食いしばりながら日々のトレーニングを続けた。トレーニングをしていればいつかはメニューに慣れると思っていたが、何日立っても朝はとんでもない筋肉痛を感じ、練習もどれだけやっても、こなせるようになった感覚はなかった。

 学は不安になり稲盛にウェブミーティングで相談してみると、稲盛は一瞬目を逸らしたが、すぐに学の方を見て答えた。

 「一年以上ぶりのトレーニングだからね、なかなか慣れないんだろう。大丈夫絶対に問題ない」

 不自然に力強い言葉に、学は少し違和感を感じたが、文句を言っても仕方が無いと思い、それ以上は何も言わなかった。一方で、月での生活は辛いことだけではなかった。練習の合間に窓から青い地球を見たとき、おそらく他の人類が誰も見ることが出来ない景色を感じて学は優越感に浸ることが出来た。もう一つニエモがいたことも学にとっては良かった。得体のしれない存在ではあったが、一人で孤独にトレーニングをするよりは、誰かがいたほうが心が楽だった。それに、一緒に過ごすうちに、思ったよりもニエモが人間らしい感性を持っていることも知った。

「学くん私の人参を食べてください」

 ニエモがそう言って人参を学に押し付けてきたのはある日の夕食だった。

「好き嫌いをしていると大きくなれませんよ」

 学は思わず苦笑いをしながら返事をする。ニエモ曰く、ヒト型のボディによる影響といことらしいが、二エモは人間のように食事も睡眠も必要で、食べ物の好き嫌いの激しさは偏食な光といい勝負だった。

 また、学と一緒にトレーニングをするときもあった。「私もバスケの感覚を掴んでいたほうが、指導するにあたって都合がいいですから」そう言いながらシュートを打つニエモは、腰が引けて腕の力だけでボールを投げていて、お世辞にも上手いとは言えなかった。

「運動は苦手なんですか?」学は思わず聞いた。

「苦手なわけではありませんが、今まであまりリソースを割いてこなかっただけです」

 学の問に二エモは気にしていない様子で答えたが、その後ニエモが遅くまでシュートの練習をしていたので学は少し反省した。

 そんな風に日々を過ごしながら、学は無事に一ヶ月の練習を終えた。相変わらず全身に途方もない筋肉痛を感じていたが、もはや学にはそれが日常になっていた。

 最後の練習の後、

「学くん、よくやりましたね」ニエモが言った。

「なんだかあっという間だった気がします。これで本当に成長したのかどうか」

 学は大変な思いをした割に自分が成長をしている実感を得ることができていなかった。たった一ヶ月でどうにかなるものかという不安もあった。

「大丈夫ですよ、明日の朝を楽しみにしていてください」

 ニエモはニヤリと笑いながら言った。その日の夕飯はひときわ豪華なもので、学が食べたことのない無いようなものが大量に用意されていた。我慢をできずに学は片っ端から取り皿によそっていこうとしたが、その中に不思議な液体が入ったコップに置いてあることに気づく。色は青色でステンドグラスのように濃くて澄んている。学は試しに手に取ってみると、コップ一杯しか入っていないはずなのに、水よりは重い気がした。

「これは?」

「ああ、それは学くん用に私の方で開発したドリンクです。疲労回復の効果があります。味付けもこだわっているので、是非飲んでみてください」

 あまりに得体のしれない物なので、学はコップを眺めた後に、ニエモの顔をもう一度見る。しかし、ニエモが期待の眼差しでこちらを見ているので、学は覚悟を決めた。恐るおそる一口飲んで、あまりの衝撃に学は大きく目を見開き、吐き出しそうになるのをこらえて飲み込んだ。

「これは…、かぼちゃスープの味ですね」

 学はつぶやく。決して味がまずかったわけではない。見た目と味が一致していなさ過ぎて体が拒否反応を起こしそうになったのだ。

「そうです、なかなかイケてるでしょう。味を再現するのに時間がかかったんです」ニエモが嬉しそうに言う。

「なんというか、さすがですね」

 次の日の朝、学はベッドで目覚めると明らかに変化を感じた。昨日まで続いていた筋肉痛が無くなっているのだ。それどころか、体がとても軽く感じる。ベッドから降りて一歩目を踏み出そうとしたとき、余りに体が軽かったために跳ねてしまった。十歩ほど歩いてやっと体の軽さに慣れた学は先にダイニングにいたニエモに話しかける。

「体が軽い」ニエモは学の様子をみて満足そうに笑う。

「成功ですね、いろいろ気になるかもしれませんが、まずはご飯を食べましょう。細かい話は地球に戻って稲盛さんと一緒に話しましょう」

 相変わらず扉を開ける以上の労力を払うこと無く地球に帰還し、稲盛のいる大学に向かった。トレーニングルームにいた稲盛は学を見るなり駆け寄ってくる。一ヶ月ぶりに直接会う稲盛の顔を見て、学は驚く。稲盛は少し泣いているのだ。

「学くん、本当に無事で良かった」

 そういって稲盛は学の存在を確かめるように学の肩に手を乗せる。

「そんな、大丈夫ですよ。」

 流石に月に行っていたとなると心配になったのだろうか。

「いや、実はそれだけではないんです。少し研究室で話しましょう」ニエモがそう行ったので、研究室に移動した。

「実は月では練習をするだけではなく、メナ星の技術で重力と酸素の量を少し調整していました。学くん、いつもより体が重く感じませんでしたか?」ニエモが言う。

「体が重いとは思っていましたが、久しぶりにトレーニングをしたからだと思っていました。」

 学は驚くとともに、納得をする部分もあった。あの体の痛さはやはり普通ではなかったのだ。

「正直かなり厳しい環境だった。慣れていない人ならあの場にいただけで気を失ってしまう程だったんだよ」稲盛が言う。

「実は学くんの普段の食事も工夫がしてあって、学くんの体の痛みを軽減する成分が入っていたんです。学くんも辛いと感じずに済んだんじゃないですか」

 正直、軽減されていたとは思えないほどつらかったが、二人の言いぶりからすると辛いと思うだけで済んだのならマシなのかもしれない。

「僕のサポートはここまでだけど、学くんは本当によく頑張ったよ。誇りに思っていい」

 稲田が学に向かって言う。学は思わず目頭が熱くなるのを感じる。大会までの残り、後はどれだけ世界のバスケレベルに追いつけるか。学は改めて覚悟を決めた。

「月のトレーニングはうまくいきましたね、私としては色々と案はあったのですが、学君が大きくレベルアップをしたので間違いなく成功でしょう。」

「特殊な練習環境を作るために月でトレーニングしたんですね」学は改めて恵まれていたのだと感じる。

「それも一つの要因ですが、それだけではないですね」ニエモが言う。

「学くんの食事に入れていたアレコレが、地球では認められていなかったので。地球のルールは守らないといけないですからね」


「これで基礎体力はできました。明日からはチームに合流してもらいます」

 改めてチームメイトと聞くと学はすこし緊張する。聞けば全員が世代別の日本代表にも選ばれているらしい。

「他のメンバーも明日から練習開始ですが、代表活動で三人はそれぞれ面識があります。初対面なのは学君だけなので、まずはチームに慣れてください」

 学は頷く。いずれにせよ、学にやらない選択肢は無かった。

 次の日指定された体育館でニエモと合流して、バスケのコートに向かう。コートに近づいてくるとダムダムとボールがはねる音が聞こえてきて、学は胸が高鳴る。ニエモに促されて体育館に入ると、三人の選手がシューティングをしていた。一人の選手がこちらに気づくと、残りの二人に声をかけて学の前に並んだ。三人を見て学は緊張と供に感動を覚える、三者三様にとてもよく鍛えられた体をしている。普通の高校生とは明らかに違う体つきだ。選手たちは好奇の視線で学を見ていた。ニエモが学と選手たちそれぞれの表情を見る。

「ますは自己紹介をしたほうが良さそうですね」

「それなら僕から」そういったのは三人の中では真ん中の身長、とは言っても一九〇cmは有りそうな青年だった。

「僕は新道だ、よろしく。五人制バスケだとシューティングガードのポジションをしてる」

 筋肉質で肩幅が広く練習着の上からでも上半身が逆三角形であることがわかる。それだけでもただの選手で無いことは伝わるが、学は新道が日本どころかアジアでも有数の若手の選手であることを知っていた。学が中学生の頃に見たバスケ雑誌に乗っていたのだ。高校一年生で十八歳以下の日本代表に選ばれており、正真正銘のバスケエリート、学にとっては同世代のスター選手だ。

「一応今回のチームのキャプテンも任されている。よろしく。」

 そう言いながら新道は学に笑顔を向けてくれる。次に口を開いたのは大柄の選手だ。優に二メートルはある身長に、高校生にしてはあり得ないほどの筋肉量をしている。

「自分は飯田です。ポジションはセンター」

 あっさりとした自己紹介をする飯田の顔からは表情が読み取りづらい。学も体が小さい方では無いが、街で飯田を見たら思わず道を譲るだろう。それくらいの迫力がある。

「俺は宮下、ポイントガード。」最後に自己紹介をしたのは、三人の中では小柄な選手だ。髪のサイドを刈り上げており、腕にはスリーブ、バッシュはジョーダンを履いている。宮下は睨むような表情で学を見ており、あまり歓迎しているようには見えない。ニエモに視線で促されて、学も自己紹介をする。

「学です。訳あって一年ほどバスケはできてなかったんですが、先月から練習を再開しました。よろしくお願いします」

 チームメイトに繕っても仕方が無いと思い、正直に自分の状況を伝える。それを聞いた選手達は明らかに驚いたようだった。選手の視線を受け気まずく思い、学はニエモの方を見るが、ニエモは全く気にしていない様子で話を続ける。

「これで自己紹介も済みましたね。早速練習を始めましょう」ニエモの言葉を受けた選手たちはすぐには反応しなかったが、キャプテンの新道が最初に口を開いた。

「まずはこのチームになれて行こう。学もよろしく、一緒に頑張ろう」新道は既に切り替えたらしい。他の二人はまだ難しい顔をしているが、学は気にしないよう練習に集中することにした。

 チーム練習をするに当たって、学はふと気づく。自分たちだけでどうやって練習をするのだろうか。試合は四人で参加できるとしても、練習は四人ではできない。実践形式で練習するためにオフェンスやディフェンスをする人が必要だ。不思議に思っていると、ニエモがリモコンの様な機器を操作する。すると、用具置き場だと思っていた扉が開き、中から四人の選手が出てくる。

「学くんは見るのは初めてですよね、良い練習相手ですよ」

 ニエモが言う。確かに練習相手に不足は無いだろうと思った。なぜなら全員ロボットだったからだ。金属のように見えて、よく見ると体の表面には透明な膜のようなものが見える。「これも研究の賜物です、特殊な人工皮膚を搭載しているので接触プレイも危険性無く練習できます。その名も練習相手君です」

 ニエモが誇らしげな顔をしていた。他の選手は心配そうな目をしているが、多少のことで驚かなくなった学はなんの躊躇も無く練習を開始した。チームで練習では、まず戦術を理解することから始まった。ピックアンドロールやキックアウト、ポストアップにカバーリングと、理解することは大量にあった。3X3では五人制のバスケよりも一人あたりの役割は大きい。各選手オフェンスもディフェンスもしっかりと役割を果たす必要がある。学はまずはスクリーナーやリバウンダーとして、周りの選手を活かす練習が中心となった。一ヶ月の特訓の成果なのか、練習自体にはついて行けているのが幸いだが、プレイの質は他の三選手の方が高いことは明らかだった。学は少しでも追いつけるように全力で練習に当たった。

 その日の全体練習は無事に終わり、次に個別の練習メニューに移る。ニエモ曰く、それぞれに独自のメニューが割り当てられているらしい、他の選手がそれぞれの練習を開始する中、学はニエモに別の練習コートに連れて行かれる。そこは半面しかコートが無く、3X3専用のコートだった。

「学君の個人メニューは、シューティングです」ニエもが言う。

「シューティングだけ、ですか」学は思わず聞き返した。先程の練習で学は実力不足を痛感しており、ディフェンスもオフェンスもやれることは全部やりたかった。

「今からいろいろな事をやろうとしても、学君が他の選手に追いつくことはできません。そうではなく、学君は学君の強みを育てる必要があります」

 ニエモは学をなだめるように言う。納得していない学の顔をみて、ニエモは微笑みながら言葉を続ける。

「学君の性格はかなり分析が出来てきました。その責任感の強さは悪いことではないですね」そういってニエモは笑う。「もちろん、シューティングといっても、簡単なモノではありません。一日に千本スリーポイントシュートを、3X3のルールではツーポイントシュートですが、それをノルマとして決めてもらいます」

 その言葉で学は少し冷静になる。確かに千本のシュートを決めるのは時間的にも体力的にも簡単では無い。

「それもただシュートを決めるだけではありません。最初の五〇〇本はシュートフォームを確認しながらシュート。残りの五〇〇本は練習相手くんをディフェンスにつけた状態で決めてもらいます。」

 ニエモがリモコンを操作すると、一人のロボットが入ってきた。学よりも五cmほど高く、ウイングスパンも長い、高さでも早さでも優位が取りづらいので、マッチアップされた時に困るサイズの相手だ。

「このロボにチェックをされた状態で五〇〇本。フリーの状態だけで無く、プレッシャーをかけられた状態、体が流れた状態、フェイダウェイ、ありとあらゆるシチュエーションでのシュート確率を上げてもらいます、できますか?」

 それでも学は強く頷いた。厳しいメニューだが、これもこなせないようではチームの役には立てない。学はボールとゴールリングを交互に眺め、最後にニエモの方を向く。

「月での練習よりはましでしょう」


 次の日から練習は毎日続いた。チーム練習が過酷なのはもちろんだが、シュート練習は想像以上に過酷だった。初日はシュートを打ち切るのに四時間かかり、終了後は腕が上がらなくなっていた。学は歯を食いしばりながら練習を続けたが、幸いにも日に日に少しずつシュートの精度は上がっていき、ノルマを達成する時間は早くなっていった。それでも簡単な練習ではなかったが、成長を実感できていることが学のやる気を奮い立たせた。

 練習を開始して二週間が経った頃、学は全体練習をした後に個人練習のためにサブコートに向かうが、タオルを忘れたことに気づきメインコートに戻った。コートの扉を開こうとしたとき、学は中から話し声がすることに気づく。

「あいつ本当に大会で使い物になるのか?」

 宮下の声が聞こえる。中をのぞくと、新道と宮下が話をしていた。

「俺達はニエモに反対できる立場じゃない。それに、学も必死に練習してるのはお前もわかるだろ」

 新道が答える。しかし、宮下は不満そうだ。

「別にあいつの練習姿勢に文句があるわけじゃ無いけどよ、俺らの目的は大会で勝つことだ。それぞれこの大会に参加した理由がある。お前だってそうだろ。」新道は宮下の話を黙って聞いている。

「今からでも全日本のメンバーを呼べば今の学よりは使えるぜ、ニエモが何考えてるかは知らないけど、今からでも言ったほうがいいぜ」

 宮下の言葉に学は背筋が凍る思いがした。ただ悔しいことに、宮下の言い分は理解できた。新道は少し考えるような素振りを見せる。

「ニエモに言うのは無しだ」新道が口を開いた。「学が選ばれたのは何か理由がある。毎日うまくなってるし、俺たちだって、このチームでニエモのサポートで成長してる。信じてみても良いんじゃ無いか」

「……お前がキャプテンだ、今は従うよ」宮下はそれ以上言わなかったが、表情からは納得していなかった。学はタオルの回収は諦め、サブコートに戻る。その日はいつもより二〇〇本多くシュート練習をした。


 今日も引き続きチーム練習をする。学は元々の手足の長さを活かして、ディフェンスではそれなりの動きをできるようになっていたが、オフェンスは、スクリーンやオフボールの動きでチームの戦術を実行するので精一杯だった。

 まずはピックアンドロールの練習をする。学はボールを持つ宮下のディフェンダーにスクリーンをかける、ディフェンスがスイッチして入れ替わる隙に学がインサイドに切り込もうとするが、入れ替わったディフェンダーがすかさず着いてくる、宮下に着いたディフェンスもぴったりとマークしてパスコースを消している。

 パスを諦めて学がツーポイントラインまで出ていこうとしたとき、宮下の目線がまだこちらに有ることに気づく。宮下は反対サイドにドライブを仕掛け、腕と体を使いながらタイミングをずらす。ディフェンスとの間に僅かにできたスペースを利用してレイアップシュートのモーションに入ると、たまらずディフェンスがカバーに集まる。そのままシュートを打つかと思ったが、空中でディフェンスを引きつけた宮下はノールックで学にパスを出した。

 ディフェンスは届かず、しかし学がギリギリ届く場所に投げられたボールをキャッチし、学はそのままシュートを打つ。ボールはリングの縁に二、三度あたりながらも、しっかりとリングを通った。

 「ナイスー」新道が声を上げる。宮下のハンドリングとパスの技術は、これまで学が見てきた選手の中でも一際高い。パスに限ればプロレベルかもしれない。ストリートバスケの様なトリッキーなプレイも得意で、相手を翻弄する能力はピカイチだ。学は一緒にプレーするたびに感心してしまう。

 次のセットは宮下のかわりに飯田がコートに入り、新道からボールがスタートする。新道はディフェンスから離れた位置でボールをコントロールする。周りを見渡しパスを出そうとするが、それを見てディフェンスが新道との距離を詰める。しかし、視線はフェイントだったのか、詰めてくるディフェンスに対してタイミング良く新道がドライブを仕掛けた。

 ディフェンスを置き去りするが、すぐさま別のディフェンスがカバーにきて、リングへの道を塞ぐ。新道がツーポイントラインにいる飯田を見たので、外にボールを戻すかと思ったが、新道は目線を飯田の方に向けたままロールターンでディフェンスをかわしてレイアップでシュートを決めた。

 新道はシュート、ハンドリング、アジリティとすべての面で高いレベルであり、ハイレベルなオールラウンダーだった。それでいて、プレーは決して派手ではなく、シンプルなステップとフェイクを駆使して着実に点を決める。これほどの選手が同世代にいることに学は驚かされる。

 最後のセットも新道と飯田と学がコートに入る。学がトップの位置でボールを持ち、ディフェンスをリングから遠い位置に引き付ける。飯田がポストゾーンに走り込むと、ディフェンスを背中に抑えてボールを要求する。学が飯田にパスを出すと、ボールをキャッチした飯田はピボットステップでゴールの方向に向く。

 左右のフェイクでディフェンスを揺さぶると、大きな体を活かしてディフェンスを押し込みながらドリブルをし、リングに近づくと一度ディフェンスに体を当ててバランスを崩したところで、自分は後ろに飛びながらフェイダウェイでシュートを決めた。

 ディフェンスのロボットはアジアでもトップレベルのディフェンダーを想定して設定されており、あっさりとシュートを決められるのは飯田だからできることだ。圧倒的なフィジカルを持ちながら、ボディコントロールが上手くシュート力も高い。ゴール下を支配するだけではなく、外からのツーポイントも狙うことができ、コートの広い範囲で活躍できる現代的なセンタープレイヤーだった。

 三者三様で圧倒的な能力を持つチームメイトに、学は圧倒されていた。一緒に練習ができている事に学は喜びを感じつつも、同時に焦りも感じる。ふとした瞬間に先日の宮下の言葉を思い出すことが何度も有った。宮下をはじめチームメイトが露骨に学を批判することは無かったが、宮下の言葉を聞いてからは三人が本当はどう思っているのか、悪い方ばかりに考えてしまう。しかし、それを言葉にするわけにも行かず、ただ日々の練習に打ち込むことしか出来なかった。

 全体練習後、個人のシューティング練習に入ると、珍しく学の居るサブコートに入ってきた人物がいた。

「よう学、調子はどうだ?」新道だった。

「調子は悪くないよ、練習にも慣れてきたし」そこで少し言葉を止める。「ただ、これでチームの役に立てるかは不安だよ」

「もしかして、誰かに何か言われたか?」

「いや、そういうわけじゃ無いんだ」学は聞き耳を立てていたとも言えず、慌てて否定した。

「そんな悩まなくても良い、学には学の強みがあるはずだ。個人練習はシューティングやってるんだろ。今日は俺も一緒にやって良いか?」

 新道の言葉に学は素直にうれしく思う。一人で行うシューティング練習はやりがいはあるものの、孤独を感じさせるものだった。

 学はディフェンスロボットの準備をしながら、先にシューティングを始めて新道を眺める。新道はツーポイントシュートだけで無く、コートのありとあらゆるところから、様々なシュートを打っていく。ルーティーンが決まっているのだろう。ゴール下でのフックシュート、ドライブからのフローターシュートとどんな状況からでもフィニッシュを決めれるよう練習をしている。一つの競技を突き詰めている人間特有の、無駄のない動作の美しさがあり、学はずっと見ていたくなる。しかし、自分の練習もしなくてはいけないので、学もシューティングを開始した。黙々とシューティングを進め、二〇〇本を決めた後で一度休憩を挟む。集中していたので気づかなかったが、新道は自身のシューティングを中断して、端で学のシュートを見ていた。

「一日に何本打つんだ?」新道がやけに真剣な顔で聞く。「今はフリーの状態で四〇〇本、ディフェンス有りで六〇〇本かな」

 シュートの確率もだんだんと上がって来たので、ディフェンスをつけて打つシュートの比率を増やしていた。それを聞いた新道は思わずと言った様子で声を出して笑った。

「学、すげえな」

 そういうと、新道は満足したかのような表情で練習道具をまとめはじめた。学は訳もわからず新道を見ていると、新道は視線に気づいて笑顔を見せる。

「それじゃ俺ももう少し個人練習があるから」そう言ってサブコートから出て行ってしまった。「なんなんだ一体」学はひとりそうつぶやいた。

 翌日学が練習に向かうと、ニエモが既にコートに来ていて新道と話をしていた。普段コートに最初に来るのは学か飯田なので珍しい光景だ。その後すぐ宮下と飯田が来る。練習を開始するかと思ったが、今日は練習の前に新たな戦術の説明がされた。

「今日はキックアウトからのツーポイントシュートを中心に練習します。宮下君がボールを持って新道君か学君がシュートを狙うのが基本的な形になるでしょう」

 全員が頷く。これまでの学の役割はディフェンスが中心だったので、初めてオフェンスでの役割が与えられた。学は自然と気合が入る。チームメイトも学がシューティング練習をしているのは知っているので、攻撃オプションに入ることにチームメイトも異論は無さそうだ。しかし、次の新道の言葉で場の雰囲気が変わる。

「宮下、ツーポイントのファーストオプションは学だ、学優先で組み立ててくれ」

 それを聞いた宮下は明らかに不満そうだ。

「学が努力してるのは知ってるけど、新道より優先度が高いって言うのは納得できないぜ。お前ほどのシューターはアジアでもそういない」

 宮下の言葉に学は胸がぐっと重くなるのを感じる、かといって宮下の言葉が間違っているとも思えなかった。しかし、新道は意見を変えない。

「ファーストオプションは俺じゃ無い。ツーポイントは学が俺よりも上だ」

 新道の毅然とした態度に他のメンバーは何も言えない。

「キャプテンがそう言うなら、俺は従うけどよ」宮下はしぶしぶといった感じで言った。新道が学に声をかける。

「昨日のシューティングを見て確信した、お前ならできる。まだ自分でもわかって無いかもしれないけどな」

 冗談で言っているようには見えない。学はそこまで新道が認めてくれている事をうれしいと思いながらも、まだ自信が持てない。チームも納得出来ていないのか気まずい雰囲気が流れるが、一人笑顔なニエモが声をかける。

「ここで話すよりはまず練習で試してみましょう。案ずるより産むが易しですね」ことわざを言うニエモは、とても奇妙に感じた。

 練習はいつも通り開始したが、戦略の共有の一悶着はチームの雰囲気を重くしていた。アップを終えた後に試合形式で初めてキックアウトの練習を始めるが、幸い感触は悪くなかった。宮下のハンドリングのレベルが高く、ドライブからの攻めの展開が作りやすい。アウトサイドで待っていればフリーでボールをもらい、苦労をせずにシュートを打つことができた。学はフリーであればかなりの確率で決めることができる。何本かシュートを決めていると自然とチームの雰囲気も軽くなる。しかし、宮下だけがまだ不満げな顔をしていた。

「ディフェンスのレベルを上げよう、学のツーポイントがばれたら、マークも厳しくなるぜ」

「それは良いですね、今のうちに色々なパターンか試しておいた方が良いでしょう」

 ニエモが同意すると、リモコンで操作をする。ロボットの設定が変わってディフェンスのレベルが上がる。激しいチェックの中で練習をしていると、段々と新道と学の経験の差が見えてくる。フリーのシュート確率は学の方が高いが、新道の方がスペースの使い方とボールの受け方が上手い。楽にシュートを打てる形でボールを受けるので、学よりシュートを打てるチャンスが多く、結果としてシュートを決める数が新道の方が高くなっていた。学もシュートを狙うが、ディフェンスのチェックが厳しくそもそもボールをもらえない。それでも何とか食らいつきながら練習のセットをこなすと。ニエモがメンバーに集合をかける。

「良い感じですね。キックアウトもかなり機能していますし。学君もシュートの確率はかなり高いですね」

 学は遠慮がちに頷く。確かに確率は悪くなかったが、今の状態だと新道の方がシューターとしてふさわしいのは誰が見ても明らかだった。

「まだキックアウトは始めたばっかりだから、これからもっとレベルアップしていく。この調子で継続してやっていこう」

 新道が続けて言うが、他のメンバーはまだ納得しきっていない様子だった。その後、練習は一旦休憩になった。

「学、ちょっと良いか」休憩中に新道が話かけてきた。

「次、俺と学がコートにいるときに、俺がドライブからキックアウトするから、そのときにちょっと試して欲しいことがある」そう言うと、新道は学にいくつか指示をだす。

「そりゃあできなくは無いけど、そんなプレー狙うより新道が攻めた方がいいんじゃないか」

 新道の提案に思わず学は意見をする。

「いや、絶対に大会で学の力が必要になるタイミングがある。今からそれを想定して動くべきだ、それに、ちゃんとチーム全員がお互いの実力を理解しておく必要がある。」

 そこまで言われたら、学としてはやるしか無い。練習が再開するとすぐにチャンスは来た。新道と飯田と学、三人がコートにいるタイミングで新道がボールを持つ。新道はキックアウトのサインをだす。飯田と学がコートサイドに近い場所に移動してスペースを作る。新道はディフェンスの隙をついてドライブをするが、ディフェンスは新道にピッタリと着いていく。学は新道の動きを見て一気にリングと反対方向に走る。学のディフェンスは新道に気を取られたのか、学のチェックが遅れる。そのままツーポイントラインよりもさらに高い位置まで走ると、待っていたかのように新道が学にパスを出した。ゴールまでかなり距離があるが、学はボールを受け取ると迷うこと無くシュートを放つ。飯田はシュートを打つと思っていなかったのか、慌ててリバウンドを取るポジションに移動した。しかし、飯田の焦りとは裏腹に、学のシュートはリングのどこにも触れず。パスっという音と供にリングの真ん中を通過した。

「ナイッシュー」新道が笑顔でハイタッチをした。飯田も驚いたかのように駆け寄ってくる、「今のすごいな、あそこから打てるのか」飯田は相変わらず表情が読みづらいが、わずかに興奮しているようにもみえる。

「あそこまで高い位置のチェックをしてくるディフェンスはそういない、お前なら誰も追いつけない場所からでシュートが打てるんだ。」

 新道が言った。思いがけない周囲のリアクションに学は思わず頬が緩む。

「学、お前あそこからどれくらいの確率で入る?」いつの間にかコートに入って来た宮下が学に質問をする。刺すような目が学を貫いていた。

「ディープツーは、フリーなら九十パーセントくらいは入るかな。」

 恐る恐る答えると宮下は大きく目を見開いた。思わずといった様子で宮下は新道の方を見るが、新道は自信ありげに頷く。学は他の選手がどれくらいの確率シュートを決めるのかあまり把握していないが、ディープツーをこの確率で決められる選手はプロでもそう多くは無かった。宮下は学の方を向く。

「俺がドライブしたらどこでも良いからとにかくスペースがあるところに走れ。どこだろうと俺がパスを出してやる。だから絶対決めろよ」

 宮下が学に対して指示を出したのは初めてだった。学は大きく頷く。その時初めて、自分がチームの一員になった実感を得ることができた。

 その後は大会までみっちりと練習をした。ツーポイントが戦術として組み込まれるようになってからチームメイトとの信頼関係もできあがってきているのが学はわかった。


「俺の顔に何かついてる?」

 練習後に家で食事をしているとき、やけに祥子がこちらを見ていた。

「いや、最近楽しそうだなと思って」

「そうかな」

 学はどちらかと言うと大変だと感じているが、充実しているのは確かだった。

「最近兄ちゃん元気だよ」光が言う。家族の指摘に学は気恥ずかしくなる。

「試合に勝ったら、大学の推薦がもらえるから」学はぶっきらぼうに言った。

「どんな結果になっても良いから、とにかく楽しみなさい」

 祥子は優しさに満ちた顔で言う。学が練習に参加するようになってから、家事はメナ星からのサポートを受けている。食事はできたてのものがドローンで届き、光が一人のときはイタミといつでも連絡が取れるようになっている。その他の家事もメナ星のロボットが行っているらしい。

 しかし、予想外だったのは、祥子も週に一度か二度は定時で帰宅して光の食事を作っていることだった。「本当はもっと家のことをやらなくちゃと思ってたから、いい機会」とのことだ。光も学校の準備で、必要なことは自分でするようになっていた。光の変化については、自分が過保護すぎたのかと思い学は少しさみしい思いをする。バスケの練習によって家族との過ごし方の変化ができたことで、学は以前よりも家族との関係を客観的に見れるようになった。そして、共に過ごす時間の貴重さを感じるようになっていた。

「そういえば、この前学校の近くを通ったら、高見君がランニングしてたわよ」

 祥子がふと思い出したようにいう。学は高見の名前を聞いて、ハッとする。学は高見にバスケを再開したことを伝えなくては思っていたが、できていなかった。それは練習が忙しいと言うだけではなく、高見と一緒の部活をやめておきながら別のチームでバスケを再開している後ろめたさがあったからだ。しかし、仮にも日本代表として大会に出るのであればいつかは高見の耳にも届くかもしれない。学は若干躊躇しながらも、勇気を振り絞って高見に連絡をした。

 「どうしたんだ、急に改まって」

 高見と待ち合わせをしたのは学がシュート練習をしていた公園だった。「この公園に二人で来るのも久しぶりだな」高見が嬉しそうに笑う。 

 この公園は小学生時代にまだ部活が無かったときに、高見と学が二人でバスケの練習をしていたのがこの公園だった。練習メニューなどというものは考えず、ただ二人で飽きるまで1on1をしていた。地域柄、周りでは野球が人気だったが、高見の姉が持っていたバスケ漫画にドハマリした高見と学は、二人だけでずっとバスケを練習をしていた。いつかは二人で全国に行く。それが二人の約束だった。

 学の父が亡くなって、バスケを辞めると高見に伝えた時の高見の表情を学は今でも覚えている。どんなときでも学に対しては率直だった高見が、学に声をかけられず、ただ悔しそうな顔をしていた。それでも次の日には何もなかったように学と接してくれた高見に学は感謝していた。だからこそ、学は自分の口で伝える必要があった。

「実は、俺またバスケを始めたんだ」

 学の声は少し緊張で震えていた。高見は怪訝な顔をしたままなので、学はこれまでの事を伝えた。

「一緒に全国に行くって約束を破っておいて、今度は別のところで部活をしてることが申し訳なくて、言うのが遅くなってすまない」

 学は緊張をしながら高見の方を見ると、高見は思ったよりも落ち着いた表情をしていた。

「光くんは元気にしてるのか」高見が意外な質問をする。

「ああ、メナ星のサポートもあるし、母さんも前より家にいるみたいだし元気してるよ」

 話を聞いた高見は大きくため息を着く。

「お前が苦労していたのは知ってるから、怒れねえよ。誰よりも学自身がバスケをしたいって思ってるのは伝わってきてたしな」

 高見の言葉に学は胸が熱くなる。高見は学の表情を確認すると、公園のカゴのバスケットボールを取り出し、学の方に投げる。

「久しぶりにやろうぜ、世界と戦うんだったら俺に負けてるようじゃだめだからな」

 高見と1on1をするときはいつも十点先取だ。高見も県選抜に選ばれる程の実力があり、しかも1on1を得意とする選手だ。決して身体能力に秀でているわけではないが、独特のステップでディフェンスを抜いてシュートを打てる。簡単には勝てないと学は理解していた。

 一進一退だった。学もディフェンスは日本代表に揉まれて成長しているが、高見もフィジカルがかなり成長していた。点を取り合い、五対五で高見のオフェンスのターンになる。高見は右方向にドライブを仕掛けるが、学は高見のドライブコースに体を入れて高見を止める、高見が一瞬ドリブルを止めた瞬間に一気にスペースを詰めてシュートコースを塞ぐ。お互いのクセはよくわかっており、以前の高見はここで体を引きながらフェイダウェイシュートを打ってくることが多かった。しかし、予想に反して高見はビハインドバックドリブルでボールを持ち替えると学の左を抜いてレイアップシュートを決めた。学は驚いて高見の顔を見る。

「フェイダウェイ打つと思っただろ」

 高見が学の方を見る。学は気合を入れ直す。試合は九対八で高見がリードをしている状態で学のオフェンスになった。後一点取られたら負ける状況で、学は少し緊張をしてボールを持つ。学は覚悟を決めるとボールを左右に振って高見の動きをみる。高見が一歩引いた瞬間を見計らって一歩ドライブを仕掛ける。しかし、高見が余裕でついてくるのを確認して学は一気に後ろに向かってステップを踏み、ツーポイントラインの外からシュートを放った。高見が慌ててチェックに入るが放たれたボールには届かず、シュートはゴールに吸い込まれていった。これで二点が入って九対十。学が勝利した。高見が悔しそうな顔で学の方をみる。

「強くなってんなあ」

「お前も流石だよ、たまたま勝てただけだ」

 本心だった、最後のステップバックツーポイントもまだ練習中で、入る確率は良くて四割と言ったところだった。

「大会、出るからには全力でやれよ」

 学はうなづくが、高見は更に言葉を続ける。

「お前は遠慮して打てるときもシュートを打たないことがあるからな、でもたとえ日本代表と一緒のチームだろうが、お前がチームを勝たせるつもりでやれよ」

 学の性格を知る高見だからこそ言えるアドバイスだった。学は言葉を噛み締めながら強く頷く。学は改めて大会で勝つと心を決めた。


 大会の二週間前、ニエモに集められてミーティングが行われた。

「いよいよ大会が近づいてきました。皆さんはかなりレベルアップしていますが、アジアのレベルも低くありません。油断をすると簡単に負けます。」チームメンバーが頷く。

「特に強敵なのは中国でしょう。もともとバスケの強豪国ですが、この大会に向けてかなり仕上げていると聞きます。派遣されたメナ星人もかなりスポーツと相性が良いのでやっかいです」

「相性が良いというのは?」ニエモの言葉に新道が質問をする。

「中国にはダーチョというメナ星人が行っています。メナ星の数理学者で、物事のモデル化、数値化の能力に長けています。おそらく、バスケットというゲームも徹底的に解析される事になります。」ニエモの顔は珍しく真剣だった。

「俺たちは世代別で去年中国とやったけど、そのときは二十点差で負けたよ」

 宮下が悔しそうに話す。日本代表もかなりレベルが高いと思っていたが、中国はそれ以上らしい。

「我々も何もしてない訳ではありません、四人ともかなり成長していますし、やれないことはないです。大会までにしっかりと対策をしましょう」ニエモはそう言って、チームを鼓舞した。

「なあ、良かったら皆で飯を食いに行かないか?」練習終わり、珍しく新道が提案した。日々の練習がみっちりと詰まっており、練習終わりは疲れてすぐに帰宅するので、チームでご飯を食べに行ったこともなかった。話を聞いていたニエモが是非行った方が良いと言うことで、食費を出してくれる事になった。

「余ったら返してくれたら良いので、とりあえず持って行ってください」

 そう言いながらニエモが取り出したのは横にしても立つ厚みがある札束だった。そんなお金を持ち歩く勇気もなく、学達はその束から二枚だけ拝借した。

 育ち盛りの4人は焼き肉の食べ放題に来ていた。平均身長が百九十cmを超える四人の高校生が、肉を片っ端から平らげる姿をみて、周りの客がざわついている。積み上がっていく皿を見て店員は笑っていた。

 食事の話題は四人がなぜ大会に参加したのかという理由についてだった。

「なるほどなあ、大学進学と弟の学費か、結構苦労してるんだな。」学の話を聞いた宮下が肉を焼きながら言う。

「俺も学と同じで大学の推薦と学費。大学でエースになって全国一位になって、学校中の女子からモテるのが目標だぜ」

「お前は相変わらずだなあ」新道が呆れたように言う。

 学も呆れながらも、ここまではっきりと目標を言葉に出来るのも一つの強さかもしれないと思った。

「お前らはどうなんだよ」

 宮下が新道と飯田に問いかけると、飯田が先に答える。

「俺はプロ志望だから、金には興味ない。大会に出て経験を積むのが目的だ。一応賞金は出してくれるらしいが、俺としてはメナ星のサポートが有る環境で練習を出来ればそれでいい」普段の印象通り飯田はストイックな理由だった。

「金いらねーなら俺にくれよ」すかさず宮下が言う。

「お前に渡すよりは、俺が持っていたほうが有意義な気がするな」飯田は仏頂面で答えた。

「新道は?」学が新道に聞く。人としても選手としても完成度が高い新道がどういう条件でこの大会に参加をしたのかが気になっていた。

「あー、俺も卒業後はプロ志望だから、大学というよりは賞金だな。まあいろいろ入り用があってな」

 珍しく新道がはっきりと答えなかった。しかし、事情があるかと思いそれ以上は学は突っ込まなかった。その後は、それぞれ学校の部活の雰囲気や恋愛事情について話をする。バスケ以外でしっかりと話したのはこれが初めてで、学はそれまで同世代のスターという認識だったが彼らにも、普段の生活があるのだと感じ打ち解けられた気がした。

「大会、絶対勝とうな」新道の言葉に、三人は強く頷いた。


「初戦の相手が決まりました。タイです」ニエモから大会の情報が共有される。「元々はバスケが強い国ではないですが、この大会にかなり力を入れているとも聞きます。当然メナ星人もいます。タイ担当はドチョウと言うモノで油断は出来ません。」

 各国のメナ星人はそれぞれが全く違う戦略でチームを作っているらしい。そのため、他の国がどのような戦略をとっているかは全く予想が出来ないとのことだった。

「去年の世代別の時は、一人だけ上手い奴がいたな」飯田が言う。

「ああ、いたな、たしかアメリカに留学してるとか」新道も思い出したように言う。

「それも含めて、去年のデータを研究することは無駄じゃ無いはずです。」ニエモはそう言うと、タイ戦の戦略を共有した。

 大会直前はいつも以上に真剣に練習をした。学は調子が上がってきている感覚があった。

 そうして、とうとう大会の日がやってきた。四人はいつもの体育館の前に集まる。緊張の面持ちだが、試合に対する緊張だけでは無かった。

「試合って、シンガポールで開催されんだよな」宮下がこらえきれずといった様子で言う。

「ああ」飯田が短く答える。

「俺ら今日本にいるよな」

「そうだな」

「大会十三時からで、今は朝の9時だよな」

「ああ、時差もあるから試合まで後三時間か」

「いや、どうすんだよ!」

 宮下が叫ぶ。実際他の三人も似たような気持ちだったっ、学だけはなんとかなるという感触があった。

「昨日ニエモが車で駐車場に向かうって行ってたから多分大丈夫だよ」学は自分でも何を言っているかわからないが、経験上それで大丈夫としか言えない。

「なんとかなるだろ、なんせメナ星人のサポートがあるんだぜ」新道がフォローをしてくれる。

「試合前に、アップもしないと行けないし、先に説明してくれても良いだろ」宮下は不満気だ。幸い、程なくしてニエモが到着した。

「すみません、大きい車に慣れなくて時間がかかりました」そういうニエモが乗ってきたのはなぜか公共交通機関で採用されているようなバスだった。

「もう慣れたので大丈夫です、肉体操作はやはり面白いですね。皆乗ってください」ニエモが笑顔で言う。まだ成人もしていない四人の高校生は、こういうときの断り方をまだ学んでいなかった。

 ニエモの運転で体育館から出発し、月に行った時と同じように立体駐車場に向かう。チームメンバーは訳のわからないという顔をしているが、この二ヶ月で、ニエモに質問をしてもあまり意味が無いとわかっているので、何も言わずについて行く。ニエモの案内でいくつかの扉をくぐる。

「学君と移動した時は、何も言わないまま到着してしまいましたからね、私も反省しましたした」そう言って、ニエモはある扉の前で立ち止まる。「この扉の先がシンガポールです、みんな来るのは初めてですかね?」

 立体駐車場を出ると、明らかに季候が違って日本では無いことがわかった。出てきた建物を見ると、日本で見た立体駐車場と全く同じ形の建物が立っている。シンガポールではさすがに運転が出来ないのか、現地のバスが手配されてあって、会場の体育館に向かった。

「もう殆どの国は来てるな」新道が言う。移動中は動揺していたチームメンバーだったが、会場のボールが床にはねる音や応援の声で一気に大会前の緊張感を感じた。

「十三時からアップで体育館を使えます、それまでは時間があるので、今やってる試合を見ておきましょう。」ニエモが言う。会場に向かうと、ちょうど中国が試合をしていた。

「相変わらずでけえなあ」宮下が言う。見ると、中国は全員が二メートルを超えている。しかも、高身長で有りながら全員がハンドリングの技術やスピードもあり、高さだけの選手では無いことがわかる。対戦相手はベトナムだが、既に十点差がついており、逆転は難しそうだ。試合展開を見ていると、ベトナムのオフェンスが全く通用していない。シューターに対してはぴったりとマークにつく一方で、外からのシュートが打てない選手とは距離を開け、ペイント内に攻められてもその身長を活かして楽にシュートを打たせないようなディフェンスをしている。

「ドチョウがよく研究していますね、ベトナムの選手の良いところが全く発揮できていない」ニエモがつぶやく。結局、試合は中国が二十一点を取って試合は終了した。

「相変わらず完成度が高いチームだな」新道が言う。改めてこの大会の壁になるであろうチームを目の当たりにして新道や宮下、飯田は緊張をした顔をしている。しかし、学は少し違う感想も持っていた。

「でも部分部分で見たら、うちの方が勝ってるところも多い」

「まあそれはそうだけどな」飯田が続く。実際、ハンドリングやパスでは宮下、インサイドの支配力では飯田、そして選手としての完成度は新道の方が高い。上手くかみ合わせれば、中国といえど止めるのは楽では無いはずだと学は感じた。

「お前は試合したこと無いから気楽でいけるんだろうけどよ」宮下は呆れたように言うが、学の言葉で緊張はほぐれたようだった。

「まあ、どうせやるしか無いんだ、まずはタイ戦に集中しよう、アップしに行こうぜ」

 新道の言葉でチームメンバーはサブコートに向かった。途中でニエモはなにかを思い出したかの様子で、偵察に行ってくると行ってどこかに行ってしまった。

 サブコートに入ると、二つのコートが有り、一方のコートは既に別のチームが練習を開始している。学達は来ているユニフォームからそれがタイ代表であることがわかった。体格的には大きい選手たちでは無いが、かなりスピードがあるのが見て取れる。

「あの選手もいるな」

 飯田が見ている方向には、一際ハンドリングが上手い選手がいた。事前に映像でチェックをしたアメリカに留学中の選手だ。スピードとハンドリングのレベルが高く、抑えるのは簡単ではなさそうだった。

 学達もアップを開始し、一通り体を温めたところで最後にシューティング練習をする。学はシューズから伝わるコートの硬さ、ボールの感触を確かめる。軽くその場でジャンプをして見ると、緊張のせいか体が少し重く感じる。集中して最初のシュートを放つ。放物線を描いたボールは、わずかに左に逸れながらも、リングに二、三度当たってにゴールを通過した。

 試合時間近づき、学達は試合会場に移動する。一通りのアップを終えた日本のメンバーは思い思いに試合に向けて気持ちを作っていく。新道が誰かと電話をしているのを見た宮下が声をかけた。

「どうした、女か」

「いいや、妹だよ」新道は笑いながら答えた。

「試合前に連絡なんて随分仲が良いんだな」学が言う。

「ちょっと今入院しててな。暇だから試合が気になるんだろう」

「入院って、大丈夫なのか」

「昔から体が弱いんだ。珍しいことじゃない。でも俺の試合を楽しみにしてるからな、今日も勝ったよって連絡してやろうと思ってる」それを聞いた宮下が大げさに反応する。

「なんだ、真面目な話かよ。そんなこと聞いたら負けられなくなるじゃん」茶化すように言うが、冗談だけで言っているわけではないことを学はわかっていた。

 しばらくすると、ニエモから集合がかかり試合前の最後のミーティングが始まる。

「少し情報を集めてきました。タイはとにかく足を鍛えてきたそうです。カケというメナ星人がタイ担当ですが、地球の生き物に興味を持っていたので、動物的な能力を強化させることに興味があったのでしょう、あそこにいます」

 ニエモが見ている方向をみると、そこには真っ青なボディのロボットがいた。思えば、ニエモ以外でヒト型のボディを着ている人がほとんどいない事に気づく。

「ヒトのボディを採用するのはかなり珍しい事なんです、私はメナ星人からは変な奴だと言われますよ」

 学達からしたら、真っ青なロボットの方がよほど変だが、この感覚の違いは埋められないだろう。

「試合は高さとパワーがある新道と飯田の二人を中心に攻めていきましょう。スピードだけじゃ二人を止める事は出来ません。インサイドに入ると積極的にダブルチームにについてくるでしょう、そうなったら外にボールをだしてツーポイントが狙えるはずです」チームメンバーは頷く。

「ディフェンスに関しては、注意するのは二番の選手です」そういってニエモが指さした先には、サブコートで一際目立っていた選手がいた。「逆に言うと、他の選手はスピードはあってもツーポイントの確率も高くないです。二番をきっちりと抑えて自由にさせなければ大丈夫です。」

 ニエモはそこで話を止めてチーム全員の顔を見る。

「もうすぐ試合です、絶対勝ちましょう」

 いよいよ、大会が始まる。


 タイ戦が始まった。コイントスにより、日本ボールで試合が開始される。練習用のロボと試合はしていたが、チームとして生身の人間と試合をするのはこれが初めてだった。最初は、経験がある新道、宮下、飯田が試合に出る。新道と宮下を中心にオフェンスの展開を作って試合を進める。飯田がゴール下でボールをもらうと、圧倒的な体格とボディコントロールで相手を抑えながらシュートを決める。

 体格差で飯田を抑えられないタイの選手は、飯田にダブルチームをかけるが、そこで今度は新道のオフェンスが効いてくる。新道は、少しでもスペースが有れば精度の高いシュートを打ち、相手が詰めてきたらドライブをする。そのシンプルな攻めで次々と得点を決める。相手チームも二番の1on1を中心に攻撃を組み立てており、鋭いドライブと多彩なゴール下のシュートで得点を取ってはいるが、それ以上に日本側の得点が上回っていた。

 十三対七とほとんどダブルスコアがつきそうな点差で、新道が学の方を向き、飯田と学を交互に指さすような仕草をした。交代の合図だ。監督がコートに入らない3X3の試合では選手どうして交代のタイミングを決める。とうとう学が試合に出場する時がきたのだ。学の目標はチームで話し合って決まっていた。ツーポイントを三本以上決めることだ、戦略上の理由だけでは無く、学が国際戦に慣れるためにもシュートを撃ち慣れたほうがいいという判断だった。

 最初は宮下がボールをコントロールをする。宮下は選手の位置をしっかりと把握しながら、学がいるサイドでドリブルをしながらディフェンスを揺さぶる。一瞬の隙を突いて、宮下がディフェンスを抜くと、学のディフェンスが宮下のカバーに入る。宮下が十分ディフェンスを引きつけたところで宮下が学にパスを出した。学がコーナーでパスを受けとった時点でディフェンスとの距離は十分に開いている。フリーでシュートを打てる理想的な状況だった。

 学はリングをみてシュートを放つ。しかし、ボールが手から離れた直後に、学はシュートがずれているのを感じた。案の定ボールは左にずれてリングから外れてしまう。新道と宮下がリバウンドに入るが、ディフェンスに阻まれてリバウンドを取られてしまう。リバウンドを取った選手がツーポイントラインにいた二番の選手にボールを渡すと、フリーでツーポイントを決めてしまった。

「ドンマイドンマイ、切り替えよう」

 新道が声をかける。次の日本のオフェンスは、タイのディフェンスがパスカットのためにチェックを外した隙を突いて、新道がシュートを決めた。オフェンスとディフェンスが入れ替わりながら、試合は進む。再度宮下がドライブを仕掛けて学がフリーになった。今度こそと思い、コーナーでボールを受けた学はツーポイントシュートを放つが、ボールはまたもや左にずれてしまう。リバウンド争いで、相手チームがボールをコート外に出したので、日本ボールで試合を再開するが、学は自分がいやなリズムに入っているのを感じる。学をチェックしているディフェンスを見ると、先程よりも学から距離を離して、他のディフェンスのカバーにすぐに入れる状態にしている。学のシュートが入らないという判断をしているのだ。

「タイムだ」宮下がそう言って、タイムアウトを取った。

「学、大丈夫が」

 新道が学に声をかける。学は自信が無くなっていた。フリーでシュートを打ているのに外している。良い状態では無かった。前後にシュートがずれるのであれば、シュートを打ちながら力加減を掴めばシュートは入るようになる。しかし、左右にボールがずれている場合、その感覚を戻すのはかなり難しい。

「悪い、ちょっと調子が悪いかもしれない」

 学の声は弱気になっていた。宮下は険しい顔をして学の方を見ている。連続でシュートを外したことで点差も縮まっている。試合を確実に取るためには飯田や新道を優先して使うべきだ。そして、監督やコーチがコートに入れない3X3では、自分たちで決断を下さないといけない。宮下が学に声をかけた。

「学、ツーポイントを打つときはコーナーじゃ無くて四十五度まで上がってこい。自分の得意なところから打つんだ」

 宮下の言葉は学が予想していたモノとは違った。しかし、それでも学は自信を持てない。

「新道と飯田メインで確実に試合を取った方が良いと思う」学は、何よりチームが自分のせいで負けることが怖かった。戸惑った様子の学をみて宮下が言う。

「どんなに調子が悪くてもチャンスでボールを持ったらシュートは打ち続けろ。それがシューターの責任だ。それにお前のシュートが入らなかったらどうせ優勝なんて出来ないんだ」いつもの軽口では無く、淡々としながらも有無を言わさない雰囲気があった。

「それに、お前なら絶対入る。お前のシュートは大したもんだ」そういった宮下はニヤリと笑って言葉をつづける。

「しかも日本でナンバーワンのガードがフリーを作ってパスを出すんだ、シュートが入るに決まってるぜ」

 おどけたような良いぶりに学は思わず笑う。同時に肩が軽くなるのを感じた。

「よし、じゃあ行くぞ!」宮下の声と供に日本チームはコートに戻った。

 新道と飯田が交代し、宮下、飯田、学の三人でコートに入る。タイのオフェンスから試合は開始した。さすがに足を鍛えてきただけあって、タイチームは疲れを見せない。二番の選手がボールを持つと、スクリーンを使ってドライブを仕掛け、最後はレイアップでシュートを決めた。

 オフェンスが入れ替わり日本のボールになる。まずは宮下がボールをコントロールするが、ディフェンスのチェックが厳しく、ドライブを仕掛けられない。宮下は飯田に指示を出すと飯田がポストアップをしたところにパスを出して、飯田がゴール下で1on1を仕掛ける。試合の前半で得点を重ねたパターンだ。すると、対策をためか学のディフェンスがすぐに飯田のチェックにつく。学はそこでリングに対して四十五度の位置に走り込んだ。飯田は相手を体を使って抑えながら学にパスを出した。

 学はボールをキャッチし、二ヶ月みっちりとやったシューティングのリズムを思い出す。焦らないように、しかし遅すぎないリズムでシュート体制に入る。しっかりと腰を落として地面を蹴り、その力を体を通して腕に伝える、腕の力は最小限にボールを前に押し出しながら、最後に手首でボールを放つ。コートにいた全員がボールの行方を追うが、学は放った瞬間に結果を確信していた。余計な音を立てずにボールはリングを通過した。

「ナイッシュー!!俺は入るって知ってたぜ!」コートサイドの新道が大きな声を出す。リズムに乗った学は、その後もツーポイントシュートを次々と決めた。ディフェンスのチェックも次第に厳しくなったが、ディフェンスロボと練習した学は一瞬の隙さえ有ればシュートを決めた。結局、試合は二十一対十七と、危なげなく試合を勝利することが出来た。

「良い試合だった、最高だ!」

 新道が言った。試合後のロッカールームでニエモと合流して試合の振り返りをする。いくつかのプレーについて意見を言い合うが、総じてチームの感触は悪くなかった。きちんと実力を発揮できれば、優勝も狙えるという自信を得ることが出来た。

「次の試合は明日です、今日はゆっくり休みましょう。」ミーティングの締めにニエモはそう言うと、紙コップを取り出して青い液体を注ぐ。

「疲労回復に効きます、飲んでみてください」

 新道達は気が引けているのか口をつけないので、学が率先して飲む。その様子を見て、恐る恐る新道達も口をつける。その液体は相変わらずかぼちゃスープの味がした。

「変な味がする」そう言ったのは飯田だった。「ちょっと好きじゃねえなあ」宮下もそう言う。

「そうですか、学君には評判が良かったのですが、ねえ学君」

「そうですね」

 ニエモの悲しそうな顔を見ると。学は他に選択肢が無かったから飲んでいただけとは言えなかった。

 試合後、体育館のロビーに向かうと、青いユニフォームを着た代表チームと、それを率いる白い肌をした背の高い男性と出会った。学達に気づいたその男性が声をかけてきた。

「おや、日本チームですね。初めましてメナ星人のクヲンです。ラオスチームのサポートをしています」

 流暢な日本語でそう言った男は、柔らかな物腰で学達と握手をした。ニエモ以外で人間らしいメナ星人は初めてだった。それ以上に驚いたのは、その男の振るまいがあまりにも完璧だったからだ。理屈っぽく研究者の様な話し方をするニエモに対して、クヲンは柔和で人当たりの良い表情を浮かべており、相手にどう思われているかを計算して振る舞いをコントロールしていることがわかる。

「ラオスも一回戦は勝ったんですね」ニエモが言う。

「ええ、なんとか勝てました。日本チームはまだ余裕という感じですかね、新道君をはじめ、皆レベルが高くて非常に素晴らしいです」

「あなたも随分選手を鍛えているみたいですね」

 ニエモはラオスチームの選手を見ながら言う。特に二メートルを超えた一人の選手が気になるようだった。その選手は両手と両足をサポーターで覆っているが、かなり筋肉質であることがわかる。

「いえいえ、まだまだですが選手達は頑張ってくれています。我々も勝ち上がれば、皆さんと試合できるかもしれませんね。」そう言った後、クヲンは明日に備えると言ってチームを連れて去って行った。

「この大会、一筋縄ではいかない気がしますねえ」ニエモがため息をつきながらそう言った。

 その後の二回戦と三回戦は難なく突破し、学達は決勝に進んだ。特に三回戦のフィリピンで国内のバスケの人気が高く、アジアの中では強豪だった。全員が1on1のスキルが高く、オフェンスのレベルはかなり高かったが、学達は堅実なディフェンスから流れを作り、多彩な攻めを展開して危なげなく勝利することが出来た。新道、宮下、飯田の三人でもアジアでトップレベルのオフェンス力だが、そこに学のツーポイントが加わることで、どんな状況からでも日本は点が取れるチームになっていた。

 フィリピン戦後、ユニフォームから着替えると、学達はもう一方の準決勝の試合を見に行く。この試合の勝者が決勝で学達と当たる事になる。準決勝に勝ち上がってきているのは中国で、ここまで危なげなく勝利していた。試合会場に近づくと、大きな歓声が聞こえてくる。

「すごいな」新道が言う。

「まだ試合開始して五分くらいのはずだぜ」

 時計を確認しながら宮下が言った。コートの様子を見に行くと、驚くべき光景が広がっていた。スコアボードを見ると七対十五となっており、ダブルスコアがついているのだ。「マジかよ」宮下がつぶやく。他のメンバーも同様に信じられないという気持ちだっだ、それも当然だ。ダブルスコアをつけて負けているのは中国だったのだ。対戦相手は、先日挨拶をしたチームラオスだった。

 試合内容を見ても中国は間違いなくレベルの高いチームだ。圧倒的な平均身長を活かして、常にミスマッチを作って着実に攻めていく。しかし、中国がどれだけ攻めてもゴール下まで進むと確実にゴールを阻む選手がいる。先日見た二メートル越えの選手だ、背番号は零番をつけており、相変わらず両足にはサポーターをつけている。その選手はどちらかというとスリムな体型で、体の幅があるわけでは無いがその分軽やかな動きで、ドライブをする中国選手をことごとくブロックしていく。

 中国はインサイドでは点を取れないので、その分外から攻めようと試みるが、零番以外のラオスの選手がぴったりと選手についており、外からシュートを打てなくしている。ドライブで攻めてもゴール下には零番の選手がいるので八方塞がりといった雰囲気だった。

 一方でラオスのオフェンスは零番の選手を中心に組み立てて次々と点取る。ツーポイント、ドライブ、アシストありとあらゆる場所から得点を重ねる。何より目を見張るのはそのジャンプ力だ。身長に見合わない高さを飛んで中国のディフェンスの上から易々とダンクを決める。もちろん、中国の選手も二m越えで楽にダンクが出来る相手ではない。

「バケモンだ」飯田が思わずといった風につぶやく。飯田も身長を考えるとかなり俊敏性には優れているが、ラオスの選手はそれ以上だった。

 結局試合は十一対二一でラオスが勝利した。ラオスの選手とクヲンは颯爽とコートを退場する、クヲンは笑顔で観客席に手を振っていたが、観客はあまりの光景に騒然としている。中国選手も何が起きたのかと信じられないという様子でコートサイドに残っている。学達がロッカールームに戻ったとき、学達は誰一人として声を発する事が出来なかった。あまりに圧倒的な試合だった。

「さっきの試合は衝撃だったが、今日俺たちは試合に勝ってる。まずは、それを喜ぼう」なんとか口を開いたのは新道だった。「決勝は三日後だ、それまでに対策を考えればいい、今日はまずゆっくりと休むのが優先だ」

 実際に学達は連日の試合で消耗していた。新道の言葉に従い今日はそれぞれが家に帰ることになる。しかし、今日の試合の光景は選手たちの心に強く残っていた。

 翌日、日本で体育館に集まって対策を練る。ニエモの用意したラオスの試合を見るが、やはり0番の選手が圧倒的だった。

「彼の名前はジャック、これまでにバスケの国際大会に出たことがありません。彼も学君と同様に、メナ星の技術を活用して強化されたようです。」

 ニエモが言う。あれほどの選手が無名だった事に学達は驚く。

「それに、おそらくですがクヲンはかなり無茶をしていそうですね」ニエモが続ける

「どういうことですか?」怪訝な顔をして新道が聞いた。

「彼の足のサポータースリーブ、常に着用していますが、一回戦の韓国戦で選手と接触があったときにわずかにずれて素肌が見えています。動画のここを見てください」

 ニエモが指さした箇所を見ると、ジャックの靴下がずれて、スリ-部と靴下の間からからわずかに素肌が見える、そこから見える肌は、日焼けを全くしておらず、真っ白な色をしている。ジャックの腕やその他の肌は、小麦のような色をしており、同じヒトの肌とは思えないほど違っていた。

「クヲンも私と同じヒトを専門にしている研究者ですが、私がヒトの文化や民族を専門にしているのに対して、クヲンは医学、生化学を専門とする研究者です。早い段階から地球に来て研究をしているのは知っていましたが、その研究成果がこれなのでしょう」

 選手達は意味が分からずニエモの次の言葉をまつ。

「おそらく、今のジャック君の足は生まれ持った物ではありません」

 ニエモの言葉に学達は震える。

「誰か他の人の足を移植したって言うことですか?」学が恐る恐る聞く。

「いえ、さすがにそこまでは。私やクヲンと同様のメナ星人用のボディを作成して移植したのでしょう。身体機能が向上しているのであれば、害を与えたわけではないのでメナ星の保護条約に違反したことにもなりません」

「でもそんな、人体改造みたいなのありなのかよ」宮下が言う。

「メナ星からすると些細な問題です。メナ星人は肉体を持たないので、そのあたりの倫理観はそもそも持っていないのです」

 それを聞いて宮下は黙ってしまう。しかし、ニエモの言葉はそこで終わらなかった。

「ただ、私はヒトの中でそれなりに生活していますから、こういうやり方はどうなんだろうとは思いますね」

 そう言うニエモは珍しく怒っているような表情をした。全員が思う所はあったが、話は試合の戦略に移る。

「ジャックには飯田君をつけます。パワーでインサイドに入れないようにすれば、かなりプレッシャーをかけることが出来ます。アウトサイドのシュートはある程度は打たれてもかまいません」

 飯田は頷く。さながら仕事人のような貫禄だ。さらにニエモは続ける。

「それでもジャック君を完全には止められない、だから今回の作戦の要はツーポイントです。点を取られたても、それ以上にツーポイントで点を取っていくしかありません」

 ニエモの作戦はシンプルだった。宮下のドライブから試合展開を作り、新道か学にキックアウトしてツーポイントを決める。チームで何度も練習をした形ではあるが、ラオスはジャック以外の選手のレベルも決して低くは無。ジャックから離れた位置でボールをコントロールしつつ、学か新道のディフェンスをずらしてフリーにしてツーポイントを打たせる必要がある。宮下はこれまで以上にディフェンスをかき乱し、新道と学は高い確率でシュートを決めなくてはならない。新道に関しては、さらに状況によってボールをコントロールする必要もあり。難しい試合になると思われた。しかし、学達は昨日よりは冷静にラオスチームを見ることが出来るようになっていた。ジャックは圧倒的な選手だが、ツーポイントの精度はあまり高く無い。学達は、しっかりとフォーメーションを確認しながら丁寧にラオス対策を始めた。

 試合までの二日間、初日は日本でみっちりと確認をし、二日目はシンガポールのコートで、練習用のロボを使って実践形式で練習をする。ラオスを模したロボと試合をし、学達は試合のシミュレーションを進めた。

「感触は悪くない、自分たちの実力を発揮できたら、俺たちは絶対勝てる。」

 二日目の練習の締めに、新道がチームにそう言った。学達はもう戦う覚悟は出来ていた。

 練習終わりのロッカールームで、学が荷物をまとめてロビーに向かう。試合までは残り少ない中、自分のコンディションを万全の状態に持っていくために、学は最後まで残ってコートでシューティングを行った。他のチームメイトは既にバスで待機をしているはずなので、急いで移動する。

 廊下を通って入り口に向かう途中で、学は新道が廊下で誰かと話をしているのを見つけた。話している相手を見て、学は驚愕して声を出しそうになる。それはラオスチームのメナ星人、クヲンだったのだ。学が近づくと、クヲンが学に気づいた。

「おや、学君じゃないですか。前回の試合ののツーポイントは見事でしたよ」

 学は警戒しながらも、ありがとうございますと答える。あまりに綺麗な姿勢に笑顔で話すクヲンは、人間としては完璧な振る舞いだが、全く人間らしくなかった。

「では、あまり邪魔をしても申し訳ないですから私は失礼します。新藤君、是非よく検討してください」そう言ってクヲンは新道と学に別れを告げて去って行った。

「なにかクヲンに言われたのか」

「いや、たいしたことでは無いんだ」

 新道はいつも通りの口調でそう言うが、目を合わせない様子が学は気になった。

「明日も早いからな、早く帰ろう」新道はそう言って歩き出してしまった。

 この時に、もう少し話を聞くことが出来ていればと、この後学は大きく後悔することになる。


 次の日、学が体育館に行くと既に他のメンバーが到着していた。しかし、すぐに学は違和感に気づく。尋常ではない剣幕で宮下がニエモに何かを言っており、それを飯田がなだめていた。

「ちょっと落ち着けよ」学は慌てて間に入る。

「そうだ、ニエモに文句言ってもしかないだろう。少し落ち着けよ」

 飯田も続けて宮下に言う。宮下は舌打ちをすると不満げではあるが引き下がった。

「何があったんだ」学が聞く。「何があったかだって?ニエモに聞いてみろよ」宮下は冷たくそう言うと黙ってしまう。学がニエモの方を見ると、めずらしくニエモが難しい顔をしている。

「今日の試合、新道君は試合に出れません」ニエモが言う。

「出れないって言うのはどういうことですか」学は訳が分からず聞く。

「理由は言えません、新道君に止められているので、ただ怪我や病気ではありません」

 ニエモはそう言うが、学は余計に混乱をする思いだった。新道の性格を考えると、適当な理由で試合を放り出すような男では無い。話を効いていた宮下が我慢できずと言った様子で口を挟む。

「今日の試合はどうするんだよ」宮下は厳しい剣幕だ。

「試合は三人でも出場できますが、もちろん棄権することも可能です。私も皆さんに無理強いはできません」学達はただ唖然とするだけだった。

「俺は出たくないぜ、こんな状況で試合しても恥かくだけだ」

 宮下が言う。学もその気持は良くわかった。このまま試合に出たところでラオスの相手にはならないだろう。体力的にも戦略の幅としてもあまりにも厳しい。しかし、同時に学は諦められない感情もある。優勝しなければ推薦と奨学金がもらえない。家族のために出来ることは最後までやりきりたかった。

「俺は試合をやりたい、優勝できる確率がゼロじゃないんだったら」

 学は悩んだ末にそう言った。飯田も続く。

「俺も試合はしたいな。あんなすごい選手とやれる機会なんてもう無いかもしれないから」

 宮下は睨むように学と飯田を見る。

「一対二か、わかったよ、試合は出よう」宮下はため息をつきながらそう言う。

「いいのか」学は思わず聞いた。

「別にお前らと揉める気はねえから。三ヶ月も一緒にやってきたんだ、やるって言うなら付き合う」

 宮下はその後はもう何も言わ無かった。学達はいつもより一つ空席が多いバスに乗って、試合会場に向かった。

 会場について三人はまずアップを始める。チームの調子は決して悪くないが、いまいち気持ちが乗り切れない。しかし、試合までの時間は学達とは関係なく進んでいく。

 アップを終わらせた試合開始直前、学達が最後の準備をしていると、相手サイドからクヲンが近づいてきた。

「皆さん、今日はよろしくお願いします」いつも通りの笑顔をしている。

「よく顔を見せられますね」ニエモが冷めた表情で言う。

「そんな怖い顔をしないでください。新道君の事ですか?いらっしゃらないのは残念ですが、ヒトはそれぞれ事情がありますから」

 クヲンの言いぶりで、学達は新道の件にクヲンが関係している事がわかった。全員が睨むような目でクヲンを見る。クヲンは学達の表情をみて肩をすくめた。

「試合前にお邪魔するのはいささかデリカシーに欠けましたね。私は退散します。良い試合にしましょう」そう言ってクヲンはラオスチームの元へ帰って行った。煮え切らないまま試合は開始した。


「行こうぜ」

 宮下の声でコートに立ちすくんでいた学は我に返る。試合を大敗した。学はなんとかコートを出て控え室に戻る。試合序盤は準備をしていた作戦も効果があり、ラオスチームと渡り合うことが出来ていた。しかし、どうしたって人数的に日本チームが先に消耗する。段々と足が動かなくなり、ラオスチームのオフェンスを止められなくなってくる。日本のオフェンスも次第に攻略され、攻撃の起点となる宮下にジャックがチェックにつくことで、日本の攻撃のリズムは一気に崩された。宮下が何とかパスを出しても、飯田と学の力だけではラオスチームのディフェンスを崩す事は出来なかった。試合は二十分もかからず、ラオスチームに二十一点を取られて終わった。

 試合後は大会の表彰式が行われた。学達も準優勝のチームとして、表彰のトロフィーを受け取ったが、感動は無かった。どうやら高い地位にあるらしい赤いロボットのボディをしたメナ星人が閉会の挨拶をする。

「これでメナ星の次の目標が決まりました、N87星雲を開拓し、光の戦士の力の研究を進めます」

 その言葉で学はメナ星の将来を決めるという大会の目的を思い出したが、最初の頃の衝撃はもう無かった。ただただ何も出来ずに負けたことがショックだった。

 試合終了後にチームで集合する。ニエモも珍しく、硬い表情をしていた。

「大会はこれで終了です」そこで二エモは言葉を切って下を向く。「クオンがここまでやってくるとは、私ももう少し目を光らせておくべきだったかもしれません」

 ニエモがそう言うが、学達は上手く返事をすることが出来ない。結局打ち上げをする気にもなれず、学達はぎこちなく挨拶をして分かれた


 大会が終わってから、学は以前の生活に戻っていた。学校に行き授業を受け、終わると家に帰って光の食事を作る。食事の後は、大学進学のための受験勉強をする。ニエモとの約束の通り、家でもイタミがサポートが付くようになったため、勉強の進捗は悪くない。専用の機器でいつでもイタミに質問をすることが出来る。しかし、学は物足りなさを感じていた。ふとした瞬間に、大会の事を思い出してしまうのだ。最後の試合をベストなメンバーで挑むことが出来たらどうだったのか。新道とクヲンが話をしていたとき、もっと新道の話を聞いていれば良かったのか。やりきれない気持ちが沸く。そして余計な事を考えていると気づいた学は頭を振ってそれを振り払う。その繰り返しだった。

 ある日、学校から帰ると光が絵を描いていた。いつも通りの光景だと思ったが、学は違和感に気づく。まだ下書きだったのではっきりとはわからないが、どうやら風景では無く人のモチーフを書いているようだ。

「何描いてるんだ」学が聞くと、光はあわててスケッチブックを隠す仕草をした。

「まだ秘密」光にしては珍しい反応だが、そういう年頃かもしれない。

「今日の夜何か食べたいものあるか」

「うーん、カレーが食べたいな」

「カレーか」学は冷蔵庫の中身に頭を巡らせる。ちょうど人参もタマネギもある、家にある材料だけで作れそうだ。

「よし、じゃあ今日はカレーにするか」

「やったー」

 喜ぶ光を見て、学は少し笑顔になる。自分が作ったモノで誰かが喜んでくれるのはうれしいことだ。学はバスケットに未練はあったが、今さら高校の部活に入ることは考えていなかった。政治代理スポーツ大会に参加したのは大学への推薦や賞金という理由があったからだ。そうじゃないので有れば、学は家族を優先するつもりだった。それに、このタイミングで学が入ることで、元いたメンバーの誰かが代わりに出れなくなるかも知れない、そう思うと余計に学校の部活には入れなかった。しかし、そう決めているにもかかわらず、ふとした時に思い出すのはバスケの事だった。

 ある日、学校から帰ろうとすると、高見が声をかけてくる。

「今日は部活休みだから一緒に帰ろうぜ」

 二人で歩いて帰るのは久しぶりだった。中学の頃は毎日一緒に帰っていたのが懐かしく思えた。高見と学はたわいの無い話をしながら道を歩く。二人の会話が途切れた時に、高見は学の方を見る。

「学の試合見たよ」

 学はドキリとする。高見と約束をしながら不甲斐ない結果になったことを申し訳なく思っていた。

「高見、すまない」

「いや、お前が謝ることはないだろ、お前はよくやってたよ」

 高見の言葉が学に染みる。付き合いが長いからこそ、高見の言葉が本心である事がわかる。

「最初のタイ戦でお前を見た時、実はダメそうだなと思ったんだ。自信がないときのお前の顔をしてたからな。でも、その後立て直してスリーを決めたのを見て、お前がチームのために勇気出したのがわかったよ」

 二人はそれぞれの帰路の分かれ道に来ていた。高見が足を止める。

「バスケの、練習続けろよ。俺も大学でもバスケを続けるからさ。敵同士でもいい、今度こそ全国の舞台で一緒にバスケをしようぜ」

 学は返事をしたいが、素直に首を立てに振れない。大会の事が忘れられず、次を考える事ができない。それに、簡単に高見と約束するのが怖かった。

「すまない、まだそこまで考えれないけど、そう言ってもらえてありがたいとは思う」

 高見はこれ以上言っても仕方ないことはわかっているようだった。


「ランニングに行ってくる」

 高見との一件から、学は最低限のトレーニングをするようになった。まだもう一度バスケをすると決めた訳では無いが、最低限の事はやっておこうと思えるようになっていた。

 古い運動靴を出してランニングに行く。学は当ても無く街を流しながら走っていると、いつの間にか初めてニエモと会った公園の前に来る。なんとはなしに公園の中に入り、待ち合わせに使ったベンチに座ってみる。すっかり冬になった公園では、木々はすっかりと葉が落ちて裸の枝が伸びていた。力なく立っているように見える姿に学は寂しさを感じる。初めてニエモとここで会ったときは、木々は青々としていた。学は立ち上がってバスケットボールを手に取り、リングの方を向いてシュートの構えをするが、途中でやめてしまう。

「考えても仕方ないよな」

 学は言い聞かせるようにそう呟く。余計な思考にとらわれる前に家に帰ろうと、公園出口の方を見て学は思わず立ち止まってしまった。

「随分つまらない顔をしていますね」

 学の視線の先にいたのはニエモだった。一ヶ月ぶりに見たニエモは、珍しくパンツスーツを見につけている。いきなりのことで戸惑う学の顔を見て、ニエモは面白がるかのような顔で言う。

「学君、良かったらもう一度バスケをしましょう」


「バスケを?もう一度?」学は聞き返す。

「決勝戦に不満があるのは我々だけでは無かったんです」二エモはベンチに座る「ああ、ちょうど初めて学君と会ったベンチですね」学も続いてベンチに座る。

「前回の政治代理スポーツ大会はかなり評判が良くてですね、無事にメナ星の次の方針も決まりました。あれだけの熱戦を繰り広げた結果ですから、メナ星の目標としても文句なしです。しかし、同時に決勝を悔やむ声も多くありました。日本チームがフルメンバーでは無かったですからね。フルメンバーだったらどうだったのか、それを見たいというメナ星人がたくさんいたのです。」ニエモはそこで一呼吸を置いて学の方を見る

「そこで、メナ星としては、日本対ラオスのエキシビジョンマッチを開催したいと思っています」ニエモが力強く言う。

「それは、つまりもう一度ラオスと戦えるという事ですか」

 ニエモは頷く。学は体に熱が戻ってくるのを感じる。

「ただし、同時に残念なお知らせも伝えなくてはなりません」ニエモは真剣な顔で続ける。

「前回の大会では、参加者にそれぞれご褒美を用意していました。メナ星にとって重要な決定をするための大会でしたから。しかし、今回はあくまでエキシビジョン。むやみにメナ星が地球に干渉するべきでは無いという原則に従い大学の推薦も、奨学金もありません」ニエモの言葉で学の気持ちにブレーキがかかる。

「家族の事が気になりますか?」図星だった。大会に出ても将来に繋がらないのであれば、ただ学の時間を消費するだけになる。家族の時間と勉強の時間を減らしても、得るものはなにもない。しかし、学は簡単に諦められなかった。

「大事なのは学君の気持ちですよ、おそらく学君が参加したいと言えば、ご家族は止める事は無いでしょう」

 ニエモは確信があるようだが、学は懐疑的だった。祥子の様子を見てると、そんな余裕があるようには思えない。

「もう一度ラオスと試合をしたい気持ちはありますよ」学は正直に言う。その言葉を聞いてニエモは大きく頷いた。

「その気持ちをそのままご家族に話してみましょう。」そう言うと、ニエモは学の家の歩き出す。学は慌ててニエモの後をついて行った。

 学の家に着いたとき、ニエモも一緒に家族に会うかと思ったが、ニエモは外で待っていると言った。

「学君が自分で話をした方がいいです、待っていますから結果は教えてください」

 学は緊張をしながら家の玄関を開ける。リビングでは祥子と光がテレビを見ていた。

「母さん、光。話があるんだ」学は祥子と学に声をかけた。

 学の向かいに二人が座る。祥子はただならぬ雰囲気を感じたのか真剣なかおで、一方光は不思議そうな顔で座っている。学は先程ニエモと会ったこと、そしてエキシビジョンマッチの事を話した。

「それなら負けたチームにリベンジできるってことよね、良かったじゃない」話を効いた聞いた祥子が言った。

「いや、でもまだ出るって決めたわけでは無いよ」あっさりと肯定されて学は戸惑ってしまう。

「出たら良いじゃ無いの。なかなか無い機会よ」

「でも、その間家の事はどうするんだよ」

「僕自分でご飯を作るよ」

 話を聞いていた光が言う。光をみて祥子微笑んだ。

「光も電子レンジくらい使えるもんね、ママがなにか用意しておくわよ」

「それじゃあ母さん大変だろ」

「学、あなた私と光をもっと信用しなさい」それは学にとって予想外の言葉だった。

「あなたは家族に迷惑をかけちゃいけないって思っているのかもしれないけど、そんなことはない。あなたがやりたいことがあるなら、私たちは応援したい。だから次の大会には参加して」

 祥子の言葉に、学は思わず目頭が熱くなる。

「ちょっと待ってて」

 そう言って光はスケッチブックを持ってきた。

「これ、完成までは見せたくなかったんだ。イタミが練習中の兄ちゃんの写真とか見せてくれて、やっぱり兄ちゃんはバスケしてたほうが楽しそうだよ」

 光が開いたページをみると、そこにはバスケをしている学が描かれていた。

「すごく、良くかけてるな」

 それは学がシュートを打つ姿だった。表情が印象的で、自身に満ち溢れた学が書かれている。

 学は自分は家族を心配する側で、心配される側ではないと思っていた。しかし、そんなことは無かったのだ。

「母さん、光。俺、大会に出てもいいのかな」

 学の言葉に祥子と光は大きく頷いた。話を終えて、学はニエモに報告するために外に出た。

「ニエモ、大会にでるよ」ニエモは笑顔で頷く。

「良かったです私もあの幕切れは寂しく思っていたんです」

 学はもう一度バスケができる、その事実に胸が高鳴るのを感じる。

「じゃあ早速、明日会いに行きましょう」

「会いに行く?」

「新藤君に会いに行くんですよ」


 翌日、ニエモと学は一軒家が並ぶ閑静な住宅地を歩いていた。この一角に新道の家があるらしい。ニエモから新道はには連絡をしているそうだ。学は新道に会いたい気持ちと、どんな顔で会えば良いのかという不安が同時に渦巻いていた。

「新道君が居なくなった理由は、本人から聞いてください」ニエモはそう言うだけだった。

 新道の家は二階建てで、白い壁と二階のベランダに大きな窓が着いた綺麗な家だった。学は緊張をしながらインターホンを押すと、玄関のドアが開いて新道が現れる。学の顔をみて一瞬気まずそうに目を伏せるが、すぐに笑顔をみせる。

「よく来たな、上がってくれよ」

 三人でリビングの机に座る、新道の家族は外出しているらしい。最初に口を開いたのは新道だった。

「突然居なくなって、本当に済まなかった」新道は頭を下げた。学は少しは文句も言ってやろうと少し考えるが、何も思いつかずため息をつく。「別に謝って欲しいわけじゃ無い。ただ何があったか説明をしてくれないか、クヲンが関係しているんだろ」学が言った。新道は学の言葉を聞くと、頭を上げて話し始めた。

「前にも言ったかもしれないけど、俺には妹が居るんだ。小さい頃から心臓が弱くてな、よく入退院を繰り返していた。それでも調子が良いときは俺のバスケの試合を見に来たりしてたんだ」新道はそこで話を止める。

「ただ、半年前にいよいよ妹の具合が悪くなってな、そこからずっと入院してた。医者には心臓を移植しないと二十歳を迎えられるかわからないって言われたよ。でも移植できる心臓なんて世の中に限られている。長い、いつになるかわからない順番待ちの列に並ぶか、法外な値段で外国で手術をするかのどちらしかない。うちの両親はなんとか金をかき集めて手術を受けさせようとしていた。親も妹も必死なのに、俺だけ何も出来ないのがとにかく歯がゆかったよ。そんなときに政治代理スポーツ大会の話が来て、俺はチャンスだと思った。賞金をもらえるかもしれないし、そうじゃなくてもここでアピールしてバスケでプロになれたら、もし親が借金したとしても返済を手伝える。俺はすぐに参加を決めたよ。実際練習に参加してみると自分が成長できているのも感じたし、このチームなら優勝できると俺は思った。あとは決勝で勝つだけだって、そう思った」そこまで話して新道は一息つく。そこから先の言葉をどう続けるか悩むような仕草をする。

「決勝戦の前に、クヲンから提案されたんだ。決勝戦を辞退したら妹の心臓を治してやるって、しかもお金はいらないとさ。皆には悪いが、正直少しも悩まなかったよ。妹の事を考えると、受ける以外の選択肢は無かった。今でも後悔はしてない。」

 新道の目は真剣そのもので、覚悟を決めた男の目をしていた。

「ただ、出来れば四人でラオスと戦ってみたかったな」そういって新道は少しだけ悔しそうな顔をした。学は新道の言葉を反芻して受け止める。

「何というかあれだな」学が話し出すと新道は厳しい顔で姿勢を正した。今ならどんなひどい言葉を投げかけても、甘んじて受けるだろう。

「新道はやっぱすげえ奴だよ」学は新道を攻める気は無かった。聞けば聞くほど、一緒に練習してきた新道という人間の言葉だった。

「エキシビジョンマッチの事は聞いてるんだろ、一緒に出てラオスにリベンジしようぜ」

「いいのか」新道は学の言葉に驚いたようだ。

「妹さんは元気になったのか」

「ああ、今日は友達と一緒に映画を見に行ってるよ」

「じゃあ良いじゃ無いか」

「学、すまない。ありがとう」新道は申し訳無さそうに言う。

「何度も言うけど謝ることは無いよ」

 二人の様子を見ていたニエモは嬉しそう口を開く。

「雨降って地固まるという奴ですね」

 ニエモの言葉は、使い方は正しいのになんだか、滑稽に聞こえた。


「次は飯田君と宮下君ですね」ニエモが言う。後の二人も学の時のように、ニエモが直接話をしに言っているのかと思ったがそういうわけでもないらしい。

「学君とは月で一緒に居ましたからね、関係性も出来ていましたし、かなり悔しそうだったので、誘ったら参加してくれると思ったので」見透かされるようで学は恥ずかしくなる。相談の結果、飯田と宮下も後日皆で直接会って誘うことになった。

 学とニエモが帰ろうとした時、玄関が開く音と供に、「ただいまー」と女性の声が聞こえた。

「妹が帰ってきたみたいだ」新道が言う。そのすぐ後に中学生くらいの女の子がリビングに顔を出した。学とニエモの顔をみて驚いた顔をする。

「知香、おかえり。今お客さんが来ててな、学とニエモだ。前に話をしただろ」

 知香と呼ばれた女の子はすこし戸惑うような顔をするが、すぐに真剣な顔になった

「あの、兄は私のために試合に出なかったんです、どうか兄を許してやってくれないでしょうか」そう言って、知香は深々と頭を下げた。あまりに必死な姿が健気で学は笑顔になってしまう。

「知香、それはもう大丈夫なんだよ」新道は知香に説明をして、次の大会に出場することを伝える。それを聞いた知香は安心したような顔をすると、泣き出してしまう。よほど新道が決勝に出なかったことを気に病んでいたらしい。しばらくして、知香は落ち着く。

「それじゃあ、飯田さんと宮下さんのところにも行くんですね」

「そうだな、二人にもちゃんと謝らないといけないと思ってる」新道は真剣な顔をして答える。

「私も連れて行って、お兄ちゃんが試合に出れなかったのは私のせいだから。私からも謝る」

 新道と学は目を合わせる。気持ちはありがたいが、そこまでしなくてもと思う。

「いいですね、一緒に行きましょう。」そう答えたニエモの言葉に学達は驚く。「多分、知香さんが大事な役割を果たすことになります」


 次の週末、学達は飯田の実家に向かっていた。知香も来る予定だが、術後の経過確認のために病院に行ってからくるらしい。飯田の家は下町にある寿司屋だった。店の裏に生活スペースがあり、インターホンを押すと飯田が出てくる。

「飯田、久しぶりだな」

 新道が緊張した声で挨拶をする。

「おう、そんな暗い顔をするなよ」飯田が笑いながら答える。

 飯田は学達を家の中に迎えた。飯田の家の中には大量のトレーニング器具が置いてあった。使い込んだ器機から、飯田の強靱な肉体が絶え間ないトレーニングによって作られた事が分かる。

「大会があるんだろ、俺も参加するよ」

 リビングの椅子に座った学達に対し、飯田があっさりと言った。

「いいのか」思わず新道が聞く。

「お前が理由も無くいなくなると思ってないし、バスケができるなら俺は参加するよ」

 あまりにあっさりとして飯田の態度に学達は拍子抜けする思いだった。しかし、新道の表情はまだ堅いままだった。飯田の方を向くと覚悟を決めたように話す。

「ありがとう、飯田。でもこれだけは言わせて欲しい、急にいなくなって本当に済まなかった」

 新道は深く頭を下げる。飯田は少し困ったように頭を掻く。新道になんと言葉をかければいいか悩んでいる様子だった。

「大方、クヲンに何か言われて、試合に出るなって言われたってところか」

 飯田の言葉に学達は驚愕する、ニエモですら興味深そうに飯田を見ている。

「昔から実家の寿司屋の手伝いでいろんな客を見てるからな、一筋縄じゃ行かない奴はなんとなく分かるんだよ」

「なるほど、ヒトが言う本能という奴ですか。言語によらない情報処理による判断ですね、やはり精度は高いですね」

 ニエモの知的好奇心が刺激されたのか、飯田に矢継ぎ早に質問をする。ニエモが満足するころには飯田は、疲れた顔をしていた。

「まあ、だから新道の事は信用してるんだよ。次は宮田か?さっさと行こうぜ」

 こうして飯田はあっさりと合流した。


「納得できねえ」

 そこには難しい顔をした宮下がいた。宮下に合うために移動し、宮下の家の近くのカフェで、新道から事情を説明したところだった。

「妹さんのためっていうのは理解したが、俺らに一言相談するくらいは出来ただろ」宮下は強い口調で言う。

「それは…、確かに悪かったよ」新道は力なく答える。

「三ヶ月みっちりとやってきたんだぜ、それなのにいきなり居なくなるような奴とは俺は組めない」

 宮下は腕を組んで背もたれに大きく体重を預ける。簡単に考えが変わる様子では無い。新道も負い目があるのか、しばらく沈黙が続く。

「他に用が無いなら俺は帰るぜ」宮下がそう言って席を立とうとする。

「待てって」学は慌てて声をかける。「あのときは急な話だったし新道も余裕がなかったんだよ。何とか許してやってくれないか。」

 宮下は一瞬考える素振りを見せるが、結局返事をしないかった。そう簡単に割り切れるわけではなさそうだ。

「遅れてすみません」宮下が帰ろうと立ち上がったところで、後ろから声が聞こえる。見ると病院に行っていた知香がニエモと一緒に到着したようだ。しかし、気まずい雰囲気を感じ取ったようで知香は学達の顔を見渡す。

「妹の知香だ」新道が言うと初めて宮下は知香の顔を見る。新道が険しい表情で話を続ける。

「お前の言うとおりだ、もっと良いやり方が有ったよな。俺が勝手にいなくなっておいて、もう一回バスケをしようなんて都合が良すぎるとも思う」

 新道は学達の方をみる。今日は帰ろうと新道が学達に言ったところで、知香が口を開いた。

「すみません、本当に虫のいい話だと思うのですが、兄を許していただけないでしょうか」

「知香…」新道が知香に言葉をかけようとすると、急に宮下が立ち上がって知香の手を取った。

「もちろん許しますよ」

 全員が宮下の方をみる。先程までの態度が嘘のようだったかのような明るい表情で知香を見ていた。

「新道は知香さんのためにやったんですよね。いきなりのことだったし余裕も無かったと想います。僕も気持ちはよくわかります」宮下は大げさにうなずきながら話す。

「知香さん、僕たちは絶対ラオスにリベンジを果たします。よかったら試合を見に来てください」

「もちろん見に行きたいですけど、ええと…」

 知香は驚いているのか目をぱちくりさせながら周りを見る。

「うんうん、これで全員が揃いましたね」ただ一人ニエモだけが頷いている。

「もう手を離しても良いんじゃ無いか」

 新道が無表情で宮下と知香の間に入る。かくして、無事にチームは最集合したのだった。


 翌週の月曜日、学達は体育館に集合していた。コートにはメンバーが全員揃っている。

「大会までは後一ヶ月、前回の大会と方針は一緒です、学君と新道君のツーポイントを中心に攻めていきます」ニエモが言う。さらにまずはチームとしての感覚を取り戻す事が重要だとチームに伝えた。

「前回はシンガポールでしたが、エキシビジョンはもっと遠いところで実施されます、今回は二チームしか居ないので、早めに現地入りして会場で練習しましょう。」ニエモが言う。

「遠いところってどこですか」

 新道が聴く。学はイヤな予感を感じる。メナ星人であるニエモにとっての遠いというのは、学たちに取っては遠いどころではない可能性がある。

「おっと、学君怖い顔をしていますね、さすがに月では無いですよ」ニエモの言葉に学は少し拍子抜けする。

「月は小さいですからね、次の舞台は火星です。」学達は声を出せなかった。

 火星での練習は思いのほか効率が良かった。火星に居る間は他にやることも無く、スマートフォンも通じないため練習に集中できた。練習後は家に帰れるため、生活スタイルも対して変らなかった。

「気にしてなかったけど、とんでもない距離を移動してるんだよな、体に悪い影響とかねえよな」火星での練習中に宮下が言う。

「安心してください、そのあたりはちゃんと配慮しています。なんならより健康になっていますよ」

 ニエモが言う。どういう理屈なのかはわからないが、学達はそれ以上聞けなかった。

「そういや、学の家族は大丈夫なのか?お前が弟の面倒を見てたんだろ」練習終わりに、宮下が声をかけてきた。

「ああ、なんとか母さんが頑張ってくれてる、ちょっと申し訳ない気持ちはあるんだけどな。まあ時間ある時に俺も家の事は少しでもやろうとは思ってんだけど」

「それだったら中途半端に家の事とか感がない方が良いんじゃないか」

 学は意図がわからず、思わず宮下の方を見る。

「いや、家族は覚悟を持ってお前を送り出したんだろ。だったら、お前は家の事とか考えず一本でも多くシュート打ってやれること全部やることが責任なんじゃないか。手を抜かず全力で試合に望んだって言い切ることがお前のやるべきことだよ」

 学は雷に打たれた気持ちになる。宮下の言うとおりだと思った。

「そうだな、もっと頑張らないとな。もうちょっとシューティングするよ」そう言って学はリングを見る。

「そうか、まあ俺は疲れたから終わりにするわ、頑張れよ」

 さっさと出ていく宮下の背中を眺めながら、学はなんとも言えない気持ちになった。

 一ヶ月の間、学達はみっちりと練習した。期間が空いたことで、客観的に自分たちを見直すことに繋がり、前回の大会よりも仕上がりは良いと感じていた。

 そうして、いよいよ大会の日が来る。

 試合会場に集まった学達は会場の様子が昨日と全く違うに驚く。そこにはありとあらゆる形のメナ星人がいた。学達が練習場に向かって歩いていると、次々にロボット達に応援の言葉をかけられる。有名人にでもなった気分だった。会場でアップを始めると、客席も少しずつ埋まってくる。ほとんどはメナ星人だが、今回の大会は選手の家族も招待されている。客席の一角に用意された関係者席をみると、光と祥子、それに知香も来ていた。よく見ると稲田もいる。家族や知り合いに試合を見られる気恥ずかしさもあるが、これまでの成果を見せようと学は気合いを入れ直した。ラオスチームも到着してアップを始めた。前回は全員が同じバッシュを履いていたのに対し、今回はそれぞれが違うバッシュを履いていた。前回の大会での優勝賞金があったのかもしれない。そして、もちろんクヲンもいた。学の視線に気づいたクヲンは笑顔を向ける。

「みなさん、また会えてうれしいです。今日はご家族も来ているんですね、家族が皆揃うなんて素晴らしいじゃないですが」

 そういうクヲンは知香の方をみる。新道は妹を救ってもらった手前、クヲンに強くは出られないのか、気まずそうに下を向く。すると、ニエモが守るように新道の前に立つ。

「前回のことをとやかく言うつもりはありません、それに今日はお互いなんのしがらみも無いですからね。今日は全力で試合をしましょう」ニエモの言葉にクヲンは笑みを浮かべる。

 試合は一進一退の攻防だった。ラオスがジャックを中心に点を取るのに対して、日本は学と新道にボールを振り分けながらツーポイントを決める。お互い一歩も引かないが、ツーポイントを中心に組み立てる日本の作戦が効いてくる。お互いシュートは決めているが、一回の点数が大きい分日本の方が点を取れていた。十四対十で日本がリードをしている時に、ラオスがタイムアウトを取る。

「いい感じだ、このまま最後まで行こう」新道が声を掛ける。学達はかなり手応えを感じていた。タイムアウトが終わる前に円陣を組み、学達はまたコートに向かった。

 試合が再開して、学は眼の前の光景に驚く。自分の目の前にいるディフェンスがジャックだった。ラオスチームのディフェンスの要であるジャックが、学についているのだ。

「学、気にせずガンガンいけ!」

 コートサイドにいる宮下が声を掛ける。しかし、そう簡単にはいかなかった。ジャックのスピードを活かした張り付くようなディフェンスで学は明らかにツーポイントを打つチャンスが減る。日本の点を取るペースが遅くなった間にラオスが次々点を決めていく。気づけば十八-十七とラオスが1点差に追いついてきた。日本はここでタイムアウトを取る。

「どうする」宮下が言う。このような状況は何度も経験があるのか、新道、飯田、宮下の三人は動揺している様子はない。

「俺にボールを預けてくれ、ジャックが学についてインサイドに居ないなら、俺が1on1から点を取る」新道のが言う。力強い新道の言葉に学達は異論はなかった。

「後の二人は誰が出る」飯田が聞く。

「飯田と学だ。飯田はスクリーン役としてディフェンスをずらしてくれ。」そこまで言って、新道は学の方を見る。

「学、お前はリバウンドに参加しなくていい、ただ俺がドライブしたら何があってもツーポイントラインにいてくれ」新道の言葉に学は頷く。

 日本チームのボールで試合が始まる。新道がボールを持つ。学は少しでもスペースを作るためにコートの端にポジションを取る。警戒しているのか、ジャックはピッタリとついてきた。

 空いたスペースを使って新道がドライブを仕掛ける、しかし、ラオスのディフェンスはも食らいついている。たまらず新道は止まるかと思ったが、レッグスルーでディフェンスのタイミングをずらすと、その僅かな隙をついて体をディフェンスに当てながらシュートを決める。ラオスのオフェンスに変わると、ジャックがすぐにドライブを仕掛ける。新道がついて行くが、余りのスピードに抜かれそうになるところを、飯田がヘルプに入る。しかし、ジャックはそれを見て空いた選手にパスを出し、そこからツーポイントを決められ十九対十九。二一点取った時点で試合は終了する。ツーポイントシュートを決めたら試合が決まる点数だ。お互いもうタイムアウトは無い。試合終盤の張り詰め空気の中で日本の重要なオフェンスが始まる。

 新道がボールを持つ。今度は飯田が新道のディフェンスにスクリーンをかける。新道がスクリーンを利用してドライブを仕掛けるが、ジャックがすぐに反応してヘルプに入る。新道は動揺せずに学の位置を確認する。一瞬ジャックを引き付けると新道は学にパスを出した。学はボールをキャッチするとすぐにツーポイントシュートを放つ、放物線を描いたボールは、しかしリングに阻まれてしまう。飯田と新道がリバウンドに入るが、ジャックがジャンプ力を活かしてリバウンドを取る。素早くツーポイントラインの外にいる選手にパスを出すと、リバウンド争いで日本のディフェンスが乱れている間にジャックがポストにポジションを取っててボールを貰う。飯田がすぐにディフェンスに向かうが、ジャックはそのままシュートを決めてしまった。十九-二十でラオスにリードされた。

 日本のオフェンスから試合が再会する、学は震えそうになる自分を抑えてサイドのポジションを取って新道の方をみる。新道の表情は全く変わっていなかった。新道の合図でハンドサインで飯田がスクリーンをかける。新道はあえてスクリーンの反対方向にドライブを仕掛けると、意表を突かれたディフェンスが新道においていかれる。

 ジャックがヘルプのディフェンスに向かうが、新道はすでにレイアップの体制に入る。そのまま決めるかと思ったが、そこでジャックが驚異的なジャンプを見せて、新道の背後からブロックに行く。背後から飛ばれた新道はそのままブロックされると思われた。

 学はリバウンドに入ろうとするが、そこで一瞬新道の視線を感じ、学は新道の言葉が浮かんでくる。ドライブをしたら必ずツーポイントラインに行け、その言葉を思い出した学はツーポイントラインに踏みとどまる。

 新道は空中でジャックのブロックを交わすとそのままツーポイントラインで待機をしている学にパスを出した。会場の誰もが反応できず時が止まるが、学だけは準備が出来ていた。ボールを受けながらシュートの準備に入る。この場面で新道が学にフィニッシュのシュートを任せた、その事実が学を奮い立たせる。思えば、新道はいち早く学を認めてくれたチームメイトだった。

 ボールを受け取った学はこれまでの練習を思い出す。何千回と決めたシュートを後一回決める、それだけに集中した。学はいつものリズムでシュートを放った。手から離れたボールの行方を会場の全員が追いかける。そして、ボールがきれいにリングの真ん中を通るのを目撃した。

 会場から大きな歓声が上がる。コート内では新道と宮下と飯田が学に飛び着いていた。学はもみくちゃになりながらも右手に残った先程のシュートの感触を感じる。客席からの聞き慣れた歓声に気づいて見ると、光が立ち上がって喜んでいる。祥子は泣いているようだった。学は改めてスコアボードを見て、試合が終わったことを実感した。

 試合終了直後は様々なメナ星人に話しかけられて大変だったが、何とか会場を出ることができた。控室でニエモも含めて集合する。

「今日は本当に良い試合でした、皆さんと一緒にバスケができて本当に良かったです、皆さんならやれると思っていました」ニエモが誇らしげに言う。

「前回大会で勝ってたら、大学の推薦も付いてたんだけどなあ」宮下が言う。

「知香ちゃんの手術も出来て、試合にも勝って、結果として一番良かったよ」

 学はそう言うと、新道の方を見る。どんな経緯だったとしても、知香が笑えているのは良いことであるに違いない。宮下も学の言葉に反論するつもりはなさそうだ。その後も試合についてあれこれ話していると、予期していない来客が来た。

「皆さん、少しお時間大丈夫ですか」そう言って現れたのはクヲンとジャックだった。学達は警戒をして二人を見る。しかし、クヲンは相変わらずだが、ジャックは人懐っこい笑顔を浮かべており、敵意があるようには見えない。クヲンが何やらジャックの首にネックレスの様な物を取り付ける。

「本当に良い試合でした、ありがとうございました」そう言ったのはジャックだ。ジャックの口の動きは日本語を話しているようには聞こえないが、学たちの耳には日本語が聞こえていた。

「そんな物まで開発しているんですね」ニエモが言う。

「言葉の壁を無くした方が皆ハッピーでしょう」クヲンが言う。言っていることは間違っていないが、どこか胡散臭さを感じさせるのは彼の才能かもしれない。

「新藤さん、僕は去年の世界選手権であなたのプレーを見て、あなたのようになりたいと思って頑張ってきたんです。」そう言うジャックの目はキラキラと輝いていた。

「僕は小さい頃に事故に巻き込まれてから、足が悪くて。でもそれもクヲンに出会って足を治してもらって、そこからスポーツに打ち込むことが出来て、新藤さんとも試合が出来て本当に良かった」ジャックが言う。

「足は元々悪かったのを、直してもらったんですね」思わず学が聞く。

「ええ、クヲンのおかげです。」もう少しひどい経緯を予想していた学達は恥ずかしくなる。

「皆さんが考えていることはなんとなく分かりますが、私が行うのはあくまで治療です」そう言うクヲンは少しすねたような表情をしている。初めて感情が見え瞬間かもしれない。

「本当に良い試合だった、ありがとう」新道がジャックに言うと二人は握手を交わした。


 大会後、学はいつもの日常に戻っていた。

「おかえりー」学が学校から帰って玄関のドアを開くと、いつものように光が出迎えてくれた。

「もうご飯食べたか」

「うん、昨日の残りをチンして食べた」

「俺も食べるか。母さんが帰ってきたら、俺は練習行くから」

 学は週に三日、バスケの練習に参加するようになった。受験勉強もあり、家族に迷惑もかけるが、自分のやりたいことは出来る範囲でやろうと思えていた。

「もうしばらく試合はしないの?前の試合面白かったよ」光が言う。

「試合は俺が大学入るまで無いけど、また良い試合が見せれるように頑張るよ」

 学はそう答える。学は家から通える大学に行ってバスケをすると改めて心に決めていた。もう一度大学でバスケをするつもりだと高見に伝えたときは、高見は飛び上がるくらい喜んでくれた。ただ、高見は私立大学から推薦の話が来ているらしく、金銭的に進学ができない学と同じチームになるという希望は完全に絶たれてしまった。それでも、もう一度同じ舞台でバスケができる、それだけで二人としては十分だった。

 その後、しばらくすると祥子が帰ってきたので、学は練習に向かう。

「来ましたね」

 体育館にはニエモがいた。大会終了後も、学はニエモの計らいで代表戦の体育館で練習をさせてもらっていた。ニエモもたまに練習に付き合ってくれている。

「でも嬉しいですね、あれだけクヨクヨしていた学君がこんなに素直にバスケに打ち込むなんて」

「クヨクヨって、どこでそんな言葉を覚えてくるんですが」

 学はバツの悪そうに答える。実際に二エモに出会う前と比較すると、精神的にも成長できたと思っていた。だからこそ、以前の事を指摘されると恥ずかしい。

「それはそれとして今日はいい知らせがあります。」

「いい知らせ?」

「別のモノも来ているので、一緒に説明しましょう」ニエモがそう言うと、体育館の奥から予想外の人物が現れて学は驚く。

「お久しぶりです」現れたのはクヲンだった。学は思わず身構える。

「そんなに警戒せずに」クヲンはそう言うが、学は気が抜けない。

「今日は私もいるので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 ニエモの言葉で、学はようやくクヲンの話を聞く気になった。

「実は筑駒大学とスポーツ科学の共同研究をすることになりましてね、その一環で大学のバスケ部のサポートもすることになったのですが、是非そのチームに学君も入って欲しいと思いまして」

 学は耳を疑う。筑駒大学といえば、国立大学の中で圧倒的な強さを誇る大学だ。

「奨学金は出せませんが、学費の免除をする約束は取り付けました、悪い話ではないと思います」

 学はニエモの顔を見るが、二エモは優しく微笑んでいた。

「今の学くんは、実はかなりお得物件なんです。全国レベルの実力がありながら、どの大学もプロチームもチェック出来ていないですからね、クヲンに不安があるでしょうか私も研究に参加するので、そこは安心してください」学は余りの事に体が震えるのを感じる。また本気になれる環境でバスケができる、それだけで学は嬉しかった。

「ハッピーエンドというやつでしょうね」クヲンが言う。

「日本語なら大団円ですよ」ニエモが言う。どんな言い方であれ、学は叫びだしたくなるほど嬉しかった。

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