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第10食:喫茶店のメロンクリームソーダ

荒尾はパンにこだわりがあるかと思えば、今度は米にまでいろいろと意見してくるようになった。ペンションでの生活は、彼にとって楽しくてお腹いっぱいになる、というところだろうか。彼は今までビジネスマンであり、会社の中でもエリートだった。それが急に有給休暇を取得する、となれば、誰もが驚くだろう。


でも、特に誰からも連絡がきていないようだ。変だな、と純子は思いつつ、荒尾の動きを見ることも多くなった。彼はコーヒーが好きだから、何かとコーヒーを要望してくる。淹れ方が下手だと、文句付き。それが嫌だなぁ、と純子は思ってしまう。この男、やはり営業の男なのだ。気になるところはすぐに何でも、聞いてくる。チクチクといやーな聞き方、と表現できるような感じだ。でも人間って意外にこれが効くもんだ。これをされると、なんとなーく気持ちが悪くって、前を向かなきゃいけなくなる。

営業ってそんなもんなのかな。私は営業部の人を知っているけれど、営業という仕事はしたことがない。今でこそ、ペンションやカフェのアピールのためにぼちぼちSNSを活用したりしている感じだ。まあそれを見て来てくれるお客様よりも、もともとこの地方を知っている人とか、年配で時間の余裕がある人が来てくれることの方が多い。昔から、この地方は避暑地とかリゾート地としてのイメージが強いらしい。今ではのんびりとした農家さんの集まりって感じだけど、かつてはなかなかいい土地だったようだ。


そんな場所で純子は、かつての上司をペンションに長期宿泊させ、毎日食事を作っている。変だな、普通ならキラキラして、幸せな楽しい日々のはず。イケメンとひとつ屋根の下なんて、少女漫画では恋愛に必須の条件だろう。でも、実際はそんなことはない。荒尾は純子にあんまり興味を持っていないし、ニャーも自由気ままだ。

時々やってくるのは近くの玄米おじさん夫婦。一緒に買い出しに行ったり、たまにコーヒーを飲みに来たりしてくれる。そんな日々の中に、荒尾が増えても大して変わりがなかった、というのは意外な結果だ。本当なら、お客様が来れば、それなりの色が出る。でも彼はあまり、出ない。変な感じだ。

そんな時、昨年の夏にリゾートバイト的な感じでバイトを頼んでいた大学生の子から、荷物が届いた。何だろう、と開けてみれば、段ボールいっぱいのジュース。


『純子さんへ。バイト先で廃棄のジュースをたくさんもらいましたので、送ります!カフェで使えるでしょって思いました』


気前はいいけど、ジュースはメロンソーダ。カフェ=喫茶店=メロンソーダと思ったのだろうか。市販のペットボトルジュースをお客に出したことがない純子は、大きなため息をつく。

そもそも純子は炭酸ジュースを飲ませてもらえない家で育った。理由は単純、母が嫌いだったから。炭酸ジュースなんて、飲まなくっても死にはしないとか、炭酸ジュースを飲んだら身長が伸びないとか、そんな話を信じていのか分からないが、母は飲ませてくれることがなかった。憧れがなかったわけではないのだが、その経験から純子には炭酸ジュースを飲むという習慣がなくなる。

年齢が増えて、大学、社会人、となっていくと、彼女の周りにはジュースばかりを飲む人が増えてくる特に男の子。スポーツの後でも、何の時でも、黒くて、シュワシュワのジュースばかり。あれって美味しいのかな、と思ってしまうのが人間というもので、純子は好奇心から口にしたことはあった。

みんなが美味しいと言うのだから、美味しいのだろう―――でもそれは甘い考え。純子は炭酸の洗礼を受け、吐き戻してしまうくらいだった。それ以来、稀に炭酸水を飲むことはあっても、炭酸ジュースを飲むことはない。


「どうしようかなぁ、この季節にジュースって、出るかなぁ」

出ない、と純子の理性が言っている。季節はまだ寒いし、このあたりにジュースを飲むような子どもや若い層がやってくることは、滅多にない。ないんだよな~と思いながら、リゾートバイトを頼んだ時は、夏だったからなぁ、と思う。ジュースを送ってくれた彼女にとって、このペンションには夏のイメージしかなかったのだろう。

「半分はおじさんに持って行こうかなぁ。でも飲むかなぁ」

自分よりも年齢が上の人だ。そんな人たちにペットボトルのジュースなんて、ちょっと失礼だろうか。しかも、もらいもの。純子は困り、頭を悩ませる。

「カフェで出すにしてもなぁ……」

一時的にカフェメニューに追加してみるか。一か八か。嫌な賭けだ。

その時、コーヒーを求めて荒尾が部屋からやってきた。彼は純子の目の前にあるグリーンの飲み物を見ると、目を輝かせた。

「メロンソーダか!」

「はい、いただきものなんですけど」

「いいなぁ、メロンクリームソーダにしてくれないか?」

「メロンクリームソーダ……」

「喫茶店のメロンクリームソーダは美味いからなぁ。氷の上にアイスを載せるのが重要で……」

荒尾はとても楽しそうに話す。その顔を見て、純子は少しずつ目の前の人が、人間らしく見えてきた。

営業の鬼と言われてきた人なのに、こんな風に笑って、話すとは思っていなかったのが本音。いつも厳しくて、小さなミスも許さないような、そんな人。でも本当は違うのだ。

「すまん……ちょっと興奮したな」

「いえ、そんなに喜ばれるとは思わなくて」

「そうか?喫茶店に行くと、メロンクリームソーダを祖母が飲ませてくれたんだ。もうだいぶ昔の話だけどな」

「そうなんですね……どうしようかな、ジュースはあるけど、アイスがなくて」

アイスクリームは夏場は常備しているが、こんなに寒くなると仕入れない。買い出しに行けば、仕入れることは可能だが、こんなに寒いのだから緊急性はなかった。

「買い出しに行こう!」

「え!?」

「パン屋にも行こう!」

「え、ちょ!?」

このお客、かなりの変わり者?勝手にペンションの仕入れまで手伝い始めている。


荒尾はさっさと車に乗り込み、エンジンをふかせる。純子は慌てて、ニャーに声をかけた。ニャーのご飯を忘れたら、後から困ったことになりかねない。この猫、ご飯に興味がない顔をして、本当は興味津々なのだ。ちょっとでも時間がずれれば、後から怒りを食らってしまう。

「アイスは溶けると困るからな!先にパン屋だ」

「え~」

「文句を言うな!ちゃんと案内をしてくれよ!」

「ナビを入れますからぁ」

こんなこと、このペンションでは初めてのこと。きっと両親がいた頃には、想像もつかなかったことだろう。こんなに寒い季節にアイスクリームを買ってきて、メロンクリームソーダを作ろうとしている。喫茶店の味を再現したくて。ペットボトルのもらいもののジュースで、季節外れのアイスクリームを載せて、喫茶店??

「はぁ~、当分はメロンクリームソーダをカフェメニューに入れようかなぁ」

窓の外を見ながら、純子は言う。季節はまだ寒くて、吹雪は来ないが風が冷たい。木々は枝だけになり、まさに寒いですよ、と伝わってくる。

「それはいいな!メロンクリームソーダの泡が、メロンソーダの味になるんだ。あふれる上手に飲むんだよ」

「メロンソーダ味の泡ですか?」

「ああ。アイスの甘さとメロンソーダの緑がほんのりついてさ。俺はあれをスプーンですくって食べるのが好きなんだ」

そうか、と純子は思う。メロンクリームソーダにはアイスクリームが載っていて、それはスプーンで食べるものなのだ。スプーンとストローの二刀流。それって、まさに子どもじゃないと楽しめないもの。


彼の横顔が、少年に見えたのは、黙っておこう。


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