ピチチチチ、という理想的な朝のシーンのBGMのような小鳥の
(え、鳥の声……?)
ガガガガガ! という凄まじい機械音でいつもは目が覚めるのだが。
「あれ、起きたの?」
若い男の声に振り返ると、上半身裸でボクサーパンツ姿の背の高いイケメンが、朝の光の差し込むキッチンから宗馬に向かってにっこりと微笑んでいた。
「……あれ?
「
「え、でも……」
そんなタメ口で話すような仲だったっけ?
「
「えっと、いつもはパンを……」
「やっぱりね! そうだと思ったわ。ちょっとコンビニ行ってくるんで待っててもらえます?」
「え、ちょっとま……痛っ!」
ズキン、と頭が割れるように痛んで、宗馬は
「大丈夫? 昨日あんなに飲むから……」
「え、ごめん、ちょっと昨日の記憶が無いんだけど。なんで俺、天野さんとここに居るの? ていうかここどこ?」
「ここは俺の家ですよ」
カルマパーマの額が爽やかな天野翼は笑顔で近づいてくると、ギシッと音を立てながら宗馬の横に座った。
「昨日のこと、覚えてないの?」
昨日? 昨日一体何があった? 思い出せないというより、何だか脳味噌が記憶を引き出すのを拒否しているような……
いつの間にか、翼がこちらをじっと覗き込んでいる。綺麗に整った男前に至近距離で見つめられて、宗馬の心臓がまるで自転車で段差から落っこちた時のようにビクンと跳ねた。
「すごく良さそうだったのに。もう一回ヤったら思い出す?」
長い指の先で胸元に触れられた瞬間、まるで翼がスイッチを押したかのように宗馬の脳が急にカチッと再起動して、唸りを上げながら昨日の記憶を走馬灯のように呼び覚まし始めた。
◇
心理学者、アルバート・メラビアンの法則によると、人の印象の九割は第一印象で決まるそうな。
「いらっしゃ~い! ようこそ、
羽織に派手な緑色の着物姿、分厚い口髭にサングラスで全く読めない表情、灰色がかった白髪は肩に当たる長さのゆるふわウェーブだ。そんな見た目の人物が、大きな水晶玉を片手に手招きしている。考える時間は三秒で十分だった。
「帰ります」
くるりと
「ちょ、待って待って! いや、言いたいことは分かるんだけどもうちょっと待って! せめて十秒!」
今にも扉から外の歩道へ踏み出そうとしていた
(どこからどう見ても胡散臭い!)
宗馬は二十八年間の彼の人生の中で、ここまであからさまに怪しげな人物と関わり合いになったことなど、今の今まで一度たりともなかった。
「みんな毎度同じような反応するからもう慣れちゃってんだけどね、ぱっと見だけで人間を判断するのって良くないと思うよ」
「ここ結婚相談所で合ってます? 占いの館の間違いじゃなくて?」
「ワシ、占い師も兼業でやってるのよ」
さらに胡散臭さが倍増である。
「ワシのこの
「いや、別にそれだけじゃありませんけど」
「他にもある? う~んちょっとキャラ濃くし過ぎたかね」
キャラ作ってるって今普通にバラしたな。
「でもね、この着物実はすごく高価なのよ。頂き物でね、とある芸能人から成婚のお礼にってね」
宗馬の表情が微かに変わったのを、サングラスの奥の卜部の目は目ざとく捉えていたようであった。
「ほら、気になってきたでしょう?」
「いや……」
「まあとにかく座って。そもそも山梨さんの紹介って聞いてるよ? 彼今幸せそうなんでしょ?」
(うっ……)
メラビアンの法則によると、最初の三から五秒で決まる初対面の人間の印象は約五割が見た目、約四割が声、そして残りの約一割がその人の話す内容で決まるらしい。
(いやいや! もうとっくに五秒以上経ってるし。今更成婚実績のことを言われたところで、俺はこの人を完璧に信用なんて……)
「下地宗馬さん。あなた、同性愛者だね?」
「えっ?」
驚いて思わず大きな声が出そうになった宗馬は、慌ててさっと両手で口を押さえた。
(一ヶ月前に確かにメールで個人情報を送ったけど、その中に同性愛者である旨は書いていない。いや、あえて書かなかったんだ)
ここを紹介してくれた山梨には、備考欄に性癖のことを書くように勧められていたのだが、宗馬はあえて忠告に従わなかった。もしこの結婚相談所の噂が本物だとしたら、卜部が宗馬に女性を紹介することなどあり得ないからだ。
(性格悪いって思われるかもしれないけど、試させてもらったんだ。やっぱり完全には信用しきれないところもあったし……)
「しかも今まで付き合った相手と、半年以上続いたことが無いね?」
「そ、それは……」
卜部はいつの間にか、紫のシルクのかかった台に水晶玉を乗せて覗き込んでいた。
「さらに毎回相手から別れを切り出されているね?」
「ちょ! 何で分かったんですか?」
「だからワシ占い師だって言ったでしょ? 分かるんだってそういうの」
卜部は真剣な様子で水晶玉をじっと覗き込んでいたが、やがて何かが分かったかのようにうんうんと満足げに頷いた。
「……君の運命の相手が今、分かったよ」
「ええええ~? 水晶玉で?」
「その人物に会うも会わないも君次第。もし会わないなら、お支払いは相談料のみで結構。だけどワシが君に相性最強の相手を紹介できるのは今日のこの一度きり。さあどうする?」
このやり口は、明らかに詐欺師のそれっぽい!
五分前の自分が、胡散臭いにも程があると警鐘を鳴らしている。だが今現在の宗馬は、その警告を受け入れないために必死で言い訳を捻り出していた。
(怪しいってのは最初から分かってた。一生に一度だけ、相性最強の最高の相手を見つけてくれる結婚相談所だなんて。でも全然誰とも続かなくて、自分で相手を見つける自信を無くしてしまってたから、その道のプロの力を借りれば何か変わるんじゃないかって……)
そんな時に、信用に値する友人からここを紹介されて、それで思い切って訪ねてきたのだ。
「……おいくら払えばいいんですか?」
「うちは他所みたいに成婚したら成功報酬の成婚料をもらうってシステムにはしてなくてね。だってほら、相性最強の相手を紹介するわけでしょ? コレもう結婚間違いなしでしょ? だからね、相談料十万と紹介料三十万、合わせて四十万ね」
「たっか!」
宗馬の理性が再び警報を発し始めたが、彼の反応など想定内の卜部は余裕たっぷりの声で説明を続けた。
「何言ってるの? 婚活の相場は総額七十五万くらいするのよ。それも何ヶ月もかけてね。それがたった一日で最高の相手と出会えるんだから、これもう破格の値段設定でしょ?」
「た、確かに……」
「どうする? 今すぐワシが電話すれば、その人ソッコーで駆けつけてくれちゃうよ? ずっといい人に巡り会えなくて、将来不安に思ってたんでしょ? さあさあどうする?」
本当に、これで相性のいい人間が見つかるのだろうか? 二十八年間見つからなかった運命の人が、たった一日で?
(ええいっ、そのための手数料と思えば安いもんだろ!)
震える指で財布を開けると、宗馬は半分やけになりながら机に灰色のカードを叩きつけた。
「……分割でお願いします」