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第2話 宗馬、運命の相手と出会う

 駅前のコーヒーショップのカウンター席でガラス越しに外の景色を眺めながら、宗馬は期待と不安にソワソワしながら空になった紙コップの縁を指でなぞっていた。


(本当に、今からここに来るんだろうか?)


 卜部はクレジットカードを宗馬に返却すると、すぐに彼の言う相性最強の相手とやらに電話をして約束を取り付けてくれた。


「駅前のコーヒーショップで待ち合わせしようって言ってくれたよ。良かったね、ソッコーで運命の人に会えて」

「あ、じゃあお名前とか……」

「それは会ってからのお楽しみ!」


 会ってからのお楽しみ?


「違うよ、そんな目で見ないで! 本人に会う前に個人情報は明かさないっていうのがうちのやり方なのよ」

「どうしてですか?」

「本当に相性のいい相手っていうのは、一緒に過ごしてみて初めて分かるものなのね。だけど会う前に写真を見て気に入らなかったらどうする? 会いに行くって選択肢を無くしちゃうかもしれないでしょ? それってすごく勿体無いことだと思うのね。たまたまその写真写りが悪かっただけかもしれないのに。だからうちでは極力相手の情報は伝えずに、真っさらな気持ちで運命の人と対面して欲しいわけ」


 卜部は親指をグッと天に向けて、自信たっぷりに頷いて見せた。


「大丈夫! どんな人が来ても君と相性最強の相手だと保証するよ! だから安心して行っちゃって頂戴!」


 卜部への不信感はぬぐいきれないが、期待を抑えきれない自分がいるのもまた事実であった。


(芸能人のことはよく知らないけど、山梨が実際いい人に巡り会えたっていうのは確かなんだ)


 ずっと外を歩く人を眺めているのも居心地が悪いため、宗馬は持ってきてすぐにカウンターに積んでいた文庫本を一冊手に取ると、試しにパラパラとページをめくってみた。卜部の事務所で長いこと埃をかぶっていたらしく、黄ばんだページからはカビ臭い匂いがした。


(……占い学入門。これであなたも強運の持ち主に。なんだこの胡散臭い本。ん?)


 パタンと本を閉じると、見覚えのあるゆるふわパーマの胡散臭い男が表紙を飾っているのが目に入った。


「お前の著書かよ!」

「あれ、もしかして下地さん?」


 不意に後ろから若い男性の声が聞こえて、宗馬は驚いてカウンターの椅子ごと後ろを振り返った。


「あ……天野さん」


 同じ会社の営業部の天野翼が、こちらに向かってにこやかに手を振っている。背が高くて顔立ちの整った翼は混み合った店内でも一際目立っており、周りの女性客の視線と関心を一身に集めている。


「会社以外で会うのって珍しいですね。この辺にはよく来られるんですか?」


 翼は店内の客をかき分けながら宗馬のいるカウンター席まで近づいて来ると、持っていたコーヒーを机に置いて宗馬の隣の席に座った。


「あっ、そこは……」

「えっ?」

「い、いや、何でもないです」


 大金を払って運命の人を待っているだなんて頭の中お花畑みたいで、山梨以外の会社の人間には死んでも知られたくなかった。宗馬は慌ててやばい宗教本の表紙にしか見えない卜部の著書の上に腕を置き、上半身で覆い被さるようにして翼の目から隠した。この本を目印に運命の相手と会う予定なのだが、今はこうするより他なかった。しかし渡されるがまま表紙も見ずに受け取った本が、まさかやつの出版物だったとは。


「あ、もしかして待ち合わせですか?」


さすが営業マンだけあって、翼は宗馬の些細な発言から彼がここに居る目的を的確に当ててきた。


「……はぁ、まあそんなところです」

「実は俺もなんですよ」

「へえ、奇遇ですね」


 あまり愛想がいいとは言えない宗馬相手でも、翼は常にニコニコと笑顔を絶やさない。決して作り笑いには見えない、完璧過ぎる作り笑いだ。まさに営業の鏡と言えよう。だが、その笑顔がまるで理想の彫刻のように人間味が無いように感じられて、宗馬は以前から彼のこの笑顔が苦手であった。


(何考えてるか分からないっていうか、腹の中が読めないっていうか)


「下地さんの相手の方がいらっしゃったら、俺すぐにどきますんで」

「あ、別にいいですよ。俺もすぐに行くと思うんで」


 翼はふーっと襟元を緩めながら、横目でカウンター席をざっと見渡していた。


「もう来てると思ったんですけど、まだみたいですね」

「天野さんのお相手もカウンター席で待ち合わせなんですか?」

「そうなんですよ」


 翼はカウンター席を見回していた視線を隣に座る宗馬に戻して再び笑顔を作った。


「とある方の助言で、隣に座った方が同調しやすくていいんだとか。正面だと対立が生まれやすいんですって。確かスティンザー効果とか言うらしいですよ」

「へえ、今から会議でも行うんですか?」

「いえ、実はデートなんです」


(営業のデート怖っ!)


 会議などの集団行動において、座る位置が関係性に影響を与えるという心理効果をデートにも適用しようとする営業マンに、宗馬はぞわりと薄寒うすらさむさを覚えていた。


(やっぱりこいつ怖いわ。親切そうな笑顔の後ろでゴリゴリに策略練ってそう……)


「そんな深刻そうな顔しないで下さいよ。別にみんな普通にやってることですって」

「あ、そ、そうなんですね」

「今日会う人とは結婚を考えていましてね、どうしても落としたくて」

「へぇ」


 宗馬は思わず二重の綺麗な翼の目を真っ直ぐに見つめた。


「相当おモテになるでしょうに。意外ですね、そんな風に座る位置にまで気を配るなんて」


 この男が相手なら、例え中世ヨーロッパの貴族が座るような長机の向こう側に座っていたとしても、大抵の女性は落とせるのではないだろうか?


「いえいえそんな。それに良縁というのはなかなか巡り会えるものではないのでね。大切にしたいじゃないですか」

「そこまで言い切るなんてすごいですね。長いお付き合いなんですか?」

「えっと、いや、そうですね……」


 普段流れるように流暢に喋る翼が珍しく言葉を濁していたのだが、その時宗馬は別のことに気を取られて全く気がついていなかった。


(あっ、あれって……)


 同じような髪型の人間は世の中にごまんといる。それでも微かな期待を胸に、つい目線で追ってしまう自分がいる。元カレに似たスポーツ刈りの後ろ姿に引き寄せられるように、宗馬は思わず無意識に立ち上がっていた。


和虎かずとら?)


 スポーツ刈りの彼は誰かを探しているかのようにキョロキョロと店内を見回している。


(え、もしかして、俺の運命の人って……)


 甘い期待が胸をよぎった瞬間、横から手首をガシッと掴まれて、宗馬は危うくお洒落な木目調の店内の床にひっくり返りそうになった。


「うわっ!」

「この本……」


 この日この瞬間初めて宗馬は、笑顔を張り付けるのを忘れて心底驚いた表情をむき出しにした翼に遭遇した。


「卜部さんが言ってた約束の相手って、もしかして下地さんのこと?」

「えっ?」


 カウンターの上に置き去りにされたゆるふわパーマの胡散臭い男が、四角い文庫本の枠の中でガッツポーズをしている。あからさま過ぎるそのポーズは全力で宗馬を応援しているようにも、遠回しに馬鹿にしているようにも見えた。


(えっ? じゃあ俺の運命の相手ってもしかして……)


 背中からどっと冷や汗が吹き出して、つーっと重力に引かれるように下方向に流れ落ちていった。


(助けて、卜部さ……いや、スティンザー博士!)

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