お洒落なカフェの店内でただならぬ雰囲気の男性二人組、誰もが振り返る長身イケメン、それに異様な存在感を放つカウンターの上の文庫本。あまりにも周りの注目を集める要因が多すぎた。
「えっと……とりあえず店を変えませんか?」
「あ……はい、そうですね」
翼の提案に上の空で答えながら、宗馬はもう一度店の奥を振り返った。スポーツ刈りの後ろ姿はいつの間にか姿を消しており、宗馬は甘い夢からようやく覚めたかのように小さくため息をついた。
コーヒーショップを出た二人は、店の中から執拗に追いかけて来る好奇の視線から逃げるように連れ立って歩き始めた。
(そういえば、こうやって並んで歩くのって初めてだな)
宗馬は身長百七十五センチ。日本人の中では割と長身の部類のはずだったが、俯いてスマホを触っている翼の方が明らかに目線が高い。
(なんか思ってたより大きく見えるな。何でだろう?)
思わず横目で見ながら爪先で歩いていると、こちらを振り返った翼とバチリと目が合った。
(うわっ!)
「どうかしましたか?」
控えめに笑っても眩しい笑顔に
「いや、思ってたより背が高いんだなぁと。俺と同じくらいだと思っていたので」
「ああ、それは海田さんのせいですね」
「海田さん?」
「そう、営業部の
なるほど、そういうことか。
「それより次のお店どうします? まだちょっと早いけど、夕飯でも食べに行きませんか?」
「そうですね」
「なんかネットで人気の激辛カレーのお店がこの先にあるみたいなんですけど、下地さんカレー好きですか?」
「あ、いや……」
カレーは好きだ。いや、むしろカレーが嫌いな人間などこの日本に存在するのか?
「あぁ、こっちのスンドゥブのお店もバズッてるみたいですよ」
「いや、スンドゥブって気分では……」
「あ、ここの四川麻婆やばいらしいですよ」
「……天野さんって、もしかして辛い物が好きなんですか?」
宗馬の質問に、翼はスマホから上げた顔をパァッと輝かせた。うっ、眩しい!
「そうなんですよ! うちの会社で激辛選手権とかやったら、絶対に一位取れる自信ありますね!」
無いよ、うちの会社でそんなバラエティ番組の企画みたいな選手権。
「下地さんも激辛選手権で勝ち上がる自信ありますか?」
「いや、激辛選手権っていうか、俺は実は辛い物ってちょっと苦手で……」
「あ、そうなんですね」
翼は相変わらずキラキラスマイルを維持していたが、声のトーンがわずかに下がったことに宗馬は否応なく気付かされた。
(あ、なんかちょっとチクッときた。俺別に何も悪いことなんかしてないのに、なんか腹立つな)
「下地さんは何が好きなんですか?」
「甘い物とか好きですけど」
「えっ、今から晩御飯ですよ?」
「えっ、ドーナツとか晩御飯に食べたりしませんか?」
「しませんって!」
数分間の攻防の末、結局二人は一番近場にあったチェーン店の居酒屋で妥協することにした。
「……そう考えると居酒屋って本当に使い勝手のいいお店ですよね。メニューも豊富でお酒も飲めるし、社会人の社交場にぴったりっていうか」
生ビールのジョッキを片手にキムチの小鉢をつまみながら、翼はいたく満足げなご様子だ。
「下地さんはビールは飲まないんですか?」
「あんまり好きじゃなくて。ウィスキーが好きなので、俺はハイボール派です」
「へえ、なんかお洒落ですね」
ゴトン、とジョッキを置いた二人の間に、一瞬気まずい沈黙が流れた。
「……えっと、それで俺たち、ここに何しに来たんでしたっけ?」
「そういえば下地さんとこうやってサシで飲むのって初めてでしたね」
「あ、確かにそうでしたね……ってそうじゃない!」
突然緑色の着物の胡散臭い男の姿が脳裏に甦り、ようやく本来の目的を思い出した宗馬は卓に両手をバンッ! とついて立ち上がった。
「結婚相談所の件ですよ!」
「ああ、そうだそうだ。そういえばそうでしたね」
翼は何事もなかったかのような営業スマイルで会話を続けようとしたが、鉤括弧一文の中に「そう」を四回も含めるくどい発言をしているところを見る限り、内心かなり動揺している様子であった。
「……あの、一応お聞きしますけど、天野さんはその、卜部結婚相談所とは一体……」
「知り合いに紹介してもらって登録したんです。親が結婚しろってうるさくて、仕方なく婚活でも始めようかと思い立ったちょうど良いタイミングだったもので」
「それで今日呼び出されたんですよね? 今更ですけど、相手本当に俺で合ってますか? 他にもあの変な本を持ってる人が実はあのお店にいたんじゃ……」
「それは流石に無いでしょう。高額な紹介料を払ってますし、そんな紛らわしい間違いが起こるようなことをあえてするとは思えません」
どうやら卜部は翼からも法外な金額を巻き上げたらしい。
「それじゃあその、天野さんは同性愛者ってことですか?」
「いえ、俺はバイなんですよ」
バイか。それなら少なくとも、男の自分が生涯のパートナー候補から百パーセント外れているというわけではない。
(……まあどう考えても、どっちもいけるんなら女性の方が色々都合はいいに決まってるけど)
「……それで天野さんは、俺のことを相性最強の、う……運命の相手だと思いますか?」
こんな恥ずかしい会話をシラフでできるはずがない。翼が口を開く前に、宗馬はジョッキのハイボールをぐーっと一気に飲み干した。
「ちょっとペース早くないですか?」
「全然余裕です」
「……俺は結構信じてますよ。あの胡散臭いおじさんのこと。実際に知り合いもそれでいい人に出会ったみたいですし」
店員が運んできた二杯目のハイボールのジョッキをダンッ! と机に叩きつけながら、宗馬はジロリと翼を睨みつけた。やっぱり既にアルコールの影響が出始めているようだ。
「正直に言います。マッチングしたばかりで申し訳ありませんが、俺は天野さんとの相性はあまり良いとは思えません」
「マジでいきなり辛辣ですね」
「俺、今まで普通のマッチングアプリで知り合った人と何度かお付き合いしたことあるんですけど、ここまで人種の違う人とマッチングされたことって無いですよ」
「ええっ! 俺って下地さんの目にはどんな人種に見えてるんですか?」
どんな人種かだって? 作り笑いの上手な腹に一物ありそうなキラキラした営業で、ガチの辛い物好きで、要するに一緒にいて何だか落ち着かない人種である。
宗馬は二杯目も一気に空けようとジョッキを傾けた。見かねた翼が止めようと伸ばした手を容赦なくバシリと叩き落とす。大して仲良くもない相手に対して、酔いが回っているからこそできる芸当である。
「ちょっと下地さん! それ以上は……」
「それに俺、あんたのその、作り笑い、にが、て……」
飲み相手を一人残して、大事な話も中途半端なまま、一人酔い潰れテーブルに突っ伏してブラックアウト。宗馬の脳味噌が呼び覚ました昨日の記憶は、ここで終わりを告げたのであった。