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第27話 宗馬、翼を無意識に誘惑する

 気恥ずかしさと気まずさに苛まれ、宗馬は翼からふいっと目を逸らして話を続けた。


「……壁登るだけだと思ったのに、結構難しいんだな。腕力には結構自信あったんだけど」

「明君は細身で体も軽そうだったし、小学生の方が上手に登ったりするもんだよ」

「お前も上手に登ってたじゃん」

「俺は何度か登りに来てるし、一応コツもあってさ。例えばさっき宗馬は必死に壁にしがみつこうと肘を曲げちゃってたけど、本当は肘はゆったり伸ばすのが正解なんだ」


 翼はそう言うと、もう一度先ほどの壁を登って見せてくれた。手足が長く、均整の取れた体つきで上手に壁を登る様は非常に絵になり、他の女性客たちも思わず手を止めて翼のクライミングに魅入っている。上品で優しげな顔つきをしているにも関わらず、前腕にくっきりと現れている筋が男らしさと野生味を感じさせ、男女問わず抱かれたい人間を骨抜きにするようであった。


(……って、骨抜きになってる場合じゃない! 小学生に惨敗したままでおめおめ尻尾を巻いて帰れるかっての!)


 確かに翼の言う通り、こちら側に傾いている壁はスタートで両足を浮かせる時点で既に難しかったため、宗馬はまっすぐ垂直にそびえ立つ壁を選んで登ってみることにした。


(あ、これならさっきより全然簡単だ)


 しかもゴールに手が届いた時の達成感がハンパない。スルスルとマットに降りて来た宗馬は、軽く腕を振って疲れを逃がしてからすぐに次の課題に取り掛かった。


(やばい、これは楽しい!)


 いけそうだが少し難易度高めの壁の前で苦戦していると、再び翼が近付いて来てアドバイスをくれた。


「腕の力を温存するためには、ホールドにぶら下がっている時間は短い方がいい。そのためには登る前にルートを確認して、どのホールドをどういう順番で使うか事前にシュミレーションするといいよ」


 なるほど、さっき明が登る前にじっくり壁を眺めていたのはそういうことだったのか。


「付き合いで来てたって言う割には結構詳しいんだな」

「やってると楽しくなって、もっと難しい壁に挑戦したくなっちゃってさ」


 それは確かに分かる。


「ここを登りたいんだったら、宗馬ならここに足を掛けるといいよ」

「え、ここ?」

「うん、宗馬は股関節が俺よりずっと柔らかいから、ここまで開くはずだよ」


 思い切って高い位置にあるホールドに右足を伸ばすと、確かに翼の言う通りに踵が上手い具合に乗っかった。


「お、いけた」

「そのまま足を使って体を持ち上げて、上のホールドを掴むんだよ」

「う~ん、この体勢から腕伸ばすの結構キツイな」

「ちょっと押そうか?」

「それズルじゃない?」

「いや、テストじゃないんだから」


 笑いながらそう言うと、翼は不意に宗馬の臀部を押す……と言うより触れた。


(えっ?)


「あっ!」


 ぞわりと体が反応し、宗馬は再び壁から離れて翼の体の上に落ちた。今度は翼もバランスを失って、宗馬を抱き抱えた状態で背中からマットの上に転がった。


「何すんだよ!」

「ごめんごめん! つい……」

「ついって何だ!?」

「あんまり綺麗にお尻の形がくっきり出てたから……」


 翼は宗馬の耳元に口をぐっと近付けてから小声で囁いた。


「あの夜のこと思い出しちゃって」

「!!!」

「宗馬意外と股関節が柔らかくて、後ろからだとあんな風にお尻がギュッて……」

「……二人とも何やってんすか?」


 不意に天井から声が降って来てハッと顔を上げると、イチャつくカップルを見る赤の他人のような生暖かい目で左野がこちらを眺めていた。


「えっと、手がちょっと滑って……」

「歓迎会で飲みに行くお店どこにしようかってみんなで話してたんすけど、なんか希望あります?」

「いや、別にどこでもいいよ」

「新田君の行きたいお店にすれば良いんじゃない?」


 宗馬の下からズリズリと這い出しながら、翼も宗馬に続いて笑顔でそう答えた。


「分かりました。お二人とも特に希望は無し、と」

「何時ごろ出発する?」

「瀬戸さんはもう飲みに行きたいって言ってますよ」

「え、ちょっと早くないか? まだそんなに長く滞在してないと思うんだけど」

「あいつはいっつもそうだよ。飽きっぽいっていうのか」

「まぁ正直俺ももう腕パンパンっすよ。春樹も疲れ切って椅子に座って伸びてます」

「主賓がそれならもう行った方がいいな」


 宗馬は苦笑すると、左野についてみんなが休憩しているテーブルスペースへと向かった。平然とした態度を表面上取り繕ってはいたが、実際のところ心臓は今にも爆発しそうなほどドクドクとうるさく脈打っていた。


(あ、あいつの、さっき当たってたよな……)


 気になってチラッと後ろを振り返ると、翼は何事もなかったかのように上着をサッと腰に巻いて大事な部分を隠していた。


(やっぱり、俺の勘違いじゃなかった!)


 どっと汗が顔から吹き出してきたため、宗馬は慌てて手を扇代わりにしてパタパタと火照った顔を煽いだ。自分の物も危うく固くなる寸前であった。


(あちち。てかあの夜の俺ってのはそんなに魅力的だったのか?)


 記憶が無いため、信じられないというよりもはや他人の間違いなのではないかと疑いたくなるレベルである。


(あいつって爽やか清純そうな見かけによらず、意外とムッツリスケベなのか……?)


 テーブルスペースには左野の言った通りに椅子の上で伸びている春樹を囲むように、生鉄工業の面々が水分を取ったり体を伸ばしたりしながらくつろいでいた。


「あ、祐樹。次のお店決まったから」

「はぁ~? 俺何のために下地さんたちに聞きに行ったん?」

「どうせどこでもいいとか、春樹の行きたい店でいいよとか言われたんでしょ?」

「お前エスパーかよ」

「いや、付き合い長いし」


 宗馬が気になってこっそり見ている前で、翼は「俺、移動前にちょっとトイレ行ってくる」と爽やかにその場を離れて行った。


(あ、まあ、そうだよな……)


 手持ち無沙汰になった宗馬は、木のベンチに座ってスマホをいじっている右京の側に近付くと、自身もすぐ隣に腰掛けた。


「次のお店ってどんな所?」

「いい感じの焼肉屋にしました」

「えっ、ここってちょっと高い所じゃないか?」

「大丈夫です。工場長が付いてるんで。後から合流してくれるそうです」


(マジか。金額がびすとろの比じゃないけど、だいぶ図々しくないか?)


「辛い物のお店じゃないから大丈夫だよ~」


 宗馬はそう声をかけて来た瀬戸をジロリと睨みつけた。


「なんで俺が辛い物苦手だって知ってるんですか?」

「だって宗馬がつけ麺屋さん行ってた日、実は俺もあの店に居たんだよ」

「ええっ! そうだったんですか?」

「うん、実は宗馬よりちょっと後ろに並んでたんだ」


 それで宗馬と翼に気が付いて、興味本位で後をつけてきたのか?


「……す、すごい偶然ですね。全く気が付きませんでした」

「実は偶然じゃなくて、俺は二人があのお店に行くって知ってたから、会えるんじゃないかと思って意図的に行ったんだけどね」

「えっ? 何でですか?」


 宗馬の問いに、瀬戸は意味深な笑みを浮かべた。


「海田さんから聞いたんだ」

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