後ろから突然声をかけられて、宗馬の胸に嫌な予感がよぎった。
(何だろう、この既視感というか、身に覚えのある感覚は……)
「お兄さんじゃないか」
(やっぱり!)
下町の少年らしい風貌だと思っていたいがぐり少年の明も、灰色の制服にベレー帽を身につけ、貴族の雰囲気漂う庭にいると、なぜか良いとこのお坊ちゃんに見えてしまうのが不思議だった。
「えっ、君、ちょっ、ここの学生だったの?」
「そうだけど、お兄さんたちなんでうちの学校にいるの?」
「えっと、今日は授業参観に……」
「マジで? うちの父ちゃんよりずっと若いんだけど。一体何歳で子供作ってるんだよ?」
誤解を解きたい気持ちはやまやまだったが、細かい大人の裏事情を子供に話すのは良くないと判断して、宗馬は真実を告げたい気持ちをぐっと堪えた。
「明君の親御さんは?」
「来ねぇよ。この歳になって親に見られて喜ぶとかありえないから」
(可愛くないガキだな。小学生ってこんなもんだったか?)
「それはそうと、一年生の教室は裏から入ったほうが近いぞ」
「いや、俺たちは五年生の教室に行くんだ」
「マジでいくつで子供作ったんだ? てかマジか、五年生かよ。何組?」
「えっと、確か三組だったかな」
「嘘だろ? それ俺のクラスなんだけど」
ウソだろ?
「あははは、こんな偶然ってあるもんなんだね~」
まさかいがぐり明少年が、近所に住んでいるどころか工場長の孫とクラスメイトだったなんて!
「信じらんね。俺のクラスメイトの親にこんな若い連中がいただなんて……」
(俺もクソ生意気な老け顔少年が光莉ちゃんと同級生だったなんて信じられないよ)
「一体どこの親なんだ? うちのクラスで一番素行が悪いのは西野だけど……」
「おい、なんで俺の子供がクラスで一番のワル前提なんだ?」
「顔もなんとなくあいつに似ている気がする……」
「分かったから明君も教室に行きな。遅れたら先生に怒られるよ」
この少年がいくら頭を絞ったところで、正解に辿り着く可能性は一ミリもない。考えるだけ無駄なので、宗馬はさっさと明少年を教室へ追い払うことにした。
「分かったよ。あとでまた会おう」
どちらにせよ授業参観が始まれば真実は明らかになる。明も大人しく宗馬の言う通りに教室へ向かうため校舎へと入っていった。
「はぁ、なんだかあいつに遭遇するとそれだけでどっと疲れるな」
「不思議な縁もあるもんだね」
本当に、翼といいあの明少年といい、ここ最近不思議な巡り合わせばかり宗馬の周りで起こっているような気がする。
(そしてどれもろくでもない縁ばっかりだ)
宗馬は思わずポケットに入っているスマホのクラゲのストラップに服の上からそっと触れた。翼がクラゲはキーホルダーに付けると言ったので、宗馬は逆にスマホから羽の付いた金のボールを外してそっちを鍵に取り付け、半割れのハートを抱いたクラゲはスマホに付けることにしたのだ。
(こういうのくれる奴だって知らないままだったら、ここに来てこんな思いにならずに済んだってのに……)
◇
少し気分の落ち込んでいた宗馬だったが、数十年ぶりに小学校の教室というものに足を踏み入れると、まるで子供の頃に戻ったかのような興奮が自然と湧き上がってくるのを感じた。自分の通っていた田舎の公立校とは外観や雰囲気こそ違えど、壁に貼ってある標語や子供らしい字体の習字など、やはり同じ子供が過ごす学舎に変わりないことが教室の端々から伺えた。
「……不思議だな。俺の小学校とは全然違うのに、なんだか懐かしい場所に戻ってきたような気分だ」
「小学校の六年間ってすごく長く感じたもんね」
「お前は俺なんかより、より感慨深いんじゃないか? なんせ自分の母校なんだし」
「う~ん、それが実はあんまり覚えてないんだ」
「なんだそれ」
思わず苦笑しているところに、黒縁メガネをかけた神経質そうな女性の担任がガラッと扉を開けて教室にスタスタと入ってきた。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます!」
「今日はみなさんが楽しみにしていた授業参観です。五年三組は国語の作文の発表を行います。みなさん、練習の成果をしっかり親御さんに見て頂きましょうね」
「は~い!」
「それでは授業を始める前に、先日行われた英検の表彰を先に行いたいと思います」
黒縁メガネの担任はそう言うと、小脇に抱えていた茶封筒から表彰状のような紙を数枚取り出した。
「西野君、英検一級合格おめでとうございます!」
小学生らしく可愛らしい級を想像して拍手しようとしていた宗馬は、大の大人でも普通に落ちる最上級の合格者に度肝を抜かれて思わずバチンと大きく柏手を打ってしまった。
「えっ! 今一級って言った?」
小声で隣の翼に尋ねると、翼は特に驚いた様子もなく頷いている。
「最近は早期教育が盛んだから」
「いや、小五だろ? マジで言ってんの?」
「取れる子は普通に取るよ」
(ああ、ますます住む世界がかけ離れていく……)
名前を呼ばれて前に出てきた西野は、癖のあるマッシュヘアの背の高い少年だった。
(ていうか西野君って、明少年が言ってたクラスで一番素行の悪い生徒じゃん!)
礼儀正しく賞状を受け取って自分の席に戻っていく背中を見て、宗馬の中で素行が悪いという言葉の定義がガラガラと音を立てて崩れ去っていった。
「それでは親御さんの前で作文を読んでもらいます。一番、相田君」
名前を呼ばれた生徒は、立ち上がって机の上に置いてあった作文を手に取った。
「先日、アメリカに駐在している外交官の父のところへ遊びに行った時のことです……」
(あ、お父さん外交官なんだね~)
だんだんここの空気に慣れてきた宗馬は、多少衝撃の情報が耳に飛び込んできても簡単には驚かなくなっていた。
「……それで、将来は僕もお父さんのような外交官になりたいです」
(結局将来の夢の作文になってるし)
パチパチパチパチ! と教室中から拍手が送られ、相田少年はチラッと後ろの父兄を振り返って自分の親を見つけると、嬉しそうに笑ってから着席した。初めて小学生らしい姿を見た気がして、宗馬もついつられて微笑んでいた。
「……それでは、栗田明君、お願いします」
「先日、僕は大人の階段を上る体験をしました」
(いや何の話!?)
「辛い物選手権で大人よりもたくさんの辛い物を食し、ボルダリングでは大人も登れないほどの高い壁を制覇しました。これで僕は大人より高次の存在であると証明できたと思っています」
おお~! と着席している生徒からも父兄からも謎の歓声が上がった。明少年が大人の階段を上る踏み台にされた当の本人の隣で、翼が肩を震わせながら必死に笑いを堪えている。
作文を読み終えた明少年は、父兄ではなく生徒の方をチラッと見てから自分の席に着席した。
「……良かったね、子供が成長を実感する、その糧となったみたいで」
「ふざけんなよ。勝手に人を作文の題材にしやがって。ていうかなんで辛い物を食べたやつの方が上みたいな社会構図になってんだ?」
「小学生の男子なんてそんなもんでしょ」
「なんで英検一級取るような連中がそこだけIQガタ落ちなんだよ?」
「あっ、光莉ちゃんの発表が始まるよ」
翼に指摘されて宗馬がはっと教室に視線を戻すと、ちょうど光莉が作文を持って立ち上がるところだった。
「私の家族について」