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第36話 宗馬、私立小学生に驚く

 月曜日、宗馬は今までになく緊張した面持ちで高野の部屋のインターホンを鳴らした。


「……はい!」

「あ、光莉ちゃん?」

「宗馬!」


 インターホンのカメラ越しに宗馬の姿を見とめた光莉は、すぐにパタパタと廊下を走って来て玄関の扉を開けた。


「おはよう! 今日はありがとう、宗馬……」


 宗馬の後ろからひょこっと出て来て笑顔で手を振る翼を見て、光莉は途端に渋い表情をした。


「……と、アマノさん」

「だから俺だけでいいって言っただろ? わざわざ有給まで使って」

「両親共に参加していいんでしょ?」

「ちょっと! 光莉ちゃんが困ってんだろうが!」

「私はいいんだよ、宗馬が一人で来るの不安なら、別にアマノさんが一緒でも」

「光莉ちゃん……」


 光莉がカバンを取りに部屋に戻った隙に、宗馬は非難がましい目つきで翼に詰め寄った。


「光莉ちゃんの俺に対する大人のイメージがどんどん崩れていってるんだけど」

「宗馬は他人からの評価を気にしすぎ」

「ていうか部外者がホイホイ勝手に学校って入れるものなのか? しかも今から行くのってお受験して入るような私立の小学校だろ? いくら光莉ちゃんが許可してるとはいえ、セキュリティの問題とか……」

「部外者じゃないよ。そこ俺の出身校だし」

「えっ、マジで?」

「それにうちの親父の会社の運営する学校だし」

「……え?」


 思いもよらない情報に宗馬がポカンとしているところへ、光莉が紺色のカバンを背負って部屋からもう一度パタパタと出て来た。


「お待たせ!」


(あ、ランドセルじゃないんだ。確かに私立の小学校っぽい)


「高野さんの様子はどう?」

「まだ部屋から出てこないよ。一応寝てるのは外から確認したけど、風邪うつるといけないから部屋には入っちゃダメだって言われてて」

「大丈夫だよ。授業参観が終わったら俺らでもう一度様子を見に来るから」

「うん、ありがとう」


 光莉は一度心配そうに部屋を振り返ってから、宗馬の手を握って一緒に社員寮の階段へと向かった。


「今日は何の授業を見せてもらえるの?」

「国語だよ。作文の発表をするの。宗馬もやったことある?」

「あるよ。授業参観の定番だよね」


 小学生の頃、宗馬も授業参観の日に親の前で作文を読んだことがあった。テーマは『将来の夢』。ありがちといえばありがちな内容だ。学校の教員もきっと親受けの良さそうな題材を選んでいるのだろう。


(でも将来の夢なんて、小学生でなくたってみんながみんな決めているものでもなし。当時の俺も正直よく分からなかった)


 だから、大人になったら警察官になりたいと書いた。何となくそれが模範解答で、親が喜ぶ答えなのではないかと思ったからだ。


(今思えば、肉が好きだから焼肉屋さんとかでも十分良かったんだろうけど。警察官を選ぶにしても、強そうとか制服がかっこいいとか、そんな理由で良かったのに……)


「光莉ちゃんはどんな作文を発表するの?」

「最近あった面白い出来事や、心に残った出来事について話すんだよ」

「へぇ、将来の夢とかじゃないんだ」

「将来の夢を親の前で語ると忖度する子が出てくるかもしれないからやめたって先生が言ってたよ」

「マジで?」


(俺みたいな子供に配慮されてる!)


「光莉ちゃん、難しい言葉知ってるんだね」

「忖度ってちょっと前に流行った言葉だからね」


 そんな話をしながら三人で歩いていると、程なくして茶色い煉瓦造りの外国風でおしゃれな建物が目の前に姿を現した。


「あれだよ、私の学校」


 細くて黒い鉄が曲線を描く校門の向こうに、色とりどりの花が咲き誇る花壇やキラキラと輝く水を噴き上げる白い天使像の噴水が見える。校門から校舎までまっすぐ続く道は石畳で、灰色の制服にベレー帽を被った生徒たちがそこを通って校舎の入り口へと進んでいく。


(え、あれ? 小学校ってこんな感じだったっけ? 桜は? ビオトープは? 鶏小屋は?)


「おはようございます!」


 皆と同じ灰色の制服にベレー帽姿の光莉は、校門前に着くと元気に挨拶しながら、パスケースを入り口の機械にピッとかざして校門を抜けた。


「おはようございます」

「うわっ!」


 校門の脇で黒いスーツ姿のハゲ頭の男性に頭を下げられて、宗馬はぎょっとして思わず小さく悲鳴を上げた。


「執事がいる!」

「教頭先生だよ」

「ええっ?」


 宗馬の記憶の中にある母校の教頭も同じようなハゲ頭だったが、明らかにハゲの質が異なっていた。宗馬の学校の教頭先生はもっと大柄で、全体的にゴツゴツしていて荒っぽく、体操服を着ていつも竹刀を握りしめていた。この教頭は竹刀よりフェンシングの剣が似合いそうだし、湯呑みなんか絶対に使っていなさそうだ。なんかこう、縁が金色の上品なティーカップで紅茶とか飲んでいそうな雰囲気だ。


(田舎のハゲと都会のハゲの違いなのか……? いや違うな、公立と私立の違いだろう。そもそも相手にしている生徒の質が違い過ぎる)


 灰色の制服をきちんと着込み、上品に学友と挨拶を交わす子供たちを見て、宗馬は心の中で大いに納得していた。高野の家や水族館ではおてんばに見えた光莉も、ここでは不思議と上流階級のお嬢さんのようにしおらしい表情をしている。


(少なくともトイレで水遊びをして担任に張り倒されるような子供は居なさそうだな)


「ご無沙汰しております、先生」

「天野さん! いつもお父様からお話は伺っておりますよ。いつのまにかこんなに大きくなられまして!」

「いつも父の愚痴を聞いていただいて恐縮です。息子が不出来なものですから」

「何をおっしゃいますか!」


 上品なハゲの教頭と挨拶を交わす翼を見て、宗馬は否応なしに彼が自分とは明らかに育ちの違う人間であることに気づかされた。


(こいつ、こんな貴族御用達みたいな学校出身だったのか)


 趣味が壊滅的に合わないだけではなく、ひょっとすると身分もかなり違うのではないだろうか?


(いやいやこのご時世に身分とか、どこのヨーロッパ貴族……)


 その時宗馬は、初めて翼の家で目覚めた日に話した内容をはっと思い出した。


『……趣味とか好みとか全然合わないし、住んでる世界もなんか違うっていうか……』

『ああそれよく言われるんだよね』


 住んでる世界が違うとよく言われるって、こういうことだったのか!

 宗馬は高貴なハゲがペコペコと頭を下げながら話す翼を、呆然とした表情で眺めていた。


(普通の人間にも住む世界が違うとか思われてるのに、俺みたいなのがこいつと釣り合うわけないじゃないか!)


 普通に趣味の合うであろう人間ですら、身分違いの翼に引け目を感じていただろうに、全く趣味の合わない自分は一体どうすればいいというのか。


(卜部のやつ、マジで何考えてるんだ? ここまでくるともはや俺への嫌がらせとしか考えられないんだが)


「じゃあ宗馬、時間になったら教室まで来てね」


 宗馬の内側で暴れ狂っている感情などつゆ知らず、光莉は笑顔で手を振ると友人を見つけて一緒に校舎の中へと姿を消した。


「……そうでしたか、会社の上司の代理で」

「わざわざ特別措置をとって頂きましたこと、痛み入ります」


(あ……)


 宗馬も光莉も気付いていなかったが、今回の参観の話がスムーズに進んだのはどうやら翼のおかげだったらしい。


(そりゃそうだよな。こんな毛色の良さそうな学校に、親戚でも何でもない人間を普通に入れるわけないもんな)


 光莉が寂しい思いをしないようにわざわざ動いてくれた翼に、宗馬が改めて謝意を伝えようとした、その時だった。


「あれ、もしかして……?」

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