失恋したあの日から何度も消そうと思っては行動に移せなかった煌斗の連絡先。あれだけ疎遠になっていたのに、またこうして煌斗の名前が俺のスマホの画面に表示される日がくるなんて、ちょっと前までは予想もしていなかったことだ。
ホーム画面のポップアップに表示された、『凛音の声が聞きたい』『通話いい?』というメッセージに、俺は少しだけアプリを開くことを躊躇ってしまう。
煌斗への想いは過去のもの。叶わなかった初恋にしがみついて、その時に負った傷ばかりに目を向けてはいられないとは思う。けど、そうは思っても、ずっと抱えたままの心の傷はなかなか治ってはくれず、ふとした拍子にまた開いては、俺にあの時のつらさを思い出させる。
スマホ越しとはいえ、煌斗の声を聞いてしまったらこの痛みがまたひどくなりそうな気がする。
かといって、拒否する理由もない。
覚悟を決めた俺は、ゆっくりと深呼吸しながら気持ちを落ち着けた。
メッセージアプリの画面を開き、煌斗に対してなんて返事をしようか少しだけ悩んだものの、結局、一言『うん』とだけ送っておいた。すると、一瞬で既読がつき、すぐに着信の表示に切り替わる。
俺はあまりの速さに驚きながら、震える指先で通話ボタンをタップした。
◇
(いったい煌斗はどういうつもりなんだろう)
通話が始まって約五分。
聞いてほしいことがあると言っていたわりには、当たり障りのない話題ばかりしてくる煌斗に、俺は少し苛立ちを覚え始めていた。
普段は無気力で性格も内向的なほうだと思うけど、のんびりしてるわけでも、おおらかでもなく、むしろ気は短いほうだ。
煌斗もそれを知ってるはずなのになかなか本題に入ろうとしないのは、よほど言いにくいことなんだろうとは思うけど。
そう考えると本題を切り出されるのが少し怖い気もするが、このままダラダラ喋っていても埒が明かない。
俺のほうから話を促そうかと考えた矢先、煌斗がまた違う話題を振ってきた。
『そういえばさ、今日駅で会った人って凛音とどういう関係なの?』
全く予想外の話に、煌斗が何を言いたいのか益々わからない。
「友達だよ。1年の時から同じクラスで、」
そこまで話したところで今日の海里とのやりとりを思い出し、言葉が続かない。すると。
『……友達、ね』
顔が見えているわけじゃないのに俺が会話に集中していないことに気づいたのか、煌斗の声がワントーン低くなった。
なんとなく気まずい空気を感じた俺は、慌てて別の話題をふることにした。
「あのさっ、卒業式に言ってた彼女とはどうなってんの?」
咄嗟に思いついたのは卒業式の時にできたという彼女のこと。
口にしてからすぐに自ら傷口を広げる話題を振ってしまったことを後悔したが、やっぱり今のなしなんて言えるわけもなく。俺は煌斗の口から語られるであろう言葉に備え、思わずぎゅっと目を瞑った。
ところが煌斗から帰ってきた言葉は、意外なものだった。
『……あの後、すぐに別れたんだ』
「え、なんで⁉」
『まあ、色々あって』
「色々って、どういうこと?」
『……色々は色々だよ』
あんなに悩み続けた失恋の原因が、呆気ないほどあっさり壊れてしまっていたことがあまりに衝撃すぎて、俺は言葉を失った。
さらに煌斗は理由を話すつもりがないばかりか、まるでそのことを誤魔化そうとするかのように、信じられないことを言い出したのだ。
『一番の理由は、やっぱり凛音の隣にいたいと思ったから』
「え?」
『そう言ったら、凛音はどうする?』
冗談なのか本気なのか判別できない聞き方に、俺はどう答えればいいのかわからず混乱した。
中学の頃、いろんな人から告白されても絶対に誰とも付き合おうとしなかった煌斗に、その理由を聞いたことがあった。
その時、煌斗は、『好きな人としか付き合わない』と言っていて、俺はずっとそれを覚えていたからこそ、失恋の原因となった『彼女』は、煌斗が本当に好きな人なんだと思ってた。
──だから俺の心はあんなにも深く傷ついたのに。
「煌斗さぁ、前に好きな人としか付き合わないって言ってたよね? その彼女のこと本気で好きだから付き合うことにしたんじゃないの?」
俺にこんなことを言う資格がないことはわかってる。でもこれまでずっと煌斗への想いも胸の痛みも引きずってきて、やっとその気持ちに区切りがつきそうなタイミングでこんな話を聞かされて、俺の情緒は滅茶苦茶だった。
感情が昂ぶって、責めるような言い方をした俺に対し、煌斗は反論すらせず黙り込んだまま、何も言おうとはしない。
お互いに何も言葉を発さないまま、時間だけが過ぎていく。
直接会って話しているわけでもないのに、二人の間に流れる空気が重すぎて、息が詰まりそうだ。
このまま通話を終わらせるわけにもいかず、かといって俺のほうから口を開く気にもなれずにいると、沈黙していた煌斗が一言ポツリと呟いた。
『……ごめん』
謝ってもらいたかったわけじゃない。俺はただ、煌斗が本当はどう思ってたのかが知りたかっただけ。
そう言いたいのをぐっと堪えて、大きく息を吐く。
まだ本題らしきものを聞けていない。だけどこれ以上の会話はお互いにとって良い結果にはならないと判断した俺は、早々にこの時間を終わらせることにした。
「俺こそゴメン。当事者にしかわからない事情もあるのに、余計なこと言った」
このまま『それじゃ』と続けて、一方的に通話を終了させよう。これで終わりで構わない。そう思っていたのに。
その流れは煌斗の言葉によって遮られることになった。
『……さっき言ったことは本気だよ』
「え?」
『凛音の隣にいたいっていう話』
さっきとはあきらかに違った真剣さを感じさせる声に、俺は反射的に身構えた。
『前みたいな関係に戻りたい。もう一度、凛音に触れる権利がほしい』
突然すぎる煌斗の言葉に、俺は何も答えることができなかった。