ルリ・マーナーは、青空の下に広がる賑やかな広場に立っていた。白い石畳の上を、楽しげな人々が行き交っている。吹き抜ける風が、噴水の水しぶきを揺らし、光を反射してきらきらと輝かせていた。
「お姉さま、遅いですわ……」
待ち合わせ場所の時計塔を見上げる。約束の時間から、すでに五分が過ぎていた。
ルリは、少しだけ頬を膨らませた。
お姉さま―― カーラ・マーナーは優しくて大好きだけれど、時間にはあまりこだわらない人だった。
それに比べて、お兄さまは時間に厳格で、もし今ここにいたら、「カーラ、待たせるのは良くないよ」 なんて、やんわりとした口調で注意していたはずだ。
(でも……お兄さまには内緒ですわ)
今日の目的は、お兄さまの誕生日プレゼントを買うこと。
ルリはこれまで、お兄さまにプレゼントを贈ったことがなかった。だから、お姉さまに相談して、二人で買いに行く計画を立てたのだ。
ほどなくして、人ごみの中から見慣れた銀色の髪が揺れるのが見えた。
「ごめんなさい、待たせたわね」
「もう、お姉さまったら……」
少し拗ねたように言うと、カーラは苦笑いしながらルリの頭をぽんと撫でた。
「それで、プレゼントは決めているの?」
「ううん……お兄さまには、何を贈ればいいのか分からなくて……」
ルリは、少し恥ずかしそうに視線を落とした。
お兄さまは、研究に没頭すると周りのことを忘れてしまう。服や靴に無頓着なわけではないけれど、こだわりがあるのかどうかも分からない。
「お姉さまは、これまでお兄さまに何を贈りましたの?」
「意外とあの人は何でも喜ぶよ。手袋でも、ブックカバーでも」
「それでは余計に迷ってしまいますわ……」
ルリは溜息をついた。何でも喜んでくれるなら、それこそ何を選べばいいのか分からないではないか。
「でも、あなたが選んだものなら、きっと大切にするわよ」
「そうでしょうか……」
「ええ。私が保証するわ」
カーラの優しい微笑みに、ルリは少し安心する。
そのまま、二人は街のショッピングエリアへと足を運んだ。
ルリは、あるショーウィンドウの前で立ち止まった。そこには、精巧な細工が施されたペンが並べられていた。
「お兄さま、よく研究ノートに何かを書き込んでいますの」
「確かに、ペンなら毎日使うでしょうね」
カーラは、ひとつのペンを手に取った。重厚感のあるデザインで、持ち手には細やかな彫刻が施されている。
「これなんてどう? シンプルだけど品があるわ」
「いいですわね! これにします!」
ルリは、嬉しそうに頷いた。店員に頼んで、バースデーカードとペンを丁寧に包装してもらう。箱にはリボンがかけられ、プレゼントにふさわしい仕上がりになった。
「お兄さま、びっくりするでしょうね!」
「ふふ、楽しみね」
店を出ると、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
その瞬間だった。
ズン――!!
轟音とともに世界が揺れた。
遠くで爆発音が響き、空気が震えた。人々の悲鳴が周囲に広がり、次の瞬間、ビルの上階から何かが崩れ落ちる音がした。
「えっ……?」
ルリが驚いて振り返ると、その瞬間――!車が猛スピードでこちらに向かって転がり落ちてきた。
「ルリ!」
カーラは咄嗟に妹の腕を掴み、押し倒すように身を投げ出した。
ドンッ!!!
凄まじい衝撃が走り、視界が暗転する。鉄とコンクリートの粉塵が舞い、耳鳴りが世界を支配した。
ルリは微かに意識を保っていた。崩れた車の下敷きになりながらも、カーラの温もりを感じた。
「……お姉さま……?」
カーラの体が、自分を庇うように覆いかぶさっている。
頭がぼんやりしている。息をするのが苦しい。体の感覚が、どんどん遠ざかっていく。
助けを求めようとしたが、声にならない。
視界が揺らぐ中、誰かの足音が近づいてきた。
「車に火がついてます!」
「お姉さま!わたくしも……!」
「お前らも見てないで手伝え!」
誰かが怒鳴る声。
人々の足音が駆け寄ってくる。
視界の端で、誰かが必死に車を動かそうとしているのが見えた。だが、重量がありすぎてびくともしない。
(……助けてくれる……)
ぼんやりとした思考の中、ルリはカーラの手を探した。
冷たい指先が触れた瞬間、カーラもまた、わずかに指を動かす。
(……お姉さま……)
——ズン!!
今度はさらに強烈な爆発音。
ルリの視界の端で、火の手が立ち昇るのが見えた。
誰かが叫ぶ。
「間に合わねえ!早く引っ張れ!」
カーラの体がかすかに動く。だが、下敷きになっているため、ほとんど身動きが取れない。
ルリの呼吸が浅くなる。
意識が霧のように薄れ、感覚が遠ざかっていく。
(……お兄さま……)
最後に浮かんだのは、プレゼントを渡したときの、お兄様の驚いた顔だった。
ルリは、潰れてしまったペンをかすかに握りしめた。
だが、その指先の力はすぐに抜け、意識もまた、闇の奥へと沈んでいった——