「なあ、腹減らない?」
部屋の探検に飽きた加藤が、ソファーにふんぞり返りながらぼやいた。
「そうだな……」
ノーマンは、どこからか見つけてきた聖書をめくりながら気のない返事をする。
「私たちは食べる必要がないから……」
カーラは少し寂しそうに微笑んだ。
「ノリわりぃなあ……」
加藤はつまらなそうに肩をすくめると、ソファーから身を起こした。
「どこかにメニューとかないのかなあ……こう、パッと出てくるみたいな?」
テーブルに手をかざした瞬間、ホログラムが浮かび上がり、煌めく文字でメニューが表示される。
「うひょ!あるじゃーん!」加藤の顔がパッと明るくなった。
「どれどれ……骨付きラムチョップ?いいねえ!ポチッ!」迷わず注文すると、ソファーの上であぐらをかいて真剣にメニューを選び始めた。
「トリュフリゾット?トリュフってなに?食べられるの?」
「あ、うん食べられると思うよ……」
「んじゃ、注文っと!」
「フォアグラのソテーか……これ、庶民が食べるもんじゃねえよな……でもポチ!」
「オマール海老のグリルか、デカいエビはうまいよな!ポチッ!」
なんだかんだと10品目以上をポチッとしたところでノーマンが待ったをかけた。
「おいおい!そんなに食べられるのか?」
「こんなセレブなもの食べる機会なんてそうそうないぞ」
「そうかもしれんが、代金はどうなるんだ?」
「んなのあいつ持ちに決まってるじゃん!あいつの財布が軽くなっても知ったことじゃないよ。お!……フカヒレのスープだって!高っ!ポチ」
「タダより怖いものはないんだぜ……」ノーマンは頭を抱えて呟いた。
ほどなくして、ドアがノックされた。ノーマンが開くと、先ほどのバトラーがメイドを2人連れて立っていた。
メイドの前にはワゴンが4台び、その上にはクローシュと呼ばれる半円球の銀の蓋がひしめいていた。美味しそうな匂いが漏れ漂ってくる。
バトラーが一礼して部屋に入ると、ダイニングテーブルに白いクロスを広げて、その上にメイドが料理や皿などを手際よく並べていく。
クローシュを取ると目に鮮やかな料理が現れた。
「お待たせいたしました、食事の準備が整いましてございます。」メイドが下がる。
「あたし、本物のメイドって初めて見た……」加藤が小声で囁くように呟いた。
「俺もだ……」
「オムライスにハートとか書かないよな?」
「何言ってますの?」ルリが呆れるように囁いた。
ノーマンの隣には加藤が、向かいにカーラが座る、カーラの隣にはルリが座った。メイドはそれぞれの後ろでそっと待機した。
「うわ!想像していた以上に豪華!」
「こんなに沢山の料理!はじめて見ましたわ!」
「残すわけにもいかないよな……」
「ルミノイドには食事は不要ですが、毒味機能がありますので、お毒味をします。毒など入っていたら大変ですから」
さらっと言いながら、迷いなくラムチョップを口に運んだ。「おいしい!」目を丸くして口に手を当てる。
「ちぇ!調子いいなあ!」
「これも美味しいですわ!」ルリがシャトーブリアンのステーキを食べて、驚いたような声を出した。
金色の髪を上品にまとめたメイドが微笑みながらノーマンの横につき、ワインメニューを差し出した。「ワインはいかがなさいますか?」グレーの瞳がノーマンを見る。
ノーマンはドギマギしながら「えーと、じゃあシャトー・ラフィット・ロートシルトをお願いしたます」と注文した。
「かしこまりました。」
メイドは滑るような動作でワゴンからボトルを取り出し、ボトルのラベルをノーマンの目の前に示した。
「シャトー・ラフィット・ロートシルトでございます。2285年ヴィンテージは、熟成されたタンニンとカシスのような果実味が特徴。最後にわずかなスパイスのニュアンスが感じられます。」
「あ、ああ……ありがとう」
「お客様、グラスをお持ちください。」
「え、あ、ああ!」
ノーマンは一瞬、どうしたらいいかわからず視線を泳がせた。メイドが微笑みながら視線で促すと、慌ててグラスを取ろうとして、危うく落としかける。
「ティスティングよ……」
向かいに座っていたカーラが、小声でささやいた。
「あ!ああ……」
ノーマンはグラスに顔を近づけ、赤ワインの深みのある色合いを眺める。香りを嗅ぐと、熟成されたブドウの香りが鼻をくすぐった。少し緊張しながら、一口口に含む。
「うん、うまいね!なんというか、香りがいい、それでいて、えーと、タンニン?渋みが効いていて、……とにかく美味い!」
「恐れ入ります」メイドが一礼する。
「とてもノーマンらしい表現だと思ったよ……」向かいに座っているカーラが微笑みながら言った。
「美味いって事は伝わったな。」加藤がワインを一気飲みしてけたけた笑う。
カーラが少し頬を赤らめてワインの入ったグラスを見た。
「それにしても美味しいワインね……勿体ないからアルコール分解機能はオフにしちゃお。」
「私も飲みたいですわ!」
「ルリは未成年だからだめよ」
「ルミノイドだから関係なくね?」
「そうですわよ!」
「ダメです」カーラはルリの抗議の声をびしゃんと退けた。
ルリの前には、コンコードジュースが置かれた。
「むう……」不満そうに一口飲むと、ブドウの香りと甘みが口の中に広がる。
「これはこれで、おいしいですわね……」納得したようだ。
「うっ……もう食えねえ……」加藤がギブアップしはじめた。
「どうしましたの?残すのはよくないですわ」
「食べられるなら手伝ってくれよ……」
「私は毒味ができるだけですわよ?」
「いや、いいペースで食ってんじゃん!」
「ベツバラってやつですわ」
「ズルくね」
ルリの横には皿が何枚も重なっていた。
美味しいものをみんなで食べて、笑って過ごすいい晩餐だった。
ホテルのバルコニーから望む夜景は、光の粒をばら撒いたように広がっていた。高層ビルがイルミネーションのように並び立ち、その間を飛ぶ車が、夜空に浮かぶオーナメントのように瞬いている。
前方には、ひときわ高いタワーがそびえていた。カーラたちが救急車で運ばれた高次物質科学研究機構のタワーだろう。そこかしこに灯る明かりが、まるで昼間のように街を照らしていた。
カーラはひとり、バルコニーのソファーに身を沈め、ワインをちびちびと味わっていた。
加藤とルリは風呂に入っている。あのはしゃぎようでは、しばらく出てこないだろう。
ビルの灯りが、遠い昔に見たはずの景色と重なる。
けれど、そこにいたはずの人の顔は、どうしても思い出せない。
ワインの香りが、かすかな記憶を呼び起こそうとする――が、霧のように掴めない。
もどかしさと共に、言葉にできない寂しさが胸を満たしていく。
「……まだ怒ってるのか?」
不意にかけられた声に、カーラはゆっくりと振り返った。
ノーマンがバルコニーに出てきていた。
手にはワインのボトルとグラス、そして小さなチーズの皿。
何も言わずに隣の席を指差す。
「……隣、いいか?」
「どうぞ」
カーラは静かに微笑み、ノーマンはグラスを傾けながら座る。
「さっきのことだけど……」
「うん?」
「俺の顔がアルケーに似ているのが、何か気に触ったか?」
カーラはグラスを回しながら、遠くの夜景に目をやる。少し考えてから、静かに口を開いた。
「そうね……。アルケーとあなたの顔が似ているのは、正直、ショックだった。でも……」
「でも?」
「でも、それと同時に、どこか安心したのかもしれない」
「安心?」
カーラはそっとグラスを持ち上げた。
ルビー色の液体が揺らめき、都市の灯りをぼんやりと映し出す。
頬をほのかに染めた横顔は、どこか儚げでありながらも美しい。
「アルケーが……まだどこかにいるような気がして」
ノーマンはグラスを持つ手にわずかに力を込めた。(“アルケーが、まだどこかにいるような気がして”……か)
「……私はアルケーと過ごした記憶を持っていない」
カーラは、ワインの中の赤い光を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「だから、本当の私は何を感じていたのか、今の私にはわからない。でも……時々、心の奥に何かが残っている気がするの」
「記憶じゃなく、感覚ってことか?」
カーラは小さく頷く。
「彼のやったことは正しいとは思えない。でも……あんなに合理的な人が、わざわざ”味見”の機能をつけた。食べなくてもいいのに、味を知ることはできる」
「……確かに、不思議だな」
カーラはグラスを揺らし、ワインを見つめる。
「これは……もしかしたら、アルケーの私への――」カーラは言葉を選ぶように続けた。
「そう……精一杯の〝譲歩〟なんじゃないかなって」
ノーマンは黙って、ワインを口に含む。
グラスの縁から香る、熟成されたタンニンの渋みを感じる。彼女が何を思ってそう言ったのか、なんとなく察することができた。
「つまり、君の後の人生を慮っていた、と」
「そう……ね。アルケーをかいかぶっているかもしれないけど」
カーラはノーマンを見て、少し肩をすくめると微笑んだ。
「……やっぱり、カーラに期待してたんじゃないか、あいつ」
ノーマンはワイングラスを見つめたまま、ぼそっと呟いた。
「………」
「………」
「ねえ?」
「なんだい?」
「加藤とルリ、お風呂長すぎない?」
「あ!まさか!」
慌てて部屋に戻って、風呂をみると2人ともいなかった。どの部屋にもいないので、焦りながら最後の部屋を探すとダブルベッドに入って2人とも寝ていた。
仲の良い姉妹のように、並んで寝息を立てている。
カーラとノーマンは寝室の電気を消すと、そっと扉を閉めた。
静かになった部屋に、カーラが小さく笑う。
「……なんだか、私たちって保護者みたいね」
ノーマンも苦笑する。
「確かに。……まぁ、こういうのも悪くないな」
カーラはふと、扉の向こうの二人を振り返るように目を向けた。
「……ルミノイドには、親子の関係って必要ないはずなんだけど」
「でも、カーラは今、こうして気にしてるだろ?」
「……そうね」
カーラは少しだけ、ノーマンの言葉に考え込むような顔をした。
でもすぐに、静かに微笑んだ。
「おやすみなさい、ノーマン」
「ああ、おやすみ」