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第20話 夜景

「なあ、腹減らない?」

 部屋の探検に飽きた加藤が、ソファーにふんぞり返りながらぼやいた。

「そうだな……」

 ノーマンは、どこからか見つけてきた聖書をめくりながら気のない返事をする。

「私たちは食べる必要がないから……」

 カーラは少し寂しそうに微笑んだ。

「ノリわりぃなあ……」

 加藤はつまらなそうに肩をすくめると、ソファーから身を起こした。


「どこかにメニューとかないのかなあ……こう、パッと出てくるみたいな?」

 テーブルに手をかざした瞬間、ホログラムが浮かび上がり、煌めく文字でメニューが表示される。

「うひょ!あるじゃーん!」加藤の顔がパッと明るくなった。

「どれどれ……骨付きラムチョップ?いいねえ!ポチッ!」迷わず注文すると、ソファーの上であぐらをかいて真剣にメニューを選び始めた。

「トリュフリゾット?トリュフってなに?食べられるの?」

「あ、うん食べられると思うよ……」

「んじゃ、注文っと!」

「フォアグラのソテーか……これ、庶民が食べるもんじゃねえよな……でもポチ!」

「オマール海老のグリルか、デカいエビはうまいよな!ポチッ!」

 なんだかんだと10品目以上をポチッとしたところでノーマンが待ったをかけた。

「おいおい!そんなに食べられるのか?」

「こんなセレブなもの食べる機会なんてそうそうないぞ」

「そうかもしれんが、代金はどうなるんだ?」

「んなのあいつ持ちに決まってるじゃん!あいつの財布が軽くなっても知ったことじゃないよ。お!……フカヒレのスープだって!高っ!ポチ」

「タダより怖いものはないんだぜ……」ノーマンは頭を抱えて呟いた。


ほどなくして、ドアがノックされた。ノーマンが開くと、先ほどのバトラーがメイドを2人連れて立っていた。

メイドの前にはワゴンが4台び、その上にはクローシュと呼ばれる半円球の銀の蓋がひしめいていた。美味しそうな匂いが漏れ漂ってくる。

 バトラーが一礼して部屋に入ると、ダイニングテーブルに白いクロスを広げて、その上にメイドが料理や皿などを手際よく並べていく。

 クローシュを取ると目に鮮やかな料理が現れた。

「お待たせいたしました、食事の準備が整いましてございます。」メイドが下がる。

「あたし、本物のメイドって初めて見た……」加藤が小声で囁くように呟いた。

「俺もだ……」

「オムライスにハートとか書かないよな?」

「何言ってますの?」ルリが呆れるように囁いた。


 ノーマンの隣には加藤が、向かいにカーラが座る、カーラの隣にはルリが座った。メイドはそれぞれの後ろでそっと待機した。

「うわ!想像していた以上に豪華!」

「こんなに沢山の料理!はじめて見ましたわ!」

「残すわけにもいかないよな……」

「ルミノイドには食事は不要ですが、毒味機能がありますので、お毒味をします。毒など入っていたら大変ですから」

 さらっと言いながら、迷いなくラムチョップを口に運んだ。「おいしい!」目を丸くして口に手を当てる。

「ちぇ!調子いいなあ!」

「これも美味しいですわ!」ルリがシャトーブリアンのステーキを食べて、驚いたような声を出した。


 金色の髪を上品にまとめたメイドが微笑みながらノーマンの横につき、ワインメニューを差し出した。「ワインはいかがなさいますか?」グレーの瞳がノーマンを見る。


ノーマンはドギマギしながら「えーと、じゃあシャトー・ラフィット・ロートシルトをお願いしたます」と注文した。


「かしこまりました。」


 メイドは滑るような動作でワゴンからボトルを取り出し、ボトルのラベルをノーマンの目の前に示した。

「シャトー・ラフィット・ロートシルトでございます。2285年ヴィンテージは、熟成されたタンニンとカシスのような果実味が特徴。最後にわずかなスパイスのニュアンスが感じられます。」


「あ、ああ……ありがとう」


「お客様、グラスをお持ちください。」


「え、あ、ああ!」

 ノーマンは一瞬、どうしたらいいかわからず視線を泳がせた。メイドが微笑みながら視線で促すと、慌ててグラスを取ろうとして、危うく落としかける。


「ティスティングよ……」

 向かいに座っていたカーラが、小声でささやいた。


「あ!ああ……」

 ノーマンはグラスに顔を近づけ、赤ワインの深みのある色合いを眺める。香りを嗅ぐと、熟成されたブドウの香りが鼻をくすぐった。少し緊張しながら、一口口に含む。


「うん、うまいね!なんというか、香りがいい、それでいて、えーと、タンニン?渋みが効いていて、……とにかく美味い!」

「恐れ入ります」メイドが一礼する。

「とてもノーマンらしい表現だと思ったよ……」向かいに座っているカーラが微笑みながら言った。

「美味いって事は伝わったな。」加藤がワインを一気飲みしてけたけた笑う。

 カーラが少し頬を赤らめてワインの入ったグラスを見た。

「それにしても美味しいワインね……勿体ないからアルコール分解機能はオフにしちゃお。」

「私も飲みたいですわ!」

「ルリは未成年だからだめよ」

「ルミノイドだから関係なくね?」

「そうですわよ!」

「ダメです」カーラはルリの抗議の声をびしゃんと退けた。

 ルリの前には、コンコードジュースが置かれた。

「むう……」不満そうに一口飲むと、ブドウの香りと甘みが口の中に広がる。

「これはこれで、おいしいですわね……」納得したようだ。


「うっ……もう食えねえ……」加藤がギブアップしはじめた。

「どうしましたの?残すのはよくないですわ」

「食べられるなら手伝ってくれよ……」

「私は毒味ができるだけですわよ?」

「いや、いいペースで食ってんじゃん!」

「ベツバラってやつですわ」

「ズルくね」

 ルリの横には皿が何枚も重なっていた。


 美味しいものをみんなで食べて、笑って過ごすいい晩餐だった。



 ホテルのバルコニーから望む夜景は、光の粒をばら撒いたように広がっていた。高層ビルがイルミネーションのように並び立ち、その間を飛ぶ車が、夜空に浮かぶオーナメントのように瞬いている。

 前方には、ひときわ高いタワーがそびえていた。カーラたちが救急車で運ばれた高次物質科学研究機構のタワーだろう。そこかしこに灯る明かりが、まるで昼間のように街を照らしていた。


 カーラはひとり、バルコニーのソファーに身を沈め、ワインをちびちびと味わっていた。

 加藤とルリは風呂に入っている。あのはしゃぎようでは、しばらく出てこないだろう。


 ビルの灯りが、遠い昔に見たはずの景色と重なる。

 けれど、そこにいたはずの人の顔は、どうしても思い出せない。

 ワインの香りが、かすかな記憶を呼び起こそうとする――が、霧のように掴めない。

 もどかしさと共に、言葉にできない寂しさが胸を満たしていく。


「……まだ怒ってるのか?」


 不意にかけられた声に、カーラはゆっくりと振り返った。

 ノーマンがバルコニーに出てきていた。

 手にはワインのボトルとグラス、そして小さなチーズの皿。

 何も言わずに隣の席を指差す。


「……隣、いいか?」

「どうぞ」


 カーラは静かに微笑み、ノーマンはグラスを傾けながら座る。


「さっきのことだけど……」

「うん?」

「俺の顔がアルケーに似ているのが、何か気に触ったか?」


 カーラはグラスを回しながら、遠くの夜景に目をやる。少し考えてから、静かに口を開いた。


「そうね……。アルケーとあなたの顔が似ているのは、正直、ショックだった。でも……」

「でも?」

「でも、それと同時に、どこか安心したのかもしれない」

「安心?」


 カーラはそっとグラスを持ち上げた。

 ルビー色の液体が揺らめき、都市の灯りをぼんやりと映し出す。

 頬をほのかに染めた横顔は、どこか儚げでありながらも美しい。


 「アルケーが……まだどこかにいるような気がして」


 ノーマンはグラスを持つ手にわずかに力を込めた。(“アルケーが、まだどこかにいるような気がして”……か)


「……私はアルケーと過ごした記憶を持っていない」

 カーラは、ワインの中の赤い光を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「だから、本当の私は何を感じていたのか、今の私にはわからない。でも……時々、心の奥に何かが残っている気がするの」


「記憶じゃなく、感覚ってことか?」


 カーラは小さく頷く。


「彼のやったことは正しいとは思えない。でも……あんなに合理的な人が、わざわざ”味見”の機能をつけた。食べなくてもいいのに、味を知ることはできる」

「……確かに、不思議だな」


 カーラはグラスを揺らし、ワインを見つめる。


「これは……もしかしたら、アルケーの私への――」カーラは言葉を選ぶように続けた。

「そう……精一杯の〝譲歩〟なんじゃないかなって」


 ノーマンは黙って、ワインを口に含む。

 グラスの縁から香る、熟成されたタンニンの渋みを感じる。彼女が何を思ってそう言ったのか、なんとなく察することができた。


「つまり、君の後の人生を慮っていた、と」

「そう……ね。アルケーをかいかぶっているかもしれないけど」


 カーラはノーマンを見て、少し肩をすくめると微笑んだ。


「……やっぱり、カーラに期待してたんじゃないか、あいつ」

 ノーマンはワイングラスを見つめたまま、ぼそっと呟いた。


「………」

「………」

「ねえ?」

「なんだい?」

「加藤とルリ、お風呂長すぎない?」

「あ!まさか!」


 慌てて部屋に戻って、風呂をみると2人ともいなかった。どの部屋にもいないので、焦りながら最後の部屋を探すとダブルベッドに入って2人とも寝ていた。

 仲の良い姉妹のように、並んで寝息を立てている。


 カーラとノーマンは寝室の電気を消すと、そっと扉を閉めた。

 静かになった部屋に、カーラが小さく笑う。

「……なんだか、私たちって保護者みたいね」

 ノーマンも苦笑する。

「確かに。……まぁ、こういうのも悪くないな」

 カーラはふと、扉の向こうの二人を振り返るように目を向けた。

「……ルミノイドには、親子の関係って必要ないはずなんだけど」

「でも、カーラは今、こうして気にしてるだろ?」

「……そうね」

 カーラは少しだけ、ノーマンの言葉に考え込むような顔をした。

 でもすぐに、静かに微笑んだ。


「おやすみなさい、ノーマン」

「ああ、おやすみ」

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