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第23話 写真立て

 アルケーの説明が終わると、執務室に静寂が訪れた。

 カーラは険しい表情を浮かべ、押し黙っていたが、やがて決心したかのように口を開いた。


「……どうして私なの?」

 アルケーに詰め寄る。


「ルミノイドはオーブに干渉できる唯一の存在だからだ。」


「それは理解しました。昨日、事故で運ばれた過去の私はどうなったのですか?」


 アルケーは一瞬間を置き、静かに答える。


「昨夜、ルミノイドのマインドアップローディング直後に不安定要素が発見されて、現在凍結中だ……」


 カーラは絶句した。

 アルケーの言葉が、ゆっくりと胸の奥に沈み込んでいく。


「……それで?手元にある過去の私が使えないから、今の私に協力しろと?」


 自嘲するように問いかけると、アルケーは何の感情もない声で「そうだ」とだけ返した。


「……ふざけないで」


 カーラの声は静かだったが、その内側では激しい怒りが渦巻いていた。


「私の過去は失敗作だった。でも、今の私は使える。だから戦えって?」


 彼女の視線は鋭く、アルケーを貫くようだった。


「君は失敗作ではない」


 アルケーの言葉はただの事実の陳述であり、慰めの意図は微塵もなかった。


「そんな言葉、あなたが言っても響かない……」


 カーラは目を伏せ、短く息を吐いた。

 この男はいつもそうだ。理屈だけで、感情には触れようとしない。


「壊れたから代わりに戦ってくれ? 私はあなたの道具じゃない!」


 握りしめた拳が震える。

 彼女の中で、機械としての自分と、人間としての自分がせめぎ合っていた。


 ふと、カーラの視界に何かが映った。

 アルケーの机の上に、唯一置かれた写真立て――そこには、パフェの乗ったスプーンを差し出して笑う自分が写っていた。


「……?」


 思わず足が止まる。

 記憶にはない光景だった。


『こんな風に、私は笑っていた?』


 それよりも――


『アルケーが、こんな写真を飾る?』


 カーラは思わず彼の横顔を盗み見た。

 アルケーもまた、その写真を視界の隅に捉えているようだった。

 しかし、彼の表情は変わらない。

 ただ「そこにあるのが当然」とでもいうように、無感情に佇んでいる。


 この無機質な執務室の中で、写真立てだけが異質だった。

 整然とした空間の中に、不釣り合いなほど生々しい記憶の断片。

 ふと、アルケーが指先で写真立てに触れた。

 ほんの一瞬だけ、それを動かそうとした――だが、すぐに手を離す。


『……捨てられない?』


 その仕草を見て、カーラの胸の奥に、説明のつかない違和感が生まれる。


『この男に、人の繋がりを惜しむ気持ちがあるの?』


 そんなはずがない。

 彼は合理的で、冷静で、過去を引きずる理由など持たないはずだ。


 では、なぜこの写真はここにある?

 なぜ彼は「捨てない」のか?

 私の心を動かすための演出じゃないかとすら思えてきた。


「……少し考えさせて。」

 カーラは一言だけ言って、踵を返す。

 執務室の扉が静かに開く。

 カーラが外に出たのを見て、ノーマンたちも慌てて後を追った。



 高次物質科学研究機構のタワーを後にすると、目の前の広場が賑わっていた。

 ビル群に囲まれた空間に、屋台が並び、ステージではバンドが演奏をしている。

 通りには仮装した人々が行き交い、笑い声が弾けていた。


「そういやさ、さっきホテルで聞いたけど、今年は地球という星からこの星に来て、ちょうど300周年でいたる所でお祭りをやってるってさ」


 加藤が串焼きをかじりながら説明する。


「星降りの民……か」

 ノーマンが感慨深げに空を見上げた。


 光が瞬く街の中、誰もが笑い、歌い、祝っている。

 300年という時間を、彼らは”未来”の象徴として祝っていた。


『私には……未来どころか、過去すらないの?』


「カーラお姉さま……?」


 ルリが心配そうにカーラの顔を覗き込む。


「ごめん、考え事をしていたの……」

「アルケーの言っていたことですわね?」

「まあ、あいつからしてみたら、自分が作ろうとしていたものが未来から来たんだ。縋りたくもなるわな」

 加藤が面白くなさそうに言った。


 カーラは苦笑する。


「縋る……ね」


 アルケーが私に縋る。

 その言葉には、どこか違和感があった。

 あの男が『何かを手放せない』なんてことがあるのだろうか?


「わたくしは、お姉さまの意思に従いますわよ」


 ルリがまっすぐに言う。


 カーラは、そんなルリを見つめた。

 疑うことなく、まっすぐに未来を見ている瞳。


「俺は、もし手を貸さずにいたらどうなるのかを考えていた」


 ノーマンが低く呟く。


「楽園は一夜にして沈んだという伝説があるが……ヌシとオーブの関係によるものだろうな。……手を貸せと言っているんじゃないよ、可能性の話だ」


『……この都市も、そうなる可能性がある?』


 その言葉が、冷たい予感のように胸を締めつける。


 カーラは背後に寒気のようなものを感じた。

 ゾワッとした感覚――まるで、誰かに見られているような気配。

 思わず振り向く――

 しかし、そこには何もない。


……嫌な予感がする


 その瞬間だった。


「おっ!そこのコスプレの姉ちゃん!」

 大きな声でカーラを呼び止める男が祭りの空気を引き戻した。


「コスプレ……!?」


 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)にカーラが目を丸くする。

 黄色いチョッキに派手なズボン。カンカン帽を被り、鼻下と顎にヒゲを蓄えた年配の男は、屋台の客寄せだった。

 カーラのルミノイド姿が祭りのコスプレ衣装に見えたらしい。

 男が指差した先には、古びたパンチングマシン が鎮座している。


「お!面白そうじゃん!」

 加藤が興味津々で前に出る。


「お姉ちゃん、やってくかい?このパッドをぶっ叩いて、スコアを出すだけ!満点なら豪華賞品だ!」


 いつの間にか、野次馬が集まり始めていた。周囲から「やれやれ!」と声が飛ぶ。

 加藤は肩を回し、軽く拳を握ると気合い一杯で上半身を捻った


「うらああああ!!!」


 ドスンッ!!


 鈍い衝撃音とともにパネルが震え、電子音がピコピコと鳴り響く。


「おおー!90kg!!女性の最高記録だあ!!」


 客寄せ男が興奮して叫ぶと、周囲から歓声が上がった。

「すごい!」

「姉ちゃん、やるじゃん!」

 小さな女の子が目を輝かせながら、加藤を見上げている。


「へへっ、まあな!」


 加藤は照れ臭そうに鼻をこすりながら、そっと手を振る。


「でも、残念!90kgじゃ景品には届かない!」

「なんだよ、ケチくせぇな!」


「じゃあ、そこのコスプレ姉さんもどうだい?」

 唐突にカーラへと視線が向けられる。


「え?私!?」


 突然の指名に、カーラはぎこちなく後ずさる。

 しかし、周囲の期待の視線が一斉に集まり――


「カーラ!これはやるしかないぜ!」

 加藤が勢いよく背中を押した。


「お姉さまが叩くところ、見たいですわ!」

 ルリが目を輝かせる。


「ルリまで……」


 ため息をついて、観念したようにパンチングマシンの前に立つ。


「さあ、美人のコスプレお姉さん登場だぁ!!!」

 客寄せ男の口上に、観客が一気に盛り上がる。


「ええぇ……」


 戸惑いながらも、カーラは手を振る。


 ウオオオーッ!!!


 ぎこちない笑顔で手を振っただけで、さらなる歓声が巻き起こる。


(なんなの、この状況……)


 カーラは困惑しながら、そっとパッドに向かって拳を構える。


(加減しないと……)


 慎重に、控えめなパンチを繰り出す――


「えい」


 ドッゴォォォォンッ!!!


 衝撃波のような音と共に、マシン全体が振動した。

 静まり返る会場。


 客寄せ男がスコアを確認し、目を剥いた。

「500kgッ!!過去最高記録を叩き出したぁぁぁ!!!」


 歓声が一瞬遅れて爆発する。


「ウオオオオオッ!!!?」

「な、何だ今の!?パンチだけでマシンが揺れたぞ!」

「コスプレ姉さん、どんな修行してんだ!?」


 カーラの「こ、壊れてるんじゃないかな……」という呟きは、歓声にかき消された。


「さあ!賞品でございます!」


 客寄せ男は興奮しながら、子供ほどの大きさの白いクマのぬいぐるみをカーラに手渡した。


「あ、ありがとう……」


 戸惑いながらクマを受け取る。

 ルリがすぐに駆け寄り、興奮した様子で手を叩いた

「お姉さま、凄いですわ!」


「す、すごい……!」

 ルリの後ろで、さっきの女の子が 憧れの眼差し でカーラを見つめていた。


 カーラは、しばらくその視線を受け止め――

 静かに、しゃがみ込んだ。


「これ、あげる。」

 ぬいぐるみを女の子に手渡す。


「……え?」


 驚く女の子。だがすぐに、満面の笑みを浮かべた。


「わぁっ……ありがとう!!!」


 クマのぬいぐるみを抱きしめて、嬉しそうに母親の元へ駆け寄っていく。

 その姿を見届けたカーラは、ふっと小さく笑った。


「やるじゃん、カーラ。」


 加藤がニヤリと笑い、ノーマンも肩をすくめる。

「まさか本気でやるとは思わなかった。」

「いや、手加減したのよ……」


 カーラは小さくため息をついた。


その瞬間――


 華々しく「渡星300年」を掲げていた、ホログラムがすべて消えた。

 リズミカルな曲を奏でていたライブ会場の音楽も突然切れて静かになった。ステージではバンドのメンバーが不安そうに顔を見合わせている。街頭も出店のライトも、パンチングマシンの電子音も祭りの会場の全ての電源が落ちて、静寂が訪れた。


 誰かが「停電か?」と不安そうに呟く。


 静まり返る会場になにかの音が聞こえてくる。


 ズズズ……ズズ……ッ


 湿った、不気味な音が響いた。


(……!)


 カーラの額のオーブが、 わずかに熱を帯びる。


「……今の、何?」


 ルリが不安そうに呟く。

 加藤も眉をひそめ、周囲を見回した。


「今の音!」


 祭りの喧騒の中に、 “違和感” が混じっていた。


「――何かが来る?」

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