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第24話 過去と未来と

 ズズズ……ズズ……ッ


 湿り気を帯びた、得体の知れない音が広場全体を飲み込むように響いた。


 人々がざわめき、顔を上げる。夕暮れの空を背に、高層タワー群が黒々としたシルエットを描いていた。

 カーラは反対側の地面から、何か赤いものが高速で飛んでいくのを見た。次の瞬間――最も高い塔の上層階が、音もなく弾け飛んだ。


 細かい破片が花火のように四方へ飛び散る。

 そして、雷鳴のような低く重い轟音が遅れて届く。


「なんだぁ?ありゃ?」

 パンチングマシンの客引きが上を見て呟いた。


 スローモーションのように落ちてくる塊の群れが、みるみると現実の質量を持ち始める。

 ガラス、コンクリート、鉄骨。それは、崩れたビルの上層階だった。


 気づいた時には、もう遅かった。


 ドスン!という激しい衝撃とともに、無数の破片が広場を襲った。地面が揺れ、地響きが起こり、破片の直撃を受けた出店が押し潰される。悲鳴が湧き起こり、逃げ惑う群衆が押し合いへし合い、足元では荷物と人が転がり、カラフルだった祭りの色が血と土埃に染まっていく。


 コンクリートの塊が落ちてきて、パンチングマシンを潰した。激しい破壊音が響く。

「おい!」

 客引きは慌てて四つん這いになりながら、避けて難を逃れた。危うく一緒に潰される所だった。


「――ッ!」


 カーラが反射的にバリアを展開する。眩い光が弾け、加藤の頭上に落ちてきた巨大な鉄骨が弾かれて砕け散る。


「あ、あぶねえ……!」


 加藤は尻もちをついたまま、荒い息を吐いた。


「わたくしも、お手伝いを!」


 ルリがふわりと浮かび上がる。オーブの輝きがその体を包み、超高速で飛び回りながら、次々と降ってくる瓦礫を精密に撃ち落としていく。ルリの放つ薄いバリアが盾のように人々の頭上を守り、幾人もの命を救っていた。


「逃げてください!この場を離れて!」


 カーラの声が広場に響く。人々はその声に引き寄せられるように顔を向けたが、その直後――


 再び、別のタワーの上層部で閃光が走り、今度は火の手が上がった。


 連鎖するかのように、複数のビルの上階が崩壊し、重力に引かれて崩れ落ちていく。


「これは……ただの事故じゃない……!」

 ノーマンが顔を強張らせる。

「俺がみんなを避難路に誘導する!」

 そういうと走って公園の出口に人々を誘導し始めた。

「兄ちゃん、俺も手伝うぜ」

 客引きが来て一緒に誘導し始めた。頭に怪我を負ったのか血がついている。

「怖えけどな、このまま潰されるわけにゃいかねえ!」


 瓦礫の雨の中、カーラはひときわ大きな黒い塊がバリアーの隙間を突いて、視界の隅に落ちるのを見た。


 塊が落ちた衝撃で破片が飛び散る。石や木や鉄の破片に紛れて、腕のちぎれたクマのぬいぐるみが宙を舞っていた。ぬいぐるみの白い体は、所々赤く染まっている。

 それは、カーラが少女に渡したあのぬいぐるみだった。


 時が止まったように、カーラの呼吸が止まる。


「私は……あの時、あの船で……守ると、誓ったのに……」


 言葉が震える。瞳が潤み、握りしめた拳が震える。


「私は……なんて、愚かで自分勝手な……」


 カーラのオーブが、音を立てて赤く脈動する。

 その瞳に宿ったのは、悲しみでも後悔でもない。

 確かな「覚悟」だった。


「命を懸けてでも、この人たちを守る!」


 空気が震え、カーラの背から立ち上がる力の波動が、広場に吹き荒れる。


 そして、その瞬間――


 広場の奥。さっき赤い物が飛んできた方向の地面が、ひび割れとともに膨れ上がった。


 何かが、そこから“出てこよう”としていた。


 地面が低く唸った。


 次の瞬間、広場の中央が音もなく盛り上がり、アスファルトが爆ぜるように裂けた。真っ黒な霧と衝撃波が周囲を薙ぎ払う。


 そこから現れたのは、ひときわ異質な存在だった。


 赤く爛々と輝く双眸。全身に黒い霧をまとう姿を浮かばせた。


 その姿を見た加藤とノーマンが体を震わせて呟いた。

「お、おい……マジかよ……」

「破滅の天使……」


 人々が凍りつく中、ルミノイド・カーラ――否、暴走した“かつてのカーラ”が、ゆっくりと顔を上げた。


「お姉さま……?」


 ルリの動きが止まった。

 『あのお姉さまは、アルケーのところで見たあの横たわっていたお姉さま……?』

 理解はしたが、なぜこんなに攻撃的なのかまでは及ばなかった。


 地下から現れた暴走カーラは無表情に赤く光る瞳をルリに向けた。その瞳には意思も感情もなく、ただ破壊だけを目的としているかのようだった。

 右腕を突き出すと、腕を包み込むように赤いバリアーが砲弾を形成した。

 赤い砲弾をルリに向けると同時に腕先の重力の焦点が一瞬ぶれて周りの景色が歪む。

 直後、まるで空間そのものを砲身としたかのように、無音の閃光が煌めき赤い砲弾が撃ち出された。


「ルリッ!」

 カーラが思わず叫ぶ。


 ルリが砲弾を際どく躱すと、ルリの後ろの陸橋に砲弾が命中した。大音響とともに地響きと噴煙を撒き散らしながら陸橋が崩れていく。


「お姉さまが、わたくしを攻撃……した?」


 わたくしが慕っていたお姉さまが敵として立ちはだかるなんて――

 アクパーラ号で対峙した時も決してルリに攻撃はしてこなかった。

 カーラという存在が敵となった衝撃と、それを止めなければ多くの命が失われる現実が重くのしかかってきた。胸が張り裂けそうになる。


「戦わなくちゃ……」

 ルリは周囲を旋回して、暴走カーラを牽制しはじめた。


「あれは……わたし……!?」


 カーラの顔から血の気が引く。

 自分にあんな力があるとは夢にも思わなかった。

 破滅の天使とも呼ばれたし、澱のように消えない罪の意識が心の底に沈んでいるのも知っている。だが、どこか現実感のない別の世界の話のように感じているところもあったのだ。だからアルケーの協力要請にも躊躇が生じた。


 しかし、それはとても浅はかだったことを痛感した。

 過去の自分が血に染まっていく姿を目の当たりにして、初めて現実として実感した。ここで浴びた血は未だに拭えていないのだ。


『私が終わることになっても、あいつは止めなきゃ!』


 意を決して、背中から赤い光の粒子の翼を開くと空に舞う。暴走カーラめがけて空から突っ込んでいった。


 ノーマンが飛んでいくカーラの姿を歯噛みしながら見送った。

「何か出来る事はないのか、俺に……」


 暴走カーラは上空にカーラを認めると、二発目の砲弾をカーラ目掛けて撃ち放った。発射時の閃光が暴走カーラを白く照らす。

 空中のカーラが前方にバリアーを展開した刹那、砲弾が命中した。

 超新星爆発のような激しい音と真っ赤な光が炸裂した。


「重いっ!……熱い!」


 質量と速度をバリアーの砲弾に与える事で目標を破壊する。これは徹甲弾そのものだ。バリアーの展開が少しでも遅れたら、砲弾が体を貫通しただろう。

 砲弾の持つエネルギーを全て受け取ったバリアーは高熱にさらされ、イオン化した空気の鋭い臭いがする。


ルリがカーラの近くに飛んできた。


「お姉さま!」

「ルリ!援護して!」

「あのお姉さまは放っておいたらダメですわ!」


 ルリが弓を撃つような動作をすると、瑠璃色の弓が現れた。瑠璃色の輝きが矢の形に収束し、凝縮されていく――次の瞬間、眩い閃光が炸裂して瑠璃色の光の矢が放たれた。

 光の矢は暴走カーラの直前で幾つもの矢に分裂して、豪雨の様に暴走カーラに降り注いだ。

 矢は突き刺さると、エネルギーを一気に解放して次々と爆発した。

 激しい連続した爆発に暴走カーラが晒される。あたりは炎と土埃と煙に覆われた。


 煙の中から閃光が走ると、赤い砲弾がルリめがけて飛んできた。

 回避出来るはずだったが、砲弾がルリの肩を掠った。


「……ッ!」


 ルリは目を丸くした。ルリの肩の装甲が弾け飛んだ。

「避ける方向を予測し始めてますわ!」


「量子エンタングルメントの応用予測だ!」

 誘導を終えたノーマンが、アルケーのいた高次物質科学研究機構に向かって走りながら叫んだ。

「なんだよそれ」

 加藤も走りながら聞く。

「目標とエンタングルされた粒子群を観測することで、動きをリアルタイムで把握して、標的の回避行動の未来位置を事前に予測して狙い撃つ技術だ」

「完全にチートじゃねえか!つか、なんでそんな事知ってるの?」

「前にアルケーが言ってた難しいやつだよ!」

「わけわかんねえ!」

 加藤は混乱して、頭を掻きむしった。


『次は避けられないかもしれない……』

 ルリの全身をゾッと寒気が襲った。


 ルリが作ったその隙にカーラが暴走カーラまでの距離を詰めていった。

 薄くなった煙から覗く暴走カーラに向かって、円錐状に尖らせたバリアーを纏ったカーラが突進していった。


「あああああああーっ!」


 暴走カーラは表情ひとつ変えずにバリアーを展開した。カーラが叫びながら激突する。

バリアーとバリアーが衝突した衝撃で激しい閃光と熱が周囲を襲う。


 バリアー越しに暴走カーラとカーラが至近距離で顔を見合わせた。暴走カーラの赤く光る瞳と、カーラの瞳が睨み合う。


 カーラと暴走カーラは互いの瞳に映る自分の姿を見た。



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