カーラが語った物語は、アルケーたちの時代から300年以上も遡る――。
新天地である惑星セレスティアを目指し、地球から遥か40光年の彼方にラウルス・プリーマ号はいた。
全長2300m、内部の生活エリアは直径2000mの巨大なドーム形をしており、3万人が生活する宇宙に浮かぶ一つの都市だ。
船長のシン・ナカノは、白髪混じりの髭をさすりながらキャプテンシートにもたれかかり、ブリッジで次の疑似ワープ「グラヴィティ・ブレイク」までの時間を確認した。
「目的地まで7光年。最後のグラヴィティ・ブレイクだ。N.O.A、しっかり計算しろ。一つでも間違ったら宇宙の迷子になるぞ」
『承知しています。計算終了まであと700時間』
N.O.A(Navigation & Observation AI)は、船の航行と観測を支援するコンピューターであり、この支援コンピューターなくして船は1ミリも動くことはできない。
オペレーター席に座るユミ・マーナーは、キリッとした顔つきにショートカットが相まって知的な印象を与えていた。コンソールパネルを叩き、グラヴィティ・ブレイクの準備状況をモニターに映す。
「重力コアによる本船の加速状況は現在、光速の9.87%です。落下限界までの加速時間は約720時間、移動距離は51.8AU(天文単位)になります」
「ギリギリだな」
シン船長は渋い顔をした。
「仕方ありませんわ。地球もこの船も惑星セレスティアもじっとしていないんですから。弾道計算のようにはいきません」
「ニュートンもがっかりしていることだろうな」
「グラヴィティ・ブレイクもニュートン力学があってこそですよ」
「船が自身の重力コアで重力井戸を作り、その井戸へ自ら落ちて加速する。やがて落下限界に達したところで、空間を折り曲げて滑り込む――それが、グラヴィティ・ブレイクだ。ニュートンの法則を逆手にとって、我々は重力で星々を渡るんだ」
「馬の目の前にニンジンをぶら下げて走っているようなものですね」
「言い得て妙だな」
ユミはくすりと笑い、口元を引き締めながら再びコンソールに目を落とした。この旅に、彼女は並々ならぬ覚悟を抱いていた。
まだ地球で人類が繁栄を極めていた頃、人類は軌道エレベーターのカウンターウェイト部分にダークマター生成炉を設置し、無限のエネルギーを得たかに見えた。
しかし、ダークマター生成炉が重力井戸を作り出したことで、地球の公転軌道はじわじわと変化し、太陽を中心に楕円軌道を描くようになった。
太陽の近日点と遠点での気温差が100度を超え、地軸は狂い、赤道は灼熱地獄と化し、極地は常に暗黒の吹雪に閉ざされた。月は満ち欠けをやめた。人々は「一日の中に四季がある」と嘆き、やがて言葉すら失って沈黙した。
このまま公転軌道が狂い続ければ、地球は死の星になると予測された。それと同時期に惑星セレスティアが人類が住める惑星であることが発見され、人類移住計画が立案されることになる。
移民1号船であるラウルス・プリーマ号の建造が急ピッチで進められたが、その間にも地球の環境は劣悪化の一途を辿った。
移民船には3万人しか乗ることができないため、乗員の選抜方法に関する論争は熾烈を極めた。
「完全公平にくじで選抜すべきだ」
「知力、体力などの試験を行い、合格したものを乗せるべきだ」
「移民船建造に貢献した財閥、政界から選ぶべき」
議論百出、侃々諤々、様々な意見がぶつかり合い、果てはバトルロワイヤルまで主張する者まで現れる始末だった。
「適合試験を行い、合格したものから抽選で選抜する」という結論が出るまでに、相応の血が流される事態にまでなった。
適合試験はかつての宇宙飛行士選抜試験を参考に作られ、年齢別にランクが分けられた。
合格するだけでも至難の業だったが、合格してもその後の抽選に漏れれば移民船に乗ることはできない。
一次募集には1億5千万人の応募があり、適合試験に合格したのは、およそ1千万人に過ぎなかった。そこから、さらに3万人に絞らなければならない。たとえ親友や親子であろうと、抽選の結果は絶対で、一緒にはなれなかった。
ユミも軍属時代の戦友ともいえる同僚のサナエと一緒に適合試験を受けた。結果、二人とも合格して喜んだのも束の間、その後に当選報告を受け取ったのはユミだけだった。
サナエは「うん、行っといで! 私の分も頑張ってきな」と言ってくれたが、ユミは気持ちに踏ん切りがつかず辞退まで考えた。揺れに揺れるユミに、移民船に乗る決心をさせたのは、やはりサナエの言葉だった。
「あんたね、人類の文明の火を絶やさず新天地で受け継ぐという使命を背負ったんだよ。わかってる? 私はあんたを誇りに思っているんだ、がっかりさせないで!」
使命を全うする、それが移民船に乗る人間の義務だ。一時の感情で揺れている場合ではない。移民船搭乗の前日、サナエと語り明かしたあの夜は一生忘れない。サナエたちの想いは私が引き受ける、そう誓って船に乗ったのだ。
地球を飛び立った3年後、サナエが第二次移民船のラウルス・セクンダ号に乗ったと報せを受けて、ユミは喜んだ。新天地である惑星セレスティアでサナエと再会することを夢見て、長い航海を耐え凌いだ。
しかし、2番移民船ラウルス・セクンダ号がグラヴィティ・ブレイク時の事故で崩壊したと知ったのは、その5年後のことだった。
たまたま、航路上にダークマターが出現するというイレギュラーな要素が発生し、船体の半分だけがグラヴィティ・ブレイクに突入したため、空間の狭間に船を引き裂かれたのだ。
ラウルス・セクンダ号の事故は、ラウルス・プリーマ号のオペレーター席でも観測された。
「観測記録には悲鳴すら残らず、唐突に消失した」とユミは記録し、絶望してオペレーター業務をすぐに交代したほどだ。
「サナエがいない新天地など、最初はただの墓標のようにしか思えなかった。けれど、あの晩に語り明かしたサナエの言葉が、私の中で何度も生き返った」
これはユミが船長に後に語った言葉だ。
使命を全うする、ただそれだけがユミの心の支えとなっている。