シンにとっても、この三ヶ月という月日はあっという間だった。
朝から母親から電話がかかってきた。
「うん、お母さん。大丈夫だから……ほら、深夜の《ピンピンナイト》に雛壇でちょっと映ってたでしょ。あれでも出演だからさぁ」
『そうね、映ってたけど……あれで出演? 同じ事務所なんだからもっとゴリ押ししてくれればいいのに』
「ゴリ押しされてんのはベーパイなんだよね、今」
『あんたももう少し前に出ればよかったのに。まぁ、でもこれも実績のひとつよ。元気そうでなにより。バイトばっかりしてないで、お笑いのネタちゃんと考えなさいよね』
明るくて溌剌とした母親の声。それを聞くために、つい電話をしてしまう。
最近、落ち込むことが多かった。事務所のライブや、他事務所のライブ。前説を卒業してからは出演の場も増えたけれど、アウェーの会場ではウケが悪いことも多かった。
ルックスでキャーキャー言われる芸人なんて、今どきゴロゴロいる。そのなかで、「中身を見てほしい」と願っている自分はどうしても浮いてしまう。振り切って“イケメン枠”を武器にしている芸人たちと、自分は違う。
そして――もうひとつ。
例のコンカフェから、営業外の昼の時間にオーナーと店長から呼び出された。相方の佐藤と一緒に。
他のキャストもスタッフもいない。普段の華やかさもなく反対に不思議の国のアリスのテイストの装飾が浮くぐらいの雰囲気である。
そんな中、緊張する佐藤に比べシンはそうでもなさそうでもあった。ある程度覚悟はしていたからだ。
「シンの様子からして呼ばれた理由はわかっているようだな」
「はい」
シンは即答した。佐藤は横で苦い顔をしている。
「出勤日数も少ないし……だいぶ前だがライブに呼んでおいた客がこっちに流れて来るのに出勤せずにアフターフォローせず半分客が会員をやめた。せっかくそのルックスと愛嬌もいいのに生半可な気持ちじゃ困るよ」
オーナーはシンのシフト表、売上表を机の上に並べた。
「別にこの店は兼業は許している。在任、卒業したキャストにも俳優やモデルもやっている子もいるからそれをジャンプアップとして……まぁ中には俳優業もうまくいかず田舎に帰ったものもいたけど……シン、お前はやれるはずなのお客さんに対しての恩を仇で返す気か」
シンは俯いた。そんな彼に佐藤が肘打ちする。
「こっちも芸人である君たちを応援していたけど中途半端なことされても困るよ……」
「すいません、中途半端なことをしてしまって……また気持ちを切り替えてやりますので! なぁ、シン」
と佐藤がシンの頭を下げさせて一緒に頭を下げる。佐藤は黒服だが芸人と脚本の仕事は不安定でこの仕事が一番の収入源であった。
「佐藤君、君も相方ならしっかりシンのこと見てやってくれよ。もうこうなったらここを卒業、っていう形でもいいんだよ」
あえてクビと言わないオーナー。
佐藤はシンにちゃんと謝れと言うが頭を下げたままだった。
「……それか、女ができたとか」
「そうなのか、シン」
シンは少し間をあけて頭を振る。だが頭の中に凛子を思い浮かべたのは言うまでもないが……。
しばらくの沈黙のあと、シンはようやく顔を上げた。
「……俺、辞めます」
その言葉にオーナーの眉がぴくりと動いた。佐藤もえっと声が出た。
「……なんだと?」
「ちゃんと芸人としてやっていきたいんです。ここで働けたこと、ほんとに感謝してます。でも……ここにいると、居心地が良すぎて、甘えちゃうんです」
シンは苦笑した。
「お客さんが優しくて、見た目でちやほやされて……それで自信がついたつもりになってました。でもこの前のライブで、ボロクソにすべったときに気づきました。僕はまだまだだって。応援してくれたここのお客さんに対しても中途半端なことしてしまって申し訳ないと思ってますし」
佐藤が黙ってうなずいた。
「芸人でやっていくなら、もっとネタに向き合わないとダメだって……だから、辞めます」
オーナーはしばらく何も言わなかったが、やがて一つうなずいた。
「……そうか。辞めるとは言わせない。卒業ってことでいいな。ちゃんと最後は落とし前つけろよ」
「はい。……すいませんでした」
頭を下げるシンに、佐藤が少し目を細めた。
「お前もだからな、佐藤」
「えっ! 俺も!!!」
※※※
2人は店から出る。こんな明るい時間帯にこの街にいるのは珍しく見慣れない風景や人たちに紛れて歩く。
「阿呆、俺も一緒にクビかよ。まぁお前の金魚のフンってのは自覚してましたがねー」
と佐藤はタバコに火をつけた。そのタバコを抑えたシン。
「ここは歩きタバコダメっすよ」
「すまん……て、どうしよっかなぁ」
「て、佐藤さん……もっと反抗するかと思ったけど。すいません、巻き込んで」
佐藤はシンの肩に腕を回した。
「別にええって。お笑い、がんばろや……それしかないやろ。ってやっぱ他のバイトや脚本の仕事増やさなかんなぁーどうしてくれるんや」
「卒業イベントで稼ぎますんで……はい」
「頼むでぇ」
と佐藤は笑う。
「てかさ、女のくだりで少し反応してたけど……女でもできたか?」
「えっ、その……」
トントンと肩を叩かれた。
「ポーカーフェイスの君は行間ですぐわかる。それも……訳ありで無く本当の恋か?」
「……」
「ほらみー! マスターも言ってたぞ。準備中にスマホ気にしてるとかいうし……」
マスターに見られていたのか、とシンはため息をつく。
この3ヶ月の間に数回しか凛子とご飯に行けなかった。コンカフェやモリスでの仕事をお笑いの仕事と言ってあまり会える時に会ってもまた年上の彼女に夢みがちな若造と振られるのが怖かったのもあった。
「で、どこの年上だ?」
「……黙秘権、使います」
「はいはい、年上っと。変わらんなぁ、昔から。最初の人が……あの子だったからか?」
「……」
シンはしつこい佐藤の質問をかわしてスマホを見るとマネージャーの百田からの連絡が来た。
どうやら佐藤のところにもきたようだ。
「うわ、コンカフェに続いて芸人としての仕事にも暗雲か?」
「そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ……」
「そもそもコンカフェだって!」
と喧嘩しながら事務所に向かうふたり。
事務所には百田とベーパイの二人、そしてシンの知っている女性が。
「あらー、シンくん元気?」
「ハナさん! 今日はどうしたうちの事務所に……あ、ベーパイと仕事してたっけ」
ハナというロリ顔の女性だが32歳の地元密着系フリーアナウンサーである。
本名森巣華。
――そう、喫茶モリスのマスターの、亡くなった息子の妻。シンにとっては、姉のような存在だ。
「お義父さんからね、ずっと『シンと佐藤くんに何か仕事ないかね~』って頼まれてたのよ」
「……もうずっと言ってくれてますよね……」
「私も色々聞いてはいたもののなかなかねー」
やっぱりダメかと肩を落とすシン。ハナは昔から喫茶店で働くシンのことを弟のように接してくれていたのだ。
今日もベーパイとの仕事の打ち合わせだろう……。
ハナは、少し声を弾ませる。
「今度、お昼に私の生ラジオ番組が始まるの。で、そのメインMCはベーパイ!」
「はぁ~、やっぱり」
とシンと佐藤は肩を落とす。
ベーパイの二人はこれでレギュラーがまた増えるわけである。
「んでね、ベーパイもいいけど……毎週ベーパイも胃もたれするからって……週替わりとして……」
そこですかさずベーパイの南谷が突っ込むがハナはハハッ笑って
「チョウシモンの二人に出てもらいまーす!」
そう発表したのだ。
「えええええっ!!!」
シンと佐藤は同時に驚く。コンカフェでクビを言い渡されてすぐのことである。
「しかもラジオと言っても同時ネット中継だから全国でも見れちゃうー! すごいでしよ!」
――チャンスが、来た。
もう、逃げない。
「……よし。やってやるよ」
シンの胸の奥で、熱い火が灯った。
(これなら凛子さんも喜んでくれる!!!)