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第61話 アランタ塔⑰


教師の声が響いた。


「ジュリアさん、さあ塔の中へ」


その名を呼ばれるのは当然、彼女は天才クラスの首席である。


「ありがとうございます、先生」


礼を述べるとジュリアは迷いなく踏み出した。そんな彼女の心には一つの確信があった。——兄の成績は本物ではない、と。


第三層で留まるような兄ではない。きっと、何か理由があるのだろう。

尊敬の念を抱くのは——両親と、そして何より兄。


「ジュリア、頑張れ!」


風を割って届いた声に、ジュリアは振り返り、拳を強く握って掲げた。それは「任せて」と言わんばかりの宣言だった。


「キャンディーは食べたか?」


その問いに小さく頷きながら、緑色の丸薬を口へと運んだジュリアが顔をしかめる。


――これは、キャンディーなどではない。舌に広がるのは、じんとくる苦み。


「いい子だ」


ルーカスの笑みは深まる。


この丸薬の名は『魔蘊丹』——口にしたジュリアがアランタの試練で成功を収めるのは確信であった。


第四層など、ジュリアにとっては庭を散歩するようなものだ。


傍らで見ていた教師は首をかしげた——試練の直前に、キャンディーとは?


選ばれた者しか得られぬ希少な薬とは知る由もない。


そんな教師の視線をよそに、ジュリアの小さな体に魔力がみなぎる。


天才クラスの生徒たちが次々とアランタへ足を踏み入れ、教師たちは無言で様子を見守る。


祈る声がいくつも交差した――どうか、我ら魔導士の誇りが守られますように。


光が揺れ、ジュリアら10人の幻影が第一層に現れる。


「エヴァ、ついてきて」


ジュリアの呼びかけに反応したエヴァが不満げに鼻を鳴らし、魔力を展開すると、幻影が三体、目前に迫っていることを感じ取った。


「精神操作!」


呪文とともに得意の操作魔力を放つが、敵の動きは止まらない。


幻影がエヴァに迫った時――


【バリバリィッ!】


ジュリアは静かに右手を掲げると、目が眩むような雷光が3度輝き、音と共に幻影が霧散した。


迷いなく命中した雷の一撃で、戦闘と呼べる間合いに入ることなく敵が崩れ落ちる――これが、ジュリアの実力。


見守っていたルーカスは、無言でうなずいていた。


魔力の無駄は一切なく、狙い目は完璧。雷の一閃が示すのは、技術と冷静さ。


「さすが、ジュリアだ……」


外では教師たちが騒ぎ始めていた。


誰もが認めた。この年にして、天才が現れたと。


一方で、ルーカスは確信していた――アランタの経験、魔力の流れ、敵を見越した上での動き、リンドラの指導があってこそ。


「やはりジュリアは優秀だな。3体の幻影を、数秒で……」


「これが天才か。久々に鳥肌が立ってしまった」


「やっぱり火力が違うな。一撃が重い」


教師たちの声は、やがてざわめきへと変わっていく。ただ、他の生徒たちは内部の状況を知る術がない。ただ黙って説明に耳を傾けるのみ。


一方、ジュリアは淡々と次の展開を見据えていた。


「エヴァ、私の後ろにいて」


どんなに不服でも、エヴァにはそれ以外の選択肢がなかった。


アランタという空間は、精神魔法にとってまるで“無音の世界”。


本来ならば、敵を操るエヴァにとって、第一層の異族など敵ではないはず。


「戦場なら、あんな奴ら……あっという間に操ってるのに」


エヴァが口を尖らせると、ジュリアはふわりと微笑む。


「うん、知ってる。戦場だったら、あなたはもっと強い」


幻影に心はない。ただの本能で動く戦闘の人形――精神魔法など通じるはずもない。


けれど、エヴァは無力というわけではなかった。


「3時方向に仲間がいるわ。そのすぐ近くに幻影が2体……うち1体はすでに倒されたみたい」


エヴァの魔法は幻影には効かないが、アランタ内の状況を感知できる。


どこに幻影がいるか、どこに仲間がいるか——すべてを把握していた。


「見えているの?」


ジュリアの声には驚きと期待が入り混じっていた。


「ええ、感じ取れるわ」


エヴァは静かに頷く。


「……すぐに向かおう!」


霧に沈む景色の中、ジュリアは仲間の気配すらつかめなかった。

しかし、エヴァにはそれができた。


すなわち、この霧は、2人にとって障害ではなくなったのだ。


エヴァは無言のまま、ジュリアの背中を追う。

アランタの内部で高得点を狙うことは、自分には難しい——聡い彼女はその現実を理解した。自分で討ち倒して得点を稼ぐ幻想を捨てた。



ジュリアとともに行く。それだけが、上の層へ進む唯一の道なのだ。

「ジュリア、順調ですね。どうやら合流できたようです」


にこやかな笑みを浮かべ、ウォーレンがリンドラに声をかけた。


リンドラは小さくうなずく。


「ええ、あの子たちは、私の誇りです」

「当然ですよ。君の教え子で、しかも天才クラスの精鋭だ」


ウォーレンはさらに続けたが、リンドラは微笑を崩さず、沈黙を保った。


その沈黙に、ウォーレンの笑顔は次第に引きつり、ついには諦めてその場を離れた。


彼の内心では怒りが煮えたぎっていた——シグルドという出来損ないの武人にはいつも笑顔を見せるのに、自分には冷たい態度ばかり。露骨な差別だった。


くそっ、リンドラ……小汚い服をまとったシグルドの、どこがいいっていうんだ。誰がどう見たって、見た目も地位も、このウォーレン様の方が格上だろうが!

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