それは今から数百年後に、あるかもしれない物語。
人類は、母なる星にしがみついたまま摩耗し老衰していく前に、月を越え、宇宙へと進出した。
限りなく無限に近い、大宇宙という新たなフロンティア。光の歩みさえも遅々として進まぬその領域で、限られた命のなんと頼りない事か。
それでも人類は多くの困難と決断を乗り越え、宇宙へと適合し、新たな可能性を得て多くの物を得た。
その一方で、多くの物を喪いながら。
◆◆
「ふんふふふーん、ふふふーん」
一隻の宇宙船が、他に連れ合いもなく大宇宙を飛翔している。
全体的に平べったいシルエットで、機首は鳥の首のように長く伸び、下部に鋭いエッジをもった突起物を備えている。後部は鳥の翼のように左右に広がり、それぞれ大型のエンジンブロックを備えている。中央部にはショックポイント航法の為のドライブユニットと思しき設備が埋め込まれているが、今は光を放つこともなく沈黙している。
機首の下から伸びるブレードの側面には、『紅蓮丸』と古代語が刻み込まれている。
他に比較するものの無い暗黒の宇宙空間では、この船がどれぐらいのサイズかを判断する事は難しい。しかし指揮者が見れば、翼端に備わったエンジンの形状から、おおよそのサイズを推測する事が可能だ。
星を渡る船にしては小さい。見る者が見ればそれは小型の宇宙艦ではなく、大型の攻撃機であると看破するだろう。基地を飛び立ち、宇宙の闇を乗り越えて、単独で敵拠点を強襲する戦略攻撃機。しかし、かつては死と破壊を蓄えていた爆弾槽には、爆発物の代わりにドラム型の居住ブロックが抱えられている。
居住ブロックは今もぐるぐると回転している。重力子の発見と普及が進んだ今では、遠心力による疑似重力を生み出すやりかたは時代遅れのものとなっている。今となってはそんなものを使うのは、よほどの物好きか、よほど金がないかのどちらかだ。
残念ながら、この船のオーナー……アーネスト・チャーチルは後者である。
彼は、美食ハンターだ。
「ふふふーんふふふん、ふふふーふふふん。ふーふーふーん」
誰も咎める者が居ないのを良いことに、調子外れの鼻歌を歌うアーネスト。
彼は灰色混じりの黒髪をバンダナで束ね、上着はスペースジャケットをはだけたシャツ一枚というラフな格好でぷかぷかと居住ブロックの中央で浮きながら胡坐をかいていた。遠心力による疑似重力は、床面に触れなければ伝わらない。
「ふふふふーん」
宙に浮きながら彼が何をしているかというと、芋の皮むきだ。
アーネストは灰色の瞳を子供のように輝かせながら、巧みなナイフ裁きで宇宙ポテトの皮を剝いている。使い込まれたナイフが、薄汚れたグレーの宇宙ポテトの皮をするすると剥いていくと、その下から黒と緑が入り混じったおどろおどろしい中身が露になる。とても食べられるようには見えない。
それもそのはず、宇宙ポテトは普通に食べる野菜ではない。宇宙放射線に強い耐性を持ち、真空状態でもある程度耐えるほどの強靭な生命力、小惑星の砂のような悪質というのも生ぬるい土壌でもわずかに栄養と呼べるものがあれば生育可能な宇宙開拓の救世主とも呼べる作物ではあるのだが、外部からの刺激から身を守る為に強い毒性や色素を生成し蓄えるという性質がある。その為とてもそのまま食べられるものではなく、有機物分解器に放り込んで必要な栄養素だけを抽出するのが一般的な消費方法になる。
過酷な宇宙では、作物もまたその在り様を大きく変えていったのだ。
しかし、アーネストはそれをわかったうえで、宇宙ポテトの皮むきに明け暮れていた。一つの芋の皮むきを終えると、回転する壁に目を向ける。すなわち床である壁面には、一周して回ってきた机と、その上でコトコトをお湯を沸騰させる鍋があった。すれ違いざまに鍋に向き終えた芋を放り込むと次の芋を手に取り、再び皮むきを始める。その傍らでは、剥いた皮などの生ごみは空中を漂うダストボール……丸い球体に一文字の吸引口を備えたゴミ箱が、まるで餌を食べるように吸い込んでいく。
再び鍋が一周して戻ってきたタイミングでそれも剥き終わると、それもそこに投げ入れる。鍋には5つ以上、皮を剥かれた芋がお湯の中でコトコトと揺れ、煮汁は芋から染み出したどす黒い色素でどどめ色に染色されていた。泡立つお湯が、粘土を増してゴポゴポと音を立てる。
それに気が付くことなく、無重力に漂いながら一心不乱に皮むきを続けるアーネスト。その隣には一冊の本が漂っていた。年代物らしく、元は白かった紙質はすっかり黄色く変色し、ページも劣化してすりきれてボロボロだ。これ以上崩壊しないようにパッケージングされた本の表紙には、こう書いてある。
『楽しい料理』。
と、アーネストが手を伸ばして本をつかみ取り、開かれたページに目を通した。
「ええと。『じゃがいもを一口大に切ったら、被るぐらいの水で10分間茹でます。竹串が通ったら茹で上がり』。……一口大、一口大ってこれだよなあ」
アーネストは拳を作ってあんが、と開いた口に押し当ててみる。流石に口の中には入らないが、宇宙ポテトのサイズは拳の半分ぐらいしかない。一口に入るサイズの大きい方、と解釈しているアーネストは「うん、間違ってないな」と頷き、最後の宇宙ポテトを鍋に放り込んだ。
「うし、これであと10分煮る、と。レヴィ、タイマーよろしく」
『了解しました。10分後に報告します』
「これでよし。あとは茹で具合次第か。……この竹串ってのが最後まで分からなかったが、調べたら竹ってカーボンの事らしいな。カーボンニードルが刺さるぐらいか? ほとんど煮なくていいんだな。その割に10分も煮るのは変な話だけど……まあ遥か昔の話だしな。火力が違うんだろう」
ダストボールを足で挟むようにして抱えると、それを蹴り飛ばしてその反動で床に降りる。触れた途端にぐ、と0.6G相応の遠心力によって、肉体に重さが戻ってくる。
肩を回して具合を確かめる。そうする間に蹴り飛ばされた反動でバインバインと跳ねて戻ってきたダストボールをキャッチして、壁の凹みにかぽり、とはめ込んだ。
シュイン、と音を立てて中のゴミが吸い出されていく。
宇宙生活では基本的に廃棄物というものは存在しない。生ごみも老廃物も全て、分解機で分別されて資源と水に分けられ、そのうちの本当にどうしようもないものだけが焼却処理されて体積を極小にしたものを港に持ち帰る。
宇宙では、ネジ一本石ころ一つですら不法投棄はご法度だ。
「さて、茹で上がるまでちょっと情報でも……」
『警告。有害物質を検知しました。危険です。10分を待たず、鍋の内容物をすぐに廃棄してください』
「え?」
艦を制御する人工知能からの警告に、アーネストはぎょっとして鍋に目を向けた。見れば沸騰して粘度を増した黒い液体が、黒い蒸気を吹き出しつつポテトの身と共にごぼごぼと鍋から吹き出しつつあった。環境の汚染に警告灯が点滅して室内が赤く照らされる。
「やべっ」
『汚染レベルEを確認。汚染原因を速やかに除去してください。危険です。危険です。危険です』
「そうせかすなって、ととっ、除去っつったって……ええい、仕方ない!」
慌てて沸騰する鍋をコンロからどける。一瞬ためらった後に、アーネストは鍋の中身をダストボールへと放り込んだ。有害物質を感知してボールは大きく口を開き、吸引するようにして鍋の中身を吸い込んだ。数秒かけてどす黒い粘液を回収し終えたボールは、げっぷのように黒い煙を少しだけ吐き出して沈黙した。
『廃棄物処理機能が許容限界に達しました。しばらく使用を控えてください』
「ふぅ……危なかった。しかし今回もダメだったかぁ」
額の汗を袖で拭いつつ、アーネストは肩を落として鍋の中身を見下ろした。大多数はダストボールに吸わせたが、鍋の底には煮詰まった黒い粘液が焦げ付くように残留している。異臭を放つそれは水と洗剤を多量につかって洗わなければ落ちないだろう、宇宙にいる間は洗えそうにない。というより、本当に洗って落ちる類の汚れなのだろうか、アーネストはすこし不安に思った。
せっかく特注で用意した鍋が台無しだ。
「料理、難しいなあ……。大体、今では使わない用語が多すぎるんだよ、一応古代言語先行してんだけどな、俺」
いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。焦げ付いた鍋を棚に仕舞い、アーネストは惨状の後片付けを始めた。吹きこぼれた得体のしれない黒い粘液をふき取り、コンロや机を片付ける。宇宙では、余計なものを出しっぱなしにしておくのは単純に命に係わる。
しかし、汚れを拭い去っても悪臭だけはいかんともし難い。鼻をすんすん鳴らして、アーネストは残留する刺激臭に顔をしかめた。
と、そこで空気を読まないチャイムが機内に響いた。AIからの定時メッセージだ。
『通達です。栄養補給の時間になりました。既定の手順に従い、所定の栄養を摂取してください』
「おっと、もうそんな時間か。忘れてた」
機内放送を聞いて、時計に目を向ける。宇宙にいると昼夜の間隔が曖昧になりがちだ。
壁際のボックスに触れて、端末を操作する。するとすぐに、シュインと規定量のサプリメントの錠剤とアルミで包装された2センチ四方の固形物、高機能水を充填したバルーンが用意された。サプリメントを水無しで素早く飲み干し、固形物の包装を解いて小麦色の固形物を口に含む。硬いそれをザクザクと奥歯で噛み潰しよくかみしめると、バルーンの飛び出たチューブを口に含んで小さくかみ切る。一息で水を飲み切ると、固形物が水に反応して膨らみ、満腹感が腹を見たした。少しだけ出てしまう包装の類を捨てようとして、今はダメな事を思い返してしぶしぶジャケットのポーチに仕舞う。
所要時間およそ3分。
これが、今の宇宙における食事、という行為である。厳しい宇宙で生活していくうちに、人類から食事を楽しむ、という概念は失われた。必要なのは栄養素と、咀嚼機能を損なわない程度の刺激、そして水分である。宇宙空間では料理という行為に割くリソースは無く、また排泄物の処理の事を考えれば消化する有機物は最低限にとどめられなければならない。
それが常識であり、そんな中で失われた料理という行為に価値を見出しているアーネストは変わり者であった。
「もぐもぐ。もぐ。……はい終わり。さて、次はどうするかね」
手早く栄養補給を終わらせたアーネストは、こちらに向かって空中を漂ってきた(正しくは動いているのはアーネストの方だが)レシピ本をキャッチするとページに目を通した。
レシピ本には、様々な料理のレシピが記載されている。だがその多くは文字だけだ。わずかに数点掲載されている写真も、経年劣化によって色褪せ詳細は分からない。
料理の概念が失われて久しい昨今、レシピのタイトルからどんな料理か推測する事も困難だ。保存状態も劣悪で、歴史的資料としての価値もない。
トレジャーハンターを気取る盗掘家達でも見向きもしないようなしろものである。
だが、それでもアーネストにとってはこの本は最新の核融合炉を搭載したクルーザー船よりも貴重で高価値な宝物である。
「うーん。これもダメだったか……。レシピによれば簡単な料理という話だったが……何がダメだったんだ? やっぱ材料? でもジャガイモ、って、ポテトだろ? 宇宙ポテトっていうからには変わらないんじゃないのか? 他にポテトがあるのか? わからん」
本に記載されたレシピと睨みっこしながら失敗の原因を探るが、アーネストには何がダメだったのか分からない。
「ダメだ、さっぱりだ。とりあえず、うすうすわかってたことだけど宇宙ポテトは料理には向いてない。またそれっぽいのが手に入ったら試すか」
ため息をつきつつ優しく本を閉じて脇に抱えると、アーネストは部屋の疑似重力を切った。ゆっくりと部屋の回転が止まり、体から重さが失われて0Gが戻ってくる。無重力の身軽さを取り戻すと、アーネストは床を蹴って舞い上がり、居住区から艦内に繋がる扉に手を駆けた。
「レヴィ、俺は操縦席に戻る。居住区の洗浄をすませておいてくれ」
『了解しました、マスター。2時間ほど居住区には入れなくなりますが、よろしいですか? 了承しました』
ヴヴヴヴ、と背後で空気の入れ替え作業が始まる音を聞きながら、アーネストは扉を潜った。かちり、とエアロックが固定される音。
途端に、重苦しくのっぺりとした構造の機内が彼を出迎えた。装飾のない壁や、無造作に這いまわるパイプ類、滑り止めがなく断面が菱形の通路は、重力下での運用を想定していない宇宙攻撃機特有のものだ。壁のリフトを掴んでそれに引っ張られるようにして機首を目指す。道中では、居住区の収納スペースに収まり切らなかった私物が、ダクトテープで壁に貼り付けて無理やり固定されている様子が見られた。みっともないが、同居人もいないから気楽なものである。
整理されていない通路をハンドリフトで素早くわたり、アーネストは操縦席へと乗り込んだ。
二重の対爆防壁で仕切られた操縦席は、一人のパイロットに対して不相応に広い。コンソールはシンプルだが、壁際には無数のアナログ計器が並んでいる。
過酷な宇宙空間では、便利な電子機器だけでは信頼性に欠ける。最も、アーネストとてその計器全ての意味を理解している訳ではないのだが。
そして横長のキャノピーの向こうでは、果てしなく広がる宇宙と、そこに輝く星々の輝きがあった。
「レヴィ。なんか、面白いニュースの類はあるか?」
どっかと座席に乱暴に座り、後から備え付けた空間プロジェクターの電源を入れる。暗黒の宇宙空間をバックスクリーンに、放送番組の映像が投影された。
『定義が曖昧です。面白い、とはどのような事象を示しますか』
「金にならなくても、俺の好奇心を満たせるような話さ。美味いもんの話ならなおさら良い。ようは次の行動の指針になるようなネタは無いか?」
「検索中。……過去の学習記録に基づき、重要度の高いニュースを発見しました。有料番組ですが、いかがなさいますか」
む、と少しアーネストは躊躇った。頭の中で軽く予算を計上し、結局それを棚上げにする。考えてもしょうがない、赤字になるときは赤字なのだ。
「構わない、頼む」
『了解しました』
ヴン、と空間モニターの映像が切り替わる。
解像度の低い映像だ。砂嵐の中に映し出されているのは、キャノピーの向こうと同じような、暗黒と輝ける星星……どこかの宙域だろうか。
これのどこが面白い話なのか。疑問に思いつつもAIの目利きを信じて映像を見守っていたアーネストは、次の瞬間思わず腰を浮かした。
宇宙の闇の奥。その向こう側から、ぬっ、と巨大な構造物が姿を現したのである。コントラストの極端な宇宙空間、先ほどまではどこかの星の影に隠れていたのだ。
姿を現したのは、樽型の構造物。サイズははっきりとはしないが、その上部にちょこんと突き出ているのが艦橋だとしたら、すさまじいサイズだ。大きな都市がそのまま飛んでいるようなものである。類似した形状の艦はアーネストの記憶にはない。
さらに見れば、艦の表面の装甲はボロボロだった。長期間宇宙空間を漂ってきた小惑星のように、無数のクレーターに覆われ、一部は変質して灰色の石のようになっている。それはこの船が、想像もつかない長い時間を宇宙で過ごしてきた事を指し示している。
「マジかよ」
アーネストの口から思わず感嘆がこぼれる。それは理解不能な存在への困惑ではなく、理解できるからこその驚嘆であった。
超巨大な、記録にない艦影。長い間宇宙を放浪したと思われる外観。それらは、一つの結論を導き出す。
「……恒星間移民船、だと?」